神々との対話で私が行った事の本質
さて、神も宇宙人も存在する事が確定した訳だが、私が神々と対話し、未来を選択した事の本質について語る。
私は天照様と対話し未来を決めた。だが、この対話の時に私は最初に望んだ未来と違う未来を選ぶことになった。何でも望みが叶うのなら最初の願いが叶ったはずだが、そうはならなかった。
ここで、疑問が出てくる。私は本当に未来を変えたのか?
私の主観では天照様との対話で自分が幸福になれる最適な未来を選択した事になっているが、天照様の視点で私を見た時、どう見えるのか考えてみた。
もし、天照様が予知能力を持っていて、私の未来を知っていたとする。それも私が選択できる未来とその結末を全て知っていると仮定しよう。そんな天照様に、不幸な未来に繋がる願いを叶えてくれと言ってきた私に対して何をするだろうか?
絶対に止めるだろう。
ここで、私が天照様の説得に応じずに不幸になる願いを叶えて欲しいと願った場合どうなるのか?その願いが私の独力で達成できないものであれば、天照様が何もしなくても不幸には成らない。
私が最初に願った作家となって大成するという夢は、私の本当の願いでは無かった。金持ちに成りたいだけだった。だが、その金持ちに成るというのも安心と自由を失わない範囲でだった。
作家になる事は出来ない。なぜなら、才能が無いからだ。だが、金持ちに成る事は出来る。上司に認められるように努力し、言う事を聞いて出世すれば可能なのだが、私が就職した会社には1社を除いてパワハラ上司が居た。彼らに認められるには、彼らに気に入られる必要があった。
それは、自分自身もパワハラ上司になる事だった。私にはそれが出来なかった。パワハラ上司が居ない職場もあったが、潰れる運命だった。なにかおかしいと思わないだろうか?
どうして就職した会社にパワハラ上司が居たのか?居なかった場合には会社自体が潰れたのか?
金持ちに成るためにはパワハラしないと成れないような運命が用意されていた。それは私が他人に無慈悲であれば可能だった。だが、私は他人を傷つける事が出来なかった。そして、自分の利益の為に他人を騙す事も出来なかった。
まじめに働いて金持ちに成る道は無かったのか?
そもそも資本主義社会で他人を傷つけたり騙したりせずに金持ちに成る事は出来ないのだろうか?そんな事は無いはずだ。だが、私はそういう会社に入れなかった。まるで、金持ちに成る事を阻まれていたかのように……。
私は天照様と会話して自分が幸福になれる条件を知った。
だが、私は納得をしていなかったのだ。なので、会話を忘れた後は金持ちになる事を目指していた。だから、天照様は私が金持ちになる事を諦められるように、パワハラ上司が居る会社に就職するように運命を定めたのだ。
そうなると、私は未来を変えたのではなく、天照様が用意した未来を選択したと思わされたことになる。これが正しければ私がした事は未来の改編ではなく天照様を介して未来予知をしたことになる。
だが、どちらにせよ結果は変わらない。私は幸せな未来を手に入れたのだ。
未来を選択したとか引き寄せたとか未来を予言したとか言葉遊びでしかない。結果が同じなら、その過程を何と呼ぶかは好きにすればいい。だが、神が私を幸せにすると定めて会話した時点で、結果は決まっていたのだ。
欲望に踊らされて過分な身分や富を求めて苦労を重ね、死ぬ間際に後悔する人生ではなく、死んだ時にこれで良かったと笑って死ねる人生になったのだ。
それが嫌なら悪魔と取引すればいい。
自分が大切にしていた何かを捧げて富と名誉を手に入れればいい。その為に悪魔は居るのだから。
最後に創造神の声の聞き方の奥義を教えよう。これも天照様との会話の応用だ。だが、最後に声を聞く必要がある。これも、想像で問題ないが、自分の心に1つでも創造神(全人類)に反対される疑念がある場合、声を想像してもダメだ。
この願いなら誰も反対しないという確信がある願いを伝え、そして答えを想像するのだ。『疑念が無い』状態であることが重要だ。自分の願いを叶えるために、創造神からの反対意見を無視してはいけないのだ。
願いが叶わない時、必ず創造神の反対意見があなたの心の中にあるのだ。
その意見を無視せずに、どうしたら同意を得られるのか考え納得がいく取引をする必要がある。それさえ出来れば『どんな願い』でも叶うはずだ。ただし、欲望にまみれた願いは叶ったとしても、あなたを幸せにすることはないだろう。
さて、私は妄想で天照様と会話して未来を予知した。会話した天照様は私が想像した存在だ。仮に天照様が居なかった場合、私には予知能力があることになる。居た場合は、テレパシー能力がある事が確定する。
どちらにせよ私は超能力を使ったことになるのだ。
あなたも試して見ると良い。再現性があれば全人類が、テレパシーか予知能力を得ることになる。




