魔王の戴冠
魔物に口をきけるものは多くない。人語を操り、人を惑わすものもいるにはいるが、それらは獲物を惑わす以外に言葉をもいることはない。つまり互いにコミュニケーションを図るための道具としての言葉を持ってはいない。彼らが群れとしてどういったように意思疎通を図っているかはまこと定かではない。ただ、多くの動物、犬や馬や蟻などの群れを作る集団性の生き物たちと同様に、彼らも同種の魔物同士で何らかの形で統率をとって群れを作っている。
そして、時に人間が馬車やら兎狩りなどで馬や犬を従えるように、他種族の魔物を従えるものたちがいる。人間と家畜の関係と大きく異なるのは、その主従関係が幾重にも亘って連なり、ピラミッド型のヒエラルキーを作っているところである。さらにいえば、そのピラミッドは一つではない。それぞれに異なる種族を頂点とした主従関係を持っていて、種族によっては複数のピラミッドを掛け持ちしたり、どのピラミッドにも属さない完全に独立しきった種族もいる。そして、たいていの場合、人間に対して大きな害をなすのは一番最後にあげた完全に独立しきった種族だった。特に、彼らの幾つかの種族は魔物ではなく、人間を奴隷として従えるのだ。
厄介なことに、人間を奴隷として従える魔物の多くは人語を理解し、彼らを誑かす。そして術中にはまってしまった人間は彼らのいいなりになってしまうのだ。
彼らは力が弱く、人と体の大きさも大差がない。言ってしまえば魔物の中では弱い部類に入る。しかし、巧みに人語を操り、幻術で人間の正常な意識を奪い、操るのだ。そういったまやかしは魔物には通用しない。言語を持たない種族に対して言い募っても意味がないし、幻を見せることも叶わない。だから、彼らにとって人間は格好の獲物なのだ。
人々は彼らを魔族と呼び忌み嫌った。そして、人々は数に任せて魔族の多くを打ち滅ぼした。つまり、魔族は家畜の逆襲にあったのである。
しかし、すべての魔族が滅ぼされたわけではなかった。残された彼らはほとんどが別の魔物の配下に加わるか、人によく似た姿のものは人の群れの中に自身を溶け込ませていった。
そして人々が魔族の存在を忘れかけていた頃になって、彼らは動き出した。人に紛れていた魔族が人間の王族に接触を始めたのである。彼らは人間の王族に対してこう語りかけた。
「やあ、御機嫌よう。小国の主よ。我々はあなた方こそが全人類の頂点に立つにふさわしいと思っている。そうだろう、あなた方ほどこの世界において長い伝統をもち、誇り高い文明を築いてきた王家はないのだから。しかし今、この世界の果てで、たかだか数万人の民を従えるだけの王に成り下がってしまっている。それは大国の、劣等な異なる民族たちの妬みによるものだ。これを許してはなるまい。だから我々が力を与えよう。大いなる力を与えよう。その力を持って、あなた方は世界を平らげるのだ」
その時、小国の王に謁見した魔族は5人だった。その誰もが、幻術を操り、人々に自身を人間のように思わせていた。そう、マダラヘビのように赤と黒の交互に並んだケバケバしい肌を人間の肌のように思い込ませ、額の中央にある大きな角も、耳元まで届こうかというくらいに引き裂かれた口も、その場にいる人間の誰一人として気づくことができなかった。そして、玉座に座る王がこう尋ねた。
「大いなる力とは一体どのようなものなのだ。お前たちが、世界を平らげるような力を持っているとは思えないし、もし持っているのなら朕に与えず、自分で世界を平らげて仕舞えば良いだろう」
王は彼らが魔族だということには気づかないでも、彼らの甘い話を疑っていたのだ。千年間、王国を守り続けた血筋のものとして、誇り高き王は誠実にその役目を果たしてきた。そして、世界を平らげようという欲望も持ってはいなかった。だから、横に控える大臣もその問答の間に注意深くその訝しげな謁見者たちを見守っていたし、脇に並んだ兵士たちも天井に掲げられた槍を強く握りしめていた。
しかし、そんな王たちの一切の事情を翻す言葉が、王の隣に座る貴婦人から溢れる。
「あら、陛下。素晴らしいことじゃないですか。このままでいても、いつ隣の大国が我々を滅ぼしにくるかわかりません。私たちはそれに備えて力を備えておかなければならないでしょう。彼らがそのための力を与えてくれるというなら、喜んで受け取って、それから彼らの処断を決めれば良いでしょう」
若かりし日には王城の薔薇と呼ばれた美しき王妃の緑色の瞳はかすかに濁り、みたものを虜にするような妖しげな笑みを浮かべていた。それを見た王も、大臣も、周りに侍る兵士たちも、皆心を奪われてしまう。
「確かにな。与えてくれるというならば、今すぐ受け取ろうではないか。これ、そこのもの。早う」
そうすると、魔族の一人が酒瓶のようなものを懐から取り出し、王に献上した。
「それは我々一族に伝わる秘薬である。一度飲めば、この先どこで何が起こるのか、過去のことを振り返るようにして知ることができるようになる。我々もこれを一飲みし、あなた方にこれを託すことがもっとも最善のことであると知ったのだ。だからこそ、今この秘薬をあなた方に与えよう。そしてもう一つ」
そう言って、魔族は懐から赤い宝石の付いた指輪を持ち出した。その輝きはまばゆく、その場にいる人間の誰もが見たこともないほどの美しさだった。それを王妃に献上し、魔族は去って行った。
それから、王たちは謁見者たちが残していった秘薬をめぐって話し合った。毒かもしれない。あるいはなんというこのないただの水で担がされたのかもしれない。いろいろな意見が出たが結論として、まず誰かが毒見をするべきだという話になった。しかしそうしたところで、もしかしたら毒かもしれないものを大臣や有力な騎士が飲むわけにもいかず、末端のものに飲ませてもしそれが本物であれば、それはそれでうまくない。そういったことで、結局、王は町娘に孕ませた自分の落とし子ハセルにそれを飲ませることにした。
そしてそれは確かに効果を発揮した。ハセルは秘薬を飲んだ後、何をいうこともなくその瓶を割ってしまった。自分以外のものがそれを飲むのを恐れたのである。そして隣の大国がすぐ来月にも攻め入ってくると予言した。そして確かに攻めてきた隣国の大軍は、ハセルが用意しておいた罠にことごとくかかって蹴散らされてしまった。
それ以来、ハセルはあれこれと王国の政治に口を出すようになった。それらはほとんどが王国を力強く、豊かになっていくように導いて、民衆からも絶大な人気を得た。そして本来なら面白く思わないはずの王妃や、王子、王女などもハセルを賞賛していた。ところがある日、ハセルはこんなことを言い出した。
「陛下、私たちにはさらなる大きな力が必要です。ぜひとも再び秘薬を献上したものたちを呼び出し、王国に仕えさせましょう」
そうして、再び魔族は王城にやってきて、ハセルの命により王家に仕えることになった。その日からハセルは自分の部屋で魔族たちとだけ話し合い、王にあれこれと指示するようになった。王も言われるがまま、美しい、堅牢な城を築き、他国へ侵攻し、魔族たちに高いくらいを与えた。だが、それだけでは話は終わらなかった。ハセルは王国が大陸の半分を占めるくらいになって自分に王位を譲れと言い出したのだ。
それには王もほとほと困り果てた。王家は代々長男がつくものと決まっていたし、王妃が生んだ王子は体が弱いということもなく、政治能力を疑うほど頭が悪いということもない。そうであれば、誰がどう考えても王子が王位を継ぐべきであり、そもそも王が健在であるうちに譲位などありえない。しかし、ハセルは魔族たちを後ろに従えて強硬に王に迫った。この頃にはハセルは彼らと同様に赤と黒のケバケバしい肌と、彼らよりも一層たくましい角を生やしていた。そして、その体は大人の男性が子供に見えるほどに大きく、背中にはコウモリのような羽を生やしていた。ハセルはすでに残された魔族たちの王となっていた。魔族はかつて予知能力によって自分たちの王が生まれることを知り、王に謁見したのだ。
王子や王女はこの時になって、ようやくハセルを排斥しようと動いた。しかし、その計画は予知能力を持つハセルによってことごとく失敗に終わり、王子と王女は反逆の罪によって死刑になった。王は嘆き悲しみ、王妃にどうするべきか尋ねた。そうすると王妃は優しい声で自身の伴侶に言った。
「もちろん。あげて仕舞えば良いのです。あなたは初めから王などではなかったのですから。そうでしょう、あなたは何をするにもいちいちハセルに聞いて、自分の意思では何もできなかったじゃありませんか」
嘆き悲しむ王に王妃はそれ以上取り合わなかった。王妃は魔族から指輪を受け取って以来、うっとりした顔でそれを一日中眺め続けていた。本当にそれしかしていなかったが、不思議と飢えることもなく、眠ることも息をすることも必要としなかった。そしてさらに不思議なことに、その姿はだんだんと若返り、美しい姿を取り戻していた。
誰もがそのことを訝しんでいたし、隙を見てあの美しい指輪を奪い取ろうとしたものも数知れなかったが、そのほとんどをハセルが取り押さえた。
そして、王妃は新世代の王妃となった。ハセルの子を身籠ったのである。これには王もついに絶望し、自らその身を投げた。
それから間もなくして、ハセルは人間と魔族を統べる王として戴冠した。
今日、全世界の人類を恐怖に陥れている魔王ハセルの誕生である。
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