『因果応報』
世の中はとても狭い。
『会うはずのない人』『会うつもりがなかった人』『会うのを避けていた人』
何の因果か出会ってしまう事がある。
とくに同じ県に住んでいれば、必ずいつか出会ってしまう可能性は高い。
誰かが言っていた。
「この世には偶然はなく、全ては必然だと」
だったら私が彼女と出会ったのは、会うべくして会ったという事なのだろうか−−−?
彼女は私の存在を知らない。でも、私は彼女の存在を知っている。
私、神田陽子は高校を卒業してから運送会社の事務に就職した。
母子家庭で育ち、夜は一人で過ごす事が多かった。幼い頃はそれが寂しくその反面、それは仕方ない事だと陽子は解っていた。「母は私の為に一生懸命に働いてくれている」そんな母に文句など言えるはずがない。
授業参観など母は仕事でほとんど…というより来ないのが当たり前で、だからたまに来てくれた時は、陽子は凄く嬉しかった。
母には頼れる親族がいなくて苦労をしていた。だから陽子は少しでも母の苦労を減らしたくて就職をする事にした。母は陽子に高校を卒業してすぐに働かず、大学か専門に行って欲しかったみたいだったが陽子は特にしたい事もなく、進学する気も全くなかった。
陽子が就職した運送会社は住んでいる県営住宅から近く、歩いて40分ぐらいの所にある。働き出して9年になるが、陽子は未だに自転車で通っている。これには色々理由がある。
まずは健康の為。この年にもなると中々運動する事がなく、運動がてら自転車で行く事にしている。次に陽子が住んでいる県営住宅は1家に1台という決まりなのだが、皆平気でそれを破っていて車が通るのがやっとのスペースしかなく、自転車の方が動きやすくていいのだ。それと2台目から少し離れた駐車場に置く決まりなのだが、そこが結構な距離があり、そこまで歩い取りに行くぐらいなら維持費がかかるだけの車など必要ないと陽子は思った。
会社の人達はとても優しく、陽子は働きやすかった。今まで何度かバイトをした事があるが、人間関係が上手くいかずに辞めたり、誤解されてクビになったりして、ついていなかった。まあここでも、事務(中)とドライバー(外)との連絡が上手くいっていなくて腹が立つ事も多々あるが…、それでもそこそこ楽しくやっている。
大体どの仕事にも不満はあるものだ。不満がない仕事などないだろう。
田舎だからか、荷物を持って来られるお客さんが優しく、野菜とか色々頂いたりする。こういう心使いは「申し訳ないな」と思いつつ、とても嬉しかった。
基本的に事務は暇なのでぺちゃくちゃしゃべっている事が多いが、夏は忙しい。アルバイトの人を雇って、皆てんてこ舞いしている。それでも陽子が入った当初に比べれば、店舗も狭くなったし荷物を持ってくるお客さんも減った。
この忙しい繁忙期前にドライバーが一人辞めてしまって、市内に勤めている人が移動して来るとの事だった。何でもその人は元々ここが地元だったらしく、それなら地理に強いだろうと無理矢理こっちに回されたらしい。(なんとも可哀相な人だ…)
センター長にいつ来るのか聞いてみたが、曖昧だった。この会社はいつもこんなもんだ。適当なのだ。
事務は陽子と塚峰さん、それとパートのおばちゃんの3人で回している。陽子は基本、昼からが多いいので今日も13時に行く。
陽子はタイムカードを押して挨拶する。
「おはようございまーす」
「「おはよ〜」」
中にいる人たちから返事が返って来る。
「今日新しいドライバーさん来たわよ〜」
朝のパートのおばちゃんが陽子に情報を提供してくれる。
「そうなん?どんな人だった??」
「あんまり話す暇なかったから詳しくは判らんけど、本山くんっていって、大人しそうな子だったわ」
「ふ〜ん」
「残念な事に結婚しとったよ」
おばちゃんは本当に残念そうに言う。その言い方だとまるで陽子が期待していたみたいだ。
「いや…やめて!私、別に期待とかしてないよ!」
実は嘘。陽子は軽く期待していた。それが解っているのか冗談っぽくおばちゃんが聞き返す。
「本当に〜?2人ともええ年なのにおばちゃん心配よ〜」
ほっといてくれ。そうは思うが陽子も今年で28歳になるし塚峰さんは3○だ。(ここは塚峰さんの為に内緒という事で…)
このままだと2人とも生き遅れてしまう。お互い焦りがないと言ったら嘘になってしまうかもしれないが、正直もう諦めかけている。
出会いがないのだ。出会いを求めない自分達が悪いのかもしれないが……
陽子にはずっと付き合っていた彼氏がいだ。長く付き合っていたし、陽子はその人と結婚するつもりだったのだが…、男は他の人と結婚した。まあ、ダラダラ付き合っていただけで特に結婚したかった訳ではないので、陽子は捨てられても何も感じなかった。
休みの日も陽子はあまり出掛ける方ではなく、ほとんど家で撮り溜めたドラマやらを見てダラダラ過ごしている。だったらドライバーの中で未婚の人はいないのか?ってな事になるが、ほとんどのドライバーが結婚している。(別に興味ないけど…)
今フリーなのは谷田川とセンター長の片岡ぐらいだ。
片岡は彼女がいるとの噂で谷田川は謎だ。この人だけは仕事以外の事を話す事もないし、無口で何を考えているのか判りにくいタイプだ。
陽子の友達は結婚している子がほとんどで、子供の世話をしている友達を見ると(母親だな〜)と思う。そういう友達を見ていると陽子は取り残されて、置いてきぼりにされたような気がする。別に結婚だけが女の幸せではないが、このまま定年まで働いて老後が一人なのかと考えると、悍ましい気もする。
陽子の父は他に女を作り、借金を残して出て行った。本当に最低だと思う。だが陽子がこの男をもっとも最低だと思うのは、出て行く事を母に決断させた事だ。
母が「行かないで欲しい」と素直に言っていたら、出ていかなかったと言ったらしい。だが母は強がりな人で素直になれない人だ。そんな母に決断させて「素直に言っていたら出ていかなかった」と言った父を、陽子は最低だと思った。
確かに素直になれなかった母も母だが、母に責任を押し付けて出て行った父は卑怯だと思った。どこまでも卑怯だ−−−
こういう事もあってか陽子はどこか男の人を見下してしまう。今まで既婚者に恋をした事はないが、というより『結婚している』というだけで陽子は男として興味がなかった。だいたい自分の感情を優先して他人の家庭を壊すなんて、最低の行為だ。だからもし既婚者を好きになる事があったとしても「絶対に手を出さない」、陽子はそう心に決めていた。
不倫は悲しみしか生まないと、陽子は身をもって知っているから。
陽子は荷受けした荷物を外の棚に置きに行く。すると見た事がないドライバーが集荷して来た荷物を棚に振り分けていた。
(あぁ〜この人が本山さんか)と思いながら、どう接するべきなのか考えていた。
接客業をしているが、陽子は人見知りだった。だから『お客さん』は割り切れるが『職場の人』となると、最初はどうしても緊張してしまう。
悩んだまま荷台を押して近付いて行くと、陽子に気付いた本山が話かけてくる。
「お疲れさまです」
「お、お疲れさまです…」
「今日赴任して来た本山智志です。よろしくお願いします」
「あ、いやいやこちらこそ…」
おどおどと返事をする陽子。本山は他のドライバーに比べて色白で笑顔が爽やかだった。
「神田さんですか?」
本山は名札を見て聞いてくる。陽子は慌てて自己紹介した。
「あ、ごめんなさい。神田陽子です。何か手伝いましょうか?」
「あ、じゃあお願いします」
陽子は本山が収穫してきた荷物を棚に移す。荷物の振り分けが終わると、本山が陽子にお礼を言ってまた収穫に出た。
本山はとても気がきく人だった。事務だけど意外と大きかったり重たい荷物を持って来るお客さんがいて、それを事務の人間だけでどうにかしないといけない。女だけだと大変なのだ。そういう時に本山は進んで手を貸してくれる。荷物を発送用の棚に置く時も、さりげなく重たいものを棚に置いてくれたりする。他のドライバーではありえなく、考えられない事だった。このお陰で本山は事務の人に人気だった。 ドライバーは自分達の事は「手伝え」と言うのに、中の事は全く手伝おうとしなかったからだ。
少しずつ本山と普通に話せるようになって意外な事が解った。まず本山が私の2こ上だという事。こう言っては何だが…老けて見えて、もう35歳ぐらいだと思っていた。谷田川の方が本山よりも年上だが、谷田川の方が若く見えるぐらいだ。そして中学も一緒で部活も一緒だった。といっても陽子は入ってスグ辞めたのだが…、昔普通にすれ違っていたのかと思うと、不思議に思えて変な感じがした。
あまり他のドライバーとは仕事の話意外はしないのだが、年が近いというのもあり話しやすく、本山とはよく話をするようになった。
この時は対して何も思っていなかった。
夕方から雨が降ってくる。陽子は雨の時は歩いて帰るようにしている。雨に濡れるのは嫌いではないから小降りの時はだいたい自転車で帰るのだが、雨が強いと自転車だと帰りにくいので歩いて帰る。
行く時に雨なら歩いて行くのだが、帰る時に降り出した時は、そのまま自転車に乗って帰ったり帰らなかったりと気分次第で、今日は歩いて帰る事にした。
仕事は21時には終わりで、ドライバーと一緒に出て店を閉める。今日は本山もいて陽子が歩いて帰ろうとしていたら「送って行こうか?」と聞かれた。他のドライバーだと絶対言わないような事を言われて陽子は驚いた。別に歩いて帰れない訳ではないのだが、せっかくの申し出に甘えた。
それから雨の時、最後が一緒の時は本山が乗せて帰ってくれるようになった。
今日は珍しく朝からのシフトで陽子は眠い。ドライバーは自分より早く来て作業をしている。陽子はそういう所は尊敬していた。
陽子が出勤した時にはほとんどドライバーは出ているのたが、本山がいて挨拶をする。
「おはようございます…」
「おはよう。珍しい、朝から?」
「うん…」
「凄い眠たそうだね…」
「眠い!ドライバーさんを尊敬するよ…」
「ははっ。あ、これあげるよ。眠気覚ましに」
「あぁ、ありがとう…」
陽子は本山が差し出した缶コーヒーを受けとる。
「どういたしまして。中の人には頭働かしてもらわないと仕事がうまく回らないからね」
本山がさりげなく中の人間を持ち上げている。だが、陽子は缶コーヒーを見ながら顔をしかめて言う。
「これブラック…砂糖入りがいい」
「文句いうな」
本山は陽子の頭を軽く叩く。少しの間のあと2人は笑い合う。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
本山が仕事に出るのに陽子に挨拶し、それに陽子は笑顔で見送る。本山が乗ったトラックが出て行くのを見て、陽子は自分の感情の変化に気づく。
あれ−−−?
トクン、トクン……
嘘でしょ−−−
心臓の鼓動が早い−−−−
陽子は本山に好意を抱いているのに気づいた。まさか自分が既婚者に恋をするなんて思ってもみなかった。その焦りとこの動悸を抑えるのに陽子は必死だった。
大丈夫…、気のせいだ。こんなのはただの気の迷いよ。諦めるのは簡単…、いつもの事だ−−−
陽子はいつも相手が自分に気がないと解ると諦めていた。その程度で諦められるのだから、その程度の想いだったのだと思うようにしている。陽子の恋はいつもそうだった。
臆病で自分を受け入れてもらえないのが怖くて、勇気が出せない。恋愛ではいつも受け身で、相手に嫌われるのが怖くて言いたい事も言えなかった。
だから本山への想いも簡単に消せると思っていた。
そう思っていたが、何故か本山への想いは消えず、逆に強くなる一方だった。今までこんな事はなく、陽子は自分の気持ちが抑えられなくなっていた。もう自分でも、この気持ちをどうしたらいいのか解らなかった。
雨が降っていて今日も本山が家まで送ってくれる。陽子は断るべきだったと後悔していた。驚くほど緊張をしている自分がいる。
いつも本山は家の入り口の所まで送ってくれる。家の近くに着いて本山が陽子に言う。
「じゃあ、また明日」
「うん…ありがとう…」
お礼を言って車から降りるつもりだったが、名残惜しくて陽子は中々車から降りられない。
「どうかした?」
あまりにも車から降りない陽子に、本山は不思議に思って尋ねる。陽子は本山を見て、抑えていたものが溢れ出てしまった。
「…好きです…私、本山さんの事が好き…」
突然の陽子の告白に本山は驚いて言葉に詰まる。
陽子はこの想いを本山に伝えるつもりはなかった。でも陽子は気持ちを伝えれば、本山なら突っぱねてくれると期待した。仕事はやりにくくなるかもしれないが、本山が距離を置いてくれれば自分の気持ちも治まると思ったのだ。
ところが事は思わぬ方向に進んでしまった。
本山が陽子に少し近づき、陽子を見つめる。お互い見つめあったまま動かない。その場の雰囲気が変わった。陽子は心臓の鼓動が早く、唇にまで鼓動が伝わっているのが解る。
その場の空気を破り、2人は唇を重ね合わせていた。そのまま激しくお互いを求めあった。車を移動させ、そのまま愛し合う。陽子はこれが今日だけだとしてもいいと思えるほど、幸せだった。
家に着いて陽子は本山に別れの挨拶をする。抱き合った後というのは恥ずかしく、少し気まずかった。
「それじゃあ…また明日」
「うん…明日…」
別れ際、当たり前のようにキスをした。
あれで終わるかと陽子は思っていたが、意外にも2人の関係は今も続いている。繁忙期が過ぎると時間もあるので、2人で一緒にいれる時間も増えた。
陽子は自分が2番目でもいいと思っていた。本山の家庭を壊したくないし、壊すつもりもない。ただ本山といられるだけで良かった。だから本山が自分に愛を囁いても、どこか本気にしてなく、信じていなかった。結局、自分は愛人でしかないから。本山にとって自分は体の関係だけだとしても陽子は十分、満足だった。
だが、陽子は気づいていなかった。この行為自体、もう壊しているという事を。そしてすでに自滅に片足を突っ込んでいるという事を。
荷物を置く倉庫はほとんど誰もいない。途中帰って来ている本山と人目がない所でキスをした。職場でそういう事をするのは初めてで、なんか恋人同士みたいな感じがする。陽子ははにかんでいると後ろから声をかけられた。
「自分のしてる事解ってるの?」
驚いて振り向くと、そこにいたのは谷田川だった。陽子は谷田川の質問の意味が解っているが、知らない振りをする。
「何がですか?」
「何って…本山の事」
谷田川にハッキリと本山の名前を言われて陽子は焦った。
何で谷田川さんが知ってるんだろう…?何でバレた−−?もしかしてさっきの見られた…?
頭の中で色々考えていたが、谷田川にそんな事を言われる筋合いはなく、陽子は少し苛立つ。
「べ、別に谷田川さんには…関係ないじゃないですか」
「まあ、そうだけど…でも自分のやってる事に罪悪感とかない訳?」
あるに決まっている−−−
陽子は奥さんの事を思う度に、胸が締め付けられて苦しくなる。本山と一緒にいられるのは幸せだが、それと同時に罪悪感でいっぱいだった。
陽子は無性に腹が立って谷田川を睨む。
「あなたにそんな事言われる筋合いはありません!」
そう言い放って、逃げるように急いで事務所に入って行った。
悪い事というものは重なるもので、事務のおばちゃんが入って来た車を見て言う。
「あらあの車、本山くんの奥さんだわ。またお弁当持って来たのね〜」
何でも時々お弁当を持って来るのだそうだ。陽子は昼過ぎからのシフトが多く、かちあう事はなかった。だが今日は朝からで、本山の奥さんとまさかの対面をする事になった。
今ならまだ逃げれると思ったが、今この場から逃げるのも変だとも思った。どうしたらいいのか解らず焦燥感と罪悪感が入り混じって、陽子はどうするべきか決められない。やっぱり会うべきじゃないと陽子は思ったが、「本山の奥さんがどんな人なのか見たい」と少し好奇心がわいた。そして好奇心が罪悪感に勝った。
本山の奥さんが車から降りる。後ろ姿しか見えないがミディアムボブで可愛いらしい感じだった。陽子は緊張しながらその様子を窺っていた。そして車から降りて来た人物を見て、陽子は固まった。
陽子が一生会いたくない人物が、そこにはいた。
女は平然と受付に入って来る。
「こんにちは。主人いますか?」
女は優しい笑顔で2人に挨拶をして聞く。それにおばちゃんが答える。
「まだ帰って来てないわ〜」
「じゃあ、すみませんけどコレ渡しといて下さい」
申し訳なさそうに言いながらおばちゃんに弁当を渡す。
「はいはい。本当いい奥さんね〜」
「いや、そんな事は…それじゃあ失礼します」
女は丁寧に頭を下げて帰って行った。
陽子は固まったまま動けなかった。自分の時だけが止まり、周りだけが勝手に進んでいた。
本山の奥さんは陽子が2度と会いたくないと思っていた人物だった。本山の奥さんは陽子の腹違いの兄弟だ。
父は陽子が2才の時に出て行った。陽子には7つ上に兄がいて、父は3年ごとに他の女の所に行っていたらしい。だから陽子より年上の異母兄弟がいてもおかしくない。
血の繋がらない兄弟がいるだろうと陽子は高校の時に興信所に調べてもらった。ただ、自分に腹違いの兄弟がいるのならどんな人物なのか見たかった。男なのか女なのか、素直に見たかっただけだった。でも、行くべきじゃなかった。
向こうの家は立派だった。一軒家で庭もあって、県営住宅の自分とは比べものにならなかった。あまりの違いに落ち込んでいると、タイミングよく家族が出て来た。家族は幸せそうだった。
異母兄弟は彼女だけでなく兄もいた。陽子はいっきに4人兄弟になった。彼女は何不自由なく暮らしていた。明るく元気で、恵まれている。
陽子とは大違いだった。
陽子は彼女と自分を比べてしまっていた。何不自由なく生活している彼女と欲しいものを我慢していた自分とを。彼女と自分の差がなんなのか解らなかった。
彼女を恨むのはお門違いだと解っていたが、彼女は年が近く同性だからか、少しだけ恨んだ。
陽子は彼女の存在を知っているが、彼女は陽子の存在すら知らないだろう。
知らないというのは罪だ−−−
改めてその女を見た瞬間、陽子の中でなにかが切れた。
これも因果だ。
あなたの親は恥ずかしげもなく母から父を奪った。だったら私も、奪ってもいいのではないか−−
そう思うともう止められなかった。
『親の因果が子に報う』
親のやった事の罪を子に贖ってもらって何が悪い。
陽子の中から罪悪感が消えた。
おばちゃんに名前を呼ばれて陽子は我に戻る。
「え…何ですか?」
「もう…だから、いい奥さんだって話よ!」
「あぁ…、そうですね」
陽子は話を合わせて微笑んだ。
それからは本山と愛し合う度に前より興奮している自分がいた。あの女のを旦那を奪っていると思うだけで自尊心がくすぐられ、堪らなかった。
自分がこんなにも嫌な女だとは思わなかった。
事務よりドライバーの方が休みが多く、陽子が本山の休みに合わせては愛し合った。本山は奥さんに仕事だと言って陽子の家に来ていた。
母が帰って来るのは18時過ぎで、その前に2人で家を出る。たまに2人で遠出をしたりもした。
陽子は本山が自分を求め、自分の事を好きだと言う度に優越感を感じていた。
本山との関係が3ヶ月を過ぎようとしていた時、彼女が不安そうに受付に来て、夫の事を尋ねた。
「主人来てますか?」
「来てますよ」
陽子は平然と答える。彼女はあからさまに不安な顔をしていた。
「じゃあこれ−−」
陽子は差し出された弁当を受けとり、心配そうに彼女に聞く。
「大丈夫ですか?何か顔色悪いですよ?」
陽子の言葉を聞いて、彼女は話そうかどうしようか迷っている。それを見て、陽子はいけしゃあしゃあと彼女に言った。
「私で良かったら相談に乗りましょうか?」
彼女の不安の原因は自分だというのに、陽子は自分でもよく言うよと思った。そして陽子が優しく差し出した手に、彼女はなんの疑いもなく縋り付いた。
「ありがとうございます、お願いします…」
自分に縋り付く彼女を見て、陽子は自然と口角が上がっていた。
彼女は陽子に打ち明けた。
最近夫の様子がおかしいと。「もう弁当は持って来なくていい」と言われ、理由を聞いて納得していたが、彼女は少し気になりお弁当を持って行ったら「今日は休みだ」と言われた。それを聞いて息が止まりそうだった。
夫は休みなのに仕事だと嘘をついている。浮気しているのではないか−−
1度疑ってしまうと疑問は膨らむばかりで、もし本当に浮気だったらと思うと怖くて本人に確認する事ができない。
堰を切ったように吐き出す彼女に陽子は思ってもない事ばかり言って、彼女を安心させる。
「そんな事はない」「本山は浮気をするような人じゃない」「それはあなたの気のせいだ」と。
本心を隠して嘘をつくのは楽しい。とくに傷つけたい相手の場合は。
彼女の悲しそうな顔は陽子に喜びと幸せを感じさせた。何ともいえない気持ち良さだった。こんな快感は味わった事がない。
人の不幸で幸せを感じるなんて人間として最低だと思うが、自分でも抑えられない感情だった。
「自分が満たされている」それだけで満足だった。彼女は陽子の自尊心を満たしてくれる道具だ。
彼女が悩んで苦しめば苦しむほど、陽子は満たされた。
陽子の心にドロドロしたものが沸いてくる。とても醜い感情が全身に広がっていく。
好い気味−−−−−
陽子はどうやって彼女から本山を奪うかを考えた。陽子の提案通り、彼女は浮気の事を本山に聞いて2人の間に亀裂が出来ていた。そのお陰で本山は妻より自分に執着しているというのは解るが、それでもやはり本妻には勝てない。この執着もいつまで続くか解らないし、いつあっちに戻ってしまうか解らない。
徹底的に本山を自分のものにする為には、子供を作るのが確実だと陽子は思った。
自分の周りはできちゃった婚が多いいが、珍しく本山はそうではなかった。でもこれはこれで悩みが生まれる。結婚して7年になるが子供が出来ずに悩んでいた。それで元々、2人の間には距離が出来ていたのだ。本山は子供好きで、とても子供を欲しがっている。
そこにつけ込もうと思った。それに本山も陽子との子供を欲しがっている。
どっちが先に子供が出来るかで勝敗が決まるという事だ。
今日も2人は陽子の家で愛し合っていた。すると陽子の携帯が鳴る。音で彼女からだと解る。多分、今日陽子が休みだと知っているから話を聞いて欲しくてかけてきたのだろう。あまりにもしつこく鳴るので本山が聞く。
「鳴ってるよ。出なくていいの?」
そう聞かれて、待ってましたと言わんばかりに陽子が微笑して答える。
「いいの…対した電話じゃないから」
電話の音を聞きながらそのまま続けた。彼女の着信音が陽子に、とてつもない昂揚感をあたえる。
陽子の快感は最高潮で、優越感に酔いしれていた。
仕事場で本山と顔を合わせる度に2人は微笑み合い、目で会話した。ドライバーは忙しいからあまり話せないが、陽子はそれだけで幸せだった。それでも仕事場で谷田川を見かけると、陽子は嫌な気持ちになった。彼女への罪悪感が消えたからこそ、余計に谷田川の視線が痛かった。
何を考えているのか解らない、あの非難されてるような目で見られていると感じる度に、陽子はおかしくなりそうだった。
お店を閉めるのに事務の人間だけだと閉められないから必ず夜間配達があるドライバーが一緒に残ってくれる。今日閉める為に残っているドライバーは、谷田川だった。陽子は気まずくて仕方ない。何か言われるかと思って陽子はビクビクしていたが、終わるまで谷田川は何も言わなかった。
シャッターを閉めて陽子は谷田川に一応挨拶をする。
「お疲れさまです」
「お疲れ」
何も言われないで良かったと安心して自転車を取りに行こうとしたら、陽子は谷田川に手首を掴まれた。
「いつになったら気づくの?」
「離して下さい…」
手を引っ張って握っている手を離させようとするが、力が強くてびくともしない。陽子は谷田川から逃げたい気持ちでいっぱいだった。
「お前自分の顔見てみろよ、酷いぞ!」
「煩い煩い煩いっ!何なんですか!?ほっといて下さい!!」
「ほっとけるか!人の幸せ壊そうとしてるのにほっとけるかよ」
「な…」
「頼むから止めろよ、止めてくれって…」
谷田川に懇願するように言われて陽子は戸惑う。
こんな谷田川を見たのは初めてだった。
陽子は頭がパニックになる。どうしたらいいのか解らなくて、とりあえず谷田川から離れたかった。
「離して下さい…」
谷田川は、今度は素直に離してくれた。陽子は必死に走って自転車が置いてある裏に逃げた。
谷田川の行動が何なのか理解できない。とにかく陽子には谷田川が怖くて仕方なかった。
谷田川が居ないのを確認してから陽子は自転車に乗って帰った。
本山と愛し合った後に陽子はいつも妊娠検査薬で確認していた。早く本山の子供が欲しかったのだ。
今も妊娠検査薬で確認していると、すると反応が出た。陽子は妊娠した。妊娠検査薬の陰性のマークを見て陽子はほくそ笑む。
勝った…これであの女に勝った−−−、これで、完全に本山は自分のものだ。
陽子は勝利に酔いしれる。
次の日すぐに妊娠の事を言うと、本山は凄く喜んでくれた。陽子を抱きしめ「結婚しよう」と言う。陽子は本山を抱きしめ思う。
あぁ、これで本山は自分のもの−−−−
幸せを噛み締め、そう思っていると、吐き気がした。急に吐きそうになり、トラックから降りて裏の物置に行って吐いた。本山が心配そうに追いかけて来たが、陽子は追い返した。
「やめて、来ないで!向こう行って!!」
あまりの陽子の剣幕に、怖じけづいて本山はトラックに戻った。
陽子は吐いて目が覚めた。
自分がした事のくだらなさにまた吐き気がした。そして自分のバカさかげんに嫌悪していた。
陽子は後悔の渦にのまれる。渦が容赦なく襲ってくる。陽子はその渦にのまれていた。
自分達を捨てた父と同じ事をした男を愛してしまった。あんなに嫌悪していたのに、それと同じ事を自分もしてしまった。
虫酸が走る−−−
それに気づいた途端、陽子はもう駄目だった。
この吐き気が悪阻なのか嫌悪なのか陽子には解らないが、本山が気持ち悪くてしょうがなかった。
その日に陽子は辞表を出して辞めた。そんなの「受理できない」「認められない」と言われたが、次の日陽子は会社に行かなかった。というより行けなかった。
本山から何度も電話がきた。家にもしつこく来たが夜にはさすがに来なかった。携帯の電源は切った。
娘の突然の行動に母は事情を聞くが、陽子は何も答えられず、母に顔向けできなかった。家にいられなくなった陽子は家を出る事にした。出て行く理由を母に聞かれ、陽子は「自立のため」とバレバレの嘘をついた。だが母は、その嘘を信じてくれた。
引っ越しの日−−−
平日の方が安いので、引っ越すのは平日にした。母は休むと言ったが、これで一生会えなくなる訳でもなし、仕事に行ってもらった。
荷物を全部トラックに乗せ終わり、持って行こうとする業者さんに陽子は挨拶をする。
「じゃあお願いします」
「まかせて下さい」
業者さんは笑顔で言ってトラックを出す。去って行くトラックを見送りながら、自分もバスに乗って行こうと思っていると谷田川がいた。陽子が驚いていると谷田川が近いて来る。
「何で…?」
あまりのタイミングのよさに陽子は疑問しか出ない。
「あの引っ越し業者に知り合いがいて、それで…」
「そう…なんですか…。よく知ってましたね…うちがここだって…」
「履歴書見たから」
谷田川の返事をきいて(あぁ…本当あの会社は…)と陽子は呆れる。呆れていると谷田川が聞いてきた。
「どうするの?これから?」
「ここにはもう居れないんで…とりあえずは引っ越してから決めます」
「…子供は?」
まさかそこまで知られているとは思わず、谷田川は超人かと思う。
「何で知って…」
「おばちゃんが言ってた。多分あれは妊娠してるって…」
(さすが…ベテラン…、経験者の目は誤魔化せない…)
陽子はおばちゃんの勘に称賛するしかなかったした。そして陽子は谷田川に謝った。
「ごめんなさい。谷田川さんが何度も気づかせてくれようとしたのに、私聞かなくて…」
お腹を触りながら自分の気持ちを谷田川に伝える。
「この子には悪いけど…、一人で育てます」
陽子の決意を聞き、少し言いにくそうに谷田川は言った。
「俺じゃ駄目かな…?」
「何がですか?」
「その子の父親…」
「え…!?」
目が飛び出るほど陽子は驚いた。谷田川にそんな事を言われるとは、思いもよらなかった。どう答えていいのか解らず、言い淀んでしまう。
「でも…−−」
谷田川は全てを知っている−−−
それでもいいというのだろうか?本気でこの子の父親に、なりたいと思っているのだろうか−−−?
「−−いいんですか?だって…」
「お前の子だろ。なら愛せる」
谷田川にハッキリと言い切られて、陽子は後悔した。
あぁ、何でこの人を愛せなかったんだろう−−
陽子は心からそう思った。
谷田川が陽子に手を差し出して言う。
「これから新しい所に行くんだろ?一緒に行こ」
人の家庭を壊そうとした、いや、ほとんど壊している。そんな自分が幸せになっていいのか解らない。
それでも陽子は、差し延べられた手を掴まずにはいられなかった。
『因果応報』を読んで下さってありがとございます。
正直、復讐なのかよく解らないんですが…そこはご愛嬌で(笑)
これはある意味実話で(家族の所が)、母子家庭でニートなんてマジで最低だなと思っています…。
私は父の事を全く恨んでおらず、多分いるであろう異母兄弟に会いたとは思っています(笑)
最近、蚊に悩まされて困っています…、皆さんは大丈夫ですか?
気にいってもらえるか解りませんが、読んでもらえると嬉しいです。




