(9)
勇が一同の元に戻ってきたのは、数分後であった。
うつむく彼のその目に生気の類は宿っておらず、何の感情も読み取ることができない。尋常ならざる様子であるのは一目瞭然であった。
[リョーヤ? もしかして、リョーヤなの?]
女は半信半疑といった様子で、おそるおそる声をかける。するとその途端、勇は顔を上げて決して普段は見せることのないキザったらしい笑みを浮かべた。
「君かい? 僕をここに呼んでくれたかわいい子猫ちゃんは」
甘いトーンで囁きながら、ふわりと前髪をかき上げてキラキラとした眼差しを注ぐ。それは紛れもなく、普段の無愛想な勇からは想像がつかない姿であった。
「これが……柴谷リョーヤ?」
神楽が寒気を覚えるのとは裏腹に、熱を上げまくる人物が一人。その人物とはもちろん、彼の熱烈なファンであるあのお方である。
[キャアァアァアァアァー! リョーヤアァアァアァアァー!]
女は悲鳴とも絶叫ともとれそうな程の歓喜の声を上げたかと思うと、興奮の果てに今にも大好きなアイドルに襲いかからんとする勢いで勇に飛びかかった。
しかし、霊体である彼女が霊力を行使せず肉体に触れようとしたところでどうにかなるわけなどなく、そのまますり抜けて顔面に床を強打してしまった。
[うっうっ……せっかく会えたのに、こんな恥ずかしいところ見せちゃうなんてぇ……]
「ははっ。そんなに慌てなくたって、僕はここから逃げたりしないよ。僕をこんなにも愛してくれているビーナスがこんなに近くにいるっていうのに、どうしてここから離れる必要があるんだい?」
[リョ、リョーヤ……]
床に転がって今にも泣きじゃくりそうな女に向かい、勇は歯が浮くどころか根元から引き抜けて口からボロボロとこぼれ落ちそうなレベルの臭い台詞をいともたやすく吐いて見せた。
「…………さ、寒い」
女は幸福の絶頂に浸っているようであるが、神楽は勇の数々の所業に耐え切れず、遂にガタガタと身を震わせ始めていた。
あれは勇の中に宿っている生霊がやっている。あれは勇の中に宿っている生霊がやっている……。
しつこく言い聞かせるよう努力するが、何度頑張ってみたところでやはり凍え死にそうだ。
[ふーん……やるじゃないか]
幸徳はというと、妙にニヤニヤしながら息子の働きぶりを観察している。その真意は定かでないが、どこか楽しげに見えるのは目の錯覚だろうか。
[あああ……こ、こんな日が来るなんて、夢にも思わなかったわ]
女はハアハアと息を切らし、ソロソロと勇の元へと近寄っていく。そして、すがるようにしてこう訴えかけた。
[お、お願い。あたし、あなたのデビューシングル『ペーパーラブ』が特に好きなの。それを、それを聞かせて……]
「え?」
これを聞いた瞬間、勇はほんの一瞬だけ眉をひそめて見慣れたものに近い表情をちらつかせたが、すぐに柔らかな眩しい笑みに戻る。
「あ、ああ。『ペーパーラブ』ね。リクエストなんてされたら、答えないわけにはいかないな。本当の僕の声で聞かせてあげられないのは残念だけど……さ、こっちへおいで」
[は、はい……]
勇が両腕を広げると、女は吸い寄せられるようにして更に距離を詰めていく。そして、すり抜けるかすり抜けないかギリギリの位置まで接近すると、勇は彼女を抱きしめるようなポーズをとって軽く歌い始めた。
「大好きだとか、愛してるとか、紙っぺらみたいな薄い言葉しか重ねられない僕だけど、君への愛の厚みは募るばかりさ。二人で共に折り重ねて行こうか、たった一つのペーパーラブ♪」
殺される。このままだと、凍死させられてしまう。
神楽の全身の筋肉は順調に硬直していくばかりだったが、当の幽霊は至極ご満悦といった様子だ。
[し、幸せ。彼の胸に抱かれて、歌まで聞かせてもらえて……もう、天にも昇るこ・こ・ち♡]
そう口走ったかと思えば、霊体はたちまち淡く輝く金色の光に包まれていき、段々と姿が薄れていく。そして、自らが発した言葉の通り、天へと昇って行ってしまった。
「成仏……した?」
あっさりとし過ぎた幕引きに、神楽はきょとんとして何度もまばたきを繰り返す。ただ内心、これ以上キザな勇を見せつけられる必要がなくなった分ホッとしたという思いもそれなりにあった。
「……うん。成仏した、のね。い、勇さん。そろそろ憑依を解いても……」
早く、この耐えがたい寒気を何とかしたい。
いつもの彼に戻ってもらおうと、さりげなく声をかけてみたその瞬間だった。
「うげえぇえぇっ! さ、最悪だぁ!」
「⁉」
突然、勇は目をカッと見開いて絶叫すると、身悶えして凄絶にえずき始めた。
想定していなかった展開に、神楽は当然取り乱しパニックに陥った。
「ど、どうしたんですか、勇さん! まさか、身体の中で生霊が暴れて……こ、幸徳さん」
[大丈夫だよ、そんなに慌てなくたってさあ]
息子が悶え苦しむ中、幸徳は特に何をするわけでもなくのほほんとしてポリポリと頭をかく。
「どうしてそんなにのんびりしていられるんですか! だ、だって勇さん」
[神楽ちゃん。さっきのあれ、全部演技]
「あ、そっか。全部演技なんだったら、そもそも身体に生霊なんて……って、えええ⁉」
演技⁉ そもそも、生霊の憑依そのものを行っていなかったというのか⁉
ここでまさかの爆弾投下に、神楽のパニックはますます悪化した。
「え、演技だなんてそんなっ……だ、だって、表情も仕草もまるで別人っ……は、俳優なんかでもないのに、あ、あんな」
[そんなこと言われたって。僕だって、あそこまでやり切るだなんて思わなかったし。まあ、遥が柴谷リョーヤのファンだったのが幸を成したって感じかな。家ではいつもCD三昧だし、録画した番組は何百回も見直してるし。それが嫌でも目について、キャラの完コピに役だったんだろうなあ。うんうん。にしても、あれは凄まじい怪演だったね。生身の身体だったら吐いてたかも]
「無茶振りしておいて、滅茶苦茶なこと言ってくれてんじゃねえよ!」
日頃から白い顔をますます青ざめさせている勇は、噛みつくような勢いで怒鳴り散らす。その目にはうっすらと涙が浮かんでおり、父の入れ知恵に乗ったことを深く後悔しているのが見え見えであった。
[でも、ナイスアイデアに変わりはなかったでしょ? 好きなアイドルと話せたって思い込むことによって彼女も無事に成仏できて、無理に生霊を口寄せして霊魂の持ち主を傷つけることもなかったわけだし]
「あんたの息子のメンタルは、滅多打ちにされて傷だらけだけどな。お陰であんなもの演じさせられて、恥ずかし過ぎて死にそうだ」
[ん? ならこのまま、二人で一緒に天国へゴーするかい?]
「一人で勝手に地獄に堕ちてろ、馬鹿親父」
[んもう、勇ってば。愛のムチが強過ぎるってえ]
幸徳はしょんぼりとして肩をすくめると、残念そうに口を尖らせた。
[愛情の裏返しだっていうのはわかってるけど、流石に今のは堪えたなあ。ま、地獄にも天国にも行かないけど、そろそろお暇しようかな。じゃーねー]
しかし、気を落としていたのも束の間。息子の暴言をさらりと受け流すと、空気に溶けるようにして姿をくらましてしまった。どこまでもマイペースというか、ひょうひょうとした人である。
「はあ……気分悪い。いくら幽霊を成仏させるためとはいえ、あんな……うっ!」
自身の演技にすっかり毒されてしまったらしい勇は、口元を手で押さえてもう一発えずく。
心配になった神楽は、彼に歩み寄って優しく背中をさすった。
「疲れもあるでしょうし、寝た方がいいんじゃないですか?」
「……言われなくてもそうする。色々限界だしな」
「そうですよ。ご自分の部屋に戻っ……て?」
勇は一歩、二歩と神楽の元から離れたかと思うと、そのまま神楽が使っていたベッドにもそもそと潜り込んでしまった。そして。
「ZZZ……」
そのまま寝息を立て、ぐうぐうと眠りこけてしまった。
「い、勇さん! そこは私のベッドです! 勇さんの部屋は隣の部屋の、更に隣の部屋ですよ! 自分の部屋に戻って寝てくれないと困ります!」
「ZZZ……」
何度も声をかけたり揺すったりしてみても、起きてくれる気配は全くない。
しーんと静まり返った室内に響くのは、類まれなるずぶとい神経を持つ兄妹の寝息ばかりだ。
「勇さんってば、本当に疲れてたんだ……」
勇は固く目を閉じたまま、泥のように眠り続けている。幽霊退治というものは、とことん体力を消耗する仕事であるらしい。
「こんなになるまで頑張るなんて……」
彼は人当たりは良い方ではなく、どこかぶっきら棒で冷たい印象を受けることも多々あるが、過酷な生業にたった一人で向き合っている。そして不器用ながらも、依頼人だけでなく幽霊のことをも思い常に最善策を取ろうと懸命に動いているのだろう。そうでなければ、志半ばで死んだ芸人にとって最後の客になろうとするわけがないし、今回の件に関してはなおのこと。父の入れ知恵とはいえ、後々自身が悶え苦しむ結果となる行為に手を染めるなんて普通は考えられない。
まだ数日しか勇と時間を共有してはいないが、彼の中で霊能堂での仕事に対する思いが相当なものであるということだけは何となく理解できた気がした。
「ふわあ……ふう」
大きな欠伸が一つ込み上げてくるのと同時に、どっと睡魔が押し寄せてくる。ふと時計を見ると、針は隣の部屋から騒音が響いてきた時からずいぶんと先に進んでしまっていた。
「もうこんな時間……私も寝たい、けど」
確かに、問題の幽霊は成仏した。このホテルには、平穏な日々が戻るだろう。しかし神楽にとっては、まだ全てが解決したというわけではなかった。
「私、どこで寝たらいいの……?」
この部屋にあるベッドはシングルのものが二つ。一つは遥が大の字になって寝ており、なおかつ頻繁に寝返りを打ちまくっているため付け入る隙がない。もう一つは勇に乗っ取られてしまっているわけだが、彼の横に潜り込むなどもってのほか。一応、勇の部屋のベッドは空いているだろうが、そもそも部屋の鍵を所有しているのはグースカ眠りこけている彼であるわけで……。
「お願いです! 勇さん、お願いですから自分の部屋に戻って下さい! 自分の部屋に戻って、自分のベッドで寝て下さい!」
「ZZZ……」
勇の懐をまさぐる勇気が湧かない神楽は、再び彼を夢から現実へと引き戻すべくペチペチと布団を叩きまくる。何とも情けない音が、部屋中にむなしく鳴り渡った。
「勇さん! 聞こえてますか? 勇さんってば!」
「ZZZ……」
「勇さーん!」
「……は? すだちとかぼすの違い? 農家にでも尋ねたらどうだ……ZZZ……」
「そんなこと聞いてません!」
そうこうしているうちに、朝日が昇り新たな一日の始まりが告げられる。
使命を終えてホテルから去っていくオンボロ車の運転席に神楽の姿がなかったのは、この場で語るまでもない話であった。
更新は相変わらず不定期になりますが、次からは第三話に入ります。




