15.5 「黒髪の騎士」
夜風が頬を撫でる。
そよいだ黒髪を煩わしく思いながら冷淡な顔を僅かに動かし、地平の彼方を見つめる。
岩場の上から眺める景色の向こうには僅かに明かりが散見された。
それは彼の立つ隣国と目下戦いを繰り広げている国の陣営の夜営地である。
こんな夜中までご苦労なことだ、と胸中で嘲笑う。表立って出さないのは、彼の背後でおそらく向こうとほぼ同じ光景が広がっているからであった。
等間隔に置かれた篝火と兵士たちは時々何か話しながらも警戒を怠らずにいる。
戦況が落ち着きつつある今も油断なくお互いを見張っているのだった。水面下では停戦の交渉も進められているが、難航していると聞く。
風にゆれる足元の小さな花が目に入る。
健気に咲くその姿も、再び口火が切られたなら軍靴に踏みにじられあっさりと散ることだろう。
ああ、腹が立つ。
煮えくり返る腸をおくびにも出さず、ただその目に怒りを燃やしながら胸中でひとりごちる。
逼迫した事情があるならまだしも彼の国が困窮したという話は聞かない。若くして即位した王の輝かしい経歴に箔をつけるために挙兵したという噂すらあり、事実であれば苛立ちも募ろうというものである。
更に言えば彼の怒りはもっと深く広い。
誰に咎められることもない彼の心の中では、攻め入る彼の国も助力を求めるこの国も、そして祖国フローゼンさえも等しく憎むべきものだった。
すなわち、戦争なんてくそくらえ、である。
もしそれを口にして聞いていた者が居れば失笑するか目をむいていたことだろう。
その特殊な家柄から正規の命令系統に属さない、どころかそもそも戦場に立つ必要すらない彼の一族は進んで最前線に赴き、武勲をあげ続けている。
国内では準将の地位に登りつめ、他国の援軍要請に進んで名乗りをあげたのもまた彼らだ。
戦闘狂とも揶揄されるコールマンの名を持つ者たちは実のところ、大の戦争嫌いであった。
それでも彼らが戦う理由はただひとつ、家族に害をなすあらゆる災厄の火種を払うため。
その思想はジャンにも息づいている。 そして魔女が喚ばれたことで、堅物の友人とその主にも彼の庇護の手は伸ばされることになった。
そう、魔女だ。
ジャンは溜め息をつく。
あのどこか間の抜けた、甘ったれの黒髪の女。
何故あんなのが来てしまったのか。
意図的でないのは理解しているが、儀式を行った精霊教会に乗り込んで罵声を浴びせたくなるくらいには、彼女は場違い過ぎた。
せめてもっと聡明であれば。あるいはもっと愚かであれば。
あんな顔をさせたかったわけじゃない。
多少は傷付くこともあるだろうと想定はしていた。
それでも、彼女の苦悩を知っている。
これから迫られるかも知れない選択も。
その時どう転ぼうとも、必ず来る後悔がほんの少しでも軽くなるようにと想った。
そう思って口を出してみればあの始末である。
理由のつかない不安に怯える子供のような表情でこちらを伺う彼女を見て、ジャンは傷付き、その後で自分がそう感じたことにひどく腹を立てた。
何もかも自業自得だというのに。八つ当たりもいいところだ。
だからそう、せめてもの償いに、当面の憂いだけは絶っておこうと思う。
幸い、あの魔女にとっては本当に幸いなことに、今の自国は平和だ。小さな諍いはあれど彼女の手を煩わせるようなことはない。
この戦いも、必ず食い止めてみせる。
例えその過程で自らが果てたとしても、家族が代わりを務めるはずだ。
彼女は悲しむかも知れないが、慰めるのは彼女の騎士がやるだろう。
アルフォートは非常に騎士に向いている。天職と言っても良い。
その風貌、気質、立ち振舞い、どれをとってもその身一つで体現している。
もしも魔女が我々の中で誰か一人を選ぶなら、我が友であって欲しいなと思う。
ジャンは知らず緩みかけていた口元を引き締めた。
背後に感じた気配に意識を向ける。
伝令役の従騎士が駆け寄って来ていた。
「ジャン特務騎士、お手紙が届いております。」
妙に歯切れが悪い。
振り向けばその幼さを残した顔に困惑を滲ませている。
「わかった。今行く。」
兄貴あたりからだろうか。
胸中で首を傾げながら、ジャンは本営へと足を向けた。




