第十三話:絆
「すっごく疲れた…でも、もう少しで家だ。あと少し…」
聖の目は充血していて、足元もおぼつかなかった。しかも、一歩一歩全身全霊をかけて進んでいるその姿からは、まるで少年とは思えない、人生の辛酸を味わいつくして萎れた老人を思い起こさせるのだった。
「軟弱だな聖は。これからはちゃんと鍛えるんだぞ。」
その横で、メルシーはすっきりと、晴れ晴れとした表情で浮かんでいた。そんなメルシーに気づいた聖は、恨めしそうに睨んでいる。
「メルシー?誰のおかげだと思ってるの。結局メルシーが寝込んだ後、お酒をさんざん飲まされそうになったり、お頭にはしつこく絡まれるは、一部の人には嫌味を言われるは、その人達をジェンネが殴り倒すはで、全然疲れが抜けてないんだよ。やっと皆が夢の世界に旅立ったと思って、喜んだのもつかの間で、今度はメルシーが寝ぼけて暴れだすし…本当にグリオがいてくれて助かった。」
「記憶にないんだが…聖の勘違いじゃないのか?」
「ははは、メルシー本気で言ってるの?せっかくアジトを悪霊から、ほとんど無傷で取り返したってのに、朝には家の中と外が繋がってたじゃないか。あの壁の修理費今回の報酬から払ったんだよ?」
聖は、昨晩の苦痛を思い出すと、口調に怒りが表れるどころか、かえって笑みがこぼれ、さっぱりとしたものになっていった。メルシーは、そんな主の微妙な変化に、不気味さと恐怖を感じ取るのだった。こんな聖は、メルシーが召喚されて以来、初めてであった。誰でも、いつも怒鳴り散らし、そんな自分に快感を覚えている輩より、普段全く怒らずに、物事に動じないタイプの人間の逆鱗に触れたときの方が、より確かな恐怖を覚えるだろう。
「聖……怒ってるのか?」
「ん?……別に。」
この短いやりとりの中で、メルシーはある確信を深めた。激怒しているというほど、聖は怒っていないが、それでも一種の苛立ちや怒りを抱えているのは間違いないだろう。聖から少し離れ、不安そうに聖の顔色伺っていた。その姿は大好きな父親に怒られた娘を思い起こさせるようだった。
「そ…そうか。今日は…そうだな。ゆっくり休んだ方がいいだろう。」
「大丈夫だよ。家で少し休んだら、修行やらなくちゃ…次悪霊にあったら、本当勝てる気しないよ。もっと強くならなくちゃ。」
「…やめておけ、そんな状態でなにができる?倒れたら元も子もないではないか。」
「そっか…じゃあ、家で休んでから散歩ついでにターシャに悪霊について聞きに行こうかな。今まで奢らされた分も含めて追及してみる。」
メルシーは、ターシャを聖が口にしたとき、その言葉に敏感に反応した。ふいに何を思ったか、じっと聖を見つめてるのだった。最も聖にはその視線に気づく余裕などなく、ただひたすら前だけに意識が集中していた。太陽はもう真上に位置し、雲は太陽の光を浴びて、まるで絵画のように、悠然と空を散歩しているかのようだった。時刻は、すでに朝を通り過ぎ、昼に向かっていた。メルシーが何かを言うために、口を開きかけたが、後ろの方から周りを気にしない大声が響いてきた。
「おーい、聖ー!」
聖がその聞き覚えのある声を、頭の中で反芻させながら、振り返って相手を見た。
「はぁはぁ…聖。全く、久しぶりだってのに全然気づきやしねえんだから…聞いたぜ、ギルド入ったんだってな。本当にびっくりしたぜ。ってか、今にも倒れそうな顔してるけど大丈夫なのか?」
その人物はそう早口で言いきって、親しげに聖の肩に手をかけ、嬉しそうに笑いかけた。身長は聖よりも頭一つ分高く、背が高いというわけでもないが、その自信にあふれた顔つきは、見る人に本人を大きいという印象を与えるのだった。髪の毛は金色ではねたり寝ぐせがついてたりしていたが、それがまた本人に似合っているように感じられた。顔は、一言で言うと男前といった方が的確だろう。ただ、その顔で慌ただしく、落ち着きのない様子は、逆に滑稽ささえ感じさせた。
「うん…まだ大丈夫。本当に久しぶりだね。レートニイ。ギルドの方は順調?」
「当然。なんせ俺のチームは最強だからな。知ってるか?最近じゃあBランクの仕事もこなしてるんだぜ。悪霊だって、今月で三匹倒したしな。」
「へぇ…凄いね。チームって誰と組んでるの?」
「おお、聞いて驚くなよ。実はな…なんとあのターシャがいるんだよ。確かお前って一応幼馴染だったんだろう?あいつは凄すぎだぜ。もうターシャが入ってるだけで、この町のトップレベルチームさ。入りたいって奴が一体週に何人いることやら…後は、おれの妹ともう一人、すご腕の奴がいるんだ。はは、どうだ?聖。羨ましいだろう?」
「うーん…ターシャと一緒はちょっと。僕は一人でやってくつもりだしね。」
その言葉を聞いたレートニイは、さも意外そうな顔をした。この話をすれば、十人が十人なんとかこのチームに入ろうと思って、食いついてきたり思わせぶりなことを言うのだった。その様子を見たり聞いたりするのは、そのチームの一員として鼻が高く、何とも言えない充実感を感じるので、よく周りにチームの話をするのだが、聖のように全く関心なくそっけない態度をとる人物は初めてだった。
「いやいや、一人はきついぜ。もし良かったら、特別にこのチームに入れるように話つけてやろうか?」
「いや、いいって。気を使わなくても。」
「聖。さっさと行くぞ。時間の無駄だ。こんなお喋りに付き合っている時間はない。」
「お!これが噂の喋る精霊か!召喚された精霊がAランクなんて前代未聞らしいからな。皆がお前に一目置いてるぜ。けど美人の割には、ターシャみたいに愛想がない…口調も男みたいだし、変な精霊だな。」
あからさまに不機嫌な顔をしたメルシーを横目に見た聖は、メルシーとレートニイの間に立ち、穏便にことを運ぼうとした。それを悟ったのか、メルシーは憮然とした表情のままだったが、そっぽを向き何も言わなかった。
「メルシーはいいの精霊だよ。頼りになるしね。昨日は仕事をこなしてきたんだ。一日かけて、やっと終わったよ。」
「それそれ、俺はそれが聞きたかったんだよ。山賊って聖一人なんかで退治でるのか。まぁ、無事っぽいけど…倒せたのか?やっぱり逃げた?」
「うーん…色々あってね…なんて説明していいか分からないけど。実は、その山賊が依頼主で悪霊退治頼まれちゃってね…退治してきた。」
「はぁ?何言ってるんだ。最近ギルド入ったばっかの奴が、悪霊退治なんてできるわけないだろ?」
「黙れ、ボケ男。私がいるんだ当然だろう。」
メルシーは得意気に口をはさんだが、レートニイはただただ唖然として、言葉が出ないようだった。数秒の沈黙の後やっと正気に戻ったか、訝しげに声を発した。
「嘘だろ…で、どんな悪霊なんだ。言ってみろよ。」
「全身が赤くて、確か目も赤かったかな…鱗みたいなのが、腕に見えたけど。後は…腕から火球を飛ばしてきた。」
「ん…なんかそれ、見たことあるような…聖!今暇か?ギルド行ってみようぜ。」
「嫌だ。僕疲れたからさ。また今度ってことで。じゃあね。」
関わるのはごめんとばかりに、面倒そうにに会話を切り上げ帰ろうとする聖だった。メルシーも黙ってそのあとに続いた。だが、レートニイは異様に興奮していて、そんな聖の様子や言葉など目に入っていないかのようであった。聖の手を取り、何とかしてギルドに連れて行こうとする。
「なんだ貴様?聖は疲れているんだ。用もないのに聖に触るな。去れ。」
「うわ…凄い言い様だな。俺だって暇だから聖を連れて行こうとしてるんじゃないぜ。そういえば、聖もまだ知らないのか?悪霊にも賞金首の奴がいるんだぜ。まぁ、悪質と判断された奴ばっかだけどな。確か、全身真赤で火を使うって奴もいたんだよな。そいつ、あのロム・グルポフが狙ってるって噂で聞いたぜ。」
「ん〜今度行ったときに見てみるよ。あんま興味ないし…今眠いし。」
「何言ってるんだ聖?私達のランクが上がるかもしれないんだぞ。すぐに確かめてこよう。」
「その通りだ聖。それにこれは凄い快挙かもしれないんだぜ。しかも、あのむかつくロムを出し抜いたのかもしれないんだからな。」
「ロムを知ってるの?」
「おいおい…そんなこと言うのお前ぐらいだぜ。高慢で、女好きで、いつも下のランクの連中をからかったり、嘲笑ったりで、いい印象持ってる奴なんて皆無だよ。しかも、最近ターシャに狙いをつけたらしくてな。ターシャは全然目もくれないのに、全く懲りないで、次の日には自分にいい様に解釈してまた寄ってくるんだ。チームに入れろってしつこいし…いつも文句俺に言ってくるんだぜ。俺が邪魔してるとかなんとか…勘弁してくれよ。」
「そんなことはどうでもいい。聖、先に行ってるからな。必ず来るんだぞ。」
メルシーはそう聖に言い残し、その場に突風が吹いた直後、風になったかのように消えるのだった。レートニイも、最早ギルド行きが元々決定していたのかと、聖が疑問を覚える程しっかりした足どりで聖が必死に歩いた道のりを後にし、ギルドに向かうのだった。
(メルシー…楽しみなのは分かるけど、さっきと言ってたことが全然違う…っていうか精霊って疲れないのかな。)聖は理不尽なメルシーの行為に呆れつつ、とりあえず黙ってレートニイに続いた。しばらく歩いた後、前を歩いていたレートニイは突然振り返り、聖に目を見つめながら、聖の表情を探るように言葉を発した。
「しっかし聖がなぁ…悪いことは言わないからやめといたらどうだ?お前はギルドにむいてないと思うぜ。」
「そう?まぁ、ギルド自体にはそんなに興味がないんだけどさ。」
「自覚はあるのか。そんならさっさと誰かとチーム組めよ。強い奴と組めれば、それだけ危険は少ないんだからな。一人じゃ限度があるしな。俺を見習え。とにかく何回いやな顔をされても粘り強くがコツだな。そうすりゃ、道は切り開ける。」
「そこまでするんだ…よくやるよ…さすが、レートニイ」
聖はあきれたように呟いたが、そんな様子にレートニイはまったく気づかずに、褒められてると思っているのだろう。声高らかに笑っていた。
「何か聞こえない?メルシーかな…」
その後二人は、軽く雑談をしながらギルドにたどり着いた。その中では、何やらメルシーの声らしきものが聞こえてきた。誰かと口喧嘩しているようで、その一方の声も同じく聖にとって馴染みのある声であった。
「この声ってターシャじゃないか?」
レートニイも、中の様子に気づいたらしく、訝しげな表情を見せた。入るのを迷っているのだろう、ギルドの一歩前で立ち止まっている。
「聖…先に入れよ。この喧嘩を止められる奴はお前しかいない…と思うぜ。」
「僕は関係ないんじゃないかな…というかレートニイはターシャと同じチームでしょ。何とかできない?」
「いや、俺なんかじゃ不可能だろう…一つ言っとくが、俺のチームで俺の言うことを聞く奴なんて一人もいないぜ。それにきっとお前が原因だろうな。それ以外に考えられないし。まぁいい。腹くくって入ろうぜ。」
「…はぁ、そうだね。」(レートニイも大変なんだな…)
二人が中に入ると、その存在に気づいたメルシーとターシャは、待っていたとばかりに二人に、いや聖に押し掛けてきた。
「聖!これを見ろ。あの悪霊賞金首だったぞ!通称暴虐の火竜。賞金は金貨三枚だ。やったな。」
メルシーは、踊りださんばかりにはしゃいでいた。しかし、その横では怖いくらい真剣な顔で、ターシャは黙って聖の歩み寄り胸倉を掴んだ。
「聖…あんた、悪霊に手を出したの?」
「いや…成り行きっていうか…偶然そうなった。」
「おい、聖から手をどけろ。だからさっきから言ってるだろう。別に悪霊を狙ったわけではない。」
「そういう問題じゃないわよ。悪霊に一人で遭遇したら、すぐに逃げる。これは常識よ!」
「…一人じゃなかったよ。グリオとジェンネもいたし。なんとか無事倒せたしね。」
「…それでも初仕事でそんなことすることないじゃない。死んだらどうするの?」
「死なないよ。絶対に。」
聖をにらめつけていたターシャだったが、聖のその一言と強い目の光を見て、急にどうでもよくなったのか、呆れたのか。聖から手を離した。
「もう知らないわ。勝手にどこででも死になさい。後、一つ言づけ預かってるわ…アミリヤさんが、聖にあったら伝えてくれって。『うちでは無断外泊は禁止。帰ったら覚悟しなさい』だって。自業自得ね。」
最後に死刑宣告をして、ターシャはギルドを出て行った。その時の聖の顔は、なんとも表現しづらいが、顔色は真っ青であった。まるで、昔夢に見た悪夢を現実に再現されたかのように。
「聖、どうしたんだ?急に顔色が悪くなったが…」
「…そっか、メルシーは知らないんだっけ…多分後で分かるよ。とりあえず今日もう報酬貰って帰ろう。心配してくれてありがと。」
聖はそう言って、メルシーの頭に手を乗せ、撫で始めた。突然の行動に驚いたメルシーだったが、反抗するわけでもなく、下を向き顔を紅潮させながら大人しくしていた。
「ほぉ…メルシーって、聖に心底懐いてるんだな〜いいなぁ聖は。メルシーの体型がまだまだガキなのが残念だけどな。」
レートニイは思わず呟いたが、メルシーには気に食わなかったのだろう。顔を上げ、手をレートニイの方にむけて伸ばし、突風で吹き飛ばした。
「…ぐぇ。」
そのままレートニイは壁に頭をぶつけて気絶したのか、動かなくなった。
「おいおい…メルシー。しょうがないな。おーい、レートニイ大丈夫?」
「………。」
「まぁ、レートニイなら大丈夫か。メルシー、もうやらないでよ。危ないから。」
「ふん、こいつが余計なことを言うのが悪い。いいから、早くランクを聞きに行こう。」
辺りは突然のメルシーの突風に騒然としていたが、二人は気にする様子もなく受付に向かった。
「……というわけで、この悪霊倒したと思うんですけど。」
「承知いたしました。では、精霊メルシー。この水晶に手をかざして下さい。そうすれば確認ができますので。」
そう言って、後ろに設置してあった銀色の水晶をメルシーの前に出した。
「………」
メルシーは無言で手をかざした。その瞬間、水晶に悪霊の姿が映し出された。その映像に聖とメルシーは呆気にとられていたが、すぐに消えてしまった。
「どうやら本当のようですね。それでは、こちらが賞金の金貨三枚。そして聖様のギルドランクは、特別昇級でCランクになります。」
「ところでこの水晶って何なんですか?」
「この水晶は、精霊の見た映像を映し出すことができる貴重な物です。銀色の慧眼とも呼ばれています。聖様、初仕事で悪霊退治というのはあまりお薦めしませんが、これからもギルドのために頑張ってください。」
「…分かりました。それじゃあこれで。メルシー。」
「ふふ、そうだな。明日も早速仕事にかかろう。」
「こらこら…明日は修行頼むよ。お金もたくさん手に入ったし、仕事はいろんな意味で当分無理だろうから…メルシー、これから二人でもっと強くなろうな。」
「当然だ。」
聖は微笑んだ。それを見たメルシーも、心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべるのだった。
時間掛かってしまってすみません。これからの展開考えてたら、何回も書き直すことになってしまって…
出来れば評価の方、すっごく嬉しいのでよろしお願いします。