ゴブリンキング
ゴブリンの集落にある小さな池。
そのそばにある、いくつもの木を立てかけるようにして大きなテントのように作られた粗末な家。
隠密スキルを使い、その家の入口の前までやってきた。
ここまではゴブリンに気が付かれた様子はまったくない。
入口を通る前に腰に吊るした鞘からスッと刀を抜き取り、手に下げる。
入ってすぐの勝負になる。
一度、フッと息を吐いてから家の中へと侵入した。
薄暗い中でもゴブリンキングの姿を確認できた。
家の奥にあたるところで寝ている。
あれは、以前狩った暴食熊の毛皮を布団代わりに敷いているのだろうか。
ゴブリンキングのそばに寝ているものもいる。
体型を見る限り、あれはゴブリンのメスか?
森の中をうろついていたゴブリンの中に、メスの姿はなかった。
おそらく集落の外にメスが出ることはないのだろう。
メスについては放置しても問題ないだろう。
小柄な体つきのために戦闘力はないものと判断した。
当初の予定通り、ゴブリンキングを狙う。
足音をたてないように気をつけて、寝ているゴブリンキングのそばへと近づいていった。
――ステータスオープン:ペイント・スキル【刀術】
隠密スキルから刀術スキルへとペイントし直す。
それと同時に、抜身の刀を大きく振りかぶって狙いをつける。
ゴブリンキングの太い首を切り落とす勢いで、刀を振り下ろした。
攻撃は成功する。
そう思った瞬間だった。
隠密スキルのない俺から気配を感じ取ったのか、それとも殺気と呼ばれるものが出ていたのかはわからない。
ただ、それまで寝ていたゴブリンキングが一瞬にして目を覚まし、攻撃を防御したのだ。
振り下ろした刃がゴブリンキングの皮膚を裂く。
しかし、それは狙っていた首の皮膚ではなかった。
ゴブリンキングが腕でガードしたのだ。
しかも、驚くことにゴブリンキングの腕を切る刀は皮膚を裂いたものの、分厚い筋肉の抵抗を受け、途中で止まってしまっていた。
これまで、刀術スキルを使用した攻撃はすべて一撃のもとに相手を倒してきていた。
そのため、スキルを使用してそれが通用しないとは思ってもみなかった。
今、自分の目で見ていることですら信じられない。
少なくともガードした腕を切り落としていなければおかしいのではないか。
俺の頭の中をそんな思考が埋め尽くす。
奇襲をかけに来たものがそんなスキを見せるべきではなかった。
ガードを成功させたゴブリンキングは、その腕を振るって俺を弾き飛ばす。
そして、家の中に置いてあった剣を手に取り、こちらを睨みつけた。
そういえば、こいつは剣術スキルを持っていた。
ゴブリンキングが手に持つ剣は、大きな剣だった。
両刃の長剣のように思うが、刃が分厚く重たそうだ。
しかし、それを難なく片腕で持ち、構えている。
やばい。
とっさにそう思った。
次の瞬間には、ゴブリンキングが体ごと突進するように俺との距離を詰めてくる。
そして、その勢いをそのまま剣にのせて上から切り伏せるように切り込んでくる。
――受け流し
避けられない。
そう思った瞬間、アーツを発動させた。
俺の身体が自分の意志とは切り離されたように、滑らかに動いた。
大きく振りかぶられた、ものすごい怪力による長剣の一撃を刀を使って受け流す。
成功した。
そう思ったが、完全に攻撃を受け流したはずにも関わらず、腕がしびれる。
見た目の筋力だけでもものすごい力があるが、ゴブリンキングはそれだけではなく【怪力】スキルも持っていた。
受け流しは成功したものの、俺の身体がその負荷には耐えきれなかったようだ。
両腕がしびれてしまう。
だが、ここで刀を落とすと対処しようがなくなってしまう。
なんとか、手に力を込めているときには、すでにゴブリンキングの次の攻撃が俺に迫っていた。
ゴブリンキングはその大きな長剣を片手で扱っていたのだ。
そう、つまりはもう片方の左手はフリーだった。
受け流された長剣が地面に当たったことで、攻撃が失敗したことを即座に悟ったゴブリンキングは左手で俺を叩きつけてきたのだ。
慌てて、刀の柄から右手を離して持ち上げる。
間一髪、相手の攻撃の直撃を避けることはできた。
しかし、向こうの力はガードした俺の腕ごと身体を叩き、跳ね飛ばす。
右手越しに身体へと衝撃を加えられ、足が地面から離れて吹き飛ばされる。
ゴブリンキングの家からはじき出されるように、俺の位置は数mも変わってしまっていた。
痛い。
全身が痛い。
だが、今の攻撃は手の平を広げて横方向へと力を加えるような形になっていたため衝撃が逃げたのか、まだ体を動かすことはできる。
パッと顔をあげる。
刀はどこだ。
今の吹き飛ばしによって、痺れていた手から刀がなくなっていた。
無意識に両手を地面に沿わせるように動かして刀を探す。
……ズキン
腕を動かした瞬間、猛烈な痛みが走った。
目を落とすと、ガードに使った俺の右腕が折れていた。
肘から先の前腕部分の真ん中で、ひと目見て骨が折れていることがわかった。
これ以上は無理だ。
そう思った瞬間、手に触れた刀を左手でつかみ、即座に逃げ出した。
怒り狂ったゴブリンキングの声が轟音として響き渡る。
俺は痛む右腕を抱きかかえるようにしながら、後ろもみることができずに逃走した。
□ □ □ □
どこをどう移動したのかわからない。
ただ、がむしゃらに逃げ続けた。
しかし、木の根に足を引っ掛けてしまい、盛大にすっ転んでしまった。
無我夢中で逃げ続けていた俺は転んだことによって少しだけ思考に冷静さが戻った。
そうだ、怪我を治さなければ。
――ステータスオープン:ペイント・スキル【光魔法】
光魔法をペイントし、【回復】の呪文を唱える。
骨が折れるような怪我は初めてだった。
治るのかと思ったが、暖かな光によって腕が包まれ痛みが引いていく。
パッと見た感じだが、折れてしまっていた骨もくっついているように思う。
失敗した。
今回の奇襲は完全に失敗してしまった。
隠密スキルによって潜入し、刀術スキルによってゴブリンキングを殺す。
スキルさえ使えば成功すると思っていた。
キングを殺した後にジェネラルが群れをどうするのかということは考えたが、奇襲自体があっさりと失敗するとは思ってもいなかった。
逃げるか。
俺の怪我は治っている。
ここからさらに逃げ続けることは可能だ。
だが、村はどうなる。
いや、村のことはどうでもいい。
とっさに頭に浮かんだのはエイダさんのことだった。
赤い髪をポニーテールにまとめたスタイル抜群の女性。
彼女は俺にいろんなことを教えてくれた乱暴だが温かい心の持ち主だ。
無意識に逃げていた俺は村の方向へと走っていたようだ。
そして、さらにまずいのがゴブリンキングの怒り狂った雄叫びが今も、刻一刻とこちらへと近づいて来ているのだ。
このまま逃げ続けたところで大変なことになるだろう。
やるしかない。
ここでゴブリンキングだけでも殺さなくてはならない。
しかし、俺はあの怪物に勝てるだろうか。
スキルが通用しなかったのだ。
いや、違う。
確かに攻撃は失敗した。
やつの分厚い筋肉の鎧によって俺の刀は止められてしまった。
だが、スキルそのものに効果がなかったわけではない。
スキルによるアーツ、【受け流し】自体は成功していたのだ。
ゴブリンキングに勝つには攻撃用のアーツを叩き込むしかない。
いや、これも正確ではない。
攻撃用アーツを叩き込む必要はあるが、あいつに「勝つ」必要はないんじゃないか。
これは正々堂々と行うスポーツではないのだ。
奇襲には失敗したが、暗殺を行うという考え自体は間違っていなかったと思う。
とにかく、相手が攻撃できないタイミングを作って、こちらが攻撃を仕掛けることができれば良いのだ。
ゴブリンキングの雄叫びが近づいてくる。
もしかすると、俺のおおよその位置がわかっているのかもしれない。
ゴブリンキングを殺す。
そのために何らかの手をうって、やつのスキを作らなくてはならない。
罠だ。
罠を使おう、そう思った。
パッと頭に浮かんだのが落とし穴だった。
ひらめいた瞬間には即座に行動していた。
――ステータスオープン:ペイント・スキル【土魔法】
土魔法をセットして魔法を発動する。ピットフォールだ。
かつて、俺を襲った冒険者の死体を埋葬するときに使ったことがある。
その時と同じで半径1m、深さ1mの落とし穴が出来上がった。
だが、半径1mほどの穴というのは目立つ。
流石にゴブリンキングもこの穴を見ては、そのまま突っ込んでこないかもしれない。
そう思った俺は着ていた外套を脱ぎ、穴の上にかぶせるようにして置いた。
この外套はフォレストウルフの毛皮から作ったものだ。
緑色の毛をもつフォレストウルフから作った外套は、着ていると草むらに見える。
これを落とし穴の上に置き、上から石を置いて動かないよう固定した。
さらに、地面に置いた外套自体にペイントスキルを発動する。
ゴブリンキングからみて本物の地面と見間違えるようにペイントを行う。
イメージするのは「だまし絵」だ。
本当に地面が存在するかのように騙す絵。
木の根のうねりなども立体的に再現した絵が外套へとペイントされていた。
「グオオオオオオオオオオオオ!!!」
準備が整ったその時、ゴブリンキングの雄叫びが響き渡る。
初めて聞いたときと同じように空気がビリビリと振動する。
落とし穴を中心として対角線上に位置するように移動して、待ち構える。
すぐにやってきた。
俺を見つけたゴブリンキングが笑ったように見えた。
口の端をいやらしく、ニタっと持ち上げたのだ。
今更になって気づく。
落とし穴作戦は他にもゴブリンがついてきていた場合、全く意味がなくなってしまう。
焦った俺は首を左右へと振って周りを見渡した。
良かった。
どうやら、ゴブリンキングはたった1匹で俺を追いかけてきていたようだ。
辺りをキョロキョロと見渡す俺の姿が怯えているように見えたのかもしれない。
気持ちの悪い顔がさらに口角を上げる。
「ギャッギャッ」と笑い声すら上げている。
今のうちに笑っていろ。
戦いというのは最後の瞬間までどうなるかわからないものだ。
「来い!!」
俺が刀を構えて叫ぶ。
怯えの色がなくなったと思ったのか、不愉快そうな顔をしてからゴブリンキングはまっすぐと突っ込んできた。
その分厚い筋肉の鎧を持つ体が猛スピードでこちらに迫ってくる。
ものすごいプレッシャーだ。
真正面から突っ込んでくる車を迎え撃っているように感じてしまう。
しかし、ここで逃げ出す訳にはいかない。
グッと歯を食いしばって、刀を構え続ける。
来た。
ゴブリンキングが落とし穴の上を通る。
地面に偽装していた外套はゴブリンキングの重い肉体を支えられるはずもなく、その巨体とともに穴に落ちた。
ゴブリンキングはつんのめったようになり、落とし穴の中の壁の部分へと体を打ちつけた。
やつはまだ、なにが起こったのかわかっていない。
混乱している。
――示現断ち
俺は即座にアーツを発動させた。
上段に構えた刀をそのまま振り下ろす。
やっていることは最初の奇襲のときにした攻撃と同じようなものだ。
しかし、大声をあげながら力のすべてを搾り取るようにして、刀を振り下ろす。
長剣を右腕に持つゴブリンキング。
その付け根に当たる右肩からお腹までを一息に切った。
切れている。
やはりアーツによる攻撃は通用した。
だが、しかし、肩から腹までを深く切り込まれたにもかかわらず、ゴブリンキングの目が光る。
こいつはまだ諦めていない。
――燕返し
その目を見た瞬間、俺は次のアーツを発動させた。
全力で振り下ろしていたはずの刀が切り替えされる。
一度、左肩へと向かうように引き上げられ、そして再び軌道を変えた。
左肩を切った後、次に首を切り裂いた。
アーツを発動させて自分の体が動いたはずだが、それでも俺にはどう体を動かして今の切り方を行ったのかよくわからなかった。
ゴボッと言う音が聞こえる。
ゴブリンキングの首筋は深く切り裂かれ、首と口から青色の血液がドッと出てきた。
だが、それでも長剣を握る右手がピクッと動いた気がした。
致命傷のはずだ。
だが、もしかして。
――三段突き
またも、アーツを発動する。
頭・喉・胸の3ヶ所を同時に突いた。
いや、俺には同時に見えていたが実際には違うのかもしれない。
きっと最後に突いたのは胸だったのだろう。
ゴブリンキングの分厚い胸板に刀が根本まで突き刺さっている。
慌てて引き抜こうとしたら、刀が折れてしまった。
バッと距離をとって、根元で折れた刀を投げ捨てた。
今まで一度も使ったことのないショートソードを手にとって構える。
だが、ゴブリンキングがそれ以上動き出すことはなかった。
やったのだ。
俺はこの怪物を殺した。
気がついたら剣の柄を硬く握りしめながら俺は叫んでいた。
言葉にならない声が森に響き渡っていた。




