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アニメ化すらならそのアニメに対する愛を見せてほしいと思う、割とマジで

作者: 水源
掲載日:2026/09/21

パチンコ・パチスロ、一番くじなどの「アニメ化以外の市場展開」は大幅に整理し、**Web小説→書籍→コミカライズ→アニメ化という流れ**は残しました。全体の主題が「なろう系が多い理由」と「選ばれた作品をどうアニメ化するか」に集中するよう調整しています。


「なろう系アニメは、なぜこんなに多いのか?」


 ネットを見ていると、「またなろう系か」「また異世界か」といった声をよく見かける。では、本当に現在のアニメは、なろう系やライトノベル原作ばかりになっているのだろうか。


 実際に2026年のアニメを見てみると、少なくとも原作ジャンルとしては漫画のほうが明確に多い。2026年1月期では63作品中39作品が漫画原作で61.9%、書籍原作は19作品で30.2%。4月期でも71作品中42作品が漫画原作で59.2%、書籍原作は21作品で29.6%。7月期は68作品中36作品が漫画原作で52.9%、書籍原作は25作品で36.8%だった。あくまで個人による集計なので業界全体の公式統計ではないものの、「アニメの大半がなろう系」というわけではないことは分かる。


 それでも、なろう系がやたら多く感じられるのはなぜなのだろう。おそらく、作品そのものが持っている記号性が強いからではないだろうか。異世界転生にチート能力といった要素は非常に分かりやすいからこそ、同じような作品が続くと「またこのタイプか」と感じやすいのだと思う。


 少なくとも私は、「また週刊少年ジャンプからのアニメ化かよ」という声は、あまり聞いたことがない。もちろん、ジャンプの漫画も同じような作品ばかりというわけではなく、作品ごとに違いがありながらも、ある程度の「ジャンプらしさ」はある。


 逆に、なろう系と呼ばれる作品群は、異世界、チート能力などの共通する記号が目立つため、一括りにして語られやすい。つまり、実際の本数だけではなく、「目につきやすさ」も大きいのではないだろうか。


 では、そもそも、なぜWeb小説やライトノベルを原作とする作品がここまで増えたのか。私は、その理由の一つとして、美少女ゲーム原作アニメが減ったことがかなり大きいのではないかと思っている。


 2000年代には、『Kanon』『AIR』『CLANNAD』『School Days』など、美少女ゲームを原作とするアニメがかなり目立っていた。もちろん、美少女ゲームそのものからアイデアが完全になくなったという話ではない。


 そうではなく、男性向けエンターテインメントとして、多数のヒロインを配置し、主人公との関係を軸に長く楽しませる作品を大量に供給する仕組みそのものが変わった、と考えたほうがいいのではないだろうか。


 当時は「美少女ゲーム→アニメ」という流れがあり、そして現在は「Web小説→書籍化→コミカライズ→アニメ化」という流れがかなり目立つ。もちろん、両者は同じものではない。


 しかし、「男主人公がいて、魅力的なヒロインキャラクターがいて、その人物たちとの関係を長く楽しんでもらう作品を大量に供給する」という意味では、ある程度似た役割を果たしているようにも思える。


 そこで思い浮かぶのが、あの有名な言葉だ。


「戦いは数だよ、兄貴」


 この言葉は、コンテンツ供給という意味ではかなり正しい。そして、それが美少女ゲーム原作が減り、なろう原作が増えた最大の理由の一つでもあるのではないか。


 美少女ゲームを一本作るには、シナリオだけでなく、CG、音楽、プログラムなど、多くのものを用意しなければならない。当然、時間も金もかかるし、基本的にはゲーム会社で作れる数以上は作れないはずだ。


 一方、Web小説なら、基本的には個人が文章を書いて公開するところから始められる。もちろん、人気作を生み出すことは簡単ではない。それでも、「世の中に存在する作品候補の数」を増やすという意味では、Web小説のほうが圧倒的に有利だろう。


 しかも、カクヨムなどのWeb小説投稿サイトを見ていると、一人の作者が一作品だけではなく、複数の作品を公開していることもある。


 つまり、出版社やゲーム会社が一つの企画を立ち上げて作品を生み出すのとは違い、個人の作者一人からでも複数の作品候補が生まれる可能性がある。こうした積み重ねが、Web小説全体の作品数をさらに増やしているのではないだろうか。


 KADOKAWAも、ライトノベルについて「アニメやコミックなどへ展開する原作IPの起点」と位置づけ、2026年3月期には年間1,000点を超えるライトノベル作品を刊行する計画だとしている。2025年3月期も約900作品のうち約4割が新シリーズだったという。もちろん、出版点数の多さとアニメ化作品の質は別の問題だが、「大量に候補を生み出す」という仕組みそのものは、現在かなり大きくなっている。


 しかし、これらの作品の中から、どうやってアニメ化する作品が選ばれるのだろうか。


 こうして大量の作品が投稿され、それを読者が読み、ランキングなどで人気が可視化される。その中から出版社が作品を選んで書籍化し、さらにコミカライズされ、そこで新たな読者を獲得した作品が最終的にアニメ化へ進む。こう考えると、アニメになる前に何重ものフィルターがかかっていることになる。


 だからこそ、ここで私は一つ疑問に思う。これだけ大量の候補から選別されているはずなのに、なぜ似たような設定や展開の作品が、繰り返しアニメ化されるのだろうか。


 もちろん、人気があることと、作品としての完成度が高いことは同じではない。Web上で読まれやすい作品と、漫画として面白い作品と、アニメとして面白い作品では、それぞれ求められるものが違うだろう。ランキングで目立つこと、継続して読まれること、漫画にしたときキャラクターが映えること、既存の市場に乗せやすいことなどを考えると、「一番面白い作品が選ばれる」というより、「次のメディアへ展開しやすい作品が残りやすい」という側面もあるのではないかと思う。


 ここで、私はスタージョンの法則も思い出す。


 スタージョンの法則とは、「どんなジャンルでも、その九割はくだらない」という有名な考え方だ。もともとはSFに対する「SFはくだらない作品ばかりだ」という批判への反論として使われた言葉だという。


 これを『機動戦士ガンダム』にたとえるなら、戦場では名前もない雑魚のモビルスーツが次々と撃墜されていく一方で、アムロやシャアのようなエースパイロットは生き残り、何度も大きな戦果を上げ続けるようなものだろう。大量に投入されたものの多くが消えていく一方で、その中から生き残った少数の存在が、結果として強く人の記憶に残る。


 だとすれば、なろう系だけを特別扱いする必要もないだろう。ミステリーだって、映画だって、世の中にある作品の大部分を凡作と言おうと思えば言えてしまうし、下手をすれば、人間そのものだって「大部分がモブ」と言えてしまう。


 カクヨムの作者で作品が売れてる有名な人が1割も居るであろうか?ということでもある。


 だから、「なろう系には駄作が多い」という話だけでは、あまり意味がない。問題は、その大量に存在する作品の中から、どの作品を次のメディアへ送り出すのかということなのではないだろうか。


 もちろん、なろう系そのものが悪いという話でもなく、最近アニメ化された面白い作品は数多くあり、たとえば『薬屋のひとりごと』や『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』のように、Web小説を出発点としながら大きな成功を収めた作品もある。


 ただそれらがオバロ・リゼロ・このスバ・転スラに匹敵するかと言うと?ではありますが、ロシデレはかなり話題になっていた気がします。


 さらに、Web小説発という括りからは外れるものの、『負けヒロインが多すぎる!』のように、現在のライトノベルから生まれ、アニメ化によって高く評価されている作品もあり、実際、『このライトノベルがすごい!2025』では文庫部門で1位を獲得している。つまり、問題は「Web小説だから」「なろう系だから」「ラノベ原作だから」という単純な話ではない。


 むしろ、現在の仕組みには、かつてよりも大量の原作候補を生み出せるという大きな強みがある。そして、その次の段階として、私はコミカライズにはかなり明確な意味があると思っている。


 文章だけでは分かりにくい情景を、漫画なら視覚情報として補うことができるからだ。建物がどのような形をしているのか、登場人物がどんな服を着ているのか、キャラクターがどんな表情をしているのか、戦闘で何が起きているのかといった、文章を読むだけでは読者の頭の中で補わなければならない部分を、漫画なら絵として見せることができる。


 だから私は、Webで原作をすでに読んでいる人にとっても、コミカライズには意味があると思っている。文章をそのまま本にまとめただけの書籍化とは違い、「漫画という別の表現」で作品をもう一度楽しむことができるからだ。まあ、コミカライズは話の進みがめっちゃ遅いのが欠点ですが。


 ただし、せっかくコミカライズしても、一巻、二巻程度で打ち切られてしまう作品が多いのであれば、そのメリットも十分に生かせない。


 漫画によって世界観やキャラクターの魅力を伝え、そこからさらにアニメへつなげるのであれば意味がある。しかし、その作品が育つ前に終わってしまえば、漫画化によって作品を広げるという役割そのものが十分に果たせないのではないだろうか。


 これは、角川映画がかつて小説と映画、さらに主題歌などを連動させて作品を広げた、いわゆるメディアミックスの考え方とも通じる部分がある。Web小説から書籍、漫画、アニメへと形を変えながら、一つの作品を広げていく仕組みだ。


 ただ、ここで問題になるのが、これらが本当に「作品を育てる階段」になっているのか、それとも「次の商品へ送り出すための中継地点」になっているのか、ということだと思う。


 アニメには、原作を知らない人に作品を知ってもらい、新しい読者を増やす力がある。『鬼滅の刃』のように、アニメ化をきっかけに原作が大きく伸びた例もあるし、ライトノベルでも『オーバーロード』『Re:ゼロから始める異世界生活』『この素晴らしい世界に祝福を!』などで、アニメ化前後に原作の発行部数が大きく伸びたことが確認できる。


 だからこそ、アニメには単なる「原作の宣伝」以上の役割があるはずなのだ。


 ところが、ここでアニメが単なる中継地点になってしまうと話が変わってくる。


 私は『異世界のんびり農家』が好きなのだが、アニメを見たときには、かなり「ダイジェストだな」と感じてしまったし、特に2クール目はその傾向が強く感じられた。


 単純に登場人物が多すぎるのがアニメ化では致命的だったかもしれないし、原作では時間をかけて描かれていた出来事や人物関係、世界観などが、短い話数の中に圧縮され、いろいろとすっ飛ばされたエピソードも多かったからだ。


 原作を知っている人間なら、「ああ、あの話をこうまとめたのか」と補完できる。しかし、原作を知らない人が見た場合、「何だかよく分からないけれど、いろいろ起きている」という印象になってしまう可能性が高そうに感じた。


 そうなると、原作ファンからすれば物足りず、原作を知らない人には作品の魅力が伝わりにくいという、かなり苦しい状態になってしまう。


 ただ、ここで注意しておきたいのは、これは決して「なろう系だからアニメ化が難しい」という話ではないということだ。


 ジャンプ漫画ですら、原作人気が高い作品をアニメ化すれば必ず成功するわけではない。たとえば『チェンソーマン』は放送前から大きな期待を集めた一方、演出や作品の見せ方については賛否が分かれた。『SAKAMOTO DAYS』も、漫画で評価されているアクションをどうアニメに変換するのかという難しさが出てくる作品だ。


 つまり、原作が人気だからといって、アニメも自動的に成功するわけではない。


 漫画には漫画の見せ方があり、小説には小説の見せ方があり、アニメにはアニメの見せ方がある。原作をそのまま再現することが正解とも限らない。大事なのは、「この作品の何が面白いのか」を考えたうえで、その媒体に合った形へ作り替えることなのだと思う。


 もちろん、すべての作品を原作そのままに長期間アニメ化しろと言っているわけではない。アニメにはアニメの事情がある。かつては一年単位で放送する作品も珍しくなかったが、現在は一クールや二クールを基本とする作品が多く、限られた話数の中で物語をまとめなければならない。


 これには制作費の高騰、かつての4クール作品の打ち切りの多さ、放送枠や制作スケジュール、出資者側の事情などもある。何が当たるかわからない以上、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」理論で、できるだけ多くのタイトルを確保しなければならないという事情そのものは理解できる。


 ただ、ここで私は一つ考えてしまう。


「戦いは数だよ、兄貴」とばかりに大量の原作候補を生み出せるようになったのなら、その中から選ばれた作品を、今度はもっと大切に育ててもいいのではないだろうか。


 ガンダムで例えるなら、ガンダムWや00に出てくる主人公機ガンダムのような別格に強いエース機と、それに続いて安定して戦果を上げられる量産機の両方が揃うのが理想なんだと思う。


 Gガンダム? 生身のほうがMSより強いとかは、またどうなのかと思うけど?


 大量に作品を作ること自体は悪くない。むしろ、作品の数が増えれば増えるほど、今までなら世に出なかったような変わった作品や、思いがけない才能が出てくる可能性も高くなる。


 だからこそ、問題は「なろうやカクヨム原作アニメが多すぎる」ことではなく、大量に存在する作品の中から、どこまで丁寧に選び、その作品の魅力をどこまで引き出せるのか、ということだと思う。


 スタージョンの法則を持ち出すなら、九割が凡作でも構わないし、むしろ、数が増えたことで「残りの一割」が見つかる可能性が高くなるなら、それ自体は悪いことではない。


 問題は、その一割をきちんと見つけられているのか、そして、見つけた作品を、せっかくのアニメ化で潰してしまっていないのか。そこは、もう少し考えてほしいところだ。


 そして、これはなろう系だけの問題でもない。


 その一例として、私が思い浮かべるのが『銀魂』だ。原作の内容をただ映像に置き換えるだけではなく、原作のギャグやキャラクターの魅力をどう見せれば面白くなるのかを、制作側が本気で考えていることが伝わってくる。


 もちろん、すべての作品を『銀魂』と同じ作り方にする必要はないし、現実的に多分できない。


 しかし、「この作品を本当に好きだから、ここまでやる」という制作側の愛情やこだわりが見えるアニメには、それだけで原作ファンとして嬉しくなるし、原作を知らない人にも作品の魅力が伝わりやすくなるのではないだろうか。


 それにしても『7SEEDS』のアニメ化は酷かったなぁと思うが、これも見事なまでのダイジェスト化だったので、私の大好きな漫画だったことを考えると、本当に残念だった。


 結局、なろう系だから悪いのではなく、Web小説だから悪いのでもなく、大量の作品が存在することも、それ自体は悪いことではない。


 せっかく「戦いは数」で大量の原作候補が生まれるようになったのだから、その中から本当に光る作品を選び、その作品を本気で好きな人たちの手で、一本のアニメとして大切に作ってほしい。


 そうすれば、「またなろう系か」と言われる作品が増えることそのものではなく、「また面白い作品が出てきた」と言われる作品が、もっと増えていくのではないだろうか。

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― 新着の感想 ―
・・・これも、かつての水源さんらしくないエッセイだなぁ。 以前は端的に問題点を指摘していたのに、最近はやたら回りくどい文章が延々と繰り返されるようになってます。 AIって『くどい』内容を『回りくどく…
原作があるならそれに沿ってほしいですよね… 銀魂は実写化もわりと面白かったですし、作り手によるんだなぁと思わされました。 ガンダムは新番組になるごとにメカデザインが複雑になって、いやまあかっこいいです…
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