よい子のための指導案
春の風が、まだ少し肌寒い四月の朝。私は、新しく赴任した中学校の校門をくぐった。名前は南雲遥。二十七歳。教職五年目。前任校での“ある事件”を機に、ここへ転任となった。この学校は少し特殊だった。
——生徒数わずか56人。統廃合寸前の小さな町の中学校。新任の私は2年B組の担任と国語教師として配属された。教頭は笑顔で言った。
「この学校では“人の目”を大事にしています。生徒をよく観察し、よく記録し、よく導いてください」
その“記録”という言葉に、私は少しだけ胸がざわついた。私のクラスには23人の生徒がいた。全体的に静かで、素直な子が多い。——だが、その“静かさ”がどこか不自然だった。笑い声が少ない。反抗も少ない。授業中に私が一度「静かに」と言うだけで、全員がピタッと黙る。その整然とした雰囲気に、私は違和感を覚えた。同僚にそれを話すと、彼はこう言った。
「この学校では、悪い子はいなくなるんですよ」
冗談だと思った。最初は。
毎週月曜日、担任は“指導記録”を職員室のロッカーに提出することになっている。
所定のノートに、**「問題行動」「言動」「表情の変化」**を細かく記録する決まりだった。正直、やりすぎだと思った。だが、それがこの学校の“伝統”らしい。「記録がなければ、指導にならない。指導にならなければ、教育ではない」そう言って、教頭は指導案を提出しない先生には圧力をかける。まるで“教師のための監視社会”だった。ある日、一人の生徒が学校に来なくなった。名前は安田叶多。おとなしく、特に目立つことのない男子生徒だった。
だが、私は知っていた。彼は私の授業中、いつもノートに“何か”を描いていた。漢字の練習でも、俳句でもない。人の顔。何十枚も、何百枚も。しかも全部、同じ顔だった。
大きな目。真一文字の口。
よく見ると、それは私の顔だった。
叶多がいなくなって一週間後、私は偶然、旧校舎の鍵を手に入れた。資料室の片隅にひっそりと置かれた、小さな木箱。その中にあった。夜、こっそり旧校舎に入ると、カビの匂いが鼻を刺す。廊下の突き当たり。鉄製のドア。そのプレートには、かすれてこう書かれていた。
「指導準備室」
私は息を呑んで、鍵を差し込んだ。中には机が三つと、ロッカーが一列。奥の棚にはびっしりと並ぶノート。その背表紙には生徒の名前と、学年、年度が書かれていた。そして、赤く塗りつぶされた“印”。叶多のノートを見つけ、開いた。最後のページに、こうあった。
「記録完了。指導不能。再配置」
再配置——どこへ?
私は、背筋が冷えるのを感じた。
その日から私は、夢を見るようになった。
真っ暗な教室。誰もいないはずなのに、机に座る生徒たち。全員が、私をじっと見つめている。夢の中で私は言う。
「立ちなさい。あなたは、わるい子ですね?」
生徒は首をかしげる。その顔が、笑っているのに、泣いている。そして私は、手にしたチョークで、生徒の額に“バツ印”を描く。
何度も、何度も。
目覚めると、手にチョークの粉がついている。
私は気づいていた。最近、クラスの生徒の顔をよく覚えていない。まるで、毎日少しずつ、違う顔になっていく。口数の少ない子。まばたきが少ない子。以前はいなかった“無表情の子”が、徐々に増えている気がする。
ある日、クラスの出席簿を見た。
“23人”と記載があるのに、教室にはどう数えても21人しかいなかった。
なのに誰も気にしない。出席も、通知表も、成績表も——“その2人”の存在を当たり前のように扱っている。
その年の三月。卒業式の前日。校長から呼び出された。
「先生、立派な一年でしたね。あなたの“指導力”は群を抜いている」
意味が分からなかった。
「…私は、生徒を何人か“失った”はずです」
校長は微笑んだ。
「“失った”とは思わない方がいい。“変わった”のです。あなたの言葉で、あなたの目で、あなたの記録で」
私は背筋が凍った。
——“記録する”とは、“変える”こと。
“変える”とは、“消す”こと。
つまり私は、“自分が正しいと思う生徒像”に合わない子を、記録によって塗り替えていた。
私は教頭に詰め寄った。
「私がやってきたことは——教育ではない。洗脳だ」
彼は言った。
「じゃあ訊きます。南雲先生。あなたにとって、“よい子”とは?」
言葉が出なかった。
私は記録を続けていた。ただ、理想的な教室を目指して。口答えしない。目を合わせる。反抗しない。整理整頓ができる。それが“よい子”だと、信じていた。その結果、何人の子どもが、“本当の顔”を失ったのか。
春、私は教職を離れた。だが、家にいても、ずっと誰かの視線を感じる。ノートを開くと、そこに文字がある。
「南雲遥:問題教師。表情の変化あり。道徳的観点の崩壊。記録継続中」
私は叫んだ。
「これは誰が書いた!?」
答えはすでに分かっていた。机の引き出しにあった、赤いインクのペン。夢の中で生徒の額に×を描いていたのは、——私だった。
私は“生徒を記録していた”のではなく、“記録の中の自分に塗り替えられていた”




