02
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何かが頬に触れた気がして、その優しいぬくもりに、美佳はむー、と重い瞼をこじ開けた。
そして息を止めた。何だか最近息を止めてばかりで、この調子では死んでしまうと美佳は思った。
ともあれ彼女の隣には金髪イケメンが座っていて、目が合うと優しく微笑んで彼女に触れていた手を引っ込めた。噛み締めるようにゆっくりと挨拶してくる。いきなりの不意討ちであった。
「おはようございます」
「おはようございます…」
ぎぎぎ、と身を起こそうとする美佳を制して、彼は「人を呼んでまいります。」と言って無駄のない動きで部屋を出た。
扉が閉まったのを確認して胸を撫で下ろした。
何とか気持ちを建て直しつつ段々と状況を思い出す。
異世界に呼び出されて、助けを求められた。そして光の精霊に頼んで女性を治そうとしたところまでは覚えている。
…あの人はどうなったのだろうか。美佳が意識を向けると、雪の結晶が視界に入る。
美佳から見れば、のんびりとした様子で相変わらずふわふわと漂うそれらに訪ねた。
「ねえ。あの女の人、どうなったか知ってる?」
精霊たちは聞こえているのかいないのか、ただ宙に浮いている。というか喋れるのか、この子たちは。
反応が無いので諦めてイケメンさんの言った通りにおとなしく待つことにする。
目線だけで周りを見渡す。
見たことのない天井、そこから吊り下げられた豪奢な照明器具、心地良いベッドシーツ。窓の外に見える青空だけは彼女がよく見慣れたもので、何となくもっと見たいと手を伸ばした。
「…?」
ふと伸ばした手の、手首に何か付いているのに美佳は気付いた。
黒っぽいそれにあの女性に絡みついていた得体の知れないモノを想起させて肌があわ立つ。
だが手を引いて良く見れば、全然違った。
アレはもっとこう、ぐちゃぐちゃとしていたが美佳の手首には描かれたような規則性があった。アルファベットに近い、青黒い模様は遠目ならブレスレットに見えなくもない。
もう片方の手首にも同じものを確認して、んー?と眺めていると
「魔女様っ!」
金髪美少女が飛び込んで来た。
マリーガルドと名乗っていた彼女は、目に涙すらためて美佳に駆け寄ってくる。いっそダイブしそうな勢いであった。
「ああ、お目覚めになられて本当に良かった…!ご気分はいかがですか?どこか痛むところは?」
「え、う、はい、ない、です」
ぐいぐい来られて美佳は身をひきつつ応える。
あの王様といいイケメンさんといい、この世界のパーソナルスペースはどうなっているのだろう。近い、近いです。あとなんかぺたぺたと触り始めた。
マリーガルドの後ろには先ほどのイケメンさんがにこにこと微笑ましいものを見る目で立っている。どうやら助ける気は無いらしい。
散々触り倒してようやく満足したらしい、マリーガルドは吐息をついてからはた、と頬を染めた。
「あ、私ったらノックもせずに…申し訳ございません。」
恥じらうとこそこなんだ…。と美佳は思ったがその仕草があまりにも可愛いので速攻許した。可愛いは正義、である。
マリーガルドは最初の仕切り直しというようにドレスをちょこん、とつまみ一礼した。
「改めまして魔女様、初めまして。マリーガルド・T・フローゼンでございます。」
そして軽く身を引くと、イケメンさんを見やる。彼は胸に手を当て、合わせて頭を垂れた。
「アルフォート・パストラルと申します。」
美佳も慌てて頭を下げた。
「ご丁寧にありがとうございます。えーと、わたしは新名美佳です。」
「可愛らしい素敵なお名前ですね。ミカ様とお呼びしても?」
「はい、どうぞ」
美佳が頷くと、マリーガルドは花のような笑みで「ミカ様、ミカ様」と囁いた。美佳はぐはっと胸中で悶絶した。なにこれかわい死ぬ、である。
「よろしければ私のことはマリーとお呼び下さい。パストラルは…アルで良いわよね?」
「はい、魔女様のお好きにお呼び下さい。」
こちらもにこーと人好きのする笑顔を向けてきた。金髪美形コンビ、恐ろしい。
さて、と前置いて、マリーガルドは居住まいを正した。
「まずはミカ様、先だっての数々の非礼をお詫び致します。突然の召還に加え、ろくな説明も無しにあのような状況に置き魔法を限界まで使わせるなど…いくら身内の危機であったといえ、おいそれと許されることでは無いと承知してはおりますが、もし罰を与えられるのであればどうか私だけに…」
先ほどとはうってかわって沈痛な面持ちで深々と頭を下げる彼女に美佳は慌てた。
「マ、マリーさん。そんなに謝らないで下さい。別に怒ったりしてませんから…」
マリーは潤んだ瞳で美佳を見た。「どうぞマリーと呼び捨てて下さい」と前置いて、
「ミカ様…なんてお優しい。ありがとうございます。」
「いえいえ、というかそうだ、あの女の人は大丈夫だったんですか?」
「はい、ミカ様のおかげで義姉は無事全快いたしました。」
それを聞いて美佳はほっとする。どちらかと言うと助けたのは光の精霊のような気もするが。
そう思って美佳が精霊たちを見ていると、マリーガルドが「ミカ様?」と首を傾げている。
「あ、いやわたしのおかげと言うよりはこの子たちのおかげかな、と思って」
そう言うと、マリーガルドは得心したというように
「そちらに光の精霊がおわすのですね」
「…え?」
言われた意味を一瞬考えて、きょとんとするとマリーガルドが後押しするように頷いた。
「光の精霊は、ミカ様…魔女にしか見えないのです」
この世界には4種の精霊がいると言われて来た。
すなわち、火、水、地、風の精霊である。
人々は精霊たちに請い願い、あるいは使役しその力を「魔法」として使い日々を過ごしてきた。
そんなある日、とある魔法使いがその上位に当たる精霊の存在がいることを突き止めたのである。
それが光と闇の精霊であった。
ただ、それはこの世界に確かに影響を与えつつも決してこの世界の人間の呼び掛けに応えることは無かった。
ならば彼らを使役できる人間がいる場所を探せば良い。
魔法使いたちは長い時を重ね、とうとうその条件に当てはまる世界を見つけ出した。
すなわち我らが地球である。
美佳は開きっぱなしの口を閉じた。
マリーガルドはなおも唄うように語る。
「中でも日本人女性、とりわけ長きに渡り純潔を保ってき」
「ちょまっ」
言うが早いかマリーガルドの口を塞ぐ。少女はびっくりして目を瞬かせているが驚いたのはこちらである。その情報はいらない、ちょーいらない。
手を放して、ふーと額を拭う。
「事情は大体分かりました。つまり、わたしは光の精霊を使うために呼び出されたんですね。」
「はい。こちらの都合を一方的に押し付けて申し訳ないのですが…。」
またもしょぼんとするマリーガルドにあわわと美佳は矢継ぎ早に話す。
「だ、大丈夫!呼び出されたものは仕方ないですし!えーと、この際だからぐわーと使っちゃいますよ!他には何をすれば良いんですかね?」
えいえいおーとやる気をアピールした美佳だが、少女の顔はいまいち晴れない。あれ、何か間違えただろうか。
マリーはおずおずと呟く。
「…あの、それだけなのです。」
「え」
「ミカ様にお願いしたかったのは、義姉を癒すこと……だけなのです。」
「…あ、そうなんですか…。」
「も、申し訳「ああうんわたしが勘違いしただけだから!大丈夫、大丈夫です!おねえさん大事ですもんね!」」
美佳の知識(弟監修による)としては、魔王とか世界の危機的なものを救ったりするのかと思っていたのだが、気付いた時にはお役目終了でした。
ちょっぴり寂しい気がしなくもないがまあ危ない目に逢わないのはいいことだ、と思い直す。
「えーと、じゃあもう帰って…あ、わたし、帰れるんですか?」
確かこういう場合、何らかの障害があって帰れない、というパターンが多いと記憶している。下手をすれば一生戻れない可能性もあるのだった。
沈痛な面持ちのままのマリーガルドに、まさか、と思う。
「申し訳ございません、すぐには無理なのです。送還に必要な魔力が貯まるまで…この世界の時間でおおよそ3年間はこちらに留まって頂かないといけません。」
「3年…」
一生でなくて良かった、と思うべきか。
しかし美佳にも生活というものがある。仕事どうしよう、さすがにクビですよね。いやそれ以前に3年も居なかったら家族が捜索願とかだすのではなかろうか。
そんな美佳の考えを読んだ如く、マリーガルドが口を開く。
「ですが、時間の経過についてはご安心下さい。ミカ様が地球に帰られた際は召還されたのと同じ時、同じ場所に戻るようになっております。」
おー、と思わず声を漏らす。それは非常に助かる。
「もちろんこちらにいらっしゃる間の衣食住は全て用意させて頂きます。ミカ様は3年の間、この城でご自由にお過ごしください。」
「それは助かります。ありがとうございます。」
美佳はぺこりとお辞儀した。至れり尽くせりというやつでなはないか。
なにせ初っぱなからハードな展開だったのでもっと酷い扱いもありえると想像していたのだが、裏を返せば何てことない感じであった。
それに美佳にはマリーガルドが嘘を付いているようには見えなかったし、何より魔法という今までの人生で存在すらしなかったものを己でどうこうして帰る、というのもどだい無理な話である。だからまあ、深く考えるのは止めた。
3年は結構長い気もするけれど、留学みたいなものだと思えば良いと能天気に考えた。帰ったら弟に教えてあげよう。異世界意外といいとこだったよ、と。
美佳からの反論が特になかったからか、マリーガルドは少し落ち着いたようで淡い笑みを浮かべた。
「それと、ミカ様がこちらにいらっしゃる間、アル
がミカ様付きの騎士になります。」
「はい?」
言われて終始マリーガルドの後ろに控えていたアルフォートが前へ出る。
膝を折り、胸に手を当て美佳を見上げるその様は絵物語で見た姫にかしずく騎士のよう…いや実際騎士だった。整った顔がこちらを向き、常緑樹の瞳が美佳を映す。
「今この時よりアルフォート・パストラルはミカ様の騎士として、いついかなるときもお側に控え、御身をお守り致します。…どうかご許可を。」
「わ、わたしの?」
「はい」
「い、いつも?」
「はい」
おうむ返しの返答にも堪えず、アルフォートはただ真面目な顔して美佳の許可とやらを待つ。
えええ、と動揺する美佳。だってこの人イケメンですよ?これから3年、ずっと側にいるの?このイケメンが?である。ついでに起き抜けの顔アップを思いだしぎゃーと叫んだ。
「むむむ、無理!…あ、いやえーと、ずっとはどうかなって、ほらこう見えてわたし女性ですし色々と、アレがアレで」
あからさまにアルフォートがへこんだのを見て慌てて訂正する。しかしへこたれてもイケメンである。マリーガルドがアルフォートを庇うように言った。
「ミカ様がおっしゃる通り、魔女様付きの騎士には女性が当たることも多いのですが、今はその任にふさわしい者がいないのです。それに四六時中と言うわけではなく、もちろん身の回りのお世話などは私や侍女が行います。ですので…。」
「…ご不満とは思いますが、どうかお許し頂ければと思います。」
言葉を継いでアルフォートが上目遣いに美佳を見た。それを見て、あ、と思う。
今、駅前で会ったチワワが被った。
一度見えてしまったらもう駄目だった。
イケメンとか男の人だからどうとかはどこへやら、触り心地良さそうなふわふわの金の毛も、きらきらした下から目線もきゅーんと鳴き声が聴こえてきそうな悲しげな表情も、もう全部ワンコにしか見えない。
美佳、完敗であった。思わずくずおれそうになるのわこらえ、恐る恐るアルフォートが待つ言葉を絞り出す。
「よ、よろしくお願いします…。」
ふわ、と笑顔で応えた彼女の騎士を見てとうとう美佳は顔を覆った。
……新名美佳、30歳。ワンコみたいな騎士が出来ました。