第二十七話:日常終焉
「どうした?聖。仕事は一週間後という約束ではなかったのか。」
メルシーは、聖の思ったとおり一階のリビングで、のんびりと座りながら本を読んでいた。エルナよりも小さなメルシーのその大人びた威圧的な口調は、あまりに似合わなかった。メルシーの外見は、まだほんの4〜5歳なのだ。聖の予想通り、メルシーは疑惑のまなざしで聖を見つめていた。その澄んだ目は、聖の今の状況を何もかも見通しているかのようだった。
「まぁまぁ…なんでも凄い仕事の情報を仕入れたとかレートニイが言ってたしさ。ターシャもいるし、多分楽勝だって。」
聖は恐る恐る慎重に言葉を紡いでいった。だが、聖の口からターシャの名前があがった瞬間、メルシーの表情はさらに険しくなっていった。
「……あの女と一緒に仕事をやるのか?私は反対だ。その情報とやらも、怪しいものだしな。」
「うーん…そう言えばそんな気もする…まぁ、ともかく僕は行かなくちゃなんだ。メルシーはどうする?無理強いはしないけど。」
「…寝ぼけているのか?お前が一人で行くなど、私が認めるわけがないだろう。私も行く。こんなこと、いちいち確認させるな。」
如何にも心外だとばかりに、メルシーは手に持っていた本をパタンと閉じ、おもむろに立ち上がった。その様子を黙って眺めていたアミリヤは、嬉しそうに微笑んでいた。聖とメルシーなら、どんな事態が迫ってきても問題はなさそうだ。確信はないが、そんな気持ち胸の奥から溢れてくるのだった。
「聖をよろしくね、メルシーちゃん。気をつけて行ってきなさい。」
アミリヤは、いつものように笑顔で聖とメルシーに声をかけた。メルシーはアミリヤの方に視線を向けたが、声を発さずにただ少し恥ずかしそうに頷くだけであった。
メルシーからなんとか了承を貰った聖は、すぐに二階に上がり、カミンの店から購入した黒装束を身にまとい、黒刀を背中に背負った。
「やっぱりこの服を着ると、気分が引き締まるな。戦闘は嫌だけど…」
聖はギルドに入る前から、悪霊や犯罪者と戦うかもしれないという意識はしていたが、どうしても相手を傷つける行為に、慣れるとも思えなかったし、慣れようとも思わなかった。黒刀が鞘に収まったままでも、これなら人を殺すことなく戦うことができると思い、秘かな安堵を覚える自分がいるのにも気づいていた。
これからのことを思い、カミンの店で他の剣を購入しようとしたこともあったが、聖は今では買わなくてよかったと思っている。自己満足の偽善だと分かっているが、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「はぁ…レートニイのことだから、危険な仕事なんだろうな…悪霊の大量発生…か…なんだろう、最近この町…いや、この国がおかしくなってきた気がする。アヴィズムって組織と関係があるのかな…ってしまった。カミンさんに色々聞いておくべきだった…マリヤにもあの日から会ってないし…うーん…」
今聖がいる国はギルバート王国であり、何十年も前はただの小国だったが、ある日を境に、圧倒的な武力を背に、近隣の大国をわずか数年で支配下に置いてきた。支配と言っても、圧政や過酷な税の取り立てなどは一切なく、その国の支配者階級である王族、貴族を処罰しただけで、その統治をなんと王族や貴族に不満を持つ国民の中から決めるという異例の措置を取ったのだった。無論、その国の軍の解散、武器の回収という相手の牙と爪を剥いでからの措置であったが、当時の国王のカリスマ性と手腕、その部下達の尽力によって、見事に功を奏し、武力を背景にだが表面上はなんの衝突もなく、速やかに統治がなされていった。
しかし、現三代国王、名をエルゴム・ハードが国を統治するようになってから、小さな石が坂道をゆっくりと転げ落ちていくかのように、だんだんと不穏な動きが明らかになりつつあった。現に、友好国であった東の商国ポルト共和国との戦争の噂が、静かに…だが、確実に広まりつつあった。このままでは、後三年以内に戦争が始まるだろうという声もある程である。
「聖、まだか?」
しばらく思考の世界に入り浸っていた聖だったが、いつの間にか後ろにいたメルシーの呼びかけで、ひとまず考えるのを中止した。
「考えてもしょうがないか…分かった。すぐ行くよ。」
頭の中ではどうしても釈然としなかったが、これからどんな運命が待ち合わせているかなど、現実に迫ってこなければ決して分からないということを聖は理解していた。
運命とは、常に理不尽さを兼ね備えながら、日常という平穏の隙間から襲いかかってくるのだから。
久々の更新です。