(2)
フラフラと町中をさまよいながら、神楽は色々と思いを巡らせていた。
「そもそも、どうして私はこんな能力を持って生まれてきたのかしら」
両親を始めとして、自分の血縁に幽霊を見る力がある者がいるなんて話は聞いたことがない。もし、これが体質によって備わった能力であるのなら、これは完全に突然変異という奴だ。
もしかしたら、こんな能力を持って生まれたのには何かしらの意味があるのかもしれないと、小説に出てくる超能力者だとかが考えそうなことを真剣に思ったこともある。しかし、現実に特別な力を持って生まれてしまった自分はというと、創作された人物とは違い能力を持つ意味など一向に見つけられないまま。かえって、能力を持ってしまったことを恨みに思う日々の繰り返し。
「そこのスーツ姿の君。ちょっといいかな」
いっそのこと、幽霊なんて見えなければいいのに。見えなければ、存在していないのと一緒。
「そこのスーツ姿のお姉さん。おーい」
存在していないものには、当然関わる必要はない。見えてしまうからこそ、心を揺さぶられて深く関わりを持ってしまう……。
「そこのスーツ姿で、長い黒髪で、化粧の薄い、見るからに就職面接の帰りみたいな格好をしたお姉さん。ちょっといいかな?」
「え? あ、え?」
ぐだぐだと現在の出で立ちを並べたてられてようやく自分が呼ばれていると気づいた神楽は、立ち止まって辺りを見回した。
しかし、道行く人の姿はあれど、声の主らしき人物はどこにも見当たらない。
「空耳だったのかな?」
「あの、空耳じゃなくて。後ろ、後ろ」
「え、後ろって……ひゃあっ!」
声に従って後ろを向くと、そこにはいつのまにやら見覚えのない男がにこやかに笑いながら佇んでいた。
歳はおそらく四十代くらいだろうか。しかし、同年代と思われる神楽の父――琴吹幾三、御年四十八歳。趣味、盆栽いじりと俳句を少々――と比べると、ずいぶんと若々しく見える。気さくな人柄がにじみ出る笑顔を浮かべているためか、印象だけならば決して悪くはない。
それでもなお、神楽が好青年ならぬ好中年を見て「ひゃあっ!」と言わざるを得なかったのには理由がある。それは、彼の服装がとても町中を練り歩くのに相応しくない、全身ほぼ真っ白な山伏装束であったからだった。
「あっははは。そりゃあこんな変わった格好をしたナイスガイに声をかけられたりなんかしたら驚いちゃうよね。全国民の模範解答のようなリアクション、確かにいただきました!」
何、この人。もしかして、新手の不審者?
見知らぬ男に呼び止められた上にいきなりわけのわからないことを言われてしまった神楽は、助けを求めるようにして周囲に視線を送る。だが、皆面倒なことに関わりたくないのか、無情にも次々にその横を通り過ぎて行く。
「まあ、そんなに緊張しないで。大丈夫、取って食ったりなんかしないから……って、頼むから無視しないでくれるかな!」
隙を見てこっそりと去ろうとした神楽のことを、山伏姿の男は大慌てで追いかける。
神楽は後方を気にしながらも、だんまりを決め込んだまま歩みを止めなかった。
「無視は道徳的によろしくないって、小学生の時に習わなかったのかい? お願いだから、話くらい聞いていただきたいんだけど。君にとっても、決して損はしないことだから。まあ、得もしないかもしれないけど」
「……」
「先に言っておくけど、僕は不審者とかじゃないし、声をかけているのもナンパのためとかじゃないからね。僕には見かけ通り、それはそれは素敵でチャーミングなお嫁さんもいるしね。やましい気持ちとかで君に関わろうとしてるんじゃないんだよ」
「……」
「だからさ、小耳に挟む程度の感じでいいから聞くだけ聞いてくれないかな。お願いだから。ね?」
「……」
「うーん。これは、どうしても信じてもらえないパターンって感じかな。だとしたら、完全無視を覚悟で切り出してみるしかないか」
山伏装束の男は残念そうに呟くと、神楽のことを必死に追いかけていた足を急にピタリと止めた。そして、意味深な笑みを浮かべてから、実に毅然とした口調で言い放った。
「君って、幽霊を見る力を持ってるよね」
「……!」
得体のしれない変な人はとことん無視しようと心に決め込んでいた神楽であったが、今の言葉には反応せずにはいられなかった。
「どうしてそれを? もしかして、私のことをずっと」
「いや、ずっとつけ回したりなんかしてないからね? まあ、簡単に言いますと。僕はそういった能力があるのかどうかが、見ただけでわかっちゃう。みたいな感じかな」
男はところどころをぼかすように言いながら、指先で軽く頬をかいた。
「見ただけでわかる?」
この人、ひょっとして。
ある種の期待をほのかに抱いた神楽は、思い切って尋ねてみることにした。
「あの。あなたってまさか」
「ん?」
真顔で聞くにはかなり勇気がいるが、この際仕方がない。
神楽はゴクッと唾を飲み込み、じっと男の顔を眺める。
「いや、そんなに見つめられても……さっきも言ったけど、僕にはお嫁さんが」
「あの!」
「はい?」
「あなたって……その。本物の、霊媒師か何かなんでしょうか」
「え、ああ。そういうこと?」
男は一瞬眉をひそめてから、納得するように何度か首を縦に振った。
「あの、違うんですか?」
できるなら、なるべく早く返答してほしい。
気力を振り絞ってどうにか口に出した質問だっただけに、神楽の精神は既にだいぶ疲弊してしまっていた。
初対面の人間に対し「あなたは霊媒師ですか?」と尋ねるなんて、下手をすればイタい子だと思われかねない。いや、むしろ思われて当然である。どうせ心にダメージを受けるのであれば、さっさと傷を負った方がいくらかマシなのだが……。
「いや、まあ、僕はね。その、何かの方なんだけれども」
「やっぱりそうでしたか」
神楽は男からダメージを受けない方の返答をもらうなり、安堵の表情を浮かべた。
男が何だかすごい力をお持ちの方であることがわかったのはもちろんであるが、自分が残念な子であると思われずに済んだことが何よりも嬉しかったのだった。
「で、霊媒師さんが私に何か御用ですか? 私、特に何も悪いことはしてませんけど」
「いや、別に君をしょっぴくために声をかけたんじゃないから。というか、その逆? 日頃の君の活躍を聞いて『あ、いいなー』なーんて思って、じゃあそんな君を適材適所な場所にご案内してみちゃおうって考えたりしちゃったわけで」
「適材適所?」
先程からの話から察するに、まさか。
「もしかして、私をスカウトしに来たってことでしょうか。幽霊が関わる仕事にでも」
「まあ、大体そうなるのかな。でも、君を雇うことになるのは僕じゃないんだよね」
「はあ……?」
何だかよくわからないが、微妙にややこしい話のような。
神楽は若干混乱し始めているのだが、男は変わらずマイペースに話を続ける。
「あ、もし話が丸く収まった場合に誰が君を雇うことになるかと言いますと、それは僕の息子ってことになるんだ。僕に似てイケメンで優秀だから、気に入ってもらえると思うんだけどなあ」
この人、息子を褒めるフリをして自分のことを褒めちぎっちゃってるよ。
趣旨からずれた部分が気になった神楽であるが、面倒なことになりそうなのであえてツッコまなかった。
「さらに大事なところを説明させていただくと、うちは代々で家業的なことをやっていてね。僕は先代なんだ。実は今、うちは深刻な人材不足に陥っちゃっててさあ。僕は引退した身だけど、少しでも貢献しようと思って人材を確保しに町へと繰り出してるってわけ」
だからって、そんな不審者と間違われそうな格好でスカウト活動をやらなくても。
今までどうにか意識しないように心掛けていた神楽であるが、どうしても男の山伏衣装に目が行ってしまう。道行く人達も相変わらず「これには関わらないでおこう」という顔を貫いていて、一緒にいる身としてはとても恥ずかしい。
「君には幽霊が見えるんだし、うちの仕事が向いてると思うんだよ。悪い話じゃないよね? 息子に会うだけ会ってみない?」
「そう言われましても……」
もう幽霊なんかとは関わりたくない。そう考えた直後に、まさかこんな誘いが来るとは。
……幽霊さえ、見えなければ。胸によぎった苦い思いが、じわりと胸をよぎる。
「あまり乗り気じゃなさそうだね。でも、君って確か就職先が決まらなくて困ってるんじゃなかったっけ」
「!」
どうしてそんなことまで。霊能力というものには、人の諸事情を読み取る力まであるというのか。
神楽は驚きのあまり、目を見開いて数歩後ずさりした。
「あの、そんなに恐がらなくても。これ、単純にあるルートから仕入れた情報ってだけだし」
「あるルート?」
「どこから手に入れたのかをぶっちゃけちゃいますと、お友達から聞いちゃったんだよね。こっち系の」
男は、胸の前で両手をダラリと下げる。
もしや、幽霊と交友関係まで築いているというのだろうか。
「君のお陰で、何人もの幽霊が成仏できたんだってね。みんな感謝していたよ」
「え?」
身に覚えのない話に対し、神楽は首をかしげた。
確かに、本日復讐劇に付き合った幽霊は満足そうに成仏していったが、その他は心当たりがない。一体、どういうことなのだろうか。
「あの、人違いじゃ」
「いや、間違いなく君の話だよ。色々な幽霊の話に耳を傾けてあげたり、何だかんだ言いながらも色々協力してあげたりしたことはなかったかい? 幽霊って意思疎通ができる相手がすごく限定されてるから、寂しがってる奴が多いんだよね。話を聞いてもらっただけで、案外すぐに気が晴れたりなんかしちゃったりして」
「あ……」
そういえば、企業説明会でであった壮年男性の霊は話を真に受けて会場を去った自分の姿を見て[よかった。一人だけでも、うちの企業の魔の手から救えた]と呟いて成仏し、おばちゃん幽霊集団は話すだけ話した後[おしゃべり聞いてくれてありがとね~]と言い残してから、まるで社員旅行にでも行くようなテンションで成仏していった。他にも、ちらほらと思い当たる節が……。
考え込む神楽を前にして、男はニコッと微笑んだ。
「僕は本当に向いてると思うんだけどな、うちの仕事。でも、どうするのかを決めるのは君だよ。ちょっぴりでも興味が湧いたんだったらついてきて。僕の息子が頑張ってる店……『霊能堂』は、ここからすぐのところにあるから」
そして、神楽にくるりと背を向けると、そのまま足早に歩き始めてしまった。
「あ、ま、待って下さい!」
幽霊とは関わりたくない。
そう考えていたはずなのに、神楽は意識しないうちに前を行く山伏衣装の背中を必死に追いかけていた。
何故、素性も知らない男を追わずにいられなかったのかはわからない。だが、この時点ではどうしても彼についていかなければならない気がしていたことだけは紛れもない事実であった。