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外つ国の魔女  作者: 莪藤
本編
9/33

07

「読みました!」



ドヤ顔で図鑑を掲げる美佳に、テイワズは相も変わらず気だるげな視線を向けた。


「…読めたのか?」

「正確には読んでもらいました!でも内容はちゃんと理解したよ!」


さらに自信ありげに胸をはる美佳。さあどんな質問でもどうぞという意思表示であるが、そんなものが彼に通じるわけが無かった。いや通じたとして多分してくれないだろう。

というかすでに美佳の方を見てなかった。相槌すら返ってこない始末である。普通ここは「頑張ったな」とか…無いな。せめて「そうか」くらい言って欲しかった。


ちょっとしょんぼりな美佳に、テイワズはつい、と本の山の一角を指差した。


「あっ、キノコはもうお腹一杯なんで。」


何冊目かの表紙に例の文字が見えた気がして咄嗟に美佳は声をあげた。伸びた指がゆるゆると戻っていくのを見て、胸中で額の汗を拭った。返せないなら先手を打って発言しよう作戦はみごと成功した。

と思っていたら今度は別の方を指し示した。


「上から4冊目。」


指示された先は美佳よりは少し離れている。近付こうとして、「あ」本をひっかけてしまう。ばさばさとドミノ倒しのように塔が崩壊していくのを見て悲鳴をあげそうになる美佳。


「ご、ごめん…。」


ちらっとテイワズを見るがさして興味なさそうにしていた。セーフ、セーフですね!

しかし元々混沌としていた周囲はさらに収拾がつかない感じになってしまった。美佳の前には本の大海原が広がっている。テイワズとの間にはとてつもない隔たりがあり、実はあれは彼なりの拒絶の意だったのではないかとさえ考える。


ともあれ踏んづけるわけにもいかず、美佳はかねてから言いたかった言葉を吐いた。


「あの、これ、片付けないの?」

「俺の仕事じゃない。」


大変簡潔かつ素早い回答であった。なるほど仕事じゃないなら仕方ない。うんうん、と美佳は頷き、ついでにもう一つ疑問が浮かんだ。なかなか躊躇われる質問であるが、これも勉強である。ジャンも言っていたではないか、知りたければ聞けばいいじゃない、と(言ってない)。

意を決してゴーゴー、である。


「ティズの仕事って何?」

「…知識を溜め込んで」


眠たげな目が一瞬空を泳いだ。


「必要な時に吐き出す。」


うん、分かんない。

読書とか言われると思っていたのだが、中々に難解なお返事である。しかし聞いた手前、適当に返すことは許されない。美佳は考える。

知識というのはえーと、本、つまり、要するに先ほど思った通り、読書が仕事なのか。

変わった仕事だなぁと思いつつ、まぁ、彼に似合ってるとも思う。

何というか、この空間に溶け込んでいるのだ。単に髪やら服やらの色が地味というだけかも知れないが。


彼の仕事では無いのなら、片付けは期待できそうにない。王族すら門前払いなのだ。ひょっとしたらまだ見ぬ仕事人も追い出されてしまったのかも知れない。


だがこのままにしておくのも危険な気がする。また雪崩を起こす可能性は高いし、今回は許されても次があるとは限らない。なるべく脅威は取り除いておくべきだ、と美佳は思う。


「わたしが片付けても良い?」

「好きにしろ。」


許可を得て、美佳はやったーと崩れた山を拾いにかかった。

なるべく壁際に寄せてテイワズのところまで道を作ろうか、いやまだ早いかとあれこれ思案する。彼のテリトリーを把握するまでに至っていないため、容易に近付くのは躊躇われる。アレだ、噛みつかれたら怖いし。


そもそも本は本棚に入れるべきでは無いかと思い付き、棚を見るが、開きはざっと見る限り近場には無さそうだった。そしてよく眺めれば背表紙も厚さもばらばらで、とりあえず詰め込みました、といった雰囲気が漂っている。


「ティズ。これ、何かこー、適当に入れてある?」

「知らん。」


ああ、自分の仕事じゃないからですね。

無駄なことを聞いてしまった、と美佳は反省する。だんだん飼い慣らされている感がするがそれはそれ、この際置いておくことにした。

えーとじゃあ、と思い付きを口にする。


「読み返したくなった時とか探すの大変じゃない?」

「ない。」


ぽつりとした声が聞こえ、ページを捲る音が止まった。静寂と共にテイワズは顔を上げて美佳の方を見る。

え、え、わたし何かやった?と驚く彼女を尻目に山積みにされた本を眺める。


「ここにある本の内容は全部覚えた。」

「う、うん。…うん?」

「だから読み返す必要が、ない。」

「な、なるほど。」


言うだけ言うと、また手元の本に目を落とす。


美佳はといえば、わざわざ言い直してくれたとか、今までで最長の発言じゃないかとかいうことが頭をぐるぐるして肝心な部分の理解が遅れる。


…えーと、そういうの何て言うんだっけ。瞬間記憶能力?

確かにそれは必要ない、となるはずである。

しかし他の人間は困るわけであって、つまり美佳のことであるが。この本を詰めた仕事人はそこのところ考えてくれなかったのだろうか。


考えても現状は変わらないので、諦めて片付けを再開することにした。

ひとまず本棚の空きを探して階段を昇る。吹き抜けの天井にある大きな照明に照らされて、埃が砂塵のように煌めいている。

足を落とす度に跡が残る床を歩いてスペースのある棚を確認する。上の階は比較的空きが多いようだ。


これは結構な重労働になりそうだった。明日筋肉痛になりそう。いややると言ったからにはやるが。

美佳は下に戻って持ち上げ易いように本を積み上げていく。

よいしょよいしょと何とか崩れる前の状態まで戻したところで、扉を叩く音がする。


「失礼します。今日の分をお持ちしました。」


何か今聞きたくない言葉が聞こえたような。


目の前に運び込まれた新たな本が音を立てて積まれていく。

硬直する美佳は、何故この惨状が今まで放置されていたのかをようやく理解した。






もはや何往復したか分からない階段を踏みしめ、美佳は天井を仰いだ。


鈍器になりそうな本を棚に並べて吐息を漏らす。

この世界の本は装丁の凝ったものが多く、それがさらに重量感を増している。彼女の世界と違い一冊一冊が貴重なのであろうから、頑丈にしようということなのだろう。

その気持ちは分からなくもないが、今の状況を考えれば思わず恨み言のひとつも言いたくなるのが人情というものであった。


適当に埃を払い、床に腰を降ろして棚のへりにもたれ掛かる。

疲れたわー、と肩を揉みほぐす。ばばくさいとか言ってはいけない。こういうところで地味に体の経年に気付いて微妙な気持ちになる、そんなお年頃であった。


ともあれ塵も積もれば、というやつでちまちまと片付けに勤しんだ結果、本の樹海は林くらいにまで減少した。

やれば出来る子、美佳である。やったところでここの主は褒めてくれなかろうが、まぁ気にはしない。

というか褒められても困る。いや怖い。そんなことがあった日には何かとんでもない天変地異が起こりそうだと思う。


そろそろ部屋に戻ろうかと下に降りると、美佳の頑張りにより広くなった入口近くにはティーセットと軽食でも入っているのだろうクロッシュがワゴンに鎮座していた。

いや、記憶を探ればここに来た時から置いてあった気がする。


美佳は黙々と本を読みふけるテイワズに目を向けた。


「ティズ、ご飯食べた?」


問いかけに、本の虫(テイワズ)は軽く首を振って返答とした。

食べないの、と言うがはやいか、きゅるると美佳の腹がなった。


…おう。


それは控えめではあったが、この図書室の中ではよく響く。頬を染める美佳にテイワズは(こういう時に限って)顔を上げた。


「…食べても良いぞ。」

「わ、わたしはいいの。ティズの分でしょ。食べないの?」

「後で良い。」

「うー…、じゃあ、お茶だけ頂きます。」


照れ隠しに手早くカップにお茶を注ぐ。口をつけると美佳はうぐ、とむせた。


苦い。渋い。


ティーポットを開ければふやけきった茶葉がたっぷりと浮かんでいた。水に戻した乾燥ワカメみたいになっている。

分けて置いておくとか、後で取り出すとか…彼に期待するのは無理か。

美佳は悟る。あらゆる手間を惜しみそうな人である。水分補給出来れば味なんて気にしなさそうであった。サプリメントなんか与えた日には食事すら止めそうだ。


むう、と美佳は唸る。

本を読んでいるところしか見ていないので失念していたが、彼も人間である。こうして用意されてる以上飲食はするのだろう…当たり前だが。

その当たり前すら霞むほどに動かないテイワズの健康状態はいかなるものか。

こもりがちな美佳に苦言を呈したジャンの気持ちが良く分かった気がした。試しに聞いてみる。


「ティズって運動とかしてる?」

「ああ。」


意外な返答が返ってきた。美佳の印象では長椅子と同化しそうな勢いであったが…とふいにまさか本を捲るのを運動と称しているのではないかというわりと失礼な考えが浮かぶ。失礼と思いつつ否定出来ないのがテイワズであった。

確認するにこしたことはないと、美佳は再度問う。


「例えばどんなの?」

「ラジオ体操。」


…ラジ?


何だか耳慣れない、いや耳慣れてはいるがこの人の口から出てはいけない単語が聞こえてきた気がした。

きっと聞き間違えたのだろう。そうに違いない。

一人頷く美佳の前でテイワズは読んでいた本をぞんざいに置くと立ち上がった。


た、立った!


反射的に硬直する美佳を背に歩いていき、奥にひっそりと佇む扉を開けて何処かへ行ってしまう。

その様子を見守りながらあんな所にドアがあったんだと気付く。


これは追った方が良いのかなぁ、と悩んでいる内にテイワズは戻ってきた。

手には本を持っている。常ならとてもしそうにないくらいに大切そうに腕に抱えて、美佳の前までやってきた。


その手でそっと撫でた表紙には「ラジオ体操」と日本語で書かれていた。中を見やれば確かにラジオ体操が絵付きで解説されている。

何というか、久々に見た母国の言葉に感極まるとかそういうの以前に、テイワズがこれを見てラジオ体操をやっているのを想像して待って止めてわたしの頭。


笑いが込み上げて来て美佳は大いに困った。

しかし実際笑った暁には彼がどう出るかわかったものではないので耐える。ここは笑いどころではない、はずだ。


「これは写本だが。」

「わ…。」


テイワズが開いたもう一冊には、雪の結晶が描かれていた。

先ほどの煩悶はどこへやら、たちまち美佳は心奪われる。

一個ずつ丁寧に、微細に描き込まれたその傍らには小さく文字が添えてあった。


『第一号。花弁に似た見た目を持つ。』

『第七号。少し端が欠けている。落ち着きがない。』


落ち着き?

一瞬考え、顔を上げる。意識すれば顕れる、煌めく精霊たちを見る。

ああ、そうかこれは…。


「魔女が書いたものだ。」


言葉に応えるように一片(ひとひら)が絵と同じ位置に重なって、すぐにまた飛び立っていく。

その様子を目で追いながら、よくこの気まぐれな子たちを描こうと思ったものだと考える。いつもふわふわひらひらしているし。


…それともふわふわしているのはわたしの前だけなのか。


美佳は自らの発想にショックを受けた。

えーとあれだ、もしや舐められているのだろうか。あんまり魔女っぽいことしてないし。そういえば王妃様を治した時もなぜか倒れてしまったのだった。

前の魔女さんたちはもっと格好良く出来ていたのかも知れない。

そう思うとそわそわしてきて美佳は口を開く。


「ね、ねぇ、魔法って、使うと必ず倒れちゃうものなの?」

「いや。」


ですよねー、と美佳は頭を抱えたくなる。これは特訓すべきではなかろうか。しかしこの子たちは他の人には見えないのだ。どうしよう。

するとテイワズが心を読んだかのように言った。


「魔法のことならソードレスが詳しい。」

「えー…。」


口に出すのも憚らず美佳は呻いた。

よりによってあの人か、である。あんまり会いに行きたくないのだ。主に美佳の精神的な意味と彼の生命的な意味で。


いや、だが今アルフォートは居ないのだった。

よく考えなくともチャンスではなかろうか。ジャンには付いてきてもらうけれど、彼なら斬りかかることは無いだろう、多分。

光明が見えた気がして美佳はにこーと笑った。


「ありがとうティズ。チャーチルさんのところに行ってみる。」

「…気をつけて行け。」

「う、うん。ありがとう。」


テイワズはそれを受けて珍しく心配する台詞を吐いた。


…どれだけ危険視されてるんだろうあの人。


もしかしたら答えてくれたかも知れない問いを美佳は何とか飲み込んだ。

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