青銅色の虚栄
廃墟マニアは大手を振って歩けない。
見捨てられた場所とはいえそこは誰かの敷地。不法侵入だからだ。
勿論逮捕されたなんて話はめったに聞かないし、仮に現場を押さえられたところで口頭注意で済む程度だろうが、堂々と人に言える趣味でないのは確かだ。
それはわかっている。
それでも俺が廃墟に向かうのは、当時の人々の生々しい痕跡、にもかかわらず人の存在しない異様さ、伴って感じられる無常の美、あとは率直に言えば好奇心に突き動かされるからに他ならない。
廃墟マニアにマナーの良いも悪いもない。ただ悪い中に程度があるだけなのだ。
だから下を見て慢心せず、できるだけ現場を荒らさずに探索しなくてはならない。
そう自分の肝に銘じて、俺は目当てとする廃屋に車を走らせた。
関東地方の山中にポツンと佇む一軒の大きな廃屋。ここが今日のお目当ての場所だ。
とはいえ廃屋という言葉で括るのが憚られるほど、敷地は広く、建物も立派な洋館風の佇まいではある。が、今では柵は一様に錆付き、門扉もぶらぶらと繋がっているだけ。建物の外壁はひび割れ、植物に覆われて、やはり廃屋と呼ぶほかない。
車で敷地内へそのまま入り、車寄せに停める。車寄せの庇には穴が開いているが、玄関ポーチは段差がなくスロープまでついてある。廃屋とはいえ自分の家より上等だなと思った。金持ちになった気分で車――中古の軽だが――から降りる。
廃墟マニアには安全と感覚の共有のために仲間と行動する人も多いが、俺は一人で行くのが好きだ。だからこそしっかりと準備しなくてはならない。登山靴の紐をしっかり結んで、ナップサックを肩の内側に掛けなおす。
この廃邸宅、興味深いのが、これだけ面積のある建物にも関わらず、平屋造りだということである。外からは多少分かりづらくしているが、中に入るとひたすら天井が高いことに気が付いた。
面白い場所がある、と廃墟マニアの仲間がこの邸宅を教えてくれたのだが、このことを言っていたのだろうか。
建物内は昼間でもかなりうす暗い。周囲を山に囲まれている分、繁茂する植物に敷地を侵食され採光が悪いのだろう。
以前ここを訪れた肝試し客や暴走族、または同じ廃墟マニアの人が捨てたゴミがあちらこちらに散らばっている。足元は懐中電灯で照らし、ヘッドライトで少し前を照らして進むことにした。
「うわっ!」俺はのけぞった。エントランスから真っ直ぐ行ったところに人影が見えたのである。
廃墟なんて好んで訪ねてばかりいると何かしら奇妙な体験をするものだ。しかし今回はそういう類のものではなかった。人影は少しも動くそぶりを見せない。
銅像だこれは。
等身大サイズらしい銅像をライトで照らす。痛んだ感じはあるが五体満足なようである。背広を着た大柄な男性の立像で、腕は太くたくましく二の腕までシャツが捲り上げられていた。顎が大きく、皺が深く刻まれた意志の強そうな顔だ。そのため年配に見えるが、俺なんかよりよほど引き締まった体をしている。
この銅像のモデルはレスラーかなにかだったのか、と台座の銘板を見る。
「高村壮吉像」
とだけ書かれてあった。高村壮吉さんの像だということはわかったが、高村壮吉さんが何者なのかはわからない。
デジカメで個人観賞用に写真を数枚取って、その答えを探すために先と向かった。
最初に入った部屋はベンチプレスなど様々なトレーニング器具の並んでいる部屋だった。とすると高村壮吉とはこの邸宅の主だったのかもしれない。あの肉体の説明がつくし、筋肉を見せびらかす・記録するために一風変わった姿の銅像を作ったのだと得心がいく。
隣の部屋は書斎だった。またもう一つ、かなり興味深い品物を見つけた。本棚にずらっとならんだノートの数々だ。軍手をした手でそれらを確認する。どうやら日記らしく、それぞれ表紙に年、月と「社長就任」などと何かしらのワードが書いてある。このワードはその期間内に起こった出来事を示しているのだろう。
他人の日記を見るのはよすべきだとわかっていたが、廃墟に侵入するほど他人のプライバシーに興味がある男にモラルは歯止めにならなかった。どうせこの日記の持ち主は亡くなっているのだ、他人の目がないと人はここまで浅ましくなれる。
面白そうな見出しを探していると、「銅像製作、御影夫妻の死」という二つのワードが書かれた日記で手が止まった。
銅像製作とは先ほどの銅像のことだろうか。だがそれよりも、横の御影夫妻の死というのが気になる。
俺は恐る恐るページを開いてみた――。
2
一月二二日 今日も一日家に居た。トレーニングだけは欠かさないが体も気力も衰えていくのを感じる。
一月二三日 前に取り寄せて貰った旅行のパンフレットが届く。あまり気乗りしないが、紗江子さんを誘ってみようと思う。
一月二六日 行く前は気乗りしなかったが、行ってみると想像とは違い多少は気が晴れた。たまには日帰り旅行もいいのかもしれない。
一月二七日 前にも郵便受けに広告が入っていたが、ある鋳工会社の営業の人間が訪ねて来た。暇を持て余しているので話だけ聞いてみたが、全身サイズだと一千万程度するという。なるほど、彼は資産家相手に口説きに回っているのだろう。
金の使い道があるわけでもないが、気乗りしない。断った。昨日横浜で見た井伊直弼像は良かったが。
二月一五日 またあのセールスマンが訪ねてきた。今度は彫刻家だという夫妻も一緒に。不躾な奴らだと思ったが一度彫刻家のアトリエを訪ねてみませんかと言う。そちら方面に興味がないこともないが、彼らに乗せられているようで気に食わない。私が渋っているとセールスマンは「また後日連絡させてください」と言い辞去した。
残された彫刻家夫妻と話をする。苗字を御影というらしい。変わった苗字だ。
私はとりとめもない質問を繰り返したが丁寧に答えてくれた。奥さんの桂子さんは女だてら夫に負けないほど知識があるようだった。容姿も可憐で、今にこの二人は世に名が知れるかもしれぬと思った。私のこういう勘はよく当たるのだ。
**
おそらくこれがあの銅像の発端なのだろう。この時点で彫刻家を気に入った様子がわかる。
すると高村壮吉とはこの家の主で資産家だった人物らしい。一千万を銅像なんかにポンと出せるほどには。
俺はパラパラと先を続けた。
やはり、銅像を作ることに決めたらしい。
**
三月二〇日 御影さんと制作方法を相談した。
私は銅像の作り方を知らなかったので聞いてみると、ずいぶん親しくなったからか御影さんはこんな風に言った。
「例えば、密着したウェットスーツを着て、シリコーンゴムの液の溜まった水槽に顔だけ出るようにして入ります。ゴムが固まったら這い出る。なぜゴムでないといけないかと言えば、これを石膏でやれば出るために型を破壊しなければいけないからです。それでは型を取る意味がないですから。
今度はゴムの型を合わせたものにロウを流し込みます。シリコーンゴムは耐熱性が高いため溶けずに、中のロウはシリコーンゴムの型に合わせて固まります。ゴムの型はここでお役御免。
今度はロウの型を石膏に浸けて石膏の型を取ります。最後に石膏の中のロウを熱で蒸発させる。こうしてようやく湯――溶かしたブロンズです――を流し込むための鋳型ができるわけですね」
私がかなり渋った顔をしていたのだろう。御影さんは笑った。
「これは極端な例で、実際はここまで大掛かりなことはまずやりません。実際は彫刻家がモデルやモデルの写真を見ながら針金や木や粘土を使って人体の型を作っていくんです。それを使って鋳型を作るのが普通ですね」
なるほど、像というとノミで削って作る事を想像するが、考えてみればそんなのは馬鹿げた話ですな。私は無知をはばからず言ってみた。
「はは、案外誤解されがちなんですがね」御影さんはまた笑った。
「しかし、せっかくですから、腕だけでも型取りをしてみませんか?」
高くつかせる気でしょう? と私は意地悪を言うと、
「いえいえ、料金は据え置きです。実際に自分の体を使った彫刻の方が親しみが湧くと思うんですよ。そこで私はいつも依頼主さんに提案させていただいているんです」と答えた。
なるほど。ま、私は御影さんに任せると答えた。こうして明後日御影さんにうちまで迎えに来てもらい、アトリエに出向くことになった。
三月二二日
これでこのアトリエに訪れるのは二度目か。
敷地の離れが二人のアトリエだ。そのため二度とも自宅にも寄って食事をご馳走になっている。昔は神経質なくらい食事の脂肪やたんぱく質には気を使ったものだが、この歳になると余所にお呼ばれするのも悪くないと思える。どうせこの先さして長くもあるまい。
御影さんも私と同じで気が早いようで、さっそくアトリエで腕の型を取られた。こうしてまじまじ見せてもらうと自分の腕の太さに驚く。
二人はやり方の違いで度々衝突しているようだが、だからこそ良い夫婦なのだろう。自分の場合、連れ合いとのいさかいはもっとしょうのない事ばかりだった。そうして結婚生活は三度共破綻してしまったのだ。三度離婚を経験してようやく誰と何度やり直しても同じ事なのだと気づいたのだ。だから御影さんと桂子さんが羨ましい。
夕方私が持ち寄った酒を一緒に空けた。
御影さんは赤い顔をして、プロポーズの言葉を私に教えてくれた。
「私と一緒に道に迷ってくれないか。彫刻は答えのない道かもしれないが、君となら道を探し続けるのも悪くない」
なんときざな言葉だろうか。御影さん自身、柄でもなかったと笑い飛ばしていたが、芸術家らしい良い言葉だと思った。
**
それからまたとりとめのない日記が続く。高村氏はよほど御影夫妻が気に入ったようで何度もアトリエに足を運んでいたようだ。
そして四月二五日――。
**
四月二五日 型が完成したとの一報があった。
ずいぶん早く完成させてくれたものだ。他の雑仕事を桂子さんにやらせて、御影さんは毎日私の銅像だけに取り組んでくれたようだ。
乗り気でなかった私のためにそこまでしてくれたとは頭が下がる思いだ。
型を見にアトリエまで向かったが、すばらしい出来だった。一つも文句はない。
これが数週間ののち青銅色となってうちに届けられる。
私が私である、生きた証だ。
五月二〇日 銅像がトラックで運ばれてきた。
像を横にして大勢でエントランスから搬入される私。
その構図が妙におかしかった。
カバーを取り払ってエントランス先に鎮座する銅像を見た時は久々に心が動いた。
御影夫妻に改めて礼をしたい。
五月二五日 御影夫妻が亡くなった。
日記を書ける状態ではない。
六月八日 先月二五日に起こった事を今書く。
恐ろしい出来事だ。
私は祝賀会兼礼のつもりで御影夫妻を食事に誘った。しかし話をしている内に結局いつものように御影宅へお邪魔することになった。御影さんがわざわざ私を車で迎えに来てくれた。こちらが礼をしたいというのにこれではいつまで経っても礼にならないではないか、と冗談を言った。
この時まではおそらく誰一人として、あのような結果が訪れることになるとは予想していなかっただろう。
私と御影さんと桂子さんの三人は一階のダイニングで杯を交わした。そして桂子さんの振舞ってくれた手料理をいただいていた。
そんな時、隣の部屋から電話が鳴った。桂子さんはハッとして電話を取りに出る。
その様子はどうもおかしかった。御影さんもそれが気にかかったらしくイライラしているのがわかった。
電話は二分程度続いた。桂子さんがダイニングに帰ってきたとき、御影さんは桂子さんのエプロンの裾を掴んで「ちょっと」と呟くのが見えた。
「すみません、高村さん。ちょっとだけ中座させてください」
私は何もわからないふりをして機嫌よさげに頷いた。
間もなく、おそらく二階から口論する声が聞こえた。最初は私の存在があったのか抑えられていたが、だんだんと激しくなり、終いに「ぎゃっ」と短い悲鳴がして途絶えた。
それから間もなくドスンと二階から何か落ちる音がした。
流石に静観しているわけにも行かなくなり、私は窓から外を眺めた。
御影さんが血を流してうつ伏せに倒れていた。
私は急いで隣室の電話を使って救急と警察に連絡をした。
しばらくして先に救急が来た。
警察の調べでは先に桂子さんが頭をブロンズ像で殴られて死亡し、それから御影さんは窓から飛び降りて自殺したらしい。
この事件は大きなニュースとなり巷間に知れ渡った。もっとも一瞬のうちに忘れ去られてしまったが。
葬儀の席で鋳工会社の人に話を聞いてみると、私が思っていたほど夫婦仲は良好でなかったこともわかった。
今になって思えば御影さんと桂子さんは私に仲睦まじい姿を幾度となく見せたし、プロポーズの言葉さえ話してくれたが、あれらはすべて二人の「ふり」だったのではないのか。
二人はうまくやっていきたかったのではないのか。自分達すらも騙しながら。
私は思う。全ては虚栄だったのだ。まるで彼らが作る銅像のように。
3
その後はまた当たり障りのない日常が綴られている。変化は以前よりも内容が陰鬱になっていることくらいだ。
俺は日記を閉じた。
「はぁー」
何かいけないものを見た気がした。元々いけないことをしていたのだから仕方ないのかもしれないが、もっとこの場にいるのがいたたまれなくなってくる。
ただこの日記を読み終わって気になることがあった。
これらの記述がすべて正しいとすれば一つ大きな疑問が残るのだ。
それは、なぜ高村さんは疑われなかったのか、という点である。
動機の面では夫婦間の方が明白であったといえど、高村氏にもないわけではない。
例えば親切にしてくれた桂子さんに対し横恋慕をし、本人に迫ったが断らたため逆上して殺してしまった。いささか短絡的ではあるが、人間なんて一時の感情に簡単に振り回されてしまうものではないか。
そしてそれから旦那の御影さんを二階から突き落として殺害。これでも筋は通る。
もっともすべて、高村氏の記述に基づいている以上考えても仕方がないのだが。
もやもやしたまま、俺は書斎を出た。他の日記はまたあとで読もう。先に邸宅内を見て回れば何かわかるかもしれない。
考えても仕方がないと言えど、考えてしまうのが人間だ。
上の空で暗い廊下をしばらく歩いていると、激しく何かにけつまづいた。
「いってぇー!」
本気で痛かった。向うずねを強打した。これだから廃墟なんて来るもんじゃないんだ。
しかしこんなところに何が転がっているのだろう。俺はライトをかざす。
そのとき見たものは日記の内容によって生じた疑問を一気に氷解させた。
――横に倒れた車椅子。
車椅子がそこにあったのだ!
そうか。俺はすべてを理解した。
高村氏は歩けなかった。だから彼は補助なしでは御影宅の二階に上がれず、殺せなかった。そして疑われずに済んだのだ。
この邸宅の玄関には段差がなくスロープがついていた。また平屋作りだった。
そして彼はその事実を嫌っていた。
「私は思う。全ては虚栄だったのだ。まるで彼らが作る銅像のように」
虚栄とは御影夫妻の夫婦関係のことだけではなく、青銅で作られた彼の像、その姿だった。
彼の日記の記述は歩くことができなくなったことを隠そうとしている節があった。
自分すら騙しながら。
それから俺はこそ泥のように邸宅内を歩き回って、その裏づけを見つけた。
若い頃の高村壮吉の写真である。ボディビルダーと見紛うような肉体美。それはエントランス先にあった銅像の顔だけ若くしたような姿だった。
急いでその場を後にした。
そして廃墟仲間にメールを送った。
「あの廃屋、全然面白くなかったですよ、チュウさん趣味が悪いですよ!」
返信が来た。
「え、あのマッチョの銅像見なかった? 僕とリョウさんめっちゃ笑ったんだけど。雪深くんまさか別のとこ行ったとか?」
イースターエッグ企画参加作品。最後の雪深云々いうのは無理やり自分のシリーズ探偵?を登場させただけなので、話には関係ない。
出来るだけアイデアが出てから参加しようと思っていたら、使おうと思ってた色がどんどんなくなっていって焦った。もう参加やめとくか、と思ったところで、ぎりなんとか形になりそうなものを思いつけた。マイナーな色なのでせこいから参加断られるんじゃないかと結構不安だった。
サイトに投稿する前に読んでくれる友達がいないので、よくわからんくなった。オチ周りバレバレだったら申し訳ない。