はじめまして、あなたの妻です
振り上げられた剣が空を斬る。
うまく避けたつもりだったが、その切っ先がわずかにドレスの裾をかすめた。
「お嬢様!」
護衛の叫び声を背に受けながら、街道のわきに広がる森へと駆けた。
「ここは任せろ! おまえたちは侍女と共に森を抜け、襲撃の報告を!」
「えええ!?」
動揺する護衛たちを無視してそのまま森の中へ足を踏み入れると、思った通り、襲撃者たちが追いかけてくる。
──狙いは、私一人。
敵の数は多い。生け捕りにして、目的を吐かせるのは骨が折れるだろう。全員切り捨ててしまえば、真相は闇の中。それはあってはならないことだ。うまくやり過ごして、応援を待つ。
木々の生い茂る森の中で、長剣は扱いづらい。追ってくる男の一人が剣を投げ捨て、私に掴みかかろうとした。
その手に、ドレスの下に隠していた短剣を突き刺す。悲鳴を上げる顔面を蹴り上げて、ヒールをめり込ませておいた。
女だと思って完全に油断していたであろう他の追手たちが、驚いて足を止める。
その一瞬の隙に、木々に紛れるように逃げた。
──けれど。
「──あ」
急に視界が開けて、足下は崖だった。高さはさほどないけれど、その下にはずいぶんと急な流れの川がある。
慌てて踏みとどまったけれど、すぐに追ってきた男たちに囲まれてしまった。
……こうなったら、仕方がない。
応戦のために短剣を握り直し、ぐっと踏みしめた足場が、しかし突然崩れ落ちた。
視界が反転する。
空が、青い。
強い衝撃が体に走って、水の感触がした。
────その先のことは、あまり覚えていない。
◆
騎士になるのが夢だった。
武の家門に生まれ、幼い頃から兄たちと共に剣を振るった。成長した兄たちは近衛騎士団に入団し、すぐに頭角を現しその実力を認められた。
だから自分も兄たちの背中を追い、いつか肩を並べられたら──と、そう思っていた。
現実は残酷だ。
夢は叶わなかった。
王命により、辺境に嫁ぐことが決まってしまったのだ。一度も会ったことのない男と、書類上の 手続きだけで夫婦となった。そして、王都から馬車に乗り、辺境へと輿入れに向かった。
その道中だった。襲撃に遭ったのは。
本当に、人生は何が起こるかわからない。
私は今、とある伯爵領の自衛団のところで世話になっている。
「よう、お嬢。おかえり。聞いたぜ。クルトとガレスと、三人で巡回中に盗賊に遭遇したって?」
「ただいま、ローガンさん。耳が早いですね」
「そん時襲われた張本人が、ここに駆け込んで来たからなぁ。おたくの自衛団に助けられたけど、女の子が盗賊に囲まれてて危ないって。心配すんなって笑い飛ばしてやったけどな!」
がはは、と大口を開けてローガンさんが笑う。
クルトとガレスは、私の後ろから興奮気味に顔を覗かせた。
「いやぁ、本当に凄かったんすよ、お嬢は! 一人で盗賊五人をのしちゃったんすから」
「オレたちの出番はなしですよ。あのおっさんも、慌てて逃げ出さなけりゃお嬢の腕前を拝めたのに、もったいねぇなぁ」
二人が口々に私を誉めるのを聞きながら、ローガンさんは満足そうにエールを煽った。
あの日、川に落ちた後。
下流に流された私を助けてくれたのがローガンさんだった。
ローガンさんは、この自衛団の団長をしている。私の父ほどの年齢だが剣の実力は一番で、無骨な男たちを腕力と大らかな人柄で見事にまとめ上げている。
私たち三人に「腹減ったろう、座れ」と促したローガンさんは、自衛団の拠点ともなっているこの酒場を切り盛りする、自身の妻であるヘレンさんに、酒と料理の追加を頼んでくれた。
夕暮れ時の酒場は、活気に満ちている。
届いた肉に勢いよくかぶりついたクルトとガレスの横で、ナイフを使って肉を切り分ける。その仕草をじっと見て、ローガンさんは困ったような顔でため息をついた。
「……本当に、とんでもないのを拾っちまったなぁ……。オレたちはずっと居てくれて構わねぇ……どころか、お嬢が居てくれた方が助かるが……。いいのか? いつまでもこんなとこに居て」
「迷惑でなければ」
短くそう返すと、「当たり前だ!」とびっくりするくらい大きな声が降ってきた。
ローガンさんは恩人で善人ではあるが、私の素性は明かしていない。とはいえ、初対面でドレス姿を見られているので、平民でないことは勘づかれているはずだ。
面倒な訳あり貴族であることは明白なのに、ローガンさんは深く追求せずに保護してくれた。本当にいい人である。
もともとは、ローガンさんのことも信用し切れなかったから黙っていたのだ。
私を襲わせたのが誰か、私にはわからない。だから無闇に話さない方がいいと判断した。
辺境伯は、前当主が魔獣との戦いで命を落とし、最近まだ年若い息子に代替わりしたばかり。そのため政敵とのいざこざなど、不安定な辺境伯の地盤を強化すべく、私の嫁入りが決まった。
その辺の経緯を考えれば、辺境伯の政敵あたりが私を襲わせた、と見るのが妥当だ。
しかし、もし襲撃を指示したのが辺境伯本人だったら?
初めから政略での結婚に不満があったのだとすれば、辺境に到着後、毒殺されるという可能性も捨て切れない。
敵がはっきりしない以上、しばらくは身を隠す方が無難だと判断した。
それに護衛を逃がしてあの場に留まった無鉄砲で本末転倒な私の行いを、家族──特に兄たちと父は絶対に物凄く怒っているだろうし。隠れている間に怒りがおさまらないものかと考えていたりもする。
それにしても、ここはあまりに居心地がいい。いっそのこと……。
「ずっとここで世話になるというのも、悪くないな……」
思わず漏らした言葉に、ガレスが反応して身を乗り出した。
「そりゃあいい、みんな大歓迎だ。若い連中なんか、みんなお嬢に惚れてるからな。ほら、クルトなんかどうだ、お嬢?」
「いやちょっと! ガレスさん……!」
ガレスにばしんと背中を叩かれたクルトが、赤い顔でこちらを見る。さすがにここで黙っておくのも良くないだろうと口を開いた。
「私は既婚者なんだ。一応夫がいる」
クルトばかりでなく、ガレスとローガンさんも驚いたように目を見開いた。
空気が凍りついて、しばらくしてローガンさんが呻きながら頭を抱えた。
「なんてこった……! こんな若いお嬢さんが、結婚してたのか! ますますまずいだろ。旦那はほっといていいのか!?」
「会ったこともないので、たぶん」
ローガンさんたちは更に目を丸くして、それから憐憫の表情を浮かべた。
「お貴族様の都合は俺たちにはわからんが、お嬢はここに居たいだけ居ればいい」
「ありがとう、ローガンさん」
ローガンさんが私の前に置かれた木製ジョッキになみなみと果実酒を注いでくれて、ガレスとクルトが大皿料理をこちらへ寄せるようにテーブルの上を滑らせる。
なんだか温かい気持ちになって、ジョッキに手をかけた、その時だった。
「団長! 大変だ!!」
酒場の扉が勢いよく開いて、顔面蒼白の男が飛び込んできた。
「なんだ? 騒々しい」
「騎士団が来てる! それも、辺境の……!!」
「……辺境騎士団? なんでまた、この伯爵領に……。魔獣でも出たのか?」
「違う。この酒場にまっすぐ向かって……もう、すぐにここへ!」
男の言葉を証明するように、外から異様な音が響いてくる。統率の取れた足音、鎧の擦れる金属音。
皆が一斉に窓の外を覗き込む。宵闇の中で、鉄の壁がずらりと酒場を取り囲んでいた。
「囲まれてる……!!」
さっきまでの気持ちはすっかり萎れて、鉛を飲み込んだように胸の奥が重くなった。指の先が冷たくなって、心臓が嫌な音を立てる。
私についていた護衛から報告を受け捜索が始まったならば、動くのは王都の騎士団であるはずだ。まだ見ぬ夫の軍勢が、わざわざ伯爵領の、しかもこの小さな酒場を包囲する理由など、ひとつしかない。
──あの襲撃の黒幕は、辺境伯だった。
私を始末し損ねたことを知り、今度こそ確実に仕留めるために辺境騎士団を動かしたのだろう。
そうとしか考えられない。
「冗談だろ……!? こんな場末の自衛団が、騎士団に目ぇつけられるなんてことあるか!?」
「どうします団長!? いくらなんでもオレたちじゃ、逆立ちしたって敵いっこねえし……!」
怯む団員たちを鼓舞するように、ローガンさんは思い切り椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
「落ち着け! ここには関係のない客もいる! 俺たちが守らなくてどうすんだ!!」
その一言で、団員たちがはっとして冷静さを取り戻す。長剣を掴んで掲げたローガンさんにならい、恐怖に顔を強ばらせながらも次々と剣を手にする。
私も長剣を手に立ち上がり、扉へ向かうローガンさんの前に立ちはだかった。
「私が行きます」
「……はぁ!? 馬鹿なこと言うんじゃねえ!」
「彼らの狙いは、私なので」
ローガンさんが息を呑んだ。
「お嬢、おまえ、一体何者だ……?」
「巻き込んで申し訳ない。色々ありがとう」
私のせいで、自衛団のみんなが傷つけられるなんてことがあってはならない。私を保護し、居場所をくれた優しい人たちだ。
恩を仇で返すようなことはしない。無謀な戦いに挑むのは、私一人で十分だ。
踵を返した私の背に、ローガンさんの慌てた声が追いかけてくる。
「……っ、待て! それねら尚更、お嬢を行かせるわけにはいかねえだろ!!」
その声を無視して、扉を思い切り蹴り開ける。勢いのままに、濃さを増していく夕闇の中に飛び込んだ。
外に出た瞬間、肌がひりつくほどの殺気に晒された。
それは包囲網の中心。漆黒の髪と揃いの毛並みの馬に跨る、一人の男。
他の騎士とは明らかに違う。纏った衣服の豪奢さも、放つ空気も、何もかも。
──敵の大将がわかれば簡単だ。
頭を討てば、下は乱れる。狙いは決まった。
息を大きく吸って、地を蹴る。
圧倒的多数の敵を前にして、できることは限られる。たった一人現れた私の出方を測っている、その一瞬の隙をつく。
──奇襲、一択。
酒場の前に積み上げられた酒樽を蹴り上げて、並び立つ騎士たちの中に転げ落とす。崩れた隊列の隙間をぬって、その中央へと駆けた。
自衛団の服の裾を翻し、一気に距離を詰める。
迷いなく男の首元へと放った一閃。
──けれどそれは、無造作に弾かれた。抜刀さえもしていない、男の大剣の鞘で。
鼓膜を震わせる高い金属音が響いて、剣を握る手から全身へ、びりびりと衝撃が走った。
「……っ!」
体が後方へと弾き飛ばされて、急いで体勢を立て直す。
強固な砦そのもののような男は、馬から飛び降りると強烈な威圧感を放ちながら剣を抜く。一段と冷えきった空気を低い声で震わせた。
「逆賊め……! 俺の妻の輿入れ中に襲撃し、一体何が目的だ!?」
「…………えっ!?」
「今すぐ、妻を引き渡せ。華やかな王都から我が領のため、王命の犠牲となり嫁いでくれた妻だ。怪我ひとつでも負わせていようものなら容赦はしない。……万一、最悪の事態であれば、貴様ら全員命はないものと思え!!」
男が吠えた。
次の攻撃に備えていたはずの私の体が、完全に硬直する。
輿入れ中の襲撃なんて話、偶然の一致ではきっと有り得ない。誤解、もしくは情報操作が働いているようだが……。
──間違いない。
辺境伯エドガー・ヴァルハルト。闇が濃くなってきて顔がはっきり見えないが、目の前の男は、私の夫だ。
会ったこともない妻のために、辺境伯が自ら騎士団を率い、奪還のためにここまでやって来たというのか。しかも恐らく、物凄く怒っている。
私を援護するべく、酒場から武器片手に駆け出そうとしていた自衛団員の面々も、揃って足を止めて私を見た。
「……おい、お嬢。まさか……」
ローガンさんの呟きをかき消すように、夫が大剣を振り下ろした。とんでもなく速い。
咄嗟に体をひねり、避けきれない剣先を長剣で薙ぎ払う。
腕が、剣が、折れそうな程に重い。
吹っ飛びそうになりながらも、剣をなんとか握りしめて堪える。
……さすが。
年若くとも、魔獣を狩る辺境の主。軟弱な王都の貴族とは全く違う。兄たち近衛騎士ともまた違う。
これをまともに食らったら──。
そう思った瞬間には、真上から強烈な一撃が降ってきた。
考える前に体が動く。全身全力で、その一振りを受け止めた。
一際激しい音と衝撃が腕を襲う。
地面にめり込むような錯覚を覚えながらも、正面から受けた大剣の重みに必死で耐える。
一瞬でも気を緩めれば、ひとたまりもない。死と隣り合わせの戦いの最中、背中からぞくぞくとした何かが這い上がってきた。
それは不思議な高揚感。
交差する剣の先に覗く夫の顔。その口元で、彼の口角もまた上がっていた。
「小柄だとは思っていたが、女か。よく俺の剣を受け止めたな」
感心したようにそう言った夫と、至近距離で目が合う。
薄暗がりの中で見るその顔は、圧倒的な強さや迫力に反してやっぱり若くて、思いの外あどけない。
そんな夫の瞳が、突如驚愕に見開かれた。
「…………その、顔」
剣にかかっていた強烈な重さがふっと消えた。
夫が慌てて懐から紙を取り出す。それは事前に辺境に送られていたはずの、私の釣書だった。
私の顔と釣書を交互に見比べた夫は、唇を震わせながら言葉を絞り出した。
「……あなたはもしかして……アイリス・グランディール侯爵令嬢だろうか」
先程までの鬼気迫る殺気を放っていた男とは同一人物とは思えないほど、頼りない声。戸惑いと安堵の入り交じった顔に、自然と笑みが零れた。
「姓がかわりまして、今はアイリス・ヴァルハルト。はじめまして、あなたの妻です」
襲撃の黒幕だった政敵は、その後然るべき制裁を受けました。




