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誰がために神は在る?  作者: tatibana nozomu


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因果応報の本当の姿

 因果応報は存在している。ただし、これは罪人を裁くための仕組みではない。因果応報は自己矛盾、二律背反を自覚し克服するために有る。

 なので、罪を犯した者が罰せられる法則だと思っていると、罪人が裁かれていないように見える。因果応報とは、やった事が返ってくるだけで罪が裁かれる訳ではない。

 因果が返るのは因果を受けたものが感じた精神的苦痛と同等のものを自分が感じられるタイミングでやってくる。始めた因果の状況によっては数十年たってから返る事もあるので、因果が返った時には因果の起点を忘れている可能性が高い。

 それと、大抵は生きている間に因果は清算されるが、死んだ後に返ってくるものもある。それは性別が違う者に対しての因果だ。


 この場合、死後に輪廻転生し男女入れ替わって因果が清算される。


 重要なのは、この因果応報は二律背反を無くすために起こっているという事だ。因果のはじめ、子供が大人が落とした五千円を盗んだとする。

 この因果は、落とした物が盗まれて返ってこないという事を他人に与えた事になる。だが、子供は大人と違って自分で金を稼いでいない。親から与えられたお金を盗まれるのと、自分で苦労して稼いだ金が盗まれるのでは、精神的苦痛は同じではない。

 そういう時、因果は大人になり自分で金を稼ぐようになった後で返ってくるのだ。その時に、自分の不注意だったと諦めれば二律背反は起こらない。だが、許せないと思ったのなら、創造神は問うのだ。『自分はやっても良くて、他人にされて嫌だった理由は何?』と、『知るかボケ』と答えたのなら、無限ループに入る。


 あなたには盗みのチャンスが多数訪れる。その都度盗めば、後から盗まれる。それを繰り返すことになる。

 そのループで、私が盗むのは正しいし、盗まれるのも正しい、盗まれる方がマヌケだと思えるのなら、そういう世界に案内される。


 または、盗むのも盗まれるのも嫌だと拒否すれば盗みの無い世界に案内されるのだ。このケースの場合、自分は一方的に盗まれ、チャンスがあっても盗まない必要がある。なので、このケースを体験すると罪人は罰せられずにズルいと思い。因果応報は無いと勘違いしてしまう。


 因果応報の仕組みに気が付いた後、因果を清算したければ神に頼めば良い、YHVHでも八幡様でも閻魔様でも良い。犯した因果を返してくださいと願えば因果の清算が始まる。異性に対して起こした因果は死後に回収されることになる。


 創造神にとっての罪とは『他人にされて嫌な事をした』である。現在ある法律や聖書にある罪は『本当の罪』ではない。

 だから、罪だとされている事でも『他人にされて嫌ではない』と思えるのなら、やって良い。その代わりその因果が返った時、これで良いと思えるのなら、創造神は祝福を与えるのだ。


 創造神の祝福とは、最終的に天国に連れて行ってくれることだ。 『他人にされて嫌な事をしない』を徹底し二律背反が自分の中から無くなった時、同じ価値観を持ち一緒に居て楽しい相手と出会い毎日楽しくストレスなく生きて行けるようになる。


 または、死んだ後で、そういう世界に連れて行ってくれるのだ。


 ここで大事なのは、殺し合いが好きな人間は、殺し合いが日常的に行われ罪に問われない世界に行く事になる。さて、彼は地獄に行ったのだろうか?それは違う。彼にとっては殺し合う世界が天国なのだ。逆に殺し合いが出来ない世界は彼にとって地獄となるだろう。

 創造神は、この世界に生きている人間、全てを幸福に導いている。全人類を天国に案内しているのだが、価値観が違う者が行った場所が地獄に見えるから、創造神は残酷だと思う者が居る。

 そんな事はない、創造神は人類を平等に愛しているし、誰一人見捨てる事無く天国に導いているのだ。

 人間は二律背反が有ると、幸せな世界に行く事が出来ないからこの何でもあるこの地球で自分が何者かを知り、その上で『他人にされて嫌な事をしない』が出来るようになるまで輪廻転生を繰り返しているのだ。


 さて、創造神が二律背反を許さないと私が断定した根拠だが、それは我々人類が、共通認識で二律背反を行っている人間に対して嫌悪感を抱くからだ。二律背反をしている本人は自分の行いを恥じる事は無いと思うが、そういう人間でさえ他人がやっていると不快に思う。

 我々人類の共通認識は創造神の性質だ。だから、創造神は二律背反を嫌っていると言い切れる。

 もし、違うという人が居たら教えて欲しい。自分が殴るのは良くて他人に殴られるのは嫌だと言っている人間、自分が盗むのは良くて盗まれるのは嫌だという人間、彼らを見て不快に成らないのなら、創造神は別の顔を持っていることになる。




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