神の存在証明
「かつて神は存在していた。目に見えない現象、説明できなかった天災、それらを神と人は名付けた」と科学者が説明している。
下らない妄想だ。高々世界の法則の1%未満の事しか理解できていない分際で神の存在を否定するなんて馬鹿げている。
科学は世界の全てを解明していない。
むしろ分からない事の方が多い。未知の部分もあるし、科学的に証明されたと言われていた事が、次の年には間違っていたと発表もされている。そんな曖昧なものが唯一無二の真実だと本気で信じている人たちが居る。
彼らは、宗教を盲信する者たちと何が違うと言うのだろうか?再現性が有るから真実だと?目に見えない存在を証明出来て再現性が有れば、彼らは神を信じると言うのだろうか?
東日本大震災が起こった日、私はそんな事を思った。
再現性のある奇跡を起こすにはどうすれば良いのか?まずは、神が居ない事には奇跡は起きない。だから、神が存在するか考えてみた。この世界が偶然できて偶然数学で表現できる性質を持ち、偶然一定の法則性に従って存在している。
そんな事はない。全てが偶然の産物なら法則性が存在するわけが無いのだ。
誰かが、その法則性を生み出したのだ。考え出したと言っても良い。それは知性の無い存在か?否だ。知性が無ければ法則も数学も理解出来ないし、方程式さえ作れない。ゆえに、この世界を創った存在には知性がある。
知性が有るという事は意志が有るという事だ。人間の様に……。裏を返せば、人間は神に似せて創られているのだ。この点は聖書とも合致する。
さて、神が存在する事は証明した。次は、神は何処に居るのか考えてみた。
そもそも、そのルールを全ての物質に守らせているという事は、神の意思が全ての物質にいきわたっているという事になる。そうなると、一人の人間のような物質として存在しているのではなく、この世界そのものが神であるという結論になる。
これは、神道でいう所の八百万の神やヒンドゥ教のアートマンとブラフマンに近い考え方だ。
そうなると、私たち人間とは神の一部であり、神の性質の一部を切り取った存在であると言えるのだ。
つまり、私たちは神なのだ。
ある意味、この世界の物理法則が神で有るという結論を得た。そして、この世界全てが神を表現しているという結論でもある。
ここで、問題なのが、神はどんな意思をもっているかということだ。私の答えは矛盾した意思を持っているである。
なぜなら、私たちは神の一部だ。私は神の一部でしかない。だが、私たちの全部を合わせれば神と同等となる。
だから、矛盾した思いを持ちながら存在している意思が、神であり、統合失調症という病気が神の今の状態を的確に表している。
矛盾しているから統合する事が出来ない。そして、価値観が違う者同士で争い、どの思想が正しいかと殺し合いをしているが今の世界の状態なのだ。
この神は世界を救わない。
なぜなら、全てが神の一部なのだ。誰かを優遇する事などあり得ないのだ。それは自分自身の否定に繋がるからだ。これが、奇跡が起きない理由でもある。
この結論だけだとつまらない。奇跡は起きない事になるからだ。だからさらに考えてみる。この世界の神は神話に出てくる人格や肉体を持ち圧倒的な超能力を持った神を創らなかったのか?
私の答えは『創った』だ。私は神の一部である。そして、私は神に似ているのだ。つまり、私が存在すると納得できる理由があるのなら、神は超人のような神を創っているという事になる。
この先、今まで神と呼んでいた存在を創造神と記述する。これからの神は神話に出てくるような神として読んで欲しい。
さて、この世界は創造神が創り、私はその一部だと分かった。神を創ったかどうかは、この世界の存在理由を知らなければ分からない。この世界が、目的もなく創られたのなら、今ある見える世界が答えとなる。目的が無いのだから、ただただ世界が存在するだけだ。
だが、創造神が世界を創るという行為と同じことを人間もしている。それは、創作活動だ。頭の中で考えた存在しなかった世界を創造し、小説や漫画やアニメで形にしてある意味『世界を創り出している』のだ。
この時の目的は一つだけだ。人々を感動させる。
つまり、創造神は喜怒哀楽の感情を揺さぶるために世界を創った事になる。そうなると目に見えない神または悪魔、妖怪、幽霊、魂、これらは存在するのかという疑問への答えは『存在する』にもなるが『存在しない』とも言えるのだ。
なぜなら、目に見えない存在が居る事で、物語は面白くなることもあるが、つまらなくなる可能性もあるからだ。
まずは『神は存在しない』神が居ると物語がつまらない場合を考えてみよう。
今の世界でも超人的な力を持つヒーローが活躍する物語は多数存在している。ヒーロー物で、つまらない展開を考えてみる。まず、問題が起こる前にヒーローが到着し、犠牲者が居ない状況で勝利する。これは、現実であれば平和で良いなとなるが、物語としては面白くもなんともない。
善人が苦しみ、自分たちだけではどうにもならずにヒーローに『助けて』と切実に願った時に現れるから感動するのだ。
つまり、問題が発生する前や発生直後に現れる神は居ないという事になる。
他にも、神が存在しないパターンがある。それは、人間同士の恋愛を描いた作品で悪役を倒すために超常の能力が必要ない場合だ。この物語では神の存在は邪魔なだけである。ただし、恋人同士に神でなければ問題解決できない理由がある場合と神との恋愛パターンの場合は例外である。
また、人間同士の戦争の物語や神が居ない事を前提とした物語の場合も神は存在しない事になる。
逆に『神が存在する』神が居た方が物語が面白い場合は、上記の逆となる。
つまり、神が存在する為には、魔王のような存在が居て、人間の力では倒せず世界中の人々が不幸のどん底に落ち、全世界の人々が神の降臨を願うという状況にならない限り神は姿を現さないのである。
今の世界を見た時に、そんな酷い状況かと言えば全然そんな事はない。一部の人々は不幸な状況にあるが、世界全体で見た時には平和なのだ。
なので、悪人を裁くという名目で今の世界に神が姿を現す事はない。
では、神は存在しないのか?というと、そうではない。神は姿を現せないが、今の世界でも干渉しても良い条件が存在している。神々との恋愛、恋の仲介、仕事やスポーツでの成功の手助け、幸せに生きる為に願い事を叶える神々の面白い物語は存在しているからだ。
つまり、条件さえ満たせば神々は存在し、人間と対話が可能なのだ。
次は、現実でそういう神々に願いを伝え会話をする方法は有るのかを考え神々に出来る奇跡とその条件を開示する。
これまでの考え方や、論理展開に疑問や反論が有ればコメントして欲しい。出来る限り、回答し神の存在を証明したい。