21
初めは一点だけ。ぽつりとしみのようにそれは顕れた。
煌めく光の結晶の一つがくるりと反転する。
いつもと同じ動き。なのに、その裏側は真っ暗だった。
それを起点として周りの精霊たちがじわりと黒に染まっていく。
つかの間痛みを忘れて、呆然と突如起こった事象に魅入られる。
ぱたぱたと、色が入れ替わっていく。
白から黒に。光は闇に。景色が飲まれて消えていく。
黒く染まった視界の向こうから、叫ぶ声が聞こえる。
「何だ、これは…!こ、こっちにくるな!」
「力が、いや…魔力が抜けているのか…?」
「ソードレス、これは何事だ!」
「殿下!!」
うるさい。
急に騒がしくなった周囲の叫びを聞いて美佳は思う。
しかし他の人にも見えている、と言うことはこれは気のせいでは無いらしい。
そもそも光の精霊は美佳にしか見えないはずでは無かったのか。痛む胸を押さえながら、考える。
ああ、でも目眩は収まった気がする。何でかな。
「精霊が魔力を吸い上げてるんです。このままだとこの部屋どころか城中に広がって行きますよ。」
彼にしては、冷淡な声。
黒の端から覗く赤い髪を揺らしてポケットに手を突っ込み、取り出された時には色とりどりの石が握られていた。
無造作にこちらに放り投げられた魔力の込もった宝石は、美佳に当たること無く闇に溶けていく。
身体に刻まれた魔法式が火花を散らすように明滅した。
「何とかしろ!魔女はお前の管轄だろうが!」
「おおせのままに、やりますよ。ただ、すぐには無理です。城の者たちを避難させたが良い。」
「大事になるぞ…!」
「もう遅い。魔女に手を出した時点で破綻してるんですよ。とにかく皆さんここから離れて、あぁ、あと魔女の騎士と僕の助手を呼んで下さい。」
「くそ…!」
ごちゃごちゃとした話し声とどたばた足音がした後、ようやく辺りは静かになった。
いやまだ、唸るような声とも音ともつかないものが耳に障る。
うるさい。うるさい。
そう言おうとして、その音を発しているのが自分の口だと理解した。
ひりつく喉がひゅうひゅうと音を立てる。悲鳴を上げるのも楽ではない。
ふと胸の、痛む箇所とは違う所に違和感を覚えて、何とか手を動かし原因を引っ張り出した。
首飾りの先端、緑の石が黒く染まっている。指で触れると同時にそれは砂粒になって空に消えた。
…せっかく、アルに貰ったのに。
真っ暗闇に包まれて、美佳は涙を流して歯噛みした。
何が起こったんだろう。
光の精霊は最早そう呼ぶことすら躊躇われるほど、黒く暗い。
魔力を吸い上げている、と先ほど言っていた。
美佳の魔力では足りないから、他所から頂こうということらしい。他所って何処、と考えて、じんわりとその意味を理解する。
他の人間から摂っているのか。どのくらい?倒れるまで、それとも、その先まで?
目を瞑れば、心の何処かで、それも良いかと声がした。
言うことを聞かせるために傷付けて脅そうとしていた人たちなんて、どうなっても良いじゃないかと。
「ミカ君。聞こえるかい?」
ぽつりと聞きたくない声が、耳朶を打った。
居なくなれと思っていたが、責任者であるところの彼はこの場に残らざるを得なかったのだろう。
何も答えたくなくて無視しても、チャーチルは構わず話を続ける。
「君に伝えておくことがある。」
うるさい。何も聞きたくない。
「君が地球に帰るには、三年かかると聞いたと思うけれど…それは間違っている。」
目の前が一瞬真っ白になって、また暗くなる。精霊がいよいよ自分を取り囲んだのかと錯覚した。
しかし彼らは色こそ違えど美佳の周りを漂うだけだ。
何それ。
マリーガルドの言葉は嘘だったということか。
あの場にはアルフォートも居たはずだ。じゃあ、アルも知ってた?
美佳の混乱を尻目に憎らしいくらいにいつもと同じくらい軽い調子で、何でもないことのように彼は言った。
「あぁ、王女殿下は嘘をついていたわけじゃないよ。これは本当に一部しか知らない秘密だからね。正確には、三年しかいられない、だ。君たちの世界は狭量でね。呼び出してもすぐに引き戻そうとする。だから魂に楔を打って、この世界に縫い止めるんだ。そうしてやっと、魔女はこの世界に立っていられる。」
確か、この魔法式は美佳が「この世界に留まる」為に必要だとチャーチルは言ったのだった。
…なるほど、嘘は言っていない。詳しく話さないことで、事実を誤魔化した。
少なくとも、初めからこの人は味方じゃなかった。それだけだ。
じゃらじゃらとまた音がする。
どれだけ持っているのか、宝石に溜め込まれた魔力で精霊の広がりを防いでいるのだろう。
供給される魔力を使って精霊たちは拘束を解こうと試みている。
その場しのぎに過ぎないのか、あまり猶予は無いようだ。
若干早口で説明してくる。
「その魔法式が壊れれば、おそらく君は地球に戻れるよ。あぁ、何故おそらくかと言うと、魔法をかけられていた魂がどうなるのか分からないのと、魔女が無事に帰ったのかをこちらから確認することが出来ないからだ。」
もしかしたら、死んじゃうかもね。なんて、世間話でもするみたいに言ってのける。
まるで他人事だ。
まあ、実際そうであるのだから、仕方ない。
馬鹿正直に言われたことを丸飲みして、へらへらと従っている美佳を見るのはさぞ愉しかったろう。
みんな、みんな嘘ばっかりだったのだ。
だからきっと、これも嘘。
彼は、彼らは魔女に帰って欲しくない。だから、こんなことを言うのだ。
「帰りたいかい?でも君は、君の騎士が好きなんだろう?彼を置いていくのかい?」
熱に浮かされていた頭が、少し冷える。
石を失った首飾りの鎖が指に絡み付いている。
アル。わたしの騎士。
でもアルだって、味方だという保証がない。
そんな風に考えたくないけれど、美佳は思う。王弟殿下に呼び出されていた時に、何を話していたんだろう。
美佳を引き留めるために優しくするようにと言われていたら?
アルはそんな事しないと、否定する。すぐさまそれにも否定が入る。
彼自身が望まなくても、家族でも盾に取られたら?逆らえないのではないか。
あの優しさも、笑顔も、無理強いされていたんだとしたら。
「…っ。」
嫌な気持ちがどんどん沸いてくる。胸の痛みも強くなる。
きっと、精霊がこんな風になったのも自分のせいだ。
悪い事しか考えられなくなってしまった。
疑うことしか出来なくなった。
だからあんなに綺麗だった煌めきも消えてしまったのだ。
「ミカ様!!」
扉が大きく音を立てて開いて、懐かしさすら感じる美佳の大好きな声が響く。美佳の名前を呼んでいる。
アル、と顔を上げて返事をしようとして、言葉に詰まる。姿の欠片も見えない向こう側に不安を覚えた。
姿を見たい。いつもみたいに微笑んで手を取って、大丈夫だと言って欲しい。
でも見たくない。望み通りにならなかったら、今よりもっと痛くて苦しい。
「ソードレス!ミカ様に何をした!!」
アルフォートは美佳が聞いたことないくらいの大声を上げて怒鳴っている。
「僕は何も。どこかの愚か者が無理に言うことを聞かせようとしてね、この有り様だよ。」
「誰だ、そいつは。どこにいる!」
「怒りたい気持ちは分かるが、それより君の主の身を案じるのが先じゃないかな。」
「言われなくとも…!」
「じゃあまずは黙って聞くことだ。」
また石の擦れる音がした。ぱちぱちと小さな花火みたいに光が縮れ舞って、魔法式にまとわりついている。
何を言うつもりだろうか。
悲鳴を押し殺しながら、チャーチルの、アルフォートの言葉を聞き逃さないように耳を澄ませる。
「この黒いのはそう、言うならば闇の精霊かな。ミカ君を故郷に還すために、辺り構わず魔力を吸い上げている。」
「故郷に…?」
「希少石の貯蔵が足りない。犠牲は数十人で済むかどうか。ここを突破される前に止めないとならない。」
チャーチルは今までにないくらい真剣な声音で言った。
「アルフォート・パストラル。取引をしよう。」
「…何と、何を引き換える?」
「ミカ君を止めろ。」
「私は。ミカ様が帰りたいと願うのなら、それを止めるつもりはない。」
「彼女を人殺しにするつもりか?それに、いいのか手放して。ミカ君を好きなんだろう?」
「…それがどうした。」
ちょっと待って…今、何て言った?
唖然とする美佳にアルフォートの怒声が響く。
「お前がそれを言うのか。戦争に駆り出し、その片棒を担がせようとしているお前たちが!犠牲が出る?手放していいかだと?当たり前だ、何人死のうと知ったことか、私の気持ちなどどうでも良い!私は彼女の騎士だ、何があろうと彼女を守る!」
アル。
アル、アル、アル。
美佳はぼろぼろと零れる涙を拭いもせず枯れた喉で騎士の名を呼んだ。
…もう良い。
どれだけ酷い目にあっても、これからもっと辛い目にあわされるとしても、例え今の言葉が全部嘘だったとしても。…もう二度と家族に会えなくても。
全部、全部どうでも良い。
「ア、ル。アル。」
あんなに頑なだった精霊たちは、美佳の心がほどけていくのに合わせて、くるりくるりと舞いながらあっさり元に戻っていく。
黒から白に。闇夜に光が差すように。
煌めいたその後に、雪解けのようにすぅ、と空に溶ける。
突き刺さる胸の痛みは消えて、痺れるような甘さが残った。
「ミカ様!?」
目を瞠るアルフォートに、美佳は縺れる足で駆け寄った。抱き止められるままに背に手を回す。
「アル。…アル。」
「…はい。」
「ごめんなさい。」
「はい。」
「わたし、帰りたく、ない。離れたくない。」
「はい。」
「ずっと、側に居て。」
「はい。…ミカ様。」
上を見やれば、困ったような嬉しそうな顔をして、騎士の常緑樹の眼が美佳を見下ろしていた。




