The only clue
サブタイトル『The only clue / 唯一の手掛かり』
スゥーッと木刀の位置を落とし、迫る『H²-Viltis』の顎に向けて、
下から一気に突きあげた! と、同時に向こうも拳を握りしめ、前へと突きだそうとしていた!
俺達は、新たなる敵を前にしてもひるむことなく攻撃に移る九の動きに見とれっぱなしだった。
そして今、両者の攻撃が繰り出された後の光景を俺は唖然と見ている事しかできなかった。
キュッと床との摩擦音が響く。
初撃を与えたのは九だが、彼は無傷だった。そして大きく後退する。
一方『H²-Viltis』なるゾンビは初撃を顎に入れられ、且つ己の攻撃も空振り。
大きく態勢を崩し、床に伏す。
「案外脆かったな。」
言葉はただ静寂に響くだけだった。終始唖然と見ている人がほとんどだ。
「な、なぁ、幽。……あいつの動き見たか?」
「あ、ああ……。」
「なんつー動体視力してんだよ。土壇場で踏み止まるなんてよ……。」
「あいつ、ひょっとすると俺より強いかもな。」
放った一言に皆が反応した。
「な、なんだって!?」
「幽、その話はマジなのか?」
「し、信じられん……あの少年も相当の実力者だったとは!」
周りも少しざわつき始めた。
さっきの言葉は率直な感想でしかないけど、敵対してみるともっと実感できるんだろうな。
味方のうちは重要戦力となりえるだろう。が、敵対するとなると、もはや野に放たれた虎同然。
一体どこまで強いんだ? ……ちょっと聞いてみるか。
「九……お前、今何をした?」
「んー……簡単な事だ。拳を食らう前に一発入れて引き返したんだよ。」
「一発入れて……か。」
一発入れて引き返す……という表現はたぶん正しいのだろう。
キュッと音が鳴ったのは踏ん張りを利かせたからで、一撃入れてからは脚力で体ごと後ろに引いた……
といったところだろうか?
「幽、一体どういう事なんだ?」
小声で藤島が問う。俺も小声で答えた。
「恐らく、そのまんまだ。素早く顎に一発入れたところで足の力で体を後退させたんだ。
だから無傷だし、向こうも空振りしたんだ。」
「そ、それって……難しいのか?」
「難しいなんてもんじゃない。土壇場だとセンスも必要になってくるし、なにより
体ごと後ろに引っ張るなんて芸当は相当の力がないと無理だぞ。」
「それじゃ、あの九ってやつは……。」
「ああ。あいつはこの中だけじゃなく、生存者の中でも屈指の実力者……!」
冷やかな目線でH²-Viltisを見下ろす九。
興味が削がれた人形を見るような意欲の消失を思わせる光景。
だが、まだ勝負は決してはいない。後は、影山の戦いが問題だ……!
未だ影山と啓は向き合ったままで動かない。お互いに隙を窺っているのだろうか?
無音と思われた空間に暗がりの中から足音が響いてきた。こちらに近づく人影……。
ようやく光の当たるところに姿を現したのは硲だった。
「……まだ、研究の余地がありそうですね。それにしても一撃ですか……。」
虚空のような静けさに硲が言葉を紡いだ。
「コンパクトというアイディアは非実戦的だったようですね。」
「…………。」
啓は無言のままだった。
その後にため息を吐いて硲の方へと向き直った。
「あれほど忠告しといたじゃねぇか。 コンパクトはこういうのは性にあわねぇって……。」
「あまり体格が大きいと潜伏場所の護衛にも使えませんからねぇ。パワーだけを考えて
体格の縮小化も計算に入れましたが……駄作だったようですね。」
「元々がでかすぎるんだって! やっぱりアレの方が絶対イケるぞ。」
「アレですか……あんまり『超人もどき』を生み出すのは気が引けるんですがねぇ。」
「それでも『もどき』止まりだろ?」
「……まぁ、今回はこういう結果だったということにしましょうか。それより、
どうしてまぁこんなに囲まれているのか……。」
影山は未だに動かない。じっと見据えるだけ。二人相手では分が悪いと感じだのか、
それとも硲の実力を察したのか……。
俺は止まっているエスカレーターを通じて1階へと降りた。
どうにも分が悪い。1階にいるのは影山と九。ここで大半の勢力をぶつけてでも止めなくては!
降りてきた俺の方を見て硲が言う。
「新堂幽君とはただならぬ縁がありそうですねぇ。こうも短期間にお会いすることになるとは。」
「……そんなことはどうでもいい。どうしてあんたらがここに?」
「その質問には答えれませんねぇ。しかし、こうして公にされてはもうここに戻る事もないでしょう。」
「俺達が安々と返すと思うか?」
「チームワークもできていない集団じゃとてもとても……捕えるなんて無理ですよ。
そもそも1階に身を同じくしているのは君達3人だけじゃないですか。」
「まぁ、3人だが……戦力じゃどうかな。」
「自信が御有りならどうぞご自由に。ゲームスタートです。」
途端にバッと方向転換し、闇へと掛けてゆく硲。追おうとすると……
「待てよ、幽にぃ。」
「啓、邪魔をするならお前からでもいいんだぞ。」
「甘いよ幽にぃ。刺し違えてもって言われるとショックだったけどそうじゃなくて安心したよ。
でも、こういう場面で情が出てちゃリーダーとしては格下だよ?」
「なんでも捕えて殺せばいいってわけじゃない。必要な時に最小限の害で留めておくだけだ。
硲を殺せば現象は変わる。少なくとも妙な研究でここ一帯が被害を被ることもなくなる!」
すると、顔つきを変えて啓は言った。
「何言ってるのさ……幽にぃ正気?」
「どういう意味だ?」
「そのまんまさ。俺達はここ一帯で活動しているのは事実だ。だけど、他のやつらは見境なく
気のままに各地でゾンビをばら撒いてるんだよ? ここで俺達が死んでも何一つ変わらない。
いや、これからもっとひどくなる。」
「他の研究者も手を伸ばしてきてるのは分かってる。『地這い鬼』も
あれからどうなってるのかは分からないよ。だけど、そう延命できるような固体じゃないだろ?」
「巨体だからってなめてるのかい? 貪欲なだけに地上全てを荒らすようなゾンビだよ?」
「そうだな。でも、俺達にはゾンビには持ってない力もある。 ……もうそこをどいてくれないか。
俺もこれ以上待つ気は無いんだ。」
「嫌だね!」
俺はこれ以上言葉は言わなかった。足と手が先に動き、啓の元へと、強打する場所へと俺を運んだ。
矛を薙ぐと啓も対向してきた。大きな爪で威力を殺す。啓は後退した。
「……あの時以来だね。こうして一戦交えるのは。」
「若干こっちが不利みたいだな……爪もかなり堅そうだ。」
「もうすっかりいい感じになってきてるよ。食らってみる?」
「お前にゃ無理だな!」
啓の方向へとダッシュ! 矛を薙ぐ構えも取って準備万端の姿勢だ!
啓が防御の姿勢を取る。これは大きなチャンスだ……!
予想通りのポイントで薙ぐ。脇腹を狙った一撃。向こうも予想通りと言う感じでジャストポイントでの防御。
しかし勢いをつけて吹っ飛ばすぐらいの力を込めただけあって、啓も薙ぐ方向へと吹っ飛んだ。
よし、回路は開かれた!
「勝負はここまでだ。じゃあな!」
啓に向かって終戦を告げる。
その後はただただ硲が向かった闇へと走るだけだった。
暗いな。電気は元々付いていないし、そとの日の光が届いていないからだろうか?
それにしてもここ、結構続いてるな。ショッピングモールを甘く見ていたな。
そして奥に到達した。壁だ。食品売り場の壁側と言ったところか。
魚類、肉類のトレイが並んでいる。距離を置いているが、若干の腐臭が鼻を刺す。
どこに逃げた、硲のやつ……。
見渡してみると出入り口がある。隅の方にポツンと扉がある。が、その扉は開かれたままだ。
硲の事だ。何か策があっても不思議じゃないから入口で待つ事にしよう。
だが、チンタラやってる暇は無い。啓はふっ飛ばしたとはいえ強い肉体、精神力がある。
床に思い切りたたきつけられたところで復帰は時間の問題。もうこっちに来てるかもしれない。
用心に越したことは無いが、一応……少し離れた位置で見張るか。
「…………。」
沈黙がただただ流れる。啓は一向に姿を現さない。……そういえば、啓はこちらに来るとは限らない。
集団の方に目を向けたか? いや、九の強さはやつも目にしているはずだ。
それでも勝つ自信があったということか? 考えづらいな。俺と互角と言った啓が、
九に自信ありげにして戦うなんてありえない。
となると、別か? 例えばさっきの一線でのダメージが予想以上に大きかったとか……。
それもないか。聖奈の血でも耐えに耐えきったんだ。あの程度、比べるとどうということもないだろう。
考えていると、開いたままの扉の奥から硲の姿が現れた。俺は硲だけに意識を向け、
矛で空を切る。音に気付いて硲がこちらを向く。すると、硲もこちらに近づいてくる。
お互いに距離が開いた位置で立ち止る。
「ようやく1対1でやれる時が来たな。」
「クク、勝ったつもりですか? 待ち伏せされているとは思えませんでしたが……啓を突破されるとは。」
不敵な笑みを浮かべる硲。俺は動じずに続けた。
「何、殺しちゃいないさ。」
「ほう、聖奈の血は使っていないんですか?」
「使わなくてもここまでこれた。」
「……啓君、後ろで待機してるなんて性質が悪いですよ。」
「何ッ!?」
急に不安に苛まれた。俺とした事が見落としていたというのか……? 迂闊だった!
ガバッと後ろを振り向く。しかし、そこに啓の姿はなかった。ようやく思惑に気付いた時には遅かった。
「全く、隙だらけじゃないですかッ!」
振り向くとすでに硲との距離は近かった。そして俺は硲の拳を避けることができなかった。
拳が俺の腹部に埋もれるように凄い力で突きだされた!
クソ、やられた……! あんな浅はかな言動にハメられるなんて!
「ゲホッゲホッゲホッ! て、てめぇ……!」
「まだまだ、ここまで来られたからにはもうただでは済まされませんよ!」
床に一気に崩れおちてしまった俺に強烈な蹴りを入れてくる!
ただひたすらに防御に徹するしかなかった。こいつ、人間なのか? 啓と同じぐらい力がこもってるのに……!
ついに俺はもうほとんど動けない状態にまで痛めつけられた。不意に首を掴まれ持ち上げられた。
硲はそのまま壁に向かって叩きつけるように投げた。
「ガフッ ガハッ」
「もうすっかり虫の息ですねぇ。」
「ケホッケホッ お、お前……本当に人間なのか?」
「……ええ、人間ですとも。一目見た時からあなたには勝つ自信はありましたよ。
あの九という少年はなかなか見所がありそうですねぇ。」
「啓じゃ勝てねぇ……だろうな。」
「面白い見解ですが、一理あると言っておきますか。野性的な彼に啓君ではまだ無理があるでしょうね。」
「今頃啓はどうなってるんだろうなぁ。」
「啓君の心配ですか……。余裕ですね、幽君!」
ゴスッ 蹴りが入る。俺はもうもがくしかなかった。血も流れちまったな。
鼻血もでてるし、口からも吐いちまったし……。
「そろそろ見せしめと行きますか。」
首を掴まれる。そしてそのまま床をただ引きずられてゆく。俺は動けなかった。
もう流れるがままにされるしかなかった……。
時間がゆっくりと感じる。硲が何も話さないからかもしれないが、死ぬ間際というのはこんな感じなのだろうか?
長い時が流れた感覚の後に、引きずりが止まった。硲が止まったのだ。
その後、頭をがっしりと掴まれ、体が持ち上がった。俺はもう瞼を閉じているので、
眼前の光景が全く見えない。が、聞こえてくるものは鮮明に伝わってきた。
「皆さん、これをご覧なさい!!」
硲が少しざわつていると思われた空間に思い切り言い放った。
どこからともなく聞こえてきていた激しく動く足音も止んだ。視線をたくさん感じる。
次の声が聞こえてきた。大門さんの声だった。
「まさか……新堂幽か!?」
「幽! てめぇ、幽に何しやがった!」
さらに藤島の声。次に硲が言った。
「どうやら1対1で決着をつけるようでしたが……所詮はこんなものですかね。」
「てめぇ! ふっざけんな!!」
藤島の声が響く!
エスカレーターを下りてくる音。そしてこちらへと向かってくる足音。
「そんなに返してほしければどうぞ、そらッ!」
ブワッ この上へと持ちあがる感覚は……! 俺、投げ飛ばされているのか!?
「幽…………ガハッ!」
床にたたきつけられるものかと思っていたが、俺は誰かにキャッチされたようだ。
だが、近くで聞こえてくるのは藤島の声じゃない。耳元で聞こえてきたのは
「感情で勝てるほど私は甘くないですよ。」
硲の声だった……! そして藤島の呻く声が聞こえてくる。
その後は床に下ろされた。 クソ、藤島にまで手を出しやがって……!
「新堂君! いま助ける!」
この声は……影山さん!? ダメだ! 勢いだけで勝てる相手じゃないんだ!
「おっと、ここから先は通行禁止だ。」
啓の声。予想通りだったな。外傷もまだまだ浅いか……ダメージも軽そうだ。
「幽……って言ったな?」
この声は……九か。
「助けてやるからそこで待ってろよ。」
その後、すごい速さで駆け巡る音。走るスピードが速いのか?
「グホッ!」
啓か? まさか九のやつ、あっさり啓を突破したっていうのか!?
「ちょうど向こうも目当てが幽君みたいですし、今回は退散させていただきますよ。啓君!」
「痛て……わかってるよ!」
硲が大きく俺から離れ、そのまま走る音が遠ざかる。啓の方も走って行ったようだ……。
「おい、幽! しっかりしろ!」
九の声が耳元で響く。
「幽!」
次に藤島の声。俺も必死で声を出してみた。
「ゲホッ! ……心配、するな。ちゃん、と……生きてるって。」
「もうボロボロじゃないか! 急いで手当てしないと……!」
「運ぶから我慢しろよ!」
体位が大きく変わる。俺、背負われているのか。
ヤバい、もうそろそろ意識が薄れて……ま、まだ俺にはやることが!
と、扉の場所を教えて調べさせないと……!
ダメだ、口が開かない。瞼が開かない。声も遠くなっていく。
「しっかりしろよ、幽! 聖奈に手当てさせるからな!」
「…………!」
藤島が言う。九は黙ったままだ。視界が無いから周りが理解できない。
こうして身動きが取れずに徐々に闇に沈んでいくのは流石になれないな。
意識は九の背中の上から離れて行った……。黒い絶望は再度、俺を苛む結果となって事は終結した。