(3)
人が多いところではなかなか口を開こうとしなかったホテルマンであったが、エレベーターに入ったところでふう、と軽く息をつく。
四階のボタンを押したのち、霊能堂一行の方に向き直り、ようやく話を始めた。
「今、我々が向かっているのが、例の案件に関わる部屋でございます」
「部屋とは、客室ですか」
勇が真顔で尋ねると、野口はコクリとうなずいた。
「ええ。一か月ほど前に、お客様からクレームをいただいたのが全ての始まりでした」
ベルが四階に着いたことを告げ、扉がゆっくりと開く。
一同が人気のない廊下に足を踏み入れると、野口は念には念をといった様子で辺りをきょろきょろ見回してから話を再開した。
「実は、四〇三号室に宿泊なさった方の身に様々な現象が振りかかったらしいのです。何でも、部屋から物音がしたり、誰かに見られている感じする……」
「えーっ。惜しい! 四〇四号室だったら、不吉感たっぷりだったのにい。欲を言えば、四四四号室が理想だけど」
「黙れ、オカルトオタクが」
野口の説明を突如遮った戯言を、勇がいつにも増してきつい口調で一蹴する。
遥が「オタクじゃないもん。マニアだもーん!」と頬を膨らませるのを無視しながら、冷徹な兄は仕事に戻った。
「失礼しました。移動しながらでいいので続けて下さい」
「は、はあ。どちらにしても、当ホテルは縁起を考慮して全フロアとも四号室は設けておりませんので……。あ、話の続きでしたね。そのクレームに関しては、言葉は悪いようですが、最初はただの言いがかりだと誰もが考えておりました。しかしそれから、四〇三号室に宿泊された方からのクレームが後を絶たなくなりまして。しかもその内容も、段々と聞き流してはいられないものになっていき……。室内の物品が飛び交ったり、眠っている間、ずっと不気味な声が聞こえ続けていたとか。そしてとうとう、ある従業員がベッドメイキングの際に目にしたというのです。世にも恐ろしい形相を浮かべた、女の幽霊を」
ちょうど四〇三号室に着いた時、野口は口元を微かに震わせながらピタリと足を止めた。
その顔色はどことなく青ざめており、今回の一件が原因で恐怖心を募らせていることを察することは容易だった。
「あの。ひょっとして、その従業員ってあなたのことですか?」
神楽が問うと、野口は小さく首を横に振った。
「いいえ。幽霊を見たのは、私の同僚です。真面目ないい奴だったのですが、幽霊を目にしてから心を病んでしまい、ずっと仕事を休み続けています。幽霊が退治されたと聞けば、すぐに復帰できるとは思うのですが……。私は幽霊を直接目にはしておりません。ですが、彼の衰弱振りを見れば、その幽霊がいかほどに恐ろしかったか見当くらいはつきます」
彼は自身の心にのしかかる恐怖を払拭するように、ぎゅっと目を閉じてからカードキーを懐から取り出し、ロックを外した。
「では、こちらが……幽霊が出るという部屋でございます」
四〇三号室の扉が、とうとう開かれる。
果たして、この先に待ち受けているものは一体何なのか……。
神楽はゴクッと唾を飲み込んでから、さっさと進んでいく勇の後に続いて中に入った。
室内は清楚な洋室となっており、配置されているインテリアはどれも高級感あふれていて美しい。特に、白を基調としたデザインのベッドは、見るだけで最高の眠りを提供してくれそうだと思えるほど立派な代物だ。
「うっわあ、すっごーい! どっかの豪邸みたーい!」
遥は興奮気味に叫ぶと、早速見慣れない景色を落ち着きのない様子で見回す。
「きゃーっ! この部屋いい! 夕焼けがよく見えるーっ!」
窓の方に猛進したかと思うと、今度は沈みかけた太陽に心を奪われキャイキャイとはしゃぐ。一体この子は、何をしにここへ来たのか。
「でも、こんなところに幽霊が? 本当に出るのかしら」
おどろおどろしさどころか、整った内装もあってか安心感すら覚える空間。幽霊が寄りつきそうとは到底考えにくい。
「勇さん。何か感じたりしてますか? 私には、そういった類の能力はないのでちょっと」
神楽が振り向くと、そこには眉間にしわを作りながらベッドの前に佇む勇の姿が。その表情はどこか険しく、何かを睨みつけているようにさえ見える。
「あの。勇さん?」
「ん? ああ。少し考えごとをしてたもんだから」
勇はぶっきら棒に答えると、部屋の隅で棒立ちしたままの野口の方を向く。
「少しよろしいでしょうか」
「は、はい」
「同僚の方が幽霊を見たのは、ベッドメイキングをしている途中だったそうですね」
「そうです。私はそのように、聞かされております」
「幽霊がどの辺りに現れたのかは聞いていませんか」
「あまり詳しくは……。ですが、話によると、ベッドの上に立っていたとは言っていた気が。それと、目を離した隙に窓際へ移動したとも」
「ベッドと窓際か。ん?」
ちらりと窓に目を向けたかと思うと、その途端に勇の顔がみるみる強張っていく。
まさか早くも、幽霊の気配を感じとっているのだろうか。
神楽はすぐさま、その視線の先を追った……が。
「あ……」
なるほど。これが原因で彼の態度が瞬く間に変貌したというわけか。
生じた謎は、想像を絶する早さで解けることとなった。
神楽の目にありありと映し出されたもの、それは。
[勇。元気? 仕事頑張ってる? やっほー]
などと言いながら、満面の笑みを作って全力で手を振る日比野兄弟の父・幸徳だった。相変わらず底抜けに明るく、フレンドリー感満載。これが本当に幽霊なのか。疑わしいことこの上ない。
「ここ、四階なのに……」
足元に床などはないはずなのに、彼はあたかも窓越しに立っているかのような姿勢をとっている。
おそらく肉体を失った御身を活かして宙に浮いているのだろうが、神楽の目には幽霊が普通の人間と同じように映ってしまうため、違和感がどうしても拭えなかった。
[いやあ。この部屋さあ、変な気がビリビリ漂ってるよねー。今はお留守のようだけど、絶対何かいるね。……ありゃ? 何で僕がここにいるのかって聞きたそうにしてるね。では、質問される前にお答えしましょう。実はさあ、君達が霊能堂でうんぬんやってる辺りからずっと近くにいたんだよね。ま、うまいこと姿は消してたんだけど。で、依頼でホテルに行くっていうもんだから、こりゃあ面白そうだなって思っちゃって。で、ちゃっかりついてきたってわけ。気づいてなかった?]
「……」
この場の空気を破壊する勢いでニコニコしながら語りまくる幸徳に対し、勇はそれに反比例するかの如く表情を引きつらせていく。
単純にノリの軽い父の顔を拝みたくなかっただけなのか。それとも、彼の気配を察することができなかったことが霊媒師として悔しいのか。
[いやいや、そんなに恐い顔しなくたって。僕レベルのベテラン幽霊にもなると、霊気を隠すのも達者になっちゃうわけだよ。それに、勇は体力使ってヘロヘロだったわけだし、仕方ないって。そんなにへこむことないさ。全盛期の僕よりは多少劣ってるけど、勇には充分伸び代はあるから。ね、ドンマイ!]
ベテランだか何だか知らないが、今のお言葉は少々まずかったのではないだろうか。
悪意なき挑発にヒヤリとした神楽の予感は、まもなく的中することとなった。
「…………」
勇は無言のまま窓を睨みつけたかと思うと、錫杖を視線の先に向けてスッとかまえた。そして。
「えっ!」
「お兄ちゃん⁉」
「ひいっ!」
[ちょ、うおあっ⁉]
凄まじい轟音とともに杖から青白い電流が走り、真っ直ぐと突き進んでいく。それは遥の横を通りぬけてガラスの壁を貫通し、幸徳に浴びせられた。
[あ、あ、危なっ……不意打ちは反則だって]
咄嗟に身をかわしたこともあって軽く肩をかすめただけで済んだようだが、父の霊は息子の暴挙に呆然とするより他はない。
神楽には幽霊のメカニズムに関する知識がないのでどうしてそうなったのかまでは把握できなかったが、電流状の霊力がかすめた箇所の袈裟が黒く焼け焦げてしまっているのが何とも痛々しいように感じられた。
[ああもう、ひどいって。うわあ、袈裟もこんなことになっちゃって。それに、そこのホテルマンさんもびっくりしちゃってるし。もう一人幽霊を増やす気かい?]
幸徳の言う通り、野口は突然の轟音に腰を抜かして部屋の隅に縮こまり、ガタガタと震えている。彼の心臓がもう少し脆かったら、本当にオダブツしていたかもしれない。
だが、彼はこれでも霊能堂一行の世話を申しつけられた一従業員。ホテルの威信にかけて、職務を全うしようと何とか理性を保ちつつ尋ねる。
「い、一体何なんですか、今のは。いきなり杖からバチバチと。まさか、窓の辺りに何かいたんですか?」
「すみませんね、驚かせてしまって。しかし、凶悪な霊を追い払うためでしたのでお許し下さい。遥、悪いがカーテンを閉めてくれないか」
「え? 夕焼けきれいなのに? それに、幽霊がいるならなおさら」
「どうせ見えない奴がつべこべ言うな」
「ぶうーっ!」
霊感が恐ろしいほどに備わっていない遥は、当然窓にへばりついている父の姿は目視できない。よって、兄からの要求を素直に納得することができなかった。
「いいじゃん、幽霊がそこにいるってだけでウキウキできるんだからさあ。でもさあ、何であたしが閉めなきゃいけないの? 自分でやればいいじゃない」
「どう考えても、お前の方が近いだろうが」
「だけど、人を使うのってあんまり……あ、そっか。そういえばお兄ちゃん、高所恐怖症だっけ? あーそっかそっか」
「四階までは大丈夫だ。もういい、自分でやる」
あなた、高所恐怖症だったのですか。しかも、四階まではセーフとはまた曖昧な。
神楽がどうでもいい情報に翻弄されている間に、勇は若干ためらうような動きをしながら窓に直進し、勢いよくカーテンを閉める。
光が遮断されたことで室内が暗くなったため、野口は電灯のスイッチを反射的に入れた。
[勇ー。まだ明るいんだから、カーテン閉めることないじゃないか。それに僕、全然凶悪じゃないよ? むしろ善良な部類だよ? それに、これじゃあ息子の勇姿も、娘の無邪気な振る舞いも見えないしさあ。開けってたら、ねえ。おーい。さっきのことは微妙に謝るからー]
幸徳の声はいまだに聞こえてくるが、勇は徹底的に無視すると決め込んだらしい。窓に背を向けると、真剣な面持ちを作って仕事の話を再開した。
「この部屋には、間違いなく幽霊がいます。さっきの窓の奴とは別の、質の悪い者が。しかし、今は見当たりません。おそらく、この部屋の幽霊の活動時間は深夜。日のあるうちは霊力の都合で、どこかに潜んでいるのでしょう」
「深夜ですか? 確かに、その時間帯に怪奇現象に遭われた方が多かったはずですが、昼間のうちに遭遇した方も中にはいます。現に、私の同僚は日の沈む前に襲われたと……」
野口は受け答えこそするが、やや伏し目がちになりながら肩をすくめている。部屋に幽霊が居座っていることを霊媒師に断言されたことで、恐怖心が改めて強まってしまったのだろうか。
「ベッドメイキングの途中で襲われた。そうでしたね?」
「はい。そうですが」
「ということは、ベッドが鍵か? この部屋に憑りついてから、霊力が強まっていって与える被害が増えていったのか……?」
勇はブツブツ言いながら、難しい顔でベッドを眺める。だが、これといって変わったところは見受けられなかったらしく、眉間にしわを寄せるばかりだ。
「ねえ、何でこんなピッカピカの部屋に幽霊なんて出るんだろうね? ひょっとして昔、この部屋で何か恐ーいことでもあったのかな?」
悩む兄をよそに、遥はどこか期待に満ちた口調で内心を漏らした。
それを耳にするなり、野口は大げさな素振りで何度も首を横に振る。
「と、とんでもない。この部屋はもちろんですが、当ホテルにはいわくなんてものは一切ございません!」
「ええー? この部屋でニュースになるような事件があったとかは?」
「ございません」
「なら、この土地に建ってた石碑をぶっ壊してホテルを建てたとか?」
「ございません」
「じゃ、あれだ! このホテルの支配人が、恨み買うようなこととかしたんだ! 誰かのお菓子を勝手に食べたがために、その生霊が夜な夜な」
「だから、ないったらないんです!」
ホテルマンの必死な姿を見る限り、そのような事実は本当にないようである。
さんざん問い詰めたかと思うと、当のオカルトマニアは「なーんだ、つまんないの」と口を尖らせてつーんとしてしまった。
「……だから連れてきたくなかったんだ。気分を害したのであれば申し訳ありません。後できつく言っておきますので」
「あ、いえいえ。お気になさらず」
奔放な妹への怒りをにじませ始めた勇に、野口はなだめるような口振りで返す。ここで兄妹喧嘩が勃発しても面倒なので、この処置は非常にありがたい。
「そうですか。では、話を元に戻します。本当なら今すぐにでもホテル内を捜索し、幽霊討伐を行いたいところですが、流石に都合が悪いですよね」
「ええ。先程お話したように、他のお客様によからぬ噂を聞かれるのは当ホテルの損害につながりかねませんから。何とか四階だけは封鎖しましたが、他のフロアに潜んでいる可能性も否定できませんし……。できれば、お客様が寝静まった深夜に討伐を実行していただければ幸いです。報酬の一部として、本日は皆様方のお部屋をご用意しておりますので、そちらの方で夜までお待ちいただければ」
「は? 部屋を用意した?」
途中までスムーズだった会話の流れが、勇の一声で制止させられる。
野口はその様子に少々戸惑いながらも、さらに続けた。
「あの、電話でお話したはずですが。討伐は深夜に決行していただきたいので、本来の報酬の他に、無料で我がホテルの客室を提供しますと。まあ、今日は他のフロアが全て満室だったので、用意できたのは封鎖している四階のお部屋のみでしたが……。ですが、その代わりに入浴施設や夕食のバイキング。ルームサービスやその他全ての設備を無料でご利用できるように手配してあります。もしかして、御存知なかったのですか?」
「ええ。ちっとも聞いた覚えがありません。なあ、遥?」
勇は殺気に似た威圧感を身にまといながら、口笛を吹いてごまかす妹を睨みつける。
何を隠そう、今回依頼の電話を受けたのは霊能堂の主人ではなく、霊媒師でも何でもない遥なのだ。
「だ、だって報酬について正直に話したらお兄ちゃん、絶対『深夜にホテルに向かうから、部屋や施設は使わない。その分、現金で支払う報酬の方を増やしてくれ』とか言うんだろうなーって思ったんだもん」
「言うに決まってるだろ。霊能堂がどれだけカツカツなのか、お前だってよくわかってるくせに」
「カツカツだからこそ、こういったところにお泊りするような、たまの贅沢に憧れちゃうんじゃない。お兄ちゃんは高級ディナーとか、そういうのには興味ないの?」
「俺にとっては、目先の高級ディナーなんかより、三日後に食えるパンを確保できるかどうかの方が大事なんだよ!」
目の前のディナーより、三日後のパン。霊能堂って、そんな迷言が思わず飛び出すほど困窮しているのですか。
一応バイトの身分ではあるものの、勤め先の危機を目の当たりにした神楽は一抹の不安を覚えてしまった。
「あ、あのー……」
すっかり空気から取りこぼされてしまったホテルマンは、オロオロしながら弱々しい声を発する。だが、その程度の声量で二人の耳に届くはずがない。
「す、すみません。皆様に使用していただくお部屋の鍵をお渡ししたいのですが。この部屋の両隣の四〇二号室と四〇五号室のカードキーなんですけど……」
「すみません。私が代わりに受け取っておきますので」
見かねた神楽は前に進み出て、申し訳なさそうにしながら手を伸ばす。
野口は安堵の表情を浮かべると、ホッと息をついた。
「そ、そうですか。ではこれを。あなた方のことは、従業員全員が存じております。この鍵を見せるだけで、全てのサービスが無料になりますので。では、私はこれで。討伐の方、よろしくお願い致します」
そして、さっさとカードキーを手渡すと、そそくさと部屋から逃げ出してしまった。
この四〇三号室に潜む霊が恐ろしくして仕方がなかったのか。それとも、単にこのような非現実的な事象に関わる輩と長く関わっていたくなかったのか。その真意は定かでないが、ただ一つ断言できるのは、彼が相当損な役割を背負わされていたということくらいだろうか……。




