(1)
「まずは、あなたが人より優れているとアピールできるところを教えて下さい」
「人より優れているところ……ですか」
とある企業の面接室にて、琴吹神楽はイスに腰掛けたまま口をもごもごさせていた。
現在、神楽は男性面接官を前にして採用面接を受けているところなのだが、その姿はとても「私を雇って下さい!」という意欲に満ちているはずの就活生とは思えないものだった。
「どうかしましたか。どこか、体調でも」
「い、いえ。別に。そんな」
神楽は小さく首を横に振ってから、胸にそっと手を当てた。
うつむき気味だった顔を上げ、どこかおどおどとしながらも面接官の目を見据える。
「私の優れているところは、その。何て言ったらいいのか……。とにかく、人より目がいいです」
「目がいい? それは、視力がいいということでしょうか」
「そうじゃなくて、えっと。あ、あと、耳もいいです」
「耳もいい? ずいぶんと個性的なアピールですねえ。しかし、目と耳はいいとは。ひょっとして、普通の人には見えないものを見たり、聞くことができないものを聞いたりできるとか」
「え、ええ。まあ、そんなところです」
「はっはっは! それは面白い」
神楽にはふざけたつもりは一切なかったのだが、面接官はそれを冗談と解釈したらしく軽く笑い飛ばした。
「いやあ。面接官に少しでも印象に残すために変わったことをおっしゃる方もたまにはいますがね、そういったオカルトチックなアピールをしてきたのはあなたが初めてですよ。で、もしかして今も何か見えちゃったりなんかしてるんですか?」
面接官は、少々小馬鹿にしたかのような態度で尋ねた。
それとは裏腹に、神楽は険しい表情で語る。
「ええ。実は、そうなんです」
「ほう、それは興味深い。時間にもまだ余裕がありますし、ぜひとも話を聞かせて下さい」
「あの、本当に聞きたいですか?」
「ええ。こんな機会、滅多にありませんから」
「そうですか……では」
神楽は強く息を吐いてから、何かを覚悟した様子で視線を面接官から少しばかりずれたところに移す。そして、何者かと目を合わせる素振りをしてから再び口を開いた。
「あなたの後ろに、女の人が立っています。長くて明るい茶色の髪をした、若くてきれいな人です」
「若くてきれい、ねえ」
「ええ。本当にきれいな人です。だけど、首には輪のような形をした赤い痣があって、あなたのことをすごく恐い顔で見ています」
「首に……痣?」
先程までの余裕はどこへ行ったのだろうか。恐ろしいワードが耳に入るなり、面接官は中途半端に口角を挙げたまま顔面を凝固させた。
神楽はそれを一応気にしつつも、黙々と話を続ける。
「で、その幽霊はこんなことを言ってますよ。『奥さんと別れるって言ったのに。信じてたのに。私を捨てて、あなただけ幸せになるなんて許せない』って。何か、心当たりはないですか」
「こ、心当たり? そ、そんなもの」
「あ。今、あなたの右肩に」
「右肩⁉」
面接官は、目をひんむきながら右肩に手を当てた。
すると、本来は感じることがないはずの、ヒヤリと冷たい感覚が彼を襲った。
「ひっ!」
だが、自分には霊感の類は一切ない。こんなもの、気のせいにすぎない……。
そう自身に言い聞かせる面接官に対し、神楽はさらに追い打ちをかけた。
「あの。一般的な幽霊なら普通の人には見えないみたいなんですけど、彼女の場合は霊力が強いみたいで、多分あなたにも見えるかと。振り向いてあげてはいかがでしょうか」
「い、いや……それは」
絶対に振り向いてはいけない。
しかしその意に反し、面接官の首は見えない力に操られるように自然と背後に向いていった。
「あっ」
そして、自分の背後に立っている存在を直視するなり、面接官はガタガタと震え上がった。
そこにいたのは、乱れてボサボサになった長髪の間からのぞく目玉で面接官をじっと睨みつける、おぞましい形相をした女。今にも折れてしまいそうなくらい痩せ細った指で、冷たい感覚に襲われ続けている肩をわし掴みにしている。
「き……君は……!」
彼が知っている姿とはすっかり変わり果ててしまってはいたが、面接官はその女に見覚えがあった。
いや、見覚えがあるという表現だけではおそらく語弊が生じるだろう。何せ、彼とその幽霊は切っては切れないほど深い関係にあったのだから。
「君はもう……死……」
面接官がどうにか言葉を継ごうとした直後、女は飛び上がり、彼の背後から正面に一瞬のうちに移動してみせた。
女は面接官にぐっと顔を寄せ、微かに血がつたった口元を動かしてこう呟いた。
[あなたのことは、絶対に許さないから]
「……!」
程なくして、室内には男の情けない絶叫がこだますることとなった。
「また駄目だった……」
企業のビルから逃げるようにして飛び出してきた神楽は、ストレートの黒髪を束ねていたヘアゴムを取りながらがっくりと肩を落とした。
「これでもう、何社目かしら。いつも大事な時に。これじゃ、いつまでたっても就職が決まらない……」
ほんの少しだけ落ち着きを取り戻してから、やり切れなさから溜め息をついた。そして、曇り気味の天を仰ぎながら、己が生まれ持ってしまった能力を呪った。
神楽はどういうわけか、生まれつき世間で幽霊と呼ばれる存在を見ることができた。
幼い頃から能力は備わっており、実家の近所の公園で古風な着物を身に着けた子供達が遊んでいるのを何度も目撃したこともあったし、小学校のトイレでは花子さんという方と「あ、こんにちは……」みたいな感じで鉢合わせしたこともあった。
しかし、他のそういった能力をお持ちの方々の目にはどう映っているのかはよくわからないが、何故か神楽には幽霊が普通の人間と同じように見えてしまう――ただし、先程の幽霊のように明らかに「はい。私はとっくに死んでまーす」みたいな風貌のお方に関しては話が別であるが――ため、あまり恐怖心に駆られたことはなかった。
ただちょっと、人より目や耳が敏感なだけ。つい最近までは、そう思っていた。
大学に入り、四年生になって就職活動が本格的に始まってから、生まれ持った能力が仇となり始めた。行く先々にいる幽霊達に、間接的に様々な形で就職活動の妨害を受けるようになったのである。
ある時は憔悴しきった壮年男性の幽霊が企業説明会に集まった就活生を相手に[ここはブラック企業だ。悪いことは言わない。ここだけはやめておけ]という、聞くだけで暗い未来しか想像できなくなる話を熱弁しているのを真に受けてしまったせいで意気消沈し、またある時は今まで誰にも話を聞いてもらえなかったことが不満だったらしいOLおばちゃん幽霊の集団に幽霊が見える体質であることがばれてしまい、話に付き合い続けたせいで面接そのものに遅れてしまった。でもって今回は、上司との不倫の末に会社を追放され、自ら死を選んだ女の境遇につい同情し、面接そっちのけで復讐劇の片棒を担いでしまったというわけである。
ちなみに、彼女はただ面接官をしていた男の無様な姿を見られれば充分だったらしく、失禁して床にぶっ倒れた彼の姿を見るなりすっきりした顔で成仏していった。だが、男の絶叫が響き渡った部屋から去る際の周囲からの視線はとても痛かった……。
まあとにかく。そんなこんなで就職活動はいつも失敗ばかり。夏休みが過ぎてもなお、神楽はいまだに内々定はゼロ。普通は就職先を決めていてもおかしくないこの時期で、正直これはピンチである。
ここはあえて、自分の能力を活かしてイタコに弟子入りでもしようか。そんな考えがよぎったこともある。しかし、神楽の能力はあくまでも幽霊を生きている人間と同じようにはっきりと見ることができるというだけで、漫画に出てくる霊媒師みたいに悪霊だとかを祓ったり、結界を張ったりするような力は皆無である。しかも、それ以前の問題として本物のイタコがどこにいるのかすらわからない。インターネットで検索したところで見つけ出せるわけでもないし、『イタコ見習い、募集中!』みたいな広告なんてものもあるわけがない。色々な諸事情のせいで、そちらの道もあきらめざるを得なかった。
「これからどうしよう……」
無理を言って都会じみた地方都市に出てきただけに、田舎の両親を安心させるためにもどうにかして就職先を決めたい。だが、このままだと大学を卒業してから『無職』という肩書きを背負うはめになってしまう。
神楽は思いつめた末にもう一度溜め息をついてから、リクルートスーツという目立つ格好のまま、どこへ行くあてもなく町の雑踏の中に溶け込んでいった。