VII「太陽」「砂時計」「見えない目的」
私が時計技師としてこうして職に恵まれるまでには、長い道のりがあった。
子供のころから時計というものに憧れてやまなかった私は、時計と名のつくものは全て分解して回らなければ気が済まなかった。家じゅうの時計を分解し、――特に祖父の古時計を分解したときは大変怒られたものだが、それでも懲りずに時計の分解を繰り返した。安価に手に入る置時計や腕時計は頻繁に購入しては分解したし、砂時計は分解しようとして砂を零してしまい、元に戻せなくなったこともあった。懐中時計は友人のをこっそり分解してメンテナンスし、元に戻したこともある。電波式のデジタル時計は分解したはいいもののどういう構造なのかがさっぱりわからなかった。水時計や発条で動くような古風な時計は分解しがたいオーラを放っているし、日時計はそもそもどうやって分解するのだろう。太陽をばらせばいいのだろうかなどと考えたこともある。
このように、私にとって時計とは他に得難い魅力あふれるものなのだが、残念なことに私の友人知人、もちろん家族を含めてこの趣味が理解されていたかというと決してそうではなかった。小さいころから時計ばかりと戯れていたからか親は私に時計を触らせたがらなかったし、友人たちは私が時計を見る視線を性的だなどと囃し立てた。私はそんな中で幾度も時計のことを忘れようとしたし、そしてそれはものの見事に一度もかなうことはなかった。
そして学校を卒業すると私の時計に対する依存度はさらに上がって行った。給料は基本的に時計を買うことに使ったし、仕事中も時計のことを考えるとぼーっとしてしまい、上司に叱られることも多かった。私が時計を愛おしげに見つめるのを見て、何か見えない目的があって時間を待っていると誤解されることも多かった。そんな状況なので私は仕事で結果を残せず、割合早々に解雇されることになってしまった。
そうして余暇を得た私はますます時計にのめり込むようになり、どこの国ものともしれぬ時計を買いあさっては分解し、解体しては組み立て直して行った。工具店などを巡って材料を揃え、時計を自作することもこの頃には多くなり、日がな一日中時計と向き合う私のことを家族はとうとう発狂したと思ったらしい。そんなものは家に置いておくわけにはいかないということで私は山奥の、地価の安い場所に工房兼販売所として時計店を与えられるにいたった。決して稼ぎは多くないが、それは私が初めて時計と向き合うことを許された場所だった。
そして今、私は決して繁盛したとは言えなかった店の中での半生を振り返っている。店に初めに置いた古時計はもう色褪せている。
「あぁ、これでようやく、時計と眠ることができる」
私はそうして、時計とともに眠る。




