序章
素人が思い付いた分だけ適当に書いております。
書ききる事を目標に、どなたか一人にでも気に入ってもらえたら幸いです。
そこには深い闇があった。
怨嗟の声があった。
否、正確には真暗闇というわけではない。
部屋の中央のテーブルには、据えられた白い台座に立てられたおびただしい量の蝋燭が煌々とその存在を主張していた。
だが、常ならば目映く見えるであろうその輝きも、部屋の主の黒い瞳には灰色に見えるのだった。
とうとう来た。来てしまった。
主は頭を垂れ、呪詛めいた声をあげる。
そう、それは呪いなのだ。
それはこの世に生まれ落ちたモノが産声をあげたその瞬間に、等しく降りかかる呪い。生あるからこその定めであった。
逃れるすべは無い。なぜなら彼女は生きているから。
だからせめてと彼女は震える唇で歌う。
自らにその事実を刻み込む為に。運命を認める為に。
「はっぴばーすでーとぅーみー…はっぴばーすでーとぅーみー…はっぴばーすでーでぃあっぐぇふげふ」
咳き込んだ。涙目で続ける。
「…みかちゃーん。はっぴばーすでーとぅーみー」
大きく息を吸い込むと、勢いよくぶふー、とバースデーケーキにデコられたロウソクに吹きかけた。
勢いが良すぎて火は消えたが、ロウソクはドミノ倒しのようにばたばた倒れた。ついでに生クリームも飛んだ。
事を終え、のそのそと動いて電気を付ければケーキの上はぐちゃぐちゃ、正面にあったテレビにクリームが飛散しているのが目に入る。わりと結構な惨事であった。
そりゃあ30本も立てればそうなるであろう、と美佳は今さらながら冷静に考えた。
そう、30本。
本日をもって新名美佳は30歳になった。
ちなみに独身である。ついでにいえば彼氏いない歴=年齢である。
男性の場合、30越えて独身だと魔法使いになれるらしい。ねーちゃんは女だから魔女だな、とは弟の弁だ。テレビにうすらぼんやりと映る己の姿を見て、確かに今の様相を見れば怪しげな儀式に挑むそれのようにも見えなくはないと美佳は思った。
彼氏いない、別に良いではないか。断じて負け惜しみではない。
大した病気もケガもせず、家族は健在、仕事も快進撃とは言わずとも衣食住に困らない程度の稼ぎはある。
今現在は絶賛ひとりぼっちであるが、友人からはメールで祝いの言葉が送られて来たし、両親からは宅配でプレゼントを頂いた。
男手を必要になった事は特に無いし、美佳はさして非力でもないし、電化製品のケーブルも自分で繋げられるし、虫(主に黒光りするアレ)もなんなく退治できる。つまり完璧、ちょーハイスペックである。
そういう問題ではないと言うなかれ、別に美佳とて今まで恋人が欲しいと思わなかったわけではない。
しかし思うだけで彼氏が出来るなら苦労はしないのだ。
ただ、こんな日にはちょっぴり寂しくなったりもする。
もちろん周りの気持ちやプレゼントはありがたいが、しかし彼女の心が求めているのはこうもっと、いや彼氏じゃなくてあれだ。あれ。
美佳は意識を反らすべく目をさ迷わせて、近くに捨て置いてあった女性雑誌を見た。
果たしてページをめくればそこにはモデルさんがおしゃれな服を着て犬の散歩をしている写真が載っていた。春のふわかわコーデで愛犬と桜並木をお散歩、である。
これだ。
美佳は閃いた。
こんなひらひらした服で汚れたらクリーニングが大変だとか、エチケット袋は持とうよ、とかではなく、ペット、ペットが欲しい。
自分に足りないのはぬくもりであり癒しであった。神様だか何だかの啓示を受けた心持ちだった。
弟が昔ヘンなポーズを取りながら「今朝、神の声を聞いたのだ…」とか言っていたのを思い出した。その時は弟の身というか頭を真剣に心配したものだが、ひょっとしたらきっとこんな気持ちだったのではと今さらになって理解する。
ごめんねお姉ちゃんが間違ってたよ、と美佳は胸中で謝っておいた。
さておき、ペットである。
雑誌に載っているのはチワワだった。アパートで大型犬は飼えないから、ちょうど良い。この小さなわんこがしっぽふりふりしながらこちらを見上げる様子を思い浮かべ、えへへと声を漏らす。
やだもう可愛い。
想像してしまったらもう駄目だった。チワワ欲しい、今すぐ欲しい。
幸い今日は土曜日だし、駅前のペットショップならまだ開いている。
いける、と思えば美佳は居てもたってもいられなくなり、着替えも化粧もそこそこに財布を掴んで走り出した。
「はぅああ…」
ガラス越しに見える子犬たちを前に美佳は相好を崩した。と言えば聞こえは良いが、一歩時と場所を間違えば通報されかねないレベルである。
笑いをこらえている店員と目が合って、あわてて前のめりになっていた身を起こした。
落ち着け自分、まだ勝負は始まってもいないのだ、よ。とわけのわからない事を思いながら深呼吸する。
舞い上がっているな。と美佳は息を吸いながら客観視する。久しぶりの大きなドキドキに浮き足立っている。そんな感じ。
少し思い切りが良すぎたかとためらって、しかし子犬を見てはぅあ、とまた奇声をあげた。買う前からめろめろである。
…良いよね、誕生日プレゼントだと思えば。絶対大事にするからね!
よし、と意気込んで、美佳はペットショップの扉を開けて足を踏み入れた。
「…へ?」
そこには、深い闇があった。