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第六話 月影

 「長元坊ちょうげんぼう」のお手伝いをした夜、あかりは店の裏手から外へ出た

 とうに陽は沈み、昼間あれだけ騒いでいた人々も皆眠っている時間。終わりかけのひぐらしの声と、秋の虫の音だけがどこからか響いてくる。静かに冴えた光を落とすのは、少し膨らみかけた弓なりの三日月。

 その光に照らされるように、黒髪の少年が佇んでいた。


疾風はやて


 燈がその名を呼ぶと、疾風が緩やかに振り返った。その優美な姿に息を呑む。


(なんて、綺麗なんだろう)


 男性に使うのはおかしいのかもしれない。でも燈は、そう思わずにはいられなかった。いつも笑顔で明るく燈を楽しませてくれる疾風だが、ふいにこんな大人びた表情を見せることがある。その姿はとても綺麗で、誰よりも慈愛に満ちていて、そしてどこか悲しそうだった。


(そう、それはどこか天子様に似ている)


 あの時の天子様のような寂しそうな瞳。まるで迷子の子供のような、何かを必死に抱えて離さないような、怯えすら混じる顔。いったい何がそんなに悲しいの? 何をそんなに怖がっているの? 幾度となく聞いて、誤魔化されると分かっていても、燈はそうやって聞いてみたかった。自分が少しでも力になれるなら、疾風が望むことがあるのなら、彼のためになんだってしたかった。


「今日は楽しかったか?」


 何も言わない燈を不思議に思ったのか、疾風の方から尋ねてきた。その顔はいつもの笑顔に戻っている。月光から逃れるようにこちらに近づいてくる疾風に、燈は疑問を全て飲み込んで笑顔で頷いた。


「ええ、楽しかったわ。皆明るくて、いい人ばかりで」


 そう言うと疾風も笑った。苦笑混じりの笑顔。


「確かにそうだな。おっさん達は元気過ぎな気もするけど」


 何やら色々ちょっかいをかけられたらしくぼやく疾風だったが、その声は明るい。先程の切ない瞳が頭から離れない燈だったが、それでも少し嬉しくなる。

 燈が笑顔になると、疾風も笑ってくれる。それは昔から何となく感じていた。だから、疾風の前ではなるべく笑っていようと思っている。その心の内を何も話してくれなくても、悲しい表情の理由を何も分かってあげられなくても、疾風が笑ってくれるのは嬉しかったから。


(でも、いつか理由も教えてもらえるといいな)


 少なくとも天子様のようにもう聞けないわけではないのだから、その前に。疾風がいなくなるなんてそんなこと絶対に考えられないけど、そんなことないって信じているけれど、「絶対」なんてどこにもないのも分かっているから。何もかも手遅れになる前に、その気持ちを、心に隠している思いの全てを、燈に教えて欲しかった。


「そういえば聞いたか? 天子様と依月山いづきやまのこと」


 唐突に疾風に聞かれて、燈は首を傾げた。


「依月山?」


 依月山は飛鴛ひえん山脈のちょうど中央辺りにある天羽あまはの最高峰だ。「真幌月まほろづきに一番近い山」として人々に信仰されているが、秘境の中央にあることもあって人の訪れは滅多にない。天子様とて詠姫よみひめの「終演の儀」に同行する時以外訪れることはないはずだが、一体どんな情報があったというのだろう。


「宿に来ていた客のおっさんのひとりが言っていたんだ。ここ数年、天子様が何度も依月山の方に出かけていたって」



『疾風。お前、天子様のこと調べてるって言ってたよな』

『そうですが。何か情報があるんですか?』

『噂程度にだがな。ここ数年天子様が依月山の方に何度も出かけておられたらしい』

『何でも、今の詠姫様が就任してから訪れが頻繁になっていたそうだ』



「私が詠姫になってから……?」


 燈は目を丸くした。それなら七年ほど前から天子様は頻繁に依月山に出かけていたことになる。そういえば燈が詠姫になった理由も未だ謎のままだ。そのことと何か関係があるのだろうか。


「それから、お后様の情報も少し。どうやら二人のお后様はそれぞれ息子を連れて実家のある赤木あかのぎ八津原やつはらに移ったらしい。ただ、どちらも詠姫捜索のために、城の周囲を中心に密偵を撒いているって」


 その話は昼間燈も少し聞いた。お后様が実家に戻ったのは、恐らく天子様が亡くなったことを受けてそれぞれの家の当主が呼んだのだろう。どちらの当主も天子様は殺害されたことを隠して秘密裏に埋葬し、新たな天子が決まってから改めて盛大に葬儀を行うように強要したという。自分の孫を天子にするため、今は一刻も早く詠姫を見つけたいのだ。


「今は大丈夫だけど、そのうちこの宿場町にも密偵が来るかもしれないわね……」


 今は城がある瑞希みずきの中心街を主に捜索しているらしいが、全体に広がるのも時間の問題だろう。このまま宿のお世話になっていては迷惑がかかってしまう。

 逃げるつもりはない。燈は必ず、詠姫の任を全うするつもりでいる。でも、今どちらかの皇子様の手勢に捕まるわけにはいかない。天子様の真意を理解するために、そしてその約束を果たすために、もう少し調べ続けていたかった。


「疾風、依月山に行きましょう」


 燈の揺るぎない言葉に、疾風はただじっと見つめてくる。


「このまま、女将さんのお世話になっても迷惑になる。でも、宮城に調べに行ったら確実に捕まるわ。今こっそり行けて、何か収穫を得られる可能性がある場所は依月山しかない」


 噂程度の情報だけれど、何も行動しないよりはましだ。それに燈は、それも聞いた話だけれど、依月山で何か見つかるかもしれないという予想はあながち間違っていないのではないかと思っていた。


「依月山は神域。もちろん社があるし、そこに真幌月や詠姫の資料を収めているという話も聞いたことがあるの。もしかしたらその中に、天子様が依月山を頻繁に訪れていた理由があるのかもしれない。それが私たちが調べていたことに繋がるのかは分からないけれど、行ってみる価値はあるとおもうわ」


 たとえ繋がらなくても、燈は行ってみたかった。そこに天子様に関して、何か秘密が隠されていると思うから。

 燈は一通り言い切って、それから恐る恐る疾風の顔を覗き込んだ。


「私は依月山に何かあると思っているけど、全て噂程度の情報であることは確かよ。もしかしたら何も見つからないかもしれない。それでも、一緒に行ってくれる?」


 疾風は燈の言葉を静かに聞いていたが、やがて綻ぶような笑みをみせた。


「言ったろ? どこにだって一緒に行ってやるって。燈が望むなら、俺はどこにでもついていくよ」


 燈はその言葉で、天子様を想って泣いた夜を思い出した。あの時の、どこまでも真っ直ぐな疾風の言葉を。


『何を選んでも、俺は燈のそばにいるから』


 その言葉通り、いつだって誰よりも燈のそばにいてくれた疾風。今も「燈が望むなら」と言ってくれた。その温かい言葉を大切に噛み締める。


「ありがとう」


 そんな言葉じゃ全然足りないことは分かっているけれど、それでもありったけの思いを込めてお礼を言った。


「まあ、もう秋になるし。冬になったら山なんか登れないし、行くとしたら今しか無いよなー」


 照れ臭そうにそっぽむいて頬を掻く疾風に微笑みながら、燈は沈みかけの三日月にどうか、と願った。


 ――どうか、いつまでも疾風と一緒にいられますように。

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