自殺について
自殺は、殆どの宗教で禁止している。理由は様々だが、自分を殺す事は良くないと言っている。本当に悪しき行為なのだろうか?
創造神は、自殺を禁止していない。なぜなら、実際に出来るからだ。
だが、自殺のハードルは高い。やってみようと思った人は知っている。死にたくないという衝動と死への恐怖は『ちょっと苦しい』では乗り越えられないほど強い。
本当に苦しくて本当に辛くて、そして逃げる事が出来ない状況に成らない限り実行は不可能だ。つまり、自殺は、本当の意味で生きる事が死ぬ事よりも辛く苦しい状況でなければ出来ないのだ。
そして、創造神は禁止していないのだ。推奨はしていないが禁止はしていない。つまり、自殺は本当にしたいのならしても良い事になる。
宗教で自殺を禁止しているのは、その教えが無いと困るからだ。
誰が困るか?支配者が困るのだ。宗教的な権力者もそうだが、政治的な権力者にとって簡単に自殺されては困る理由がある。それは、嫌な仕事を被支配者に押し付ける事が出来なくなるからだ。
自殺が簡単に出来てデメリットが無いのであれば、他者の為に尽くす人間が居なくなる。仕事を押し付けられて簡単に死ねる世界では、誰かを支配する事が出来なくなる。辛い仕事をするのは死ぬのが怖いからだ。だから、宗教では死を禁止している。地獄に落ちるという死後も苦しむという脅しで……。
とはいえ、創造神も自殺を禁止していないが推奨もしていない。
となるとデメリットは存在する事になる。そのデメリットは、地獄に落ちるとか、死んだ瞬間を繰り返すといった理由ではない。創造神が自らの分け御霊に、そんな残酷な運命を用意する理由が無いのだ。
人間は創造神の一部なので、耐えられない地獄は用意していないはずだ。罪の意識を浄化する為の苦しみの世界はあるかもしれない。だが、地獄の様に見える世界でも、そこでさらに逃げたいような罰は存在しないはずだ。
なので、死を何度も体験するとしても有限であると考えられる。決して無間地獄ではない。
とはいえ、自殺する行為は創造神の否定につながる。自分の存在を否定する行為だ。それは、世界に消滅しろと言っている事と同じだ。創造神の分け御霊が、そう思ったという事は世界の消滅を肯定したことになる。
そんな魂が多数を占めたらどうなるか?世界が消滅するのだ。
さて、そんな結果を迎えた魂が世界を呪わない為には、何が最適だろうか?記憶の消去と人生のやり直しが妥当だと思う。
この記憶の消去がデメリットなのだ。殆どの人間は、この地球で生まれる時に、人生のテーマを決めてきている。釈迦の様な人間に成るとか、盗まない人間に成るとか、殺さない人間に成るとか、殺す事も殺される事も受け入れるとか、様々な理由で地球に生まれる。
その目的は『二律背反を無くす』事なのだ。その為に記憶を消し、神が存在しない様に振舞っている世界で自分を試すのだ。
この目的を果たすために運命が組まれ、身分が用意され、人生が始まる。
人生を終えた時には、神様からレポートが提出されて採点される。やり直しをしたければ、どこで選択を間違えたのか予知夢やデジャブで教えてもらい、その時点からやり直しが出来るのだ。ゲームでいう所の強くてニューゲームの様なものだ。
自殺の場合には、これが無くなるのだ。
記憶を引き継げないという事は自殺する状況を回避する為の情報が得られないことになる。この世界に入る前に決めた目標を達成するまで、この世界から出る事が出来ないと仮定すると、何度も自分の自殺した状況になり自殺を繰り返し体験することになるかもしれない。
となると、自殺は可能だが出来るだけ避けた方が無難だという結論になる。
そもそも、自殺したいような状況から抜け出せないというのは手足の自由を奪われ拘束されて拷問を受ける状況以外では存在しない。パワハラ上司が居たのなら転職すればいい、過酷な残業があったのなら逃げればいい。無責任に成れば逃げる事は可能なのだ。
それをせずに自殺するのは勇気が無いからだ。
弱い自分を認める勇気、他人に責任を押し付ける勇気、借金を踏み倒す勇気、これらは死ぬ覚悟があれば持てるはずなのだが、自殺する人は死ぬ覚悟よりも他人に迷惑が掛かる事を気にして死ぬ。
死んだ方が迷惑が掛かるはずなのに、生きて逃げる事を選ばない。
どちらが無責任なのか考えてみて欲しい。どちらも迷惑なのだから、生きて自分の目的を果たした方がお得だと私は考える。




