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霊能堂の幽鬱な就労記  作者: 山田結貴
第二話 高級ホテル・深夜の怪
13/16

(6)

 階段を駆け上がった勇と、エレベーターに乗った神楽が四階に着いたのは、なんとほぼ同時だった。

「勇さん。大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」

「……気にしなくていい。ただ、霊力を使い過ぎたのが響いているだけで」

 霊力の乱用が身体に負荷をかけてしまうことは、今までの言動により重々承知している。だが、果たしてその弱々しい足取りの要因はそれだけだろうか。

 気になりはしたものの、わざわざここでツッコミを入れるのは野暮であると判断し、あえて何も言わないことにした。

「それより、急いだ方がいいんじゃ。あの幽霊、遥ちゃんのこと」

「ああ。遥なら、絶対大丈夫だと思う」

「え?」

 これが、妹が悪霊に襲われているかもしれない人の落ち着き方だろうか。事情はわからないが、「大丈夫」という語を度々挟んでいるところから察するに、妙に無事を確信しているようだが。

 神楽の頭上から疑問符が取れないうちに、二人は四〇二号室の前に着いた。

「遥ちゃん!」

 ドアを開けると、その先には予想通りの光景があった。

[あんた達、来るの遅過ぎない? この子がどうなってもいいってわけ?]

 悪霊と称された幽霊は、ベッドですやすやと寝息を立てている遥の首元に手を当てていた。

 その顔には、勝ち誇ったような笑みをべったりと貼りつかせている。

[あたしを成仏させようったって無駄よ。さ、早くあきらめて帰るって言いなさい。さもないと、あんたの妹を殺すわよ]

 これまで自分が見てきた幽霊と、何かが違う。

 神楽は下劣極まりない手段を取ろうとする幽霊と対峙しながら、肌に伝わってくるピリピリとした感覚に戸惑っていた。

 目の前の女は、姿こそ人間と変わらないように目に映っているが、どこか重苦しい気をまとっているように思えてならない。テレビなどに出ているスピリチュアルな方々のように、それが直接見えているわけではないが。

 思わず顔をそむけたくなるほどの、悪意や禍々しさを霊体からにじませる存在。それが、生者に仇をなす悪霊というものなのだろうか。

[さあ、どうするの。あたしを見逃す気になった? それとも……この子を見殺しにするの?]

 女の手は、今にも遥の首を絞め上げようとしている。こちらの返答によっては、それはすぐ実行に移されるだろう。

「い、勇さん……」

 神楽は判断を委ねるように、勇を見る。

 しかし、そこにあったのは冷徹な無表情であり、動揺の影すら差し込んでいない。その姿は、とても肉親を人質にとられている兄のものとは思えなかった。

「ど、どうするんですか。このままだと、遥ちゃんが」

「無駄だと思うけど」

「はい?」

 神楽の問いかけの途中、勇は言葉を遮って幽霊に言い放った。

[何が無駄だっていうのよ]

「あんたがやってるその行為が、だ。あんた如きが、遥に触れられるわけがない。指一本すら」

[はあ? あたしがただの浮遊霊だと思ってなめてるんでしょ。だけど、お生憎様。あたしは、そこらの雑魚とは格が違うのよ。あんたほどの霊媒師だったら、わかると思ったんだけどね]

「もちろん、わかってる。あんたが着実に悪霊化して、身も心も醜い存在に成り下がり始めていることくらいな。俺の言葉が信じられないなら、あんたのその汚らしい手で妹に触れられるかやってみろよ」

[あ、あたしの手が汚い……ですって!]

 面と向かって罵倒されたことで冷静さを失った女は、その言葉を鵜呑みにして眉を上げる。そして、顔に筋肉を震わせながら不自然に口角を上げた。

[そ、そう。そこまで言うなら、やってやろうじゃないの。お望み通り、あんたのかわいい妹を取り殺してやるわ!]

「や、やめて……きゃっ!」

 神楽は暴走する幽霊を止めようとベッドに駆け寄ろうとしたが、勇に腕を掴まれて強引に制された。

 その真意が読み取れず、つい目をつり上げてしまう。

「ど、どうして止めるんですか! このままだと、遥ちゃんが」

「ん」

「んって言われても……あれ?」

 これは、一体どういうことだ。

 神楽は困惑しながらも、勇の過剰なまでの自信の意味を薄々ながら悟った。

[な、何なのこれ。どうなってるの!]

 幽霊の悪意ある手は、遥の細い首を何度も何度もすり抜ける。力を懸命に込めてみたり、全力で踏ん張ったりしているが、状況は一向に変わらない。

[嘘でしょ? あたしほどの霊力があったら、人間を絞め殺すことくらい……このっ! このっ!]

 首絞めをあきらめたかと思いきや、次は体当たり。その次は空手チョップ。そのまた次はくすぐり攻撃と、あらゆる手段を試みる。だが、ベッドこそギシギシ揺れるものの、遥はどれもこれも全く受けつけず「塩ソルトって、塩に塩をかけた料理なんですか? 斬新ですねえ……」などと、凡人には理解不能な寝言を幸せそうに呟いている。

「勇さん。これ、どういうことですか?」

 幽霊が必死に遥の耳へ息を吹きかける中、神楽は目を丸くしながら尋ねた。

「遥には、一般人に備わっている程度の霊感すら宿っていない。そのせいか、昔から霊が引き起こすあらゆる現象や、干渉とかを一切受けつけないんだ。例えとしては微妙かもしれないが、霊感が強い俺と真逆の力を持ってるといったところか。本人は不本意だろうが、あいつにとっては見えないものは存在していないのと同じなんだよ」

 霊感のなさ、ここに極まれり。これはもしや、霊能力を持っている人よりもある意味すごいのでは……。

 神楽は衝撃の事実に対し、何度もまばたきを繰り返すばかりであった。

「ま、流石に物を投げつけられたりしたらまずいだろうけど。でも、あいつは感情的で気づかなそうだから、あえて挑発したんだよ。まさか、ここまでうまくいくとは思わなかったが」

 勇が小声で付け足した直後、幽霊はとうとう疲れ果て、大きく息を切らした。

[はあはあ……。し、信じられない。ありえない。考えられない……]

「いい加減、満足したか?」

[ひいっ!]

 のど元に錫杖を突きつけられた幽霊は、ビクッと身体を震わせた。

[やっぱり、あたしを成仏させる気なのね?]

「当然だ。自覚はないかもしれないが、あんたからは負のオーラが漂い始めている。完全に、悪霊になるのも時間の問題だ。そうなる前に、成仏してもらわないと厄介なことになる」

 杖の先には、徐々に青白い光が集まり始めている。

 女はそれに対し、異様なまでに怯えているようだった。

「あの。その幽霊さん、無理矢理成仏させる気ですか?」

 見るに見かねた神楽は、勇におそるおそる問いかける。すると、すぐさま無情な答えが返ってきた。

「無理矢理というのは人聞きが悪いが、そういうことになるな」

「この前の芸人さんの時みたいには、いかないですか?」

「は?」

 勇は杖の先に込める力を止めぬまま、軽く首をかしげる。

「どういう意味だ」

「だってこの人、まだ悪霊になったわけじゃないんですよね? 私には幽霊のこととか、よくわからないんですけど。とにかく悪霊ではないなら、無理に成仏させることはないと思うんです」

 神楽はガタガタと震えている幽霊の方に向き直り、口元に笑みを浮かべる。これ以上怯えさせないよう、なるべく穏やかな口調を意識しつつ語りかけた。

「あなたがこの世に残りたがっているのには、未練……いや、何か理由があるんですよね。よければそれを、私達に話してみてはいただけませんか。できる限り、あなたのお力になれるよう協力しますから」

[……幽霊相手に、よくもそんなことが言えるわね]

 心なしか、彼女からにじみ出る禍々しさが和らいだような気がする。少しだけ、心を許し始めたということだろうか。

 神楽がホッとする中、勇は不服そうな面持ちで、床にへたり込んでいる女を見下ろす。

「俺が部屋で事情を聞こうとするなり暴れたくせに、ずいぶん態度が違うんだな」

[あたしがあんたに抵抗したのは、いきなり変な光線をぶっ放されたからよ。攻撃的な相手に、どうやって心を開けっていうのよ]

「あれは念のため動きを……まあいい。改めて聞くが、あんたが何故あの部屋に憑りついていたのか。話してみてくれ」

[全く、お兄さんの方は愛想の欠片もないんだから。よく見たら、なかなかのイケメンなのに。惜しいわねえ]

「そんなことはどうでもいい。時間がもったいないから、早くしてくれ」

[わかったわ。話せばいいんでしょ、話せば]

 幽霊はつーんと顔をそむけ、勇のことを横目で睨む。少し間を置いてから、ようやく事情を説明し始めた。

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