金持ちの人生
さて、金持ちに成りたい諸君、想像してみよう。金持ちの人生は本当に幸せなのか?
私もなんとなく、お金があったら多くのことが出来て自由で楽しい人生が送れると思ってた。だが、パラレルワールドで金持ちに成った自分を体験し、それが間違いだと気が付いた。
金持ちに成ると、まず、友達は居なくなる。なぜなら、貧富の差は嫉妬や猜疑心を生み出すからだ。金持ちは、自分より金持ちではない人たちに嫉妬される。なので、友情というものは成立しない。そもそも自分より金を持っていない人間が、持っている自分から物を盗まない保証が無い。
友達だと思って家に招待したとしよう。その時、物が無くなっていたら、友達を泥棒だと思うだろう。他に犯人が居たとしても真っ先に疑うのが家に上げた友人になってしまうのだ。
こんな状況で友情を信頼を維持するのは並大抵の事ではない。
それでも友人を信じて疑わない事が出来れば、友情は続くだろう。だが、泥棒が友人の振りをして、盗みを続けるのを見続けて、あなたは友情を維持できるだろうか?中には本当に誠実な友人も出来ると思う。
だが、善人だけが、この世界に居る訳ではない。悪人の方が多いだろう。それでも、一部の善良な友人を信じて人間を信じる事を続けるのだろうか?
全財産を盗まれても構わないという覚悟が無ければ無理だ。とは言え、友達を作るために、全財産が奪われては本末転倒だ。それに金に執着しないのであれば金持ちに成る必要は無い。
なので金持ちで居る為に『信じて裏切られるぐらいなら誰も信じない』という心境へと移行する。そういう前提で友達を作ったとしよう。だか、これでも友情は崩壊する。
誰も信じていないのだから、家中を監視カメラで撮影し物が無くなった時に、誰が盗んだのか確認するようになる。
一見上手く行きそうだが、この時点で破綻している。監視しなければ信頼できない相手を友人とは呼べないからだ。
さて、次の段階は『友など要らない』という状態だ。
この状態になると孤独だが心は平穏を保てる。だが、お金はあるので泥棒や強盗に対策をしなくてはならない。財産を家に貯めておくと強盗が来たら命も財産も失う。それを回避するために作られたのが銀行だ。
銀行に金を預けておけば強盗は銀行に行く。直接狙われるリスクが減るのだ。これで、金持ちでも幸せに生きられると考えたが、そうはならなかった。
確かに、強盗は銀行に行くようになった。だが、銀行も防犯対策を行い強盗が割に合わなくなると、自宅に強盗が来るようになり、自宅を強化したら、買い物に出かけた家族が攫われ身代金強盗にあった。
愛する娘や息子が誘拐されて金銭を要求されるのだ。
耐えがたい苦痛を味わうことになる。金持ちに成っただけなのに、なんでこんな酷い事が起こるのか?
これも、因果応報なのだ。
金持ちに成るという事は、貧乏人を作るというのと同義なのだ。奪っておきながら何も奪われないというのは因果応報が許さない。
奪ったのなら奪われる。それが金か、最愛の者かの違いでしかない。精神的苦痛の天秤が釣り合えば、それは実行される。因果応報の神、聖書ではYHVH、神道では八幡様、仏教では閻魔様が実行するのだ。
金持ちに成って食料や物資を独占するという事は、飢える者や、足りない者を生み出す行為なのだ。その因果は奪われる事で清算される。金を得る代わりに家族の安全も幸福も奪われるのだ。
それを防ぐために護衛を雇い、堅牢なセキュリティに金をかけ、高い家を買い、守りを固めたとしよう。もう、そこに自由はない。その家から出る事がリスクとなる。刑務所に入っている囚人と同じ様な生活が待っている。そして、雇った護衛が裏切って財産を奪わないか、悩むことになる。
それでも金持ちで居たいと思うのなら。そうすればいい。
自分は多くの金を持っている。だから、誰よりも幸福だ。自分も家族も安全と自由を失い牢獄で暮らすのと同じ生活を送る事になる。そして、世界の人々は飢えて死んでいくが、自分には金が有る。金さえあれば何でもできる。友人はいない。だが、自分は生きている。贅沢が出来る。誰にも恨まれずに幸せになれる。
残念だが、そうはならない。金を集めた時点で恨みを買うのだ。金を集めるために誰もが納得する苦労をしたのなら、認められるだろう。だが、その方法がズルいと思われる卑劣な手段で行われたのなら因果が返る。
全財産を奪われ、金というアドバンテージが無い状態で、生きることになる。
それが、老いて全てを失った後に起こるのか、死んで生まれ変わって、奴隷の身分で始まるのかは分からない。だが、因果応報が機能している限り、その報いからは逃れる手段が無い。
いいや、一つだけあった。それは輪廻転生は無いと決めて生きている場合だ。この場合、死ぬまで逃げ切れば因果応報は受けないが、魂は消滅するのだ。因果応報を受けて魂を継続するか、因果応報から逃れて本当の死『魂の消滅』をするのか、好きな方を選べば良い。
自分で成りあがって金持ちに成った場合は、結婚相手は自由に選べるが、金持ちの家に生まれた場合は、結婚相手は親に決められる。自由に決める権利などない。親の財産を相続する為には言いなりに成るしかない。だが、愛人を作る事は出来るだろう。結婚相手の了承が得られればだが……。
そして、結婚相手と自分の子供も信用できなくなる。結婚相手が本当に自分を愛してくれていると信じられるのなら良いが、そんな事は無理なのだ。金を持っているから愛してくれているという疑念は絶対にぬぐえない。
愛されていないと自覚した後は托卵を疑う日々、常に妻を監視し裏切らないか見て居なければならない。監視をつけたとしてもその監視が篭絡され托卵される可能性は消えない。
血が繋がっているか怪しい子供を育て、年老いて引退を勧められて信頼して隠居できればいいが、出来なかった時、我が子に命を狙われる恐怖との戦いの始まりだ。食事に毒が盛られていないか心配し、メイドが自分の敵か味方か判断を誤れば死ぬ。老いて判断が鈍った時に、そんな状況が来る。
金持ちに成り、財産を分け与え、多くの人を幸福にした場合は例外だが、それは財産の放棄と同じだ。金持ちではなくなるのだ。
さて、これでもあなたは金持ちに成りたいですか?
誰も信用できない世界で食べる最高級の酒と食事は美味しいですか?
誰も信用できない世界で家族を持つことは幸せですか?




