第三十四話:終幕へ
「応急処置はしておきました。万全とは言えませんが、命に別状はありません。」
マリヤは傍らで不安そうに見つめているメルシーに言った。
今、聖は横になって眠りについていた。レセに全身を絞めつけられた際に受けた傷や痣が腕や足に見え隠れしているが、穏やかな寝息がこの場を安心させた。
「そうか。色々と済まない。」
メルシーは頭を下げ、素直に礼を言った。その視線は地面の方に向いていて、マリヤに向けられることはなかったが、その言葉に偽りの色はなく、マリヤがレセに捕らえられていた聖を助けたことへの感謝の念もこもっているのだろう。
まさか感謝の言葉がこの精霊の口から発せられるとは思わず、マリヤは目を丸くした。
「いえ、これくらいは……もともとは…」
…そう、責められこそすれ感謝されることなんて全くないもの…
マリヤは自責の念を胸に感じ、メルシーに事の次第を説明しようと口を開いたが、言葉を紡ぐのを止めてしまった。
すぐ目の前でメルシーは愛おしそうに聖の安らかな寝顔を見つめている。
その姿は何故か分からなかったが、マリヤの口を遮り、後悔を募らせた。
あの男…シザールが聖に対し不穏な動きをしていたのをマリヤは感づいていた。最も数か月の付き合いだけだったが、それだけで十分だった。
あの冷酷な目……あの薄ら笑い……そもそも上は何を思ってこの男を聖勧誘の一員としたのかもマリヤには謎だった。
単なる人選ミス…とすれば話は簡単だが、マリヤにはどうしてもそうは思えなかったのだ。
例え自分が住んでいた村を焼き払った相手であっても……聖さんを守るためだったら。
そう思い、吐き気を抑えながらもこの男と出来る限り行動を共にし目を光らせたが、結局防ぐことが出来なかった。今回は、たまたまアヴィズムの戦闘員、しかもシザールの息がかかった戦闘狂がこの地に何人も派遣されたと上から伝えられ、真意を確かめるべくたまたまこの地に足を踏み、狂気と化したロムと聖に出会っただけなのだ。
無力……私は……何をやってるんだろう…
マリヤは風になびく髪を片手で抑えながら、起きる様子もない聖へと目をやった。
「一つ聞きますが…あれはあなたの力ですか?」
マリヤはメルシーの方へ視線を移し無意識に言った。沈黙…風のささやきと鳥の鳴き声だけが静かに響いている。
「……私じゃない。」
メルシーは聖の傍へ腰を下ろし、悔しそうに呟いた。
「そうですか…」
…それではあれは……あの力は一体……恐らくアヴィズムが聖さんを狙う理由の一つ…
そう思いながら、先ほどの聖の姿を頭に思い浮かべた。聖のすぐ右側には、ロムが横たわっており、そのさらに横には何メートルもえぐれた地面となぎ倒された木々が無数に横たわり、巨大な何かが通った後を作り上げていた。
「聖さんは一体何を……まぁ、いずれ分かることですね。そこの方は、すでに鮮血の大樹の呪いから解放されていますから、多分大丈夫でしょう。ただ、二度とギルドの仕事をなさるのは無理だと思いますが…」
「こんな奴なんて死んでもよかったんだ。」
「…私にとってもどうでもいいのですが、せっかく聖さんが救ってくれたんですから死なせるわけにはいきません。聖さんの石を使わせてもらいましたし、放っておいても死にはしないと思いますが…後は他の方々にお願いします。私はしなければならないことがありますので、これで…」
「………」
メルシーは返事をせず、ただ聖を見つめ黙っていた。
一方マリヤも様々な疑問が頭の中で渦を巻いていた。唯一分かるのは、聖が何らかの力を使い、ロムをレセの呪いから救ったということだ。
救う方法と言ってもあの腕輪を壊すしかないのだが、まずありえない…はずだ。発動した時点で腕輪は人体と完璧に結合してしまう。また、あの腕輪は万が一にも壊れないように、幾重にも強化がなされた特注品…金剛石よりもはるかに硬い…
「あなたは本当に…。凄いですね。」
心から出た言葉…自分の本心…そう呟いた瞬間、何故か喪失感や後悔で溢れていた胸がスッと楽になっていくのを、不思議に思いながらも感じていた。嘘偽りをすることでしか生きられないマリヤにとって、本心を口にするのは遠い過去の出来事のように思えた。
聖が背中に背負った刀を抜き放ち、ロム…いやレセに刀をすぐさま振り下ろした時の迷いなき表情……まだくっきりと目の前にいるかのように目を閉じると描き出せる…
光の中だったのであまりよく見えなかったが、髪が黒く染まっていたような気がしたが…
「そんなことはありえないですよね……」
そう呟き、聖と夜空の下で出会ったときと同じように、森の中へと姿を消した。
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「動くな…」
シザールの首元にはそっとナイフが突きつけられていた。思わず体に緊張が走る。命じられるままにターシャを殺す為に握っていた短刀を止める。
「おいおい。今いいとこなんだがよ。誰だ?」
全く俺が気付かないとはな…落ち着いた外面とは裏腹に内心では驚きが隠せず、心臓の鼓動がいつもよりも早く脈打っていた。ターシャに一瞬感じたあの焦りが後ろにいる男に呼応して蘇ってくる。
「ギルバード王国三番隊副隊長、カミン・シューターだ。貴様には聞きたいことが山ほどある。それに、その子は常連なんでね。殺してもらっちゃ困る。」
王国の最強部隊。その副隊長がなぜここに…畜生!役立たずの諜報部共。そんな情報聞いてねぇぞ!!
「言っとくが答えない時は躊躇なく殺す。この子が気絶してて助かったな。遠慮なく殺れる。一つ目、お前の目的は聖か?」
カミンは突きつけていた短刀に力を込める。この位置なら、刹那の瞬間にシザールの首を刎ねることができるだろう。シザールに選択できる道は二つ…
「まぁ、その通りだ。」
沈黙を守り死を選ぶか、従ってこの場をやり過ごすかであった。その点では、シザールの経験がものをいう。その証拠に、もう心臓の鼓動は普段の落ち着きを取り戻し、脳内では様々な考えが渦巻いていた。
時間が経てば手駒が何人かあいつらを始末したという報告をしに来るだろう。ひひ、俺はただ待てばいい…すぐだ…もうすぐ…
「二つ目、約四年前にギルバートの東にあるアルカ村を焼き払ったのはお前とその組織アヴィズムか?」
「さぁねぇ…俺が入ったのは最近だから知らねぇよ。」
シザールは平然と言った。その様子にカミンは顔を険しくする。その両目でシザールを激しく睨みつける。シザールの喉に押し付けられていたナイフが、静かにその力を増していた。カミンの手が…怒りを必死に耐え震えていた。
「そうか……言っとくが俺はお前の吐く言葉など全く信じていない。もう証拠は揃っている。村を焼き、住人を残らず殺したのはお前だ。その頃お前はどこにも所属はしていなかったが、大方アヴィズムに金でその仕事をやらされたんだろう。」
「ひひ、だから知らねぇっていってんじゃねぇか。」
「惚けても無意味だ。目的は…これは俺の仮説だが…アントラの娘をさらうためだろう。それに、あいつがお前なんかに殺されるはずがない。実行犯は誰だ?これが最後だ。答えろ。念のため言うが、俺はお前が嘘をついたと感じた瞬間にお前を殺すからな。」
「ひひ、なんだ。結局は復讐かよ…副隊長ともあろう方が私怨で動いていいのか?どっちにしろ、俺の部下がすぐに来る。お前は俺が直々に殺して……」
「馬鹿め。一つ教えてやる。お前の部下など、とうに俺が捕らえたさ。レートニイやエルナも無事に保護した。あんな部下しかいないんじゃ、お前も終わりだ。俺の質問に答えろ。殺ったのは誰だ?アントラの娘はどこにいる?」
カミンが発するプレッシャーがその重みをさらに増していった。次はない…シザールは自分の立場を今一度肌で感じ取っていた。最初から選択権などなく、自分には死という終わりしか待っていなかったのだ…脱力感…死への絶望が頭の隅々を覆っていった。
「ひひ…そうか。そうだよなぁ…最初からこうすりゃよかったんだよ!!」
シザールが叫ぶのと同時に、微動だにすらしなかったラシヤ・ルーロがその炎で全身と包み込ませていく。パリン…シザールの手にはめられていた黒い指輪が音をたてて崩れていった…
「何だ?最後はこの悪霊に助けてもらおうっていうのか…無駄なことを。」
「馬鹿はお前だ!!俺はここで死ぬが…お前も死ぬんだよ。ラシヤ・ルーロの制御を解除した。こいつはある意味アヴィズムが俺に課した首輪だ。これから周囲を炎で飲み込みすべてを焼き尽くす。」
「ならその前に始末すればいいだけ…」
「この悪霊のベースの名は…アントラって奴らしいぜ。ひひ、感動のご対面じゃねぇか。」
「………。」
カミンは何も言葉を発することが出来なかった。シザールの言ったアントラという言葉が体中を駆け巡り、それが鎖のようにカミンを縛りつけた。
嘘だ…絶対に嘘だ。
無意識に手が震える…何も考えられない、ただただカミンはアントラの変わり果てた姿を見つめていた。
やる気が物凄いわくので、出来たら一言お願いします。