第二十九話:アミリヤと死神
「あんたがアミリヤか?」
この男…危険だ、血のにおいが体に染み付いている…アミリヤは、直観でこの男は敵だということを悟った。そして、アミリヤは男の口元が歪んでいるのを感じながら、厳しい口調で言った。
「そういうあなたは誰?ストーカー?」
「面白い女だな。それに美人だ…あの坊ちゃんにはもったいないな。ひひ、聖がうらやましい。」
「…一つだけ言っておくけど、死にたくなかったら聖には近づくな。」
アミリヤの迫力が一気に増していく。この状況、恐らく聖では立っていることすらままならないだろう。だが、その男はさも嬉しそうに笑っていた。
「ひひひ、いいねぇこの感じ。そんなに必死になっちまってよ。本当の親子じゃないくせに…。」
ビュッ、アミリヤが常人では、決して黙視することができない高速の突きを男の顔面にめがけて放った。しかし、男は片手で難無くその拳を防いだ。バンッ、その音だけが静寂を突き破り辺りに響いていた。
「おお、怖い怖い。さすがは元ギルド四強の一人、孤高の舞姫。もうとっくに引退したってのに大した一撃だ。」
「よく喋るわね。どこの回し者?三下君。」
「ひひ、言うねぇ。そうだな…俺の名前はシザール。アヴィズムの一級戦闘員ってところだ。今日、わざわざ来たのはよ。聖もいないことだし、あんたから聖のことを教えてもらおうと思ってな。俺もさっき言ったことしかわかんねぇんだよ。」
「私がわざわざ喋ると思ってるの?あなたは危険そうだから…ここで始末する。」
アミリヤはさらに左ての拳を放った。シザールは防御しようとするが、先ほどの一撃とは威力がケタ違いであった。衝撃を吸収しきれず、そのまま体ごと吹き飛ばされる。
「ああ、ごめんなさい。アヴィズムって組織のことも聞きたいから、もう少し手加減してあげるわ。」
今のアミリヤの表情や口調からは、何の感情も感じられなかった。ゆっくりとシザールに近づいていく。
「…ひひ、そう怒るな。聖にはなんも手荒なことはしねぇよ。アヴィズムのトップが相当聖のことを欲しがっているんでな。出来ればあんたにも協力を願いたいところだ。」
「誰がそんなこと…聖には指一本近づかせないわ。もし何かあったら、私がそのアヴィズムのトップを殺しに行く。」
「ひひ、あんたならやりかねないな。しっかし、何で元ギルドの四強の一角が聖に肩入れするんだか…聖にはそれほどの価値があるってことか。あんたは聖の本当の親を知ってんのか?」
「………。」
アミリヤは何も言わなかった。ただ黙ってシザールの方へ近づいていく。最早話すことは何もないと決めたのだろう。その眼光は、真っすぐシザールを貫いていた。
「だんまりか。そうだな…聖。十三歳。性格温厚。特にこれと言って特徴なし。あるといったらあの黒い目。髪が金髪で、目だけが黒って普通おかしいだろ。これも何か関係があんのか?」
「………言いたいことはそれだけ?」
「まだあるぜ。ギルバード王国の最強軍隊に、一番隊、二番隊、三番隊があるっていうのは常識だが、昔は零番隊があったって話だ。そこの隊長は、この国じゃあ珍しい漆黒の髪と目をしていたらしい。そいつと関係があるのか?」
アミリヤは何も言わず、右手を前にかざした。
「いでよ。アントラシヤー(跳ね踊るもの)。」
アミリヤが唱えた直後、まるでその言葉にその場の全てのものが反応したかのように、家は震えだし、空気が周囲を駆け巡った。そんな中、シザールは平然と、嫌、むしろ嬉しそうに言った。
「それがあんたの返事か?」
「私はあなたを殺す。」
アミリヤのかざした手のひらから、突然水が滴り落ちてきた。最初は数滴だったその水は、すぐに意思を持っているかのようにアミリヤとシザールの周囲を大きな円を描きながら囲みこんだ。その大きさは、聖の家がすっぽりと収まってしまうほど巨大な水の壁であった。
「言っとくけど、逃がさないわ。あなたが全てを吐いたら、楽に殺してあげるから。安心しなさい。」
そう言って、アミリヤは右手に意識を集中させ始めた。すると、どんどん水滴が集まり、ひとつの形を作り上げていく。
「ひひ、なるほど。水の扇子。だから、孤高の舞姫ってか…しかも、こうも見事に水を操るくらいだから、あんたの精霊は水の妖精だろ?…しゃあない、俺は大事な用もあるんでな。退散させてもらう。聞きたいことも聞けたしな。」
「どうやって?逃げられるとでも思ってるの?」
「あんたが引退している間、かなり精霊科学は進歩してるってことだ。ひひ、たとえばこの指輪。」
シザールは左手の中指につけていた黒い指輪を宙にかざした。
「俺は精霊なんて持ってねぇがな。ひひ、この指輪さえあれば、簡単に精霊なんて使役できんだよ。来い!煉獄の火炎。ラシヤ・ルーロ。」
その瞬間、シザールの背後に現れた黒い影が、周囲一帯全てに炎を放射した。その炎を浴びて、アミリヤ達を囲んでいた水の壁が、一瞬で蒸発し、辺りは濃い水蒸気で覆われてしまった。
「ひひ、じゃあな。」
アミリヤは、シザールの黒い影が炎を放射し始めた直後、水の壁をさらに前方に出したために直撃は避けたが、去りゆくシザールを止める手段はもうなかった。逃げられたのだ。いや、逃がしてしまったのだ。聖に確実に害を及ぼす者を、今ここで始末しなければならない存在を。
「く……とんだ失態…すみません…ロア様…ごめん、蓮華。」
アミリヤは地面を力の限り叩いた後、悔しそうに呟いた。
ちょっと頑張ってみました。
読んでくれてありがとう。