01 はじまりは神の気紛れ
「お前でいっか」
それが、私、高橋里奈の聞いた初めの言葉。
職業保育士の私は、可愛い愛しいクソガキ(愛は100%こもってます)どもの面倒を見、クソ煩いクソ親共(愛はマイナス値に振りきっている)にぎゃぁぎゃぁ言われながら日々を過ごしていた。
精神がガリガリ削られる現代社会。楽しみは、帰って家で飲む缶ビール。外で飲むとどこで親たちが見ていると解らないから楽しくない。
買い物も気が抜けないので、酒はポチるのが基本だ。
ばばぁ共はすぐに「あら、里奈先生、先日はどこそこで何々していましたね、買っていましたね」と声をかけてきやがる。ストーカーかよ、と口をついてでそうになることしばしば。我慢して愛想笑い浮かべるこっちの身にもなれってんだ。
おっと、話がそれた。
とにかく、私は至ってどこにでもいるただの社会人で、特別何かになりたい、とか、新しい自分になりたい、とか、そんな考えはいっさいなかった。
日々仕事して、酒飲んで、寝て、起きたらまた仕事する。それだけのはずだった。はずだったんだ!!!
家に戻ってきたら部屋の中になんか変なのがいた。家は鍵がかかっていたのに! 目の前のナニカは自宅への不法侵入者である。不法侵入は法律に違反している。つまり、ナニカは犯罪者である。決定。ということは私に殴られても殺されても文句はない! なんか意味不明なことごちゃごちゃ話し始めたけど気にしない!
目の前のナニカを殴ろうとしたその手は宙をきった。
突然暴力を振るう私を、世間一般の人間が良くは思わないかもしれない。しかし、私は断言する。犯罪者に人権はない、と。
「僕は神だよ? そんなの食らうわけないじゃん」
ばっかだね~と笑うソレに苛立ちが募る。
こいつ、わかっててこういう態度をとってやがる。そう確信できる程、さっきからずっとこの調子だ。
「あ~でさぁ、話の続きだけど、ま、ざっくり言うとさ、ここじゃファンタジーって言われる世界でさぁ、ちょっとうっかり手違いで、勇者が魔王を早い段階で殺しちゃったんだよ~。それで新しい魔王はまだ赤ん坊でさぁ、乳母が必要なんだよね。で、探してたらお前が丁度目について、スキルもいいかんじだし、お前に頼んだわ」
ふざけてんのか、こいつ?
バカなのか?
どんな夢だこれ。
私の怒りは突き抜け、同時に呆れがせりあがってくる。
そんな話をきいて、はいそうですか。わかりました、お任せください。そんな事、誰がいうんだよ?
神を語る割には頭悪すぎだろ。
「あ、お前の意見とか聞いてないから。僕の善意で説明してやってるだけだから」
一方的に宣言しているだけで善意の説明だと?!
マジでこいつゴミクズか?!
「そうそう。それと、誘拐じゃないんで、お前がこの世界に存在した事実さえ消すから」
はぁああ?! え?! ちょ! マジでふざけたことぬかすな!
へらへら笑ってるような様子に私のイライラが頂点に来る。
よし、とりあえず、部屋にいる不審人物だ。まずは警察だな。
ようやくか弱い一般市民であることを思い出した私は、善良な市民に代わり、犯罪者どもと戦うべく使命を負った存在を、同時に思い出す。
ポケットに入れた携帯電話を取り出し、110を迷いなく押した私は、ん? と首を傾げた。
電波が入っていない。
携帯電話の電波を示すアンテナが立っていない。というか圏外と表示されている。おかしい。ここは私の借りているマンションの1部屋。確かにマンションとかなら偶に電波障害を起こすこともあるとか言われてたけど、それは一昔前の話。今時そんな残念電波な携帯会社はない。私の携帯もこのマンションで電波が届かなかったなんてことはなかった。
「ここはもうお前の部屋じゃないよ。僕の空間だ。は~やだやだ。そんなことも説明しないとわかんないわけぇ?」
あ、腹立つ。
自分がわかっていることは他人も全部理解してるとかいう、勘違い系野郎だわ、こいつ。
え? なに? バカなの? テメェと私は別人で、頭別にあるんだって理解してないの? 何様のつもりなの?
「神様~」
不法侵入者はゴミ野郎です。わかります。
宇宙人と会話したってどうしようもない。そんな事を不意に思い出した私は、くるりと踵を返した。
別に盗られて困るようなものは置いていない。貴重品は常に私と一緒だ。携帯電話が役に立たないなら、自分の足で警察を呼びに行けばいい。
真っすぐに玄関へと向かい、ドアノブに手をかけた。
しかし、扉は開かない。
ガチャガチャとドアノブを回すが、音が立つだけで手ごたえが一切ない。
「無駄だよ。ここは僕の空間だって言ったろ? ほんと人の話聞かないよね~。最近の若い子ってみんなこーなの? 僕つかれちゃったんですけどー」
あー困ったわ。これ。不法侵入なうえ監禁とか、まじやばくね? なんか全力で光ってるから姿とかよくわかんないけど、多分こいつ男だろ? つーことは貞操の危機ってやつですか。OH MY GOD!!
「いやいや僕目の前にいるでしょ」
うーん困ったぞ。不法侵入の後に監禁されて仕事を無断欠勤した場合どうなるんだ? 助かったとして、仕事クビになってない? なってなかったとして、クソ報道で『変質者に不法侵入されて監禁された保育士』と騒ぎ立てられた挙句、クソ煩いクソ親共に「子供のためにならない!」とかなんとか騒がれ、結局クビ? それもクビにすると体裁悪いって私の方から辞めるよう圧力かけられて?
良くないし、確実に現実になりそうな未来予想にマイッタナーと頭をかく。
「さっき言ったじゃん。お前の存在していた事実さえ消すって。無駄なこと考えてるねー」
しかし疲れた。今日も化けばばぁ共のネチネチ口撃を受けたんだから当然だ。
いやいや、もうわけわからん。あの子の親が嫌いだからクラスを分けろとか。今時そんな子供みたいな事言い出す親もいるんだなー。
今日の出来事を振り返りながら、慣れた様子で部屋を横切り、冷蔵庫からビールを取り出す。
カシュと音をたててブルが開き、腰に手を当てぐいっと飲む。
「かーーーったまんない!! やぁあっぱ疲れた後は冷えたビールだわ! これでピリ辛麻婆とか、揚げたてポテトとかあったらさいっこーなんだけどなー!」
一人暮らしだと時間的余裕がない。だいたい近くのスーパーで値引き品を買ってきて、それで済ます。最近そのサイクルが少々侘しく感じる。こう、帰ってきたらいつだって温かくて美味しいご飯があって、冷えたビールがある。そんな夢のような生活をしてみたい。
「ふぅん? じゃ、お前のギフトはそれにしようか。お前だけに与えるギフト《オオゲツヒメ》使い方は簡単だよ。思い浮かべた料理を取り出せる。で、取り出した料理は食べることができる。このギフトがあれば、魔王の食事に困ることもないし。うんうん、我ながらイイ考えだ。一度与えたギフトは僕でも変更も削除もできない。でもま、君はあくまでも魔王の乳母だ。戦うわけじゃないし、こういうギフトで十分だよね」
不法侵入の宇宙人が何か言っているがムシムシ。
とりあえず、今日買ってきたものを冷蔵庫に片づけて、風呂入って、寝なくちゃね。
どんな状況でも食事と睡眠さえきちんとできていれば、後はなんとかなる。
さて、と冷蔵庫の前にしゃがみ、放り出していた買い物袋をあさろうとしたとき、突然床が抜けた。
「じゃ、後は頑張って! あ、そうそう。お前は魔王の側から離れられないし、トイレとか風呂とかも必要ないから。食事は、まぁ、食べられるけど、食事も必要ないよ。睡眠もね。魔王がしっかり魔王となるまでナニーしてもらう予定だから、不老不死だからねー」
「ふざっけんなぁああああああ!!! なんだったらテメェを殺す魔王にしてやるぅううううっ」
「あはっ! いいね! 魔王なんてそれくらい気概がなくちゃはじまらないよ! やっぱりお前を選んで正解だった! がんばってね~!」
やけに嬉しそうな宇宙人の声を聞きながら、私は闇の中を一人、ただひたすらに落ちて行った。