(4)
「……」
「……」
二人きりになった室内に沈黙が広がる。
重い空気がえんえんと流れ続けるというもの何だか心苦しいため、神楽は無理にでも話題をひねり出すことにした。
「ええっと、あの。私は」
「あんた、名前は?」
「あ、はい? な、名前ですか」
しかしその途端、先に男が口を開いてしまったため、神楽は少しばかり動揺してしまった。
「琴吹神楽と言います」
「ふーん……。霊能力者とか、イタコの家系の生まれか」
「いえ、全然。私の血縁で幽霊が見える人がいるなんて、聞いたことがないです」
「めずらしいな。普通は特殊な血筋の家系に生まれるか、臨死体験でもしない限り見える体質にならないはずなんだが」
「今まで一度も死にかけたことなんてありませんよ」
「それはわかる。だって見たところ、そういうことには一切無縁そうだし」
「え……そんなに私、丈夫そうに見えるんですか?」
し、失礼な。私はそんなに、殺したって死なないくらいたくましく見えるのだろうか。
神楽のガラスのハートは若干傷ついた。
「あの。別にあんたがたくましく見えたとか、そういう意味じゃなくて。いや、そういう不幸に巻き込まれそうにないというか……。ああ、聞くだけ聞いておいて名乗るのを忘れてたな。俺の名前は日比野勇。この霊能堂で、霊媒師みたいなことをやっている」
勇が唐突でぶっきら棒な自己紹介を終えるのを見計らったかのようなタイミングで、遥が給湯室からようやく出てきた。
「ごめんなさい。これくらいしか飲み物がなくって」
「あ、ありがとうございます」
神楽は律儀に一礼してから缶コーヒーを受け取る。
だが、あるものが目に留まったせいでスムーズだった神楽の動きがピタリと止まった。
「……」
手渡された缶コーヒーには、でかでかと『見切り品につき三十円』というシールが貼られている。
どことなく気まずい雰囲気が漂う中、そんなものなど知ったことかと言わんばかりの明るいペースで遥は語りだした。
「うち、人材不足な上に財政難なんです。だから、こんなものしか置いてなくって。あははっ」
ならばせめて、値下げシールを剥がしてから出すとかして下さい。色々と心配になってくるので。
神楽は頬を引きつらせながら、相手の笑顔に合わせて無理矢理口角を上げた。
「余計なことは言わなくていいんだよ。大体、うちが財政難になったのはお前が学費の高い高校に進学した挙句、成績が悪過ぎて奨学金の審査通らなかったからだろうが。俺が稼いでこないみたいな言い方はやめろ」
遥の言動は見事に勇の機嫌を損ねさせたらしい。勇は苛立った様子で能天気な妹から缶コーヒーをひったくるようにして奪うと、それを一気に飲み干してから乱暴な手つきで長テーブルに置いた。
「別にお兄ちゃんが頼りないみたいな意味で言ったんじゃなかったのに。だから、悪いと思って霊感もないのに家業を手伝ってるんじゃない」
「嘘つけ。お前がここを手伝ってるのは、単にオカルトマニアだからだろうが」
「あ、ばれてた? えへっ」
妹が無邪気に笑うのを、兄が冷徹な眼差しで睨みつけている。
誰に対しても愛想がないという勇だが、身内に対してはなおのこと風当たりが強いように思えるのは気のせいだろうか。
「ったく、お前のせいで話が横道にそれたじゃねえか。で、さっきの続きだが」
「ひっ! あ、はいっ」
勇が険しい表情のまま顔を向けてきたため、神楽はつい身震いをしてしまった。
「別に、あんたのことを睨んだわけじゃない」
「わかってます。大丈夫です」
「ならいいけど。一つ確認しておきたいんだが、あんたはここがどんな仕事をしている場所なのかを理解してから来たのか」
「え?」
神楽はごもっともな指摘を受け、今更ながら気がついた。
山伏装束の男は適材適所がどうのこうのとは言っていたが、具体的な仕事内容は一切口にしていなかった。ただ、幽霊の成仏に関わることであるのだけは何となく覚えてはいるのだが……。
「その顔は、全く知らないって顔だな。はあ……。あのクソ親父、勝手に気を利かせたつもりで、中途半端なことをしてくれやがったみたいだな」
勇は状況を大体把握するなり、父親に毒づいてから舌打ちをした。
「どうかしたんですか?」
「何でもない。こっちの話だ」
「そ、そうですか」
それにしたって、実の父親に対して『クソ親父』とは。よくわからないが、何か確執でもあるのだろうか。
だが、いくら関心を持ったところで今の神楽にはそれを知る術はみじんもない。
「じゃあ、ここではどんな仕事をしているのかを詳しく説明した方がいいってことか」
「ええ、そうですね。こっちも情報がないと、色々判断できませんし。でも、何かごめんなさい」
「あんたは悪くない。元凶は全て、うちのクソ親父にある」
「は、はあ」
本当に、この親子の間に何があったというのだ。
神楽が自身の就職のことより日比野家の家庭事情に興味が傾きかけている中で、勇は淡々と語り始めた。
「うちの家系は代々、幽霊に関する案件を解決することを生業にしている。口寄せだとか、お祓いみたいな他の霊媒師がやっていそうな仕事も受けるが、一番多いのは幽霊退治だ」
「幽霊退治?」
「そう。あまり例えとして用いたくはないが、世の中にはホラー映画だとかに出てくるような悪霊みたいに、死んでもなお生きている人間に害を与えるやからがいるんだ。だから俺は、生まれつき備わっている霊能力を使ってそいつらを成仏させている。これがまた、骨が折れる仕事でな」
勇は日頃の苦労を思い出したのか、口元を少しばかり歪めた。
「世間では心霊現象って呼ばれてる事柄にはしょっちゅう巻き込まれるし、悪霊に憑りつかれる可能性だってある。下手をすれば、死ぬかもしれない。とても生半可な覚悟では務まらない仕事だ」
つまり、ある程度の覚悟を決めて取り組まなければならない、命がけの仕事ということか。
想像以上に重々しく語られ、神楽は思わず固唾をのんだ。
「財政難であえぐうちでは、この苦労に見合う報酬を支払うことができない。それも人材不足の原因の一つだ。あんたも俺の話を聞いて嫌になっただろ、この仕事が。例え、就職先が決まらなくて困っていたとしても」
「まあ、仕事が大変なのはどこでも……って、え!」
重要なことをあやうく聞き落とすところであったが、神楽は違和感に気がつき、反射的にソファーから身体を浮かせた。
「私、ここで就職先が決まらなくて困ってるって話、しましたっけ?」
「いや。やっぱり、最近噂になってる幽霊が見える女っていうのはあんたのことだったのか。今まで何人もの幽霊を成仏させたと聞いたが、少し変わった霊視以外の能力はないんだよな……?」
噂って、やっぱりアレですか。幽霊が色々なところで垂れ流していると思われる、例の噂のことでしょうか。
変なところで自分が有名人になりつつあることを知り、神楽は頭がクラクラし始めた。
「えーっ! お兄ちゃん、ずるい! そんな話、いつ聞いたのよ。そんな面白そうな話を知ってたんだったら、あたしに教えてくれたっていいじゃないっ」
ちゃっかり横で話を聞き続けていた遥が、突然声を荒らげて怒りはじめた。幽霊を介して手に入れたオカルトじみた情報を教えてくれなかった兄に対し、とてつもない憤りを覚えたらしい。
「何でお前にいちいち教えなきゃいけないんだよ。悔しかったら、自分で幽霊と交信でもするんだな」
「それができないから頼んでるんじゃない! あたし、体質がママに似過ぎちゃったせいで何にも見えないんだから。お兄ちゃんだけずる過ぎる!」
「さっきからずるいってうるさいな。言っておくが、霊能力をうらやましがるのは世の中でお前くらいのもんだからな」
「そんなわけないでしょ。あたし、霊感がなさ過ぎるせいで心霊現象も体感できなくて、心霊写真に写ってる幽霊すら見ることができないんだよ。そんな妹を哀れだとは思わないの?」
「哀れどころか、めっちゃ幸せな奴だと思うけどな」
「何それ、ひっどーい!」
何だ、この兄妹喧嘩は。特殊な家系でないと起こりえない内容であるだけに、異常と言っていいほど理解しがたいのだが。
神楽がリアクションに困る中で、言い争いはさらに続く。
「そもそもさ、さっきからお兄ちゃんは自分の仕事のことをやたらと大げさに言い過ぎじゃない? 命の危険がどうとかみたいなことを偉そうに言ってるけど、あたしがついてった時なんか何にも起こらなかったし」
「何につけての『そもそも』なんだよ。それと、俺は仕事のことを大げさに説明したつもりなんかない。お前は人前に姿を現す気満々の幽霊すら目に映らないぐらいだからわからないのかもしれないが、幽霊退治は本当に危険な仕事なんだ。だから、こうして今のうちに事実を話しておいて、ここで働く覚悟があるのかを確認してもらわないと後々困るから」
「ふーん。後々困っちゃう、かあ。ひょっとしてお兄ちゃん、この人を危ない目に遭わせたくないからわざと恐がらせるようなことを言って追い返そうとしたんじゃないの?」
「はあ?」
遥が突拍子もないことを口走るなり、勇の眉間にいくつものしわが刻まれた。
「俺の発言をどう解釈したらそんな結論に辿り着くんだよ。あんまりトンチンカンなことを言わないでくれ」
「えー。まんざら間違いでもなさそうだって思ったんだけどなー。だって、えーっと。神楽さんだっけ? 結構かわいいからお兄ちゃんの好みかなってビビッと来ちゃったんだけど」
「勝手にビビッと来るな。どう頑張ったらそんなラブコメみたいなことを考えつくんだか」
勇の言う通り、遥の妄想がドンピシャだったらラブコメ一直線である。そういった展開を現実世界で期待するのは、色々と間違っているので控えた方がいいと思われる。
遥の甘い妄言のせいで辺りに変な空気が流れ始めたのとほぼ同時に、長テーブルの上に置かれた電話が鳴った。
「電話か……。もしもし、こちらは霊能堂。何のご用件でしょうか」
勇はイライラした様子ではあったものの、受話器を手に取った。
彼はただ本当に愛想がないだけで、客相手にはそれなりにまともな応対ができるようである。
「今すぐに、ですか。報酬はいくらまで支払っていただけます? ……なるほど」
しばらくブツブツと話した後、勇はそっと受話器を置いた。
「噂をすれば何とやらって奴か。幽霊退治の依頼が入った。まだ夜でもないのに、今すぐに来てくれっていうのは少しめずらしいが」
「そんな依頼もあるんですね」
「ああ。たまにな」
特別な事情がある場合は別として、幽霊の多くは夜から行動し始めるということくらいは神楽でも知っていた。
ただし、ここに来てから初耳の情報を聞かされまくっていることも変えがたい事実であったりもするのだが。
「依頼人の要望には応えないと。さっさと向かうとするか」
勇はけだるそうにしながらも、ソファーからゆっくり立ち上がった。そのまま幽霊退治の準備でも始めるのかと思いきや、突然神楽の方に顔を向けた。
「悪いけど、これから幽霊退治に付き合ってくれないか?」
「はい⁉」
想像を絶するお言葉に、神楽は目を丸くしたまま硬直した。
霊能堂で働くかどうかの返事をまだしていないというのに、何故いきなり職場体験のお誘いが飛んでくるのか。確実に順序がおかしい。
「あーっ。お兄ちゃん、それってデートのお誘い? 初対面なのに大胆!」
「仕事場でデートしようとする馬鹿がどこにいるって言うんだ。俺はただ、この仕事がいかに大変なのかを傍らで見てもらって、本当にここで働いてもいいと思えるのかを確かめてもらいたいだけだ」
いや、でも、それってやっぱり危険なんですよね? 私は今、スーツにヒールの靴という動きづらい格好をしてるので、いざ何かあった時に身を守れる自信がないのですが。
ただならぬ不安に駆られた神楽は、怯えた表情をしながらビクッと震えた。
「不安がらなくていい。あんたは俺の後ろについてるだけで大丈夫だ。もし危ない目に遭いそうになったら、俺が絶対に守ってやるから」
「えっ……」
絶対に守ってやる? まさか、こんなところで恋愛ドラマで起用されていそうな台詞を耳にすることになるとは。
神楽が少しばかり頬を赤らめると、遥が「ヒュー! 愛の告白キター!」と兄を茶化し始めた。
勇は勇で「違うって言ってるだろうが。どこまで俺をイラつかせたら気が済むんだ」と、やたらとムキになっている。狙って起きた展開ではないのはわかるが、これでは遥の思惑通りのラブコメ街道まっしぐらである。
「まあ、とにかく。あんたを危険な目に遭わせるような真似はしない。だから、安心してついてきてくれ」
何事もなかったようにとまでは言えないが、勇は冷静になるように努めながら壁際に移動し、そこにかけられている錫杖を手に取った。
「あ、それ、飾りじゃなかったんですか」
「ああ。これは先祖代々伝わる錫杖で、霊能力を高める力を持ってる代物なんだ」
「えっとねえ。多分、どっかのお宝鑑定番組に出したらすっごくいいお値段がつくと思うな。きっと『うーむ。いい仕事してますねえ』なんて言われちゃうんだろうなあ」
「遥、頼むから黙っててくれ」
勇は相変わらず自分のペースを貫きまくる妹をとがめてから、錫杖に再び視線を移した。
「できれば、これを使わないで済めば楽なんだが」
身の丈ほどある錫杖を軽々と回転させてから、床を突いて軽く音を鳴らす。
眠気を払うように何度か目をこすってから、勇は神楽に目を向けた。
「問題の場所はすぐ近くだから、歩きで充分だろう。……そろそろ行くか」
「あ、はい」
頭の整理がいまいちついていない神楽であるが、とりあえず勇の後ろをついていこうとする。
その直後。背後から遥が発したキンキンとよく響く声が耳に突き刺さった。
「あ、待ってよ! あたしも行く! 心霊現象見たいっ」
「何も見えないくせによく言うよ」
「もしかしたら、何かあるかもしれないじゃない。突然眠っていた霊能力が覚醒して、何かかんか起きるとかあるかもだしさあ」
「そんなこと、地球が爆発するようなことになっても起きないと思うけどな。まあいい、勝手にしてくれ」
こうして自称及び他称霊感ゼロな遥までもがついてくることとなり、三人で依頼人の元まで向かうことになった。