ヤンデレに捕まりたいから逃げる話
「リンカさんは僕の事だけを見て、僕の事だけを考えて、僕だけを愛してればよかったんですよ。……最終確認です。なんで逃げたりしたんですか? これに答えたらこれは着けません」
その言葉と、じゃらじゃらとした音で手錠に気づく。
彼よりも明るい銀色のそれは装飾が細かく、光を反射して淡く瞬いた。
「これ、魔封じになってるんですよ。着けたら、リンカさんは魔法が使えなくなります。魔法しかできないリンカさんは、もう逃げられませんよ」
彼は私の腕を掴んでいる方と反対の手でそれをもてあそび、形だけの笑みをつくった。
彼の瞳は暗く深く沈んでいて、深い森のよう。それでも、いや、それだからこそか。私の目に写る彼は、ひどく美しい。
これは私が望んだことなのに。いざ目の前にして、今さらその手錠を、この後起こることを、私は恐れた。
「は、ハルくん。ちょっと、ちょっとでいいから、それつけるのは待って。私はハルくん以外に好きな人なんか誰もいないし、ハルくんのことだけ愛してるよ」
「口先ではどうとでも言えます。それに、僕のことを愛してるなら、受け入れてくれますよね? ……リンカさん、着けてください」
彼は抵抗していた私に、その手錠を着けた。
◇◇◇
二度寝から目覚め、隣に誰もいないことに気づく。さっきまではいたのに、もうぬくもりは私のものしかない。
空っぽで、満たされない器を持てあまし、起きる気にはなれなくてもう一度寝転んだ。
私と、ハルくんことミハル=ティルータくんは恋人同士だ。
……だけど、私は今、ハルくんにある不満を抱えている。
三ヶ月前、私は『研究さえできればどこでもいいよ。ハルくんがそうやって、私を独り占めしたいから仕事をやめて欲しいって言うなら、仕事、やめるよ』と言いました。確かに言いました。
だけど! だけどだよ!? 最近ハルくんがあまり私にかまってくれないのはいかがなものかと思うの!! 働いてた時の方が一緒にいれた時間は長かったと思うよ??
仕事から帰ってこない日もあるし、帰ってきたら帰ってきたで、疲れてるみたいでご飯食べてお風呂入ったらすぐ寝ちゃうし、最近あんまりイチャイチャできてないし、全然頭を撫でてくれない!!
「うーーーーー!!!!」
足を八つ当たり気味に振り回しても、ばふんばふんとむなしい音が響くだけで、うめき声を出しても枕に全部吸い込まれていく。
気持ちを疑ったこともあったけど、今はそんなことはしない。ハルくんが私のことを好きなのは私もわかってる。疑った時のことを思い出すと……あー!! だめ。今は止めとこう。羞恥心で爆発してしまう……
うん。ハルくんは、私のこと好きなんだよ。そうだよ、好きって言ってくれたじゃん!!
「独り占めしたい」って言ったよね?? 「誰にもあなたを見せたくない」だとか、「逃げたら監禁しますからね」だとか、そう言うこと、よく言ってたよね???
ハルくん私のことすごい好きだよね?? そう言ってたよね?????
だったらなんでかまってくれないの!!!
私はハルくんにかまって欲しい!!!!!
「っそうだッ!!」
ベッドの上に立ち上がり、拳を握る。
ハルくんが私を監禁するなら、逃げて監禁される時にハルくんも逃げられないようにしたら、ハルくんを独り占めできる!!!!!
思い立ったが吉日! 考えたら即行動! 計画ちゃんと立てて、すぐに実行しよう!!
握った拳を突き上げたら、足が滑って転びかけた。びっくりした。危ない。
◇
「いってきますリンカさん」
「うん、いってらっしゃいハルくん」
扉が閉じたのを確認! ハルくんが仕事に行ったのも確認!
『逃げて捕まってハルくんを独り占め計画』を本日実行に移したいと思います!! わぁい!
前準備として、二人で引きこもるとき用にいっぱい食べ物入手しておいたし、ハルくんが私を監禁する時に逃げられない様にするために細工をしたり、逃げてる時にわからないようにしたり、まあ、色々とした! 頑張った!
今日は、とりあえず書き置きして、ドアの魔法陣を変えてから、外に出ればいいかなっ!
うーん、書き置きかぁ……逃げたことがちゃんと分かるようにしとかなきゃ、捕まえてくれないかもしれないよね……どうしよっかなぁ……
えーとっ、『私は逃げます』
んー、これでいっかな。分かりやすいように机の上にでも置いておこう。
今まで自分から外に出ようとしなかったから気づかなかったけど、ドアの魔法陣、うーん、この癖、ハルくん製作だ。改変ロックがかけてあるし、書き換えたら術者に伝わったり、色々機能がついてる。
だけどハルくんは少し詰めが甘いなぁ。誰が魔法陣を教えたと思ってるのさ。私を逃げられないようにするなら、構成変えなきゃ。私はハルくんの先輩だったから、きみの癖までわかるんだよ。
よしっ時間はいっぱいあるし、ここをこうやって、そうやって、ああして、んー! 楽しくなってきた!! 次はそうして、ああやって、ついでにこうして…………
できた!! 時間かかっちゃったけど、これでハルくんには伝わらないで外に出れる!!!
お金持っていきたいけど、財布にも位置感知ついてるな。……うん、財布は置いてってお金だけ持っていこう。
ん、ちゃんと鍵も掛けた。
このお家は、転移禁止なのがめんどくさいところ。転移できたらすぐに逃げれるのにな……
まあ、自分の足で逃げるのも醍醐味か。
よしっ、じゃあ逃げよう!!!!!
◇
美味しそうな良い匂い。色とりどりの建物。くるくると物を回している詠唱士。手を繋いでいる親子や、買い物中の奥さん。食べ物を売っているおじさんに、面白そうな物が売っている雑貨屋さん。魔法薬を並べてるおばあさん。笑顔で走っている子どもたち。楽しそうな話し声。
暖かな陽気の中、賑やかな街の中を私はゆっくりと歩く。外に出るのは久しぶりなので、目に映る世界が新しく感じて意外と楽しい。
「ねえハルく、」
くるりと振り返ると、誰もいない。
……そういえば一人だったんだ。一人で外に出るのは本当に久しぶりだ。
さっきまで色鮮やかに見えていた景色が急に色を失い始める。独り取り残されたような空虚さを、頭を振ってうち消した。
明るい通りから少し外れた、静かな裏通り。
目的の茶色のドアを開けるとカランコロン、と音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
ハルくんとよく来る、夜にはバーにもなる行き付けの喫茶店。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。内装や、インテリアが古風で素敵だ。
コーヒーがとても美味しいし、落ち着いたここの空気感が私は好き。
「いつものコーヒーと、あとサンドイッチもください」
「はーい。ご注文承りました」
持ってきた紙を広げ、魔法陣を描く。
ペンで紙に綴っていると、注文したものが来たので、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れて、片手でサンドイッチを摘まんだ。
私は国家研究局に勤めていた研究員だった。
国家研究局の研究は、鉱物、生物、魔法理論、詠唱、魔法陣、魔法言語、魔道具、魔法薬など多岐に渡る。
そのなかでも私は特に魔法陣を主として研究していた。ただ、魔法陣ならなんでもやるし、参考になれば他のこともするのでけっこう幅広い。
十歳から八年間ずっと研究していたけど、ハルくんと付き合うことになった後、職場は辞めた。私は研究局を辞めたって、研究ができてハルくんと一緒に居れるなら他は良かったから。
ハルくんとの出会いは三年前の春、私の後輩として研究局にハルくんが入って来た事が私たちの始まりだ。
途中式と魔法言語での文を書きながら、思考はだんだん逸れていった。
◇◇◇
「初めまして、かな?」
サラサラとした銀髪を持った可愛らしい少年。身長は、私と同じくらいかな。私を見ている透明な緑の瞳が、宝石のようでとても綺麗。
緊張してるのか、表情が固まっている。
「私はリンカです。今日から君の先輩になります。よろしくね」
「あ、はい。僕はミハル=ティルータです。よろしくお願いします、先輩」
「うん。私、後輩持つの初めてだから失敗が多いかもしれないけど、一緒に頑張ってくれると嬉しいな」
先輩と呼ばれたことへの嬉しさを隠して、必死にカッコいい先輩に見えるように取り繕っていると、彼の後ろで先輩たちが声を出さないように笑っていた。
私だってしっかりする事はできるんだからね。だからそんなに笑わないでよと、澄ました顔で思うと、局長まで笑い始めた。
その声に振り返った彼は、笑っている人たちを不思議そうに眺めていた。
初めて彼と出会った時、後輩ができて嬉しいから頑張らなきゃなんて決意して、彼のことは人形のような綺麗な子だなとだけ思った。
それから、三年間でいろんなことがあった。
後ろをついてきて、そんなに表情を変えずに『先輩』と私を呼ぶハルくん。
『先輩って、ぽんこつですよね』なんて、初めて見せた呆れ顔をしているハルくん。
『ハイハイ、リンカ先輩はすごいですねー』と言って頭を撫でてくれたハルくん。
拗ねたように『僕以外に撫でられないで欲しいです』とお願いしてきたハルくん。
気がついたら、横に並んで『リンカさん』と呼んでいたハルくん。
『リンカさん、好きですよ』って言われたから、「私もハルくんのこと好きだよ!!!!! ハルくんは私の後輩だからね!!!!」と返したら『っそれ、本気で言ってるんですか? 馬鹿なんですか?』なんて言ってきたハルくん。
……当時は『理不尽!!』って思ってたけど、今になって思えば申し訳ないことしてたなと思う。
恋なんていうものがわからない私に、根気よく、何度でも『好きだ』と伝えてきてくれたハルくん。
私に少しずつ『恋』を教えてくれたハルくん。
私の家族に、私のために怒ってくれたハルくん。
私に『愛してる』と言ってくれたハルくん。
『私も、好きだよ』と頑張って返すと、笑ってくれたハルくん。
彼の顔がどんどん流れていく。
先輩と呼びながら私の後ろについてきていた彼は、気がついたら私よりも大きくなっていた。
私を呼ぶ声や、私を見ると柔らかくなる表情。笑顔や、真剣な顔や、拗ねた顔。呆れた顔や怒った顔。好きだと伝えてくれる言葉や、頭を撫でてくれる時の感触。彼のことなら、私はどんなことでも鮮明に思い出せる。
だって私は、ハルくんの事が好きだから。
◇◇
構成が一段落ついたのでふと顔を上げると、もう日は沈みかけて、空は深い青と紫色で染まっていた。
ハルくんはもうお家に帰っている頃だ。
……かまって欲しいから逃げるなんて言ってないで、少し我慢してハルくんを待ってればよかった。
うーーーー! だってハルくん最近かまってくれなかったんだもん。仕方ないじゃん。
寂寥感に襲われ、ぽっかりと空いたものを塞ぐように胸の辺りを握ると、頬に伝っていた雫に気づく。
自分で決めたことなのだから、こんな風になってちゃダメだ。袖を伸ばしてそれを拭う。
我慢しなきゃ。ハルくんは、あの人とは違う。私のことを愛してると、言ってくれたんだ。きっと私を見つけてくれる。ちゃんとわたしは………………
「どうしたんですか?」
「店員さん」
気がついたら近くに来ていた彼女は、私に許可を求めてから私の前に座った。
「今日は彼氏さんと一緒じゃないんですか? 珍しいですね」
店員さんとは仲がいいので、事情をある程度誤魔化して説明した。すると彼女は「少し待っていてください」と言って、マスターの所に行き、コーヒーを二つ持って戻ってきた。
「これ、サービスです。今ちょうど暇だったので、ご相談に乗りますよ」
「えっ、ありがとうございます。でも、お金は払いますよ?」
「いいんです。受け取ってください。いっぱい来てくれる常連さんへの、ささやかなお返しです」
そう言って彼女は笑った。そんなに来てる訳じゃないから大丈夫かと聞いたら、彼氏さんが独りで多くお金を落としてくれてますよ。あまり気にしないでください。と言われたので、好意に甘えることにした。
話していると、日が沈んで暗くなった。
その光景を見て、私は胸元をぎゅっと握る。
「ハルくん、もう私のこと、好きじゃなくなっちゃったのかなぁ…………」
「そんなことないと思いますよ。彼氏さん、あなたのこといつも大切にしていらっしゃるの、見てて良く分かりますよ」
「…………それは、……知ってます。知っては、いるんですよ」
だけど、不安にはなるのだ。なんで構ってくれないのかも、私には隠してしまうから。
……なんで教えてくれないんだろう。仕事で忙しいのなら、私ができることだったら手伝いたいし、他のことなら、私に一言でも言ってくれたらいいのに。
「はぁーーー。やけ酒します。強いお酒ください」
「ダメです。飲んでないのに目が据わってるじゃないです、か……」
言葉が止まり、一瞬固まった後に彼女はにんまりと笑って私の後ろを指さした。
「ほらっ、彼氏さん来ましたよ。お金はつけときますから、ちゃんと仲直りしてくださいね」
彼女の指先に見えたのは、見間違えなんかしない、愛しい銀色。
「リンカさんッッッ」
息切れして、汗だくで、必死な表情。
「っハルくん……」
私は、彼に目を奪われた。必死で探してくれたんだと見てすぐ分かって。傲慢な私は、それをとても嬉しく思ってしまう。
見つけてくれた。私を、必死で、探してくれた。
腕を痛いくらい強い力で引っ張られ、引きずられる。顔を見ないでも私はわかる。これはすごい怒ってる。
「ねぇハルくん」
「…………」
ハルくんは私をめったに怒らない。
それなのに、怒られることを私はしてしまったんだ。
考え無しにハルくんを傷つけ、私がかまって欲しいが為に、私利私欲で逃げ出した。それをすることで彼がどうなるかを知りながら。
それでもハルくんが私を心配して、怒ってくれたことがめちゃくちゃに嬉しくって。舞い上がってしまって、どうにかなっちゃいそうで。ハルくんのことだけで頭がいっぱいで。
……だって心配してくれるのは、私のことを気にしてくれているということだから。
こんなことを考えている私は、ひどく自分勝手でアホで強欲な、利己的な人間だ。
◇
家の中に入ると、掴まれていた腕をグッと引っ張られて、ベッドに座らされた。
さっきまで喫茶店にいた気がするのに、帰ってきた時の記憶がほとんどない。怒った顔はめったにないから、とハルくんの顔をずっと見ていたからかもしれない。
自分がしたことでハルくんが怒っていることはわかってはいるんだけど…………普段見ることができない彼の顔に見とれてしまっていた。
「ねぇリンカさん。リンカさんは、自分の意思で逃げたんですか?」
「………………うん」
そうとしか言えないので頷く。
「どれだけ僕が心配したと思ってるんですか?」
怒ってる顔をまっすぐ向けられることはすごく怖い。さっきまで見ていられたのは、彼が前を向いていたからだ。
謝らなきゃ。私が悪いことをしたんだから、ちゃんと謝らなきゃ。
「ごめんなさい……」
怒っている顔じゃなくなって、顔は優しげになった。だけど口は笑ってるのに目が笑ってなくて、さっきよりも更に怖い。
「ねぇ、どうしてリンカさんは逃げたりしたんですか?」
声の優しさも、怖さを倍増させる要素にしかなっていない。
「…………えっと、……言えない…………」
追いかけて来てくれて嬉しかった。必死で探してくれて、私をちゃんと見てくれてるんだと知れた。
だけど、この分迷惑もかけていて。
かまってくれなかったから、なんてそんな自分勝手で子供みたいな理由で逃げ出して、すごく迷惑をかけたと知られたら、失望されてしまうかもしれない。今さらになってそんな可能性が頭をよぎり、私は言えなかった。
「へぇー? 何で言えないんですか? この生活が飽きちゃいましたか? 閉じ込められるのが嫌になっちゃいました? 僕を嫌いになっちゃいました?」
ハルくんは、早口でそう言った。
疑問系なのに、きっと私の答えを求めている訳じゃない。彼は、私に有無を言わさず話続ける。
「……それとも、僕以外に誰か好きな人でもできたんですか?」
「ちがっ」
「何が違うんですか? 言えないんですよね? それとも言いますか?」
……言い訳にしかならない言葉は、今は言っても逆効果な気がして。だけど言えないのは私の覚悟が定まらないせいで。
私が言えないのが分かると、彼は再び話だした。
「やっぱり言えませんか。他に男ができたんだったら僕には言えませんよね。僕がその人殺しちゃいますもんね。リンカさんは優しいからその人が死んだことにも僕が殺したことにも悲しんで罪悪感を抱えるんでしょうね。……いつそんなやつと会ったんですか。そんなもの殺してやります。存在ごと消します。リンカさんの記憶からも消滅させます。…………他に好きな人ができたのなら、リンカさんは僕に好きって嘘ついてたんですか? ……僕はリンカのことを愛して、愛して、愛して、愛して、こんなにも狂ってるのに」
普通の人だったら怖いと思うだろうことを、彼はまくし立てる。
彼はニコリと笑い、私に向かって手を伸ばす。彼の手は私の頬を撫で、スルリと首まで動いた。背中の芯から脳へゾクゾクとした感覚が駆け巡る。
「今は教えてくれなくてもいいですよ。後でじっくりと聞きますから。大丈夫です。安心してください。殺しはしません。僕がいないと生きていけなくしてあげるだけですよ。ご飯もお風呂もトイレも動くことだって、僕がいないとできなくなりましょう? ああ、子供も作りましょうか。リンカさんはきっと、その子がいたら責任感を感じて僕から離れられなくなります。一生僕とその子とだけで生きていきましょうね。……僕は傷ついたのでリンカさんになにをしてもいいですよね。リンカさんは僕に文句なんか言える立場じゃないですもんね?」
ゆっくりと安心させるような声色なのに徐々に首に力を入れられ、空気が詰まる。もがくほどじゃないけど苦しい。
そう思っていたら、心の声を聞いたのかというタイミングで首から手が離された。
「っはぁー、はぁー……」
「リンカさんは、僕の事だけを見て僕の事だけを考えて僕だけを愛してればよかったんですよ。……最終確認です。なんで逃げたりしたんですか? これに答えられたらこれは着けません」
その言葉と、じゃらじゃらとした音で手錠に気づく。いつの間に出したんだろう?
「これ、魔封じになってるんですよ。着けたら、リンカさん魔法使えなくなりますね。魔法しかできないリンカさんは、もう逃げられませんよ」
彼は私の腕を掴んでいる方と反対の手でそれをもてあそび、形だけの笑みをつくった。
彼の瞳は暗く深く沈んでいて、深い森のようで。
……そういえばあれは…………
今、手錠をつけられるとまずいかもしれない。
これは私が望んだことなのに。いざ目の前にして、その手錠を、この後起こることを、私は恐れた。
「は、ハルくん。ちょっとそれつけるのは待って。私はハルくん以外に好きな人なんか誰もいないし、ハルくんのことだけ愛してるよ」
「口先ではどうとでも言えます。それに、僕のことを愛してるなら、受け入れてくれますよね?」
そう言って、彼は私に手錠を着けようとした。後ろに下がろうとしても、腕を掴まれていて逃げられない。私はそれに頑張って抵抗しようとした。
「リンカさん、着けてください」
彼は瞳で私を縫い付けて。そんな風にまっすぐ言われたら、もうダメだ。
抵抗するのを諦めて、彼が私に手錠を着けることを受け入れる。
その瞬間、手錠が光り輝きだした。
「はっ……?」
あー、やっぱりこうなった……
光が収まると、私の組み込んだ魔法が発動し、私の左腕に手錠の片方、彼の右腕にもう片方がはめこまれていた。
うー! ハルくんを私に縛りつけるのは、良くないのに。ハルくんは怒ってるし、私なんかのために、彼の時間を使わせちゃダメなのに。
「…………えっと……、リンカさん、これ、どういうことですか」
「えっとね……、あのね…………、魔力認証付きでね、ハルくんが私に手錠をはめたらハルくんにもう片方の手錠がはまるように魔法を組み込みました……」
「はぁ………」
「そして、魔封じの効果は保ったままで、さらに二人ともがお互いに外そうと思わないと鍵を使っても外れません……」
「…………」
「後ですね、」
「……まだあるんですか?」
「えっとね? ドアにも魔法陣に新しく魔法を組み込んでね、今は外に二人とも出られなくなってます…………」
「……………………」
「でもっ、どっちも時間制限つきなんだよ! ……えっと、三日! 三日間経てば、勝手に解けます……」
やっぱりダメだったのかな。組み込んでた時はいいアイデアだと思ったんだけどなぁ……
ハルくんもどこにもいけなくなるし、私と二人っきりでいっぱいかまってくれるかなって思ったんだよね……
よくよく考えてみるとテンション上がって変なこと考えただけだったのかもしれない……
こんなに迷惑をかけたら、嫌われてしまうのだろうか。
不安になってチラリと彼を見ると、彼は、はぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
、とめちゃくちゃ大きなため息をついた。
ハルくんは私の腕を掴んでいた手を離し、両手で私の手を包んで、ギュッと強く握った。
下を向いていて、顔が見えないから見たいな、なんてのんきに思っていたら、ハルくんはガバッと顔を上げた。……顔が、怖い。
「ねえリンカさん。こんなことするくらいならどうして逃げたんですか? 僕を捕まえて自分はその間に逃げるつもりだったんですか? 自分も繋がれていて、そんなことできませんよね。馬鹿なんですか?」
それを聞いて、さっきからたまっていた言葉が噴き出した。
「ハルくんだって馬鹿もん!!」
そう言うと、彼は少しポカンとした後、「はぁ?」と怒気を込めて言った。少し怯んでしまったけど、噴き出したらもう止まれなかった。
「だって私はハルくんのことしか好きじゃないし、ハルくんしか愛してないし、ハルくんにならなにされてもいいと思ってるのに! ハルくん信じてくれないし、私が他の人を好きになったとか言った! 私はハルくんのことしか見てないもん!! 疑うなんてひどいと思うの! 疑われると悲しいよ!」
「リンカさんが疑われるようなことしたからでしょう! 愛してると言うなら、どうして逃げたりしたんですか!!」
「だってハルくんがかまってくれなかったから! 逃げたら監禁するって言ってたから、監禁されたらハルくんを独り占めできると思ったんだもん!!………………あっ」
勢いあまって出てしまった言葉に焦る。あまりにも独善的で、醜悪なそれ。彼の顔を見れなくて、私はうつむいた。
「へぇー、そうなんですか!」
「違う。違うの。今の無し!!」
「リンカさんは嘘つけませんね。こっち向いてください」
「ごめんなさい。嫌わないで。ごめんなさい。捨てないで。もう一人はいやなの」
首をいやいやと振り、彼の袖を掴む。虫のいい事を言っているのは私がよくわかってる。だけど捨てられるのはいやだ。
構って欲しいの。嫌いにならないで。私を見ていてよ。
──────お願いだから、私を、愛して。
顔を上げることができないで涙をこらえていると、ハルくんが優しく頭を撫でてくれた。
前撫でてもらったときから、とても久しぶりのように感じる。
心にじわりと温かさが広がった。
「リンカさん」
優しい声で呼ばれて、彼の顔を見る。彼は顔をほころばせた。
「リンカさんを嫌うことなんてあり得ませんよ」
「ほんと?」
「はい、本当です。すみませんリンカさん。最近はゴミや虫などの有象無象の掃除が忙しくて。寂しくさせてしまいましたね」
安心したからか、涙がボロボロと流れてきた。
「……ぐすっ。本当だよ。私、凄く寂しかったよ。……なんでハルくんがそんなことするの? そんなことしなくてもいいじゃん。すんっ……優しいからって押しつけられたの?」
「いえ、僕がやりたいと思ってやっていました。すみません」
申し訳なさそうに彼が謝るから。
「ずっ……じゃあ、いいよ」
「いいんですか?」
「うん。ハルくんがやりたいことだったのなら、別にいいよ」
そう言って私が笑うと、彼も困ったような顔をして笑った。
「すみませんリンカさん。もう全部終わったので、今日からはずっと一緒にいれますよ」
そう言って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「ねえリンカさん」
耳元に暖かな息がかかる。私を抱きしめる力を強くして、彼は言った。
「次また寂しくなったら、ちゃんと僕に言ってくださいね。……今日は本当に肝が冷えました」
声が不安そうに揺れる。
「リンカさんがしてほしいことなら、僕から離れること以外なら、なんでもしますから。あまり心配させないでください……」
愛してます、と彼は私を抱きしめ耳元でささやいた。
だから、
「私も愛してるよ、ハルくん」
彼の想いに応えるように、背中に腕を回して抱き返すと、彼は私に溺れるようなキスを落とした。
◇
「リンカさん」
「なぁに?」
隣で寝転がっている彼が思いつめたような声で私を呼ぶから、少し緊張して彼を見る。
「死ぬ時まで、いや、死んでもずっと僕と一緒にいてください」
こんなに真剣な顔をしてるのに、当たり前なことを言うから、少し笑ってしまった。
「なんですか」
「だってそんなこと当たり前だよ。私はハルくんが願う限り、君と一緒に居続けるよ。ハルくんこそ、私とずっと一緒にいてね」
そう言うと、彼は嬉しそうに言った。
「ふふっ、そうですか。当たり前ですか。じゃあ約束しましょう? 僕とずっと一緒にいてくださいね」
「じゃあ、約束だよハルくん」
「はい。約束ですからねリンカさん」
幸せそうな、とろけてしまうような顔で彼はそう言って笑う。
ハルくんの隣でなら、私はどこまでも幸せになれるだろうな、と。
そう思い、私はハルくんにつられて笑った。
※※※
隣で眠っている愛しい彼女の髪を撫でると、じゃらりと、僕と彼女を繋ぐ鎖から音が鳴った。
サラサラとして艶のある、海や空というよりは氷に閉じ込めた花のような、紫がかった薄い青。
僕はこれを、彼女と初めて出会った時からずっと追いかけ続けている。
彼女の実家であるシェークレア家は、まさに『神から与えられた才能』と言える突出した、時代を変えうる才能を持った天才が産まれる。
その才能は、天文学についてであったり、植物についてであったり。
魔法陣について、であったり。
彼女は、魔法陣についてはこの時代最大の天才だ。
通常十八歳で卒業する学園を飛び級して十歳で卒業し、最難関と言われている国家研究局の試験に一発で合格した、常人じゃあり得ないほどの能力。
例え国家研究局の人間でも、リンカさん以外は魔封じの金属なんかに魔法陣は刻めないし、他人の魔法陣の書き換えだってできない。
今日だって、彼女が本気で逃げようとしていたら、僕は捕まえることはできなかっただろう。
僕が彼女を捕まえた訳じゃなく、彼女が僕に捕まえさせただけなのだ。
今回はリンカさんが居た場所が、僕のよく使う情報屋をしている喫茶店だったので助かった。彼女はそんなこと知らないから、偶然だろうけど。
あの喫茶店は、昔に裏社会を牛耳っていた男と元暗殺者の少女が運営しており、信用性も高く、情報源が広いし、金さえ払えば大体の情報はくれる。リンカさんに群がるゴミと虫を処分する時にも使っていた、便利な情報屋。
そこではない場所にいたら、僕はこんなにすぐには彼女を見つけることができなかっただろう。
店員には『痴話喧嘩に巻き込まないでください』なんて言われて割り増しの値段をつけられたが、彼女が帰ってきたのだから、そんなことは安いものだ。
天才なのだからと彼女を利用したがるゴミや、彼女の美しさや才能に惹かれた身の程知らずの虫。ゴミが行動を起こしたため、守るため、彼女に仕事を辞めて様々な魔法結界を付けた家に留まってもらった。リンカさんは出ていかないだろうと信用して外からの防衛に特化していたので、処分が終わったその日に彼女が逃げてしまったのは誤算だった。
構って欲しいなんて可愛らしい理由だったから良かったものの、一つでも順序を間違えてしまっていたら彼女を壊してしまっただろうことを考えると、背筋が凍る。
僕が送ったネックレスも着けていてくれたようで安心した。
僕からは位置が分かり、他人からは認識されにくくするなど、多くの魔法を組み込んだネックレス。彼女がいないと分かった時に位置を探っても見つからなかったから、着けていないと思ったのだ。
銀の鎖に緑の石。僕の色をしたそれは、僕が彼女に誕生日プレゼントとして渡したものだ。送ってから彼女はずっと着けていてくれたから、外すということは僕から離れていこうとしていることだ。
それを、場所が分からないようにする魔法具を専用に作ってまで外したくないと言ってくれた。不安になったらいちいち握っていた、なんてずいぶん嬉しいことも彼女は言うのだ。
……そもそも彼女は、位置をわからないようにして、さらに痕跡も残さず逃げて、どうやって僕に捕まるつもりだったのだろうか。構って欲しいからと思い、『じゃあ逃げて捕まって監禁されよう! そしたらハルくんを独り占めだ!』となる思考回路も意味が分からない。
僕ならリンカさんのことがなんでも分かると思われているのは、嬉しい反面少し重たいと思う。まあ、その信頼に応えたいとは思ってるけど。
サラサラとした髪をすくと、甘えるのようにこちらに顔をすりつけてきた。
彼女は、愛に飢えている。
植物のことばかり考えていて彼女に無関心な父親。愛してると彼女に言っていたくせに、天才だと分かった時から手のひらを返して化け物と罵り、息子だけを愛するようになった母親。そんな母親に従う弟。彼女の才能にしか興味のない親類。
僕は彼女が母親のことがトラウマであることを知っていたのに、孤独感を与えてしまった。
彼女の『愛して欲しい』という歪んだ、切実な願いは、愚かしくもいとおしい。それが今、全て僕に向かっているのだからなおさらだ。
僕はこの狂ったような執着を、彼女に注ぎ続けよう。愛に飢えた彼女は、それを全部受け止めてくれるだろう。
彼女は僕と出会ったのは三年前の、僕が入局した時だと思っているがそれは違う。
僕と彼女の出会いは七年前、僕が十一歳、彼女が十二歳の時だ。僕は大勢の人に埋もれて、彼女は覚えていないけど。
天才である彼女は、僕と同じだと思っていた。
僕は彼女ほど頭が良かった訳ではないが、勉強はできた。同じ年の人間がひどく幼く見えて、煩わしくて仕方がなかった。面倒事が嫌で、学力を隠していたことも発破をかけていた。
周りの人間も、学ぶことも、全てが無感動でつまらなかった。大体の事をどうでもいいと思っていたし、興味も無かった。
飛び級して卒業して行った、天才と名高い彼女も、そうだと思っていたのだ。
……彼女が、僕に微笑むまでは。
誰かのための何かのパーティー。
リンとした綺麗な少女は、僕よりも一歳年上なだけなのにひどく大人びて見えた。
だけど、世界を冷めた目で見ていた僕の頭を撫でて笑った彼女は、僕なんかよりもずっと人間らしく、美しかった。
その笑顔に焦がれて、僕は実力を隠すことを止め、血がにじむような努力をした。
笑顔をもう一度見たいと思った。彼女の近くに居たいと思った。彼女の隣に並んで、共に歩ける人間になりたいと思った。
彼女は天才だ。だから、同じ場所に立つためには、追いかけるだけじゃいけない。追い越すくらいの勢いが無くては、彼女を見ることさえできない。
彼女が選択していた科目は全て選択し、魔法陣についてだけでなく他のことも、できることならなんでも勉強した。魔法陣のことだけでは、彼女には絶対に敵わない。
幸い僕は要領がよく、飛び級が難しい学園を十五歳で卒業し、国家研究局の試験にも合格した。
ずっと、憧れだと思っていたのだ。
一度だけしか会ったことのない少女の背中を四年間も追いかけ続け、死に物狂いで頑張るなんてそんなこと、憧れじゃないなら何なのか。僕にはわからなかったから。
だけど、笑っている所をいとおしいと思うことや、撫でさせてもらえたり、頼られたりすることが嬉しいこと。なにより、彼女を『綺麗だ』と言った虫を、後ろから手を回して消すこと。それから、彼女の全てが欲しいと思うことなんて、憧れとは違うだろう?
今に思うと、憧れだと思っていた感情は、最初からずっと恋情だった。憧れは、追いかけ続けることだから。
「よかった。リンカさんが僕から離れようとしていた訳じゃなくて」
もしそうだったのなら、僕は彼女を縛りつけるために、彼女を壊していただろう。彼女を縛りつけるためだとか、彼女を壊してしまうような薬を僕は隠しているし、監禁するための部屋だって地下にある。まあ、彼女が手錠に気づいてたということは、それらを知ってても放置して僕と共にいてくれている可能性が高いけど。
彼女と、彼女との生活を守るためなら、僕は何でもする。……例えそれが、彼女を傷つけるものでも。
彼女を愛してると言いながら、そんなことを思う自分に自嘲してしまう。リンカさんのためではなく、自分からリンカさんが離れていかないためなのだから、僕は救いようがない。でも、この言葉は真実だ。
「ねえリンカさん、愛してますよ。一生僕の隣で笑っていてください」
今度はきっと、彼女が離れようとしたら歯止めが効かないだろうから。
約束したので、離れた時のことは心の中に留め、彼女の額に口付けを落とした。
キャラ紹介と小話は活動報告にて。