09
美佳がジャンに連れられて来たのは運動場のような広い砂地だった。
かなり広いスペースのところどころで、走ったり剣を打ち合ったりしている人々がいる。どうやら訓練中のようだ。
「ここは野外演習場だ。」
ジャンの声を聞きながら美佳はきょろきょろと辺りを見渡した。
ちなみにいつもの長衣は着ておらず、この世界でも珍しくない普通の服装をしている。とはいっても街娘のそれよりは少々値の張るドレスに近いスカート姿であるが。
黒髪は結い上げられており首筋を撫でる風が冷たく感じられて少し寒い。
しかし冷えるでしょうと差し出されたのはもこもこの毛皮のコートであったので美佳は丁重にお断りした。もし着ていたら相当悪目立ちしたであろう。
さて、訓練しているグループの一つにジャンは近付いて行く。美佳もとことこ後を追う。
華美ではないもののスカート姿の女性は美佳以外には見当たらず、たまに視線を感じた。
向かう先には各々獲物を振るう数人に指示を飛ばす、見覚えのある青い髪の巨躯があった。くるりと振り向く。
「おお、ミカ殿。ジャン殿も。いかがなされましたかな?」
ルドルフが人好きのする笑みを返した。
問われてジャンは美佳の背を軽く押してみせる。
「こんにちはルドルフさん。少し見学をさせて貰いたいと思いまして。」
「こんにちは。よろしくお願いします。」
美佳がぺこりとお辞儀すると、ルドルフの周りにいた剣士たちがわらわらと集まってきた。
「ジャンさんだ。」
「お、本当だ。ちーす。」
「こんちはー、ジャンさん。」
「こんちはー。」
「ジャンさん、また相手して下さいよー。」
それぞれが喋り出し、一気に賑やかになる。
しかしジャン大人気である。さん付けながらも口調は軽く、なかなかに慕われていそうな感じであった。
黒騎士は苦笑して傍らの美佳を指差した。
「今度な。今は引率中だ。」
「こんにちは、はじめまして、美佳です。」
いきなり大勢の前に晒され、少し照れながら美佳は挨拶した。
男たちがにわかに騒ぐ。
「誰っすかそれ。」
「髪黒いぞ。ジャンさんの親戚?」
「ちんまいな。」
「おー、髪黒っ。」
「黒っ。小さっ。」
…何だかものすごく馬鹿にされている気がする。
美佳はじりじりとジャンの背に隠れた。腕の隙間から様子を伺う。
「お、隠れた。」
「可愛い。」
「ちっちゃい獣みてぇ。」
「つか見えねぇ。」
「小さっ。」
「ねえ何なの?いじめなの?」
隠れたまま服の裾を引っ張る。がるると威嚇する美佳を見て男たちはげらげら笑っている。
失礼過ぎる…!
だいたい小さい小さい連呼し過ぎだ。身長はいたって平均である。横に立つジャンとルドルフが大きいからそう見えるだけで。
ジャンは笑ってよしよしと美佳の頭を撫でた。
「見ての通り、ウチの縁者だ。箱入りだからあんまりからかってやるなよ。」
へーい、と軽く返事を返す男たち。
何だかゆるゆるだなぁと思う。騎士の訓練を見るというからもっと軍隊めいた規律正しいものを想像していたのだが。
ルドルフが困った顔をして頭を下げた。
「申し訳ない。我が隊の者たちは正規の騎士団とは少々外れておりましてな。ミカ殿にお見せするなら准将の部隊の方がよろしかったのでは?」
「えー隊長、あそこの訓練は地味っすよー。」
「絶対うちの方が楽しいですって。」
「まー派手さではうちがダントツっしょ。飛ぶし。」
ぶーぶーと隊長の言い分に文句を垂れる部下たち。
地味とか派手とか飛ぶとか、訓練に似つかわしくない言葉が飛び交うが、この人たちは一体どんなことをしているのだろうか。美佳は首をひねる。
「あー、まあ失礼ですが、その楽しい訓練の方を見せてやりたいなと思いまして。」
「ほら来た!」
「ですよねー!」
彼らはジャンの台詞にはしゃぐ。
きゃっきゃするその姿はあれだ、ノリが完全に大学サークル的なそれであった。美佳もあの頃は何の根拠もなく何もかもが楽しく見えていたものだ。若いって良いね。
「そういうことであれば問題ありませんが。…ではラルス、ヘンリク。前へ。」
「へーい。」
「おしゃー、やるぜー。」
呼ばれてひょろりとした赤茶色の髪の男と、くすんだ金髪の男が歩み出た。無造作に抜かれた剣を構え、向かい合う。
「始め!」
ルドルフの掛け声と共に打ち合いが始まる。
二人はほい、とかうりゃー、とか呑気な声を上げながら刀身を当てっこしている。
…確かに楽しそうではある。当事者たちは。
ジャンを見上げると美佳の頭を掴み、向きを矯正した。
むう、と大人しく見ているとふいに気付いた。
初めはカン、カンとゆっくりだった剣戟の音が段々早くなっている。
両者はいつの間にか笑みを消し、剣の振りに力強さが見え出した。
するとその瞳が青く燃え上がるように輝き始め、いよいよ打ち合いが視認出来ないくらいになる。
機械で金属を削るみたいな音に思わず耳を塞ぐ美佳の前で彼らは大きく跳ね飛ぶように距離を開けると地を鳴らし、空を飛んだ。
「はい?」
いや比喩でなく。
青い瞳が放つ軌跡が後からついていった。
一瞬で零距離まで縮んだ二人の間で剣が交わる。打ち合いながらさらに上昇を続けると、最後にお互いに雄叫びと共に必殺の一撃を放った。
ジャンが美佳の前に手を伸ばす。
空中から回転する何かがどす、と割りと近い位置に刺さった。剣先だった。
「うわ買ったばっかなのに!どうしてくれんの給料日前だよ!?」
「だからお前は付与が甘いっていつも言ってんだろー?」
事も無げに着地した二人が、先ほどの真面目さは何だったのかと言うくらいきゃんきゃん言い争っている。もう目は青くなかった。
ジャンが首を傾け声をかけてくる。
「どうだった?」
「と」
「と?」
「飛んだよ!?この国の人たちは皆飛べるの!?ジャンも飛ぶの!?」
「いや無理だから。」
半ば混乱する美佳にどうどう、とジャンが頭を叩く。
そんな様子を見てまた男たちが笑うが、それどころではなかった。まるで漫画みたいな光景に目を白黒させる。まさか本当に飛ぶとは。
美佳の驚きように満足したらしく、彼らは朗らかに笑って言った。
「聞いたことないかな。俺ら魔力付与士っての。」
「えんちゃんたー?」
「魔法で身体能力を強化することが出来る者をそう呼びます。我が隊は全員がそれに当たります。」
「あと武器も強化すんよ。下手くそだとコイツみたいに駄目にしちまうけどなー。」
「うっせ。」
聞き慣れない言葉にきょとんとすると、ルドルフが説明してくれた。
全員、ということはルドルフさんも飛ぶのか。
この巨体が先ほどの演舞のように飛び回る様を想像して口開けてほへーと思う。
少なくとも美佳の世界ではああいうのは物語か映画の中くらいでしかお目にかからないので、驚くばかりであるがせっかく見せて貰ったので気の効いた台詞のひとつも吐きたいところである。
美佳はうんうんと頭を悩ませる。
「えーと、すごく…強そうですね!」
なぜかジャンが震えた。
どうでもいいけどよく笑いますよね貴方。
「あー、そうだな。いやまったくその通りだ。」
「いやージャンさんには敵わないっすよー。」
「そうそう、付与なしであんだけ動けるんですから。こー並み居る敵をばっさばっさと。」
口元を押さえて頷く彼に賑やかに応える隊員たち。
先ほどと同じような会話なのに、ふと違和感を覚える。何が引っ掛かったのか。
「…敵?」
美佳の呟きに、その顔を見たジャンは軽く目を細めた。
周りもどうしたどうしたと美佳を見ている。
こういうのは何て言えばいいのか、ああ、もう良い年をしてろくに働かない頭に苛立ちを覚える。
「戦争、してるの?」
「してないよ。」
わずかに苦味をにじませた優しい笑みを浮かべてジャンは即答した。
ぐずる子供をなだめるように優しく美佳の頭を撫でる。
「この国はな。ただ、隣国が他の国とごたついててな。お隣さんのよしみで少し手を貸すこともある。」
「そう。」
なるべく冷静に聞こえるように声を出す。
驚くことではない、むしろ十分にあり得る話だった。美佳の国はともかく地球でだって戦争は起こっているし、過去の闘争を掘り起こせばそれこそ数えきれないくらいだ。
そもそも訓練だって何の為にやっているのだという話である。平和ボケにも程がある。
簡単に割り切るのもどうかと思うが、ここで美佳がどうこう言ったところで変わるわけでもない。
…ただ、この心配そうにこちらを伺うこの人たちが、傷付くのは嫌だなぁ、なんて思うだけだ。
「ごめんなさい。ちょっとびっくりしただけ。世間知らずですみません。」
頭を下げて苦笑いすれば、彼らもまたすぐに元の明るい調子に戻った。
「いやいや、気にしない気にしない。」
「箱入りって言ってたもんなー。」
「ジャンさん家、男ばっかだもんな。めちゃくちゃ可愛がられてそう。」
「あー。ありそー。」
わははと笑う。
初めは機嫌を損ねるばかりだった軽さが、今は有り難かった。
「ジャンの仕事って何?」
お礼を言って演習場を離れ、部屋へ向かう途中である。
美佳の問いかけにジャンは歩みを止めた。
「聞いてどうする。」
「ちょっと気になっただけ…何か怒ってる?」
先ほどからどうも不機嫌な気がする。
演習場でのことを問題にしているのだろうか。いくら世事に疎いとはいえ自国の情勢も知らないというのは不味かったかもと思う。
それなりに誤魔化したつもりだったのだが、駄目だったか。
ジャンはちょっとしょんぼりする美佳に拗ねたような顔を見せる。
「いや。あー、怒ってはいるが美佳にじゃない。気にするな。」
「気にするよ。…あの人たちに怒ってるの?」
「違う。」
「じゃあルドルフさん?」
「それも違う…あー、もう、俺は俺に怒っている。だから放っとけ。」
よく分からないことを言ってさっさと歩き出す。
慌てて後に続きながら、ジャンが自分を責める要素が何処かにあったかを考える。
彼がしたことと言えば美佳を親戚扱いしたことくらいか。それに腹を立てているならやはりさっきのが失敗だからであって、なら原因はわたしにあるのだろうけどでもわたしには怒っていなくて、あれ?
思考がループしている。
頭悪いなぁと唇を尖らせているとジャンが戻って来て溜め息付きつつ乱暴に頭を撫でた。
ああ、侍女さんが編んでくれた髪が。
「ジャンは頭撫ですぎだと思う。」
「そういう顔をするお前が悪い。」
「お前?」
「…美佳が悪い。」
「良し。」
「良いのか。いや良いけどな。」
ようやく少しだけ笑うジャンに内心でほっとする。
彼は美佳の手を掴むと再び歩を進め出した。
引っ張られながら、昔弟に同じようにしていたのを思い出す。
お兄ちゃんがいたらこんな感じだろうか。本人に聞かれたら怒られそうである。
「明日にはアルが帰るだろうから」
「?」
「例のごたついてるところに戻る。」
唐突に何の話かと思ったが、仕事のことらしい。
言葉の意味を考えて少しへこむ。
「敵と戦うの?」
「…そうだな。」
ジャンは振り向かずに言った。
「まあ実のところ今は小康状態だ。このまま手を引いてくれれば良いんだが。」
「難しい?」
「正直分からん。だが、必要なら戦うさ。」
「…うん。」
足が止まる。俯いていた顔を上げれば、いつの間にか自室の前まで来ていたようだ。
手を離して扉を開ける。部屋の暖炉には火が絶やさず入っていて、今さらながらああ、自分は守られているのだなと感じる。
「じゃあな。暖かくしとけよ。」
「うん。またね。」
「ああ、またな。」
軽く挨拶を交わす。そこに込めた願いには気付いてくれただろうか。
扉を閉めてそこに額をぶつけた。
重く感じる身体を引きずり、ベッドに倒れこむ。
そのまま上をころころ転がって枕に顔を埋めた。ドレスに変なシワが入りそうだが気にするのもおっくうだ。
…何だか疲れた。
きっと色々難しいことを考えたせいだ。
知りたがったのは自分だが、やはりへこむものはへこむ。
しかしいつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。美加の辛気くさい顔を見たら周りの人々…とりわけアルフォートはひどく心配するだろう。
アルに会いたいなあ。
しみじみとそう思う。大して時は経っていないのに、長らく会っていない気分だ。
きっといつも側にいたからだろう。
アルの笑顔が見たい。あのふわふわな金髪をわしわししてぎゅーしたい。そして彼は焦ったような困ったような顔して美佳の名を呼ぶのだ。
そうしたら元気になれる気がする。
想像だけでちょっと笑ってしまうのだから間違いない。
早く明日にならないかな。
遠足の前日の子供みたいにどきどきしながら美佳は
枕に顔を埋めた。