ハロウィンの夜は擬態しよう
今年のハロウィンが金曜日だということに気付いて少し訂正いたしました。
千歳ちゃん、こっちこっち。この国の友だちとハロウィンのイベントに参加するの、初めてだから嬉しいよ。今日はよろしくね。
うん、今日は猫というか、ケット・シーの格好で来たんだ。……褒められると照れちゃうな。
ところで千歳ちゃんはその格好なの?
あ、そうなんだ。今夜はみんなが仮装するから、お姫様の格好をしても大丈夫だと思ったんだね。まぁ、仮装している人がいっぱいいるから確かに目立たないとは思うけど、別の意味で大丈夫じゃないかもね。このままだと可愛い過ぎて、悪い奴に目を付けられちゃうよ。
まぁ、こんなこともあろうかと、持って来ました、追加仮装グッズ。ケモ耳カチューシャと尻尾、おでこに貼れる目玉シールと、どっちが良い?
ティアラの邪魔になるからケモ耳カチューシャは嫌?
じゃあ、おでこに目玉シールね。ペタッと。
これ全部、そこのアニメショップで買ったのかって?
当たり。いやぁ、この国のアニメ文化って良いよね、妖怪変化がいっぱいで、コスプレグッズも揃ってて。今日みたいな日にはもってこいだよ。しっかり「怖いモノ」の姿に仮装しなくちゃね。
好きな仮装じゃだめなのかって?
うん、だめだよ。だって、ハロウィンの仮装は正確には「擬態」だから。
聞いたことあるでしょ、ハロウィンは元々外国のお祭りで、あっちではハロウィンの夜には幽霊や妖精たちがこっちの世界に出て来ちゃうんだって。
うんそうそう、ほぼ「お盆」みたいなものだよ。こっちではお盆前後が怪談の季節だけど、あっちじゃハロウィンが怪談の季節だもん。
それで、悪霊や妖精たちに目を付けられないように悪霊や妖精や怪物の姿に変装したのがハロウィンの仮装の始まり。「仲間だよ、襲って来ないでね」って。
ん?
ウチの故郷のハロウィンによくいる、マッチョヒーローの仮装の人は良いのかって?
そうだね、ステイツだったら問題ない。ハロウィンの習慣と一緒に悪霊や妖精の天敵も一緒に入っていったからさ。
でもこの国はそうじゃないみたいなんだ。だから外国から来た悪霊とか妖精とかが調子に乗って特定外来生物並みに暴れる可能性はあると思うんだよね。自衛、大事。
うわぁ、あそこにマッチョヒーローの仮装してる人がいるよ……。ポーズまで決めちゃって。あれってマスクで顔が隠れてなかったら黒歴史だよね。
仮装していない人は悪霊や妖精に遭遇したら襲われ放題なのかって?
襲われる前に相手をなだめる手段が、ハロウィンのお菓子だよ。
「Trick or treat!」なんてさ、「食べ物をくれなきゃ悪戯するぞ」って脅迫だからね。妖精の悪戯は甘く見ない方が良いよ。下手すると人生が終了するから。
千歳ちゃん、そのエコバッグにその飴をいっぱい入れて来たの?
キラキラして琥珀みたいで綺麗。これ、なんていう飴だっけ。……そうそう、べっこう飴だ。
もしかして口裂け女対策?
違う?
……へぇ、最近流行りのキャラクターがべっこう飴のパッケージにプリントされてたから買ったんだ。まぁ良いや、多分これだけあれば大丈夫だよ。
徹夜して一人で五個ずつ小分けして透明ラップに入れてリボンで結んだの?
道理で授業中、あんなに眠そうにしてたんだ。
え、明日は土曜日だから平気って?
いやいや、目の下目立たないけど、ちょっとクマ出来てるって。
お願いだから、来年は私にも手伝わせてよ。ついでにパジャマパーティーとかしちゃおう。
……おぅ。バッグの底には小分けしたチョコ菓子も入っているの?
やるね、千歳ちゃん。
……え、これ、ウチのためのパウンドケーキ?
わぁ、ありがとう。わざわざ焼いてくれたの?
リボンが可愛い。しかもまだ温かい!
嬉しいよ、千歳ちゃん。ウチら永遠に親友でいようね。
千歳ちゃんって本当に優しいよね。ウチのこと「見た目も中身も変わってる」なんて避けないで、昼は一緒にご飯食べてくれるし、授業の場所が変更になったら教えてくれるし、休んだ日の授業のノート見せてくれるし。クラス委員さんとその愉快な仲間たちとは大違いだよ。
へ、ウチがこの国の言葉ペラペラだって分かったらみんなすぐ友だちになりたがるって?
まぁ、こっちの言葉はペラペラだよ、ウチこう見えてこっちでの暮らし、すごくすごく長いから。
クラス委員さんたちは言葉以前に、ウチとはあまり関わりたくないっぽいんだよ。クラス委員さんの彼氏もなんか、いつも嫌な目で見てくるし。
千歳ちゃんにも最近、当たりがきつくなって来たよね。あんまりあの人たちがきつい時は、ウチから離れても良いんだよ?
そんなことしないって?
千歳ちゃん、本当に良い子だよ。そう言ってくれる気持ちが嬉しい。
あらま、噂をすれば、あのマッチョヒーローの側に来たプリンセスは、クラス委員さんだね。じゃあ、あのマッチョヒーローはクラス委員さんの彼氏だったのか。
……クラス委員さんも今夜の仮装は失敗だね。しかもお菓子も持ってなさそう。空のエコバッグだけ持って貰う気は満々ですか。いや、歳幾つだよ。
まぁ、良いや。あの人たちは別に友だちじゃないし。
さぁ、お菓子を持ってハロウィン会場に出陣だ!
* *
午後六時半から繁華街の歩行者天国で始まったハロウィンイベントは午後九時までだったが、千歳は八時までには家に帰らねばならなかった。
そこで杏奈は千歳を家まで送り届けると、一人で駅まで歩いて行った。雑踏の中、杏奈は見覚えのあるヒーローとプリンセスのカップルがひと気のない路地にふらふらと迷い込んで行くのを見かけた。それぞれの肩には、たいそう機嫌の悪そうな色合いの人魂が乗っていた。
「……やっぱりいるよね、外来種。ウチが日本にいるくらいだし」
もし彼らが奴らに飴玉一つでも与えれば、さもなければジュースかファストフードでも奢ってやれば機嫌を損ねることはなかっただろうに。
杏奈は一瞬眉を顰めはしたが、放っておくことにした。昨日図書室で、あの二人が隣のクラスの男子を唆して、千歳相手に偽りの恋の告白をさせようとしているのを漏れ聞いていたので。
――ご馳走を持っているな。寄こせ。
自宅まであと少し。街灯こそあるものの、ひと気のない細い道で、キィキィと耳障りな声が聞こえた。立ち止まらず、足を早めた杏奈だったが、リスくらいの大きさの老人に行く手を阻まれた。
「だめ。これは私が貰ったご馳走だから」
街灯の明かりの下でニヤニヤと笑う相手を、杏奈は怯むことなく睨みつけた。千歳から貰ったパウンドケーキは、包み越しに触れるだけで優しい真心が込もっていると分かるものだ。誰にも奪わせる気はなかった。
小さな老人は歯を剥き出しにして恫喝した。
――ならばお前を酷い目に遭わせてやる。
杏奈は溜め息をついた。
やはりこの国に入って来た外来種は調子に乗っているらしい。この国は魔力に満ちていながら、彼らの天敵となるモノがまだ存在していないから。
「お前ごときが相手なら私の方が強いよ」
杏奈の右手の爪が一瞬で長く伸び、その爪の先で白い火が燃えた。
「ケット・シーの煉獄の火を、味わってみる?」
杏奈の目の瞳孔が、縦に長く伸びた。
杏奈の正体、それは人間の少女に変身したケット・シーなのだ。それもかなり高い地位の。
しかし残念ながら、小さな老人には相手と自身との力量の差が分からなかったらしい。この国の蜜のように濃厚な魔力に酔っているのか、元々そこまで賢くない種族なのか。
飛びかかって来た相手を、杏奈は容赦なく燃やした。
「あぁ、また詰まらぬ奴を燃やしちゃった」
ダディに叱られる、と杏奈はぼやきつつ、アーモンドに似た形の月の下、街灯に照らされた家路を急いだ。今夜はハロウィンで誤魔化し易いとはいえ、そろそろ尻尾が生えてきそうだったから。
* *
月曜日。クラス委員とその彼氏は学校に来なかった。
朝の連絡会で担任教諭から、二人がそれぞれ入院したこと、どちらもまだ見舞いを受け入れられないことが告げられた。
しかし、あの二人が学校に戻ることは二度とないだろうな、と杏奈は思った。
昼休み。クラスメイトたちは、昨夜は野良猫か何かに引っ掻かれて怪我をしたと愚痴をこぼしたり、慣れたはずの帰り道で何度も迷ったと苦笑したりしていた。昨日までクラスの中心だったクラス委員とその彼氏のことなど話題にもしなかった。まるであの二人のことを忘れてしまったかのように。
「ご飯食べよう、今日は特製なんだよ」
千歳が大事そうにランチボックスを胸に抱え、いそいそと杏奈の机にやって来た。今日は杏奈が主菜と副菜担当、千歳が主食担当で弁当を用意する約束だった。ハロウィン前夜に千歳が徹夜したと聞いたので、今日は彼女の負担を軽くしようと思って提案したつもりだったが。
「見てみて」
はにかみながら千歳が開けたランチボックスの中には、ぎっしりと鮭と枝豆の混ぜご飯。そしてその上には、海苔を切って作った「BFF」の文字――。
「Best friend forever」
杏奈が小さな声でそう言うと、耳まで赤くなった千歳がこくこくと頷いた。
ハロウィンイベントから帰宅するなり、イケオジなダディから、やたら麗しいバリトンボイスで叱られた杏奈なのでした。(きょうのわんこ風に)




