仕事の内容
面接を終えてから、あっという間に時間が経過し、4月になった。
リディア人材派遣会社では入社式といったものはないそうで、4月の最初の月曜日から会社へと来るようにとの連絡だけを受けていた。
予定では今日、どのような仕事のスケジュールになるのかを聞くことができるはずだ。
少し胸をドキドキさせながら、以前にもやってきたビルへと足を踏み入れる。
前回は5階で面接を受けたはずだったが、今度は6階へと行くようにと受付で案内された。どうもこのビルはリディア人材派遣会社の持ちビルのようだが、6階以上へは社員以外が立ち入ることが無いようになっているらしい。
と、そんなことを考えながらエレベーターで上に行き、いつのまにやら目的の階へとたどり着いていた。
安物ではあるが新品のスーツとネクタイを整えるようにして、緊張しながらドアをノックする。
「どうぞ」
部屋の中から落ち着いた男性の声が聴こえる。「失礼します」と挨拶しながら中へと入ってみると、そこには採用面接のときに担当だった住吉さんがいた。
広々とした木製の机に、しっかりとした作りの革製のチェアーに座った住吉さんがいる。
少し視線を左右に動かしてみると、センスの良い観葉植物などがレイアウトされて、空間を贅沢に使った部屋になっている。
前回会ったときには会議用の長机ごしだったが、今回はまるで重役の部屋へと入り込んでしまった印象だ。採用担当者と言うのはそんなに上のポストだったのだろうか、と心のなかに焦りが生まれる。
そんな俺の動揺とは正反対に落ち着いた雰囲気を出す住吉さんが声をかけてきた。
「おはようございます。葛城大和さん。今日はこれから仕事内容について話をさせてもらいますね」
「あっ、はい。わかりました。よろしくおねがいします」
話をしながら数枚の用紙を手渡される。これを見ながら、業務内容についての説明があるのだろうというのがわかった。
部屋の中を移動し、応接用の机を挟んで、住吉さんと対面に座る。
「ではまずはじめに、当社で新入社員が必ず全員行う研修について話を進めていきます。研修の期間は1年間とかなり長めに設定されているため、しっかりと聞いておいて下さい」
研修があるとは予想はしていたが、1年間というのはかなり長いのではないのだろうかと思ってしまう。そんなに難しい内容なのだろうかと首をかしげてしまった。
「研修の内容自体はとくに難しいものではありません。異世界へと派遣するので、そこで『1年間生活する』という非常にシンプルなものになります」
「は? 異世界??」
一瞬、何を言われたのか全く理解できなかった。異世界という地名が何処かにあるのだろうかと頭の中を検索してみたが、そんなところがあるというのは聞いたことがない。このおっさんはいきなり何を言っているんだろう。もしかして、俺の緊張をほぐすためについた冗談なのだろうか。
「あの、異世界っていうのは一体? そんなものどこにあるんですか?」
つい、真面目に聞き返してしまう。
「異世界というのは我々が住む世界とは別の、『異なる世界』ですね。どこにあるのかは私も知りませんが、いわゆる『剣と魔法のファンタジー世界』だと思ってもらえばいいでしょう」
目の前に座る、いい年をしたおっさんがいきなりファンタジーがどうのと言っている。しかも、すごく真面目な顔で話しているので冗談とも思えない。何なんだこれは。
「研修のために行く異世界はそこまで危険がいっぱいのところではありませんよ。もしも出歩くのが怖ければ、城壁の中から出ずに日雇いの仕事でもしながら過ごす、といった消極的な行動でも1年を越えれば報酬が支払われますから安心してください」
こちらが呆然としている間に住吉さんからの説明が続いている。いや、安全がどうとかいう以前の問題だろう。なんだよ、異世界って。
「いやいや、なんですか異世界って。そんなところにどうやって行くんですか。ていうか、なんで仕事をしに来て異世界に行くことになるんですか」
思わずいろんなことを聞いてしまう。
「ふむ。では、順番に説明していきましょうか。まず、異世界に行くのは神の力によって行われる異世界転移を使ってです。月の女神であるリディア様の力でさまざまな異世界へと行き、神への貢献度を『貢献ポイント』として手に入れる。これが目的です。貢献ポイントの量によって、こちらに帰還してから報酬として円が支払われます」
今度は神がどうこうと言い出した。まともな会社に入社したと思っていたが、実は新興宗教かなにかだったのだろうか。それまでは桜の咲く、気持ちのいい暖かな気候だったのが、今では冷や汗をかいて寒気を感じているのがわかる。すぐにでも逃げ出すべきなのかもしれない。
しかし、俺の動揺をしっかりと両目で見つめながらも住吉さんからの説明は続いていく。
「ああ、言葉などはきちんと通じるようになっています。向こうに行った際に、自動で『異世界言語』というスキルがつきますから。さらにもう一つ、スキルが付きます。そちらはその人が持つ資質から発生するものなので、どのようなスキルが出るかは現時点ではわかりません。現地についたらすぐにステータス画面からスキルを確認すると良いでしょう」
まだ、頭の中はパニック状態で落ち着いていなかったが、スキルと言う単語が出てきて少し興味が出てきた。もしかしてスキルで無双できる系の異世界転移なのだろうか。もしそうなら、行ってみても良いのかもしれないという気持ちが大きくなってくる。
「スキルってどんなものがあるんですか」と、ついつい尋ねてしまう。
「そうですね。本当にいろいろなスキルがあって説明が難しいですが、いわゆる戦闘系の剣術だったり、槍術だったり、弓術だったりや、各属性魔法、他には物を作り出す生産スキルなんかがあります。これらのスキルは本当に何が出るのか、基準があるのかもさっぱりわかりません。なので、研修として1年間、自分のスキルがどのようなもので、何ができるのかといったことを把握することが重要になりますね」
ふと、手に持っていた書類に目を向けると、たしかにスキル一覧の項目がある。なんだかゲームのような印象を受けてしまう。
「発現したスキルが戦闘系だったらモンスターを倒して素材を売ったり、生産系ならばなにかアイテムを作って売ったりすれば、1年間生活するというのは十分達成できるレベルです」と住吉さんが話を続ける。ますますゲームじみてきたように感じる。
「また、報酬についてです。研修の『1年間異世界で生活する』ということにも貢献ポイントが加算されるようになっています。今回は3Pですね。無事に仕事を終えて戻ってきた際には、1Pを100万円としてお渡しすることになるので、それだけで300万円の報酬となります。さらに1年の間にほかにも貢献ポイントを獲得しているようであれば、その分も報酬として受け取ることができます。仮にですが、強力なモンスターを倒して10Pを得ていれば、合わせて13P、つまり1300万円ということになりますね」
一千万を超えるという話を聞いてグラッと気持ちが揺れたのが自分でもわかった。もしかすると、思った以上にお金を稼げるのかもしれない。しかし、実際にそんなことが可能なのだろうか。
「あのそもそも貢献ポイントってのは何なんですか。何をすればポイントが貰えるのかは、貰った資料に書いていないみたいなんですが」
ついつい、姿勢を前傾させながら聞いてしまう。効率のいい稼ぎ方がわかれば荒稼ぎできるかもという考えが頭の中を駆け回っていたからだ。
「残念ながら、どのような行動が貢献ポイントとして得られるのかはわかっていません。基本的には月の女神であるリディア様に貢献する行動で得られるのですが、どんな行動がそれに当たるのかはそのとき・その場所でしかわかりません」
「あの、その神様ってのは何なんでしょうか。まさか異世界で布教活動をしないといけないとかなんですか」
流石にお金になるからといって、全く知らない神について布教しようなどという気は起こりそうにない。というか、基本的には宗教関係にのめり込む気はないんだけれど。
「リディア様は月の女神であると言われています。基本的には月を信仰の対象としているものを見守る神様です。いろんな世界の中でも月が存在し、現地の知的生命体がその月を信仰の対象としている場所を見守り、その信仰を守るために我々は異世界へと派遣されることとなります。つまり、月に対する信仰を守り育て、逆に信仰を妨げるものを排除する行動に対して貢献ポイントが得られるということですね」
「うーん。わかったような、わからないような。結局何をすればいいってことですか?」
「具体的な行動はその時になればわかります。ステータス画面にも記載されますから安心してください。また、逆に絶対にその行動をしなければならないといったわけでもありません。例えば先ほど例に上げた『強力なモンスターを倒すと10P』というのも、別にやらなければペナルティーがあるわけではありません。達成可能であると思うものはチャレンジして、できそうもなければスルーすればいいですから」
そんな適当でいいんだろうか。それがありなら、毎回異世界に行って、のんびり過ごして帰ってきたら300万円もらうとかいうやつも出てきそうなんだけど。
「ああ、1年間過ごすと3Pもらえるのは最初の研修だからです。研修が終わると次からが本番です。そのときになればさらに詳しく説明しますが、次回からは『〇〇を達成すれば貢献ポイントがいくら』という条件を請け負って異世界へと派遣されます。達成できるまでは帰ってこられないため、研修中に自分が何ができて、何ができないのか、しっかりと把握しておくことが重要になるわけです」
なるほどと納得した。研修が1年と長いのも色々チャレンジしてみろということなのだろう。どんなスキルが手に入るかで難易度が大きく変わってきそうな気がする。
「説明としてはだいたいこんなところですか。他に何か聞きたいことがあれば、お答えしますよ」と住吉さんが聞いてくる。
何か疑問があるだろうかと頭のなかで考えをまとめてみる。というか、気がついたらすでに自分の中で異世界に行ってもいいという気持ちになっていた。
やはり、剣と魔法の世界があるなら一度は行ってみたいと思うのは男として当たり前なのではないだろうか。
しかし、そこでふとした疑問が頭に浮かぶ。異世界なんかに行って無事に済むものなのだろうか。
「もし、異世界に行って怪我をしたり、最悪の場合、死んでしまったらどうなるんでしょうか?」
「ああ、その説明を忘れていましたね。まず異世界と一言でいってもそれぞれの環境があります。その為、異世界転移した際に神の力によってその環境に適応した身体へと変換されるのです。そして、仕事が終わってこちらへと戻ってくるときには再び身体を変換しての帰還となります。その際には体についた傷などはキレイさっぱりとなくなっていますよ。ついでに言うと、向こうにいる間は風邪などといった病気になることもありません」
そう言って住吉さんは手元に置いてあった湯呑みに手を伸ばし、一口お茶を口に含んだ。ほうっと息を吐く。
「しかし、死亡してしまった場合には生き返るようなことはありません。あくまでもこれは現実ですので」
その言葉で、それまで興奮していた気持ちが少し落ち着いた。高卒と同時に働き始める俺の場合、高収入を見込めるということはない。
しかし、だからといって一千万を狙って命をかけられるかというと難しい気もする。
「もし、途中で帰りたくなった場合にはどうなるんでしょうか。帰ってこられるんですか?」
これは聞いておくべきだろう。いざとなったら緊急離脱できるかどうかで生存率は大きく変わる気がする。
「可能です。ステータス画面を操作して、帰還を選択することができます。ただし、ペナルティーは当然あります」と答える住吉さん。
そりゃまあそうか。無条件とはいかないか。
「これもモンスター退治の例を使って説明しましょう。『目的となるモンスターを退治すれば10P』という条件で派遣されているとします。もし、これに失敗して条件を達成せずに帰還するということになると、貢献ポイントが−10Pとなってしまいます。また、一度の派遣で手にした貢献ポイントはすべて破棄されます。仮にモンスター退治の前に15P手に入れていたとしても、このポイントは破棄された上で−10Pということになります」
「つまりは途中でいくら貢献ポイントを稼いでいても本命の条件が達成できずに帰還すれば、それまで稼いでいたポイントも無意味ということですか」
俺が確認するように尋ねると、住吉さんは頷いた。要するに、あんまり寄り道せずにしっかりと依頼をこなすことを優先しろってことなのだろう。
「ただし、研修中に限っては帰還ペナルティーはありません。やはり、なれないところに行くとどうしても精神的な負担も大きいですから。1年間異世界にて生活するというのは、そのような環境の変化に対応できるかどうかというのをみる意味合いもあるのです」
確かにそういう心配もありそうだなと思う。
実際、俺も今まで実家暮らしで生活しているので、急に違うところに、しかも知り合いのいないところに行けばどうなるかはわからないだろう。
ただ、それでもこれまでの話で俺の気持ちは固まった。
ある程度の安全が確保されており、お金も稼げるのであれば、ぜひ異世界に行ってみたい。だって楽しそうだし。
「分かりました。異世界に行ってみます」と自分の気持を伝える。
住吉さんはその返事を聞いて、ニコリと微笑む。
もしかしたら、この段階でためらって会社を辞める人も多いのかもしれない。
「ありがとう。それでは、手渡した書類の一番下に署名欄があるから、署名と捺印をお願いしますね」
見るとたしかに誓約書があった。「私は自分の意志で派遣先へ行くことを誓います」と書かれている。
さらっと目を通してサインし、持ってきていたハンコを紙に押し付ける。
そして、その紙を住吉さんに手渡した瞬間、クラっとめまいがした。
床が抜けたのではないかと思うような浮遊感を感じ、気がつくと目を閉じ、手を床につけていた。
それまで聞こえていた空調の音がなくなっていることに気づく。
その代わりに、ガヤガヤとした音が聞こえ、たくさんの人の気配を身近に感じる。
慌てて、眼を開けると俺は知らない場所にいることがわかった。
デコボコした石畳、レンガでできた家と、それらで構成される街並み。
何が起きたのかはわからなかったが、すぐに自分の状況を理解した。
そう、異世界へと転移したのだろう。
まさか、書類にサインして即行で送り飛ばされるとは予想もしていなかった。
「無茶苦茶だな。急展開すぎるだろう」
とつぶやきつつも、どこか俺の心は高揚している。
不思議な事だが最初は疑っていたはずが、すでに俺の心は異世界や神について自然と受け入れていた。
もしかすると、説明を受けている間に何かされていたのかもしれない。
まあいいか。
一瞬で自分が違う場所へやってくるという、まさに魔法としかいいようのないことを今体験しているのだから疑ってもしょうがない。
せっかく異世界へとやってきたのだ。
楽しまないと損だろう。
そう思って、うきうきした気持ちをなんとか抑えながら、近くのベンチへと歩き出した。
一話ごとの文字数が安定しないかもしれません。