(7)
[あたしはね、あの四〇三号室を守りたかったの。汚されたくなかったの]
「汚されるって、誰に」
首をかしげる霊媒師を前に、女は「は? この人何ほざいてるの?」とでも言いたそうな様子で大きく目を見開いた。
[誰って、あの部屋に入ってくる奴ら全員からよ。……ま、まさかあんた、知らないの? 一カ月ちょっと前まで、あの部屋に誰が泊まっていたのか]
「は?」
勇は眉間にしわを作りながら神楽に「わかるか?」と尋ねたが、さっぱり見当がつかないので首を何度も横に振る。
幽霊は怒りやら呆れやらが入り混じったのだろうか。やけに興奮しながら、さらに続けた。
[嘘でしょ? この情報社会の世の中で、これを知らない人がいるなんて信じられないわ。いい? 聞いて驚かないでよ。このホテルの四〇三号室にはね、なんと、あの柴谷リョーヤが何日も滞在していたのよ!]
「……」
あのって、どの? そもそも、柴谷リョーヤって誰? 名前は聞いたことがあるような気がするが、一体どこで耳にしたのか……。
「あっ」
そうだ。確か遥が、スーパー何とかだとか言っていた、アイドルのことだ。
神楽は必死に思い出している間にも、女は怒涛の勢いでまくし立てる。
[あそこはね、柴谷リョーヤが泊まっていた部屋なのよ? それが、たかが一般人の空気に汚染されていくのがどうしても許せなかったわけ。特に、彼が身を委ねたベッドなんて……。ああ、せっかくのリョーヤのぬくもりがかき消されていくなんて。耐えられないわ!]
「…………」
この世に固執する理由が、ここまでくだらないものだったなんて。
もはやツッコミどころしかない彼女の発言に、神楽は辟易した。
その発想は、小学生が好きな子の席にこっそり座って満足することに似て非なるものであり、同レベルまたはそれ以下。しかも、それを独占したいとは、ストーカー気質も甚だしいというか……。
[本当はリョーヤの守護霊になりたいなー……なんて思ってたんだけど、彼はプライベートをひた隠しにしていて流石に無理だったし、あたし昼間は外を出歩けないタイプだから追っかけることもできなくて、仕方なくここで妥協したのよね。それにしても、ラッキーだったわ。単なる浮遊霊としてさまよってる時に、偶然見かけたおっさんが開いてたスマホのサイトに、リョーヤがここに泊まったって情報が垂れ込まれていたんだもの。これはもう、運命よねー]
彼女の考えにも問題はあるが、誰がいつ、どこで、どのホテルに泊まったのかという情報が平気で流出される社会もいかがなものか。
[ま、最初は事故でポックリ逝って失望してたんだけど、そんなこんなで現世を満喫させていただいてたわ。少しでも、リョーヤにお近づきになれたって感じで。ああ、リョーヤ……]
一通り語り倒したかと思うと、女はうっとりとした表情で自分の世界に入り込んでしまった。
勇はそれを、呆れ果てながら鋭い目つきで凝視する。
「そんなに幸せを感じているなら、もう未練もへったくれもないだろ」
[あら、何を言ってるの。あたしはずっと、リョーヤのぬくもりを感じながら時を過ごしていたいのよ。だから、成仏なんてしたくないわけ]
「つまり、どう転んでも自分から成仏する気はないってわけか。なら、仕方ないか……」
勇は錫杖の先端に手をかざすと、何やらブツブツ唱え始めた。
幽霊はそれを目にするなり、再び「ひいっ!」と腰を抜かす。
「勇さん!」
神楽が声を張り上げると、ブツブツと唱えられていたものがピタリと止まった。
その代わり、勇の仏頂面が瞬く間にこちらへ向けられるはめとなった。
「なら、俺にどうしろって言うんだ。話を聞いてりゃ、悪質なストーカー以外の何者でもない。多少のことなら気持ちを汲み取ってやれないこともないが、こればかりは救いようがない」
「う……」
見事なまでの正論を前にして、神楽はうつむいて口ごもってしまった。
そんな時、目を伏せていた幽霊がポツリと言葉を漏らした。
[リョーヤと、話してみたかったな]
悲しげな声に反応し、二人は顔を向ける。
彼女の呟きは、語調を強めながら少しずつ継がれていった。
[そうね。彼と話ができるなら、成仏してあげてもいいわね。彼のぬくもりの余韻に浸るよりは、そっちの方が価値があるだろうし。そうよ、そうだわ。リョーヤに会う。それがあたしの未練を晴らす唯一の方法に違いないわ! きっとそうに]
「いい加減にしろ、ストーカー」
[ひっ!]
勇がスッと錫杖を突きつけると、女は血相を変えて飛び上がった。
神楽はとりあえず何とかしようと、「お、落ち着いて、勇さん」と困り果てながらもなだめる。
「だから、俺にどうしろって言うんだ。こんな無理難題を吹っかけられて、除霊もせずに好きなようにしとけとでも言うのか」
怒れる霊媒師の額には、うっすらと青筋が浮いている。どうやら、我がまま放題の幽霊の言い分のせいで、機嫌の悪さが頂点に達してしまったらしい。
「それは駄目だと思いますけど、だからって無理矢理成仏させるっていうのも」
「なら、対処法はあるのか」
「え?」
神楽は戸惑いながら、きょとんと目を丸くする。
勇はそれを気にも留めず、冷徹な口調で続けた。
「ストーカーの片棒を担いでアイドルの家までこいつを送るわけにもいかないし、このまま放置しておくわけにもいかない。だが、それ以外に何ができる? 他に思いつくことはあるのか?」
「そ、それは」
「これはあくまでも商売なんだ。依頼を受けた以上、幽霊は祓わないといけない。事情がどうであれ、こいつが生きている人間に危害を加えているのも事実なんだ。多少気は引けるが、無理にでも成仏させなきゃならない時もあるんだよ」
「そ、それは……」
勇の言葉は至極真っ当。現に女は何人もの人間に害を与え、成仏の依頼まで出されている。しかし、生きている人間だけが快適に暮らすことができればいいのだろうか。既に命を失っている幽霊は、救わなくてもいいというのだろうか……。
何とかしてやりたい気持ちは山々であったが、神楽の頭には名案のめの字も思い浮かびそうになかった。
「そんな……でも……」
[うーん。こんな時、一体どうすればいいだろうね?]
「……私には、どうしたらいいのか。全く見当もつかなくて」
[そりゃあ悩んじゃうよねー。だって、下手なとんちよりも絶対難しいもの。一休さんもお手上げかなあ?]
「確かにこれは、一休さんでも……あれ?」
ちょっと待て。何か自然な流れみたいな感じで話していたが、今自分は誰と会話をしていたのだ。
違和感に気づいた神楽は、ようやく顔を声のした方へと向けた。
[あ、やっと目が合ったね]
「きゃーっ!」
その先に立っていたのは、ニコニコしながら小さく挙手をする幸徳であった。
あまりにも不意打ちじみた出現に、神楽はつい悲鳴を上げてしまう。
[ありゃ。本日二度目の登場だっていうのに、そんなに驚くなんて。あ、でも、時間としてはもう日にちをまたいでいるわけだから、厳密に言うと今日現れた回数自体は一回目ってことになるのかな? いやあ、言葉って難しいねー]
このお方のマイペースっぷりは、所構わず健在。場の空気を完全に無視した発言を繰り出すが、無論笑っているのは本人だけだったりする。
「親父。何しに出てきやがった」
勇のただでさえ鋭い声のトーンに、ますます磨きがかかっている。杖先の向きも、いつの間にか怯える女から幸徳へと変わっていた。
[うわ、相変わらず勇は恐いなあ。お願いだから、もう袈裟を焦がしたりしないでよ? 修復するの、結構大変なんだから]
幸徳の言うように、夕方に電流状の霊力を浴びて焦げてしまっていたはずの部分はすっかり元通りになっている。霊の身体というものは、一体どのようなメカニズムとなっているのやら。
「あんたが大変だろうが、そうでなかろうが、はっきり言ってどうでもいい。それより、質問に答えろ」
[その仏頂面、誰に似たんだろうね? 僕もママも、マイルドな性格なはずなのになあ……。ねえ、一回明るく笑ってみなよ。スマイル、スマイル]
「スマイル? そんなもの、生まれた時から品切れだ」
[おおっ、うまいこと言うじゃないの! 流石僕の]
「さっきから、似てるとか似てないとか忙しい人だな。それに、アホなことばかり言いやがって。あんたは俺と、漫才をするためにここに来たのか」
[漫才かあ。勇とだったら、親子漫才ってことになるのかな? 親子漫才。うん、いい響きだね。もし副業として取り組んでたら、いい線いってたかもね……って、あーっ! これでまた、死ぬ前にやり残したこと増えちゃったじゃないか。いやあ、我ながら現世に未練タラタラだね。あっはっは!]
「…………」
どこをどうやれば、すっかり出来上がっていたはずの空気をここまでぶち壊すことができるのだろう。
勇と幸徳の掛け合いを前にして、神楽は面食らったまま固まっていた。
[お願いだから、あたしを無視しないで欲しいんだけど]
それは先程まで事の中心となっていた人物でいながら、今では相手にされることなく放って置かれている女もまた同様なのであった。




