手記9
「ありがとう、もう大丈夫。」
少しして、場所が場所なだけに誰かに見られる可能性がある事に再び思考が行きつき、オレはゆっくりと身体を起こそうとした。
「あつい、の、ダメ!」
だが、アルマはオレの額に再び手を当て体温を確認し熱いと判断したらしく、オレが起き上がるのを阻止してくる。
……いや、それはキミが膝枕をするからであってだね?
体調は別に何ともないのだけど?
「本当に大丈夫だって……」
「ダメ!!」
それでも何とか身体を起こそうとするのだが、何度試しても彼女に押さえ付けられている為に、身体を起こす事が出来ない。
あの小さな身体の、何処からこんな凄い力が湧いてくるんだよ!?
そんな戯れ合いのような攻防を、ひっそりと庭園の片隅で繰り広げていた時だった。
ーーーガシャン
「きゃっ!」
割と近くから何かが割れる音の後に、誰かの短い悲鳴が聞こえてくる。
何だ!?
驚いた表情のアルマがオレを押さえつける手を離した為、オレも慌てて身体を起こすと、彼女も物音の出所を探っているらしく、辺りをキョロキョロと見回していた。
「今のって……」
誰かの悲鳴?
「マサトさま、あっち!」
オレがアルマに何処から聞こえたのかを確認する為に声を掛けようとした時には、彼女は既に声のした方向を指差していたので、慌ててオレはそちらへと視線を向ける。
「誰かが……倒れてる!?アルマ、人を呼んできて!オレは状況を確認するから!」
「はい!」
すると、誰かが側の石畳の上に座り込んでいるのが見えた為、アルマに兵士を呼んでくるように頼んでから、オレは急いで人影へと駆け寄って声を掛けた。
「大丈夫!?」
「えぇ、何とも無いわ……少し、驚いただけよ。」
あれ?この声は……!?
特徴のあるよく通る声に驚き、改めてその人物を確認すると、地面に座りこんでいたのはなんと……樋口さんだった。
い、いや今はオレが驚いている場合じゃないな!
「何があったの!?」
そう問い掛けたオレに少しだけ顔を向けた後、彼女は無言で自分の目の前の石畳を指差したので、オレもそちらへと視線を向けてみる。
……ん?何だろう?何かのカケラが散らばっているような……?
「これって……?」
「恐らく陶器ね。」
もしかして、これが当たったのか!?
「怪我は?」
「大丈夫、小さな破片が少し当たったけれど、切れたりはしていないみたい。」
「そう……」
怪我がないなら、まだ良かった。
だが、何でこんな所に破片が?
この道は建物に沿って設置されているとはいえ少し距離がある上に、清掃も行き届いているようだから偶然此処に陶器があったとかは考えられないぞ?
そして何より、彼女の悲鳴が上がる直前に何かが割れる音がした。
という事は、つまり……
「誰かが、私を狙って投げたのでしょうね。タチの悪い悪戯だわ。こんな目の前に投げるなんて、当たったらどうするつもりなのかしら?」
……やはりか。
いやしかし、タチの悪い悪戯って……えらく他人事だな?
狙われたのは、キミなのだぞ?
そう考えて彼女へ手を差し出すと、樋口さんは一瞬驚いたような表情でオレを見た後、困ったような笑みを浮かべながら口を開く。
「あら、桜井くんは私を心配してくれるの?大丈夫、悪戯って言ったでしょう?こういうのはただの脅しだから、向こうも当てるつもりまではないのよ?慣れてるわ。」
「いや、だとしても心配ぐらいはするだろ!」
それに当てるつもりが無いにしたって、狙うだけでも充分悪質だろうよ!
……って、樋口さんはオレの名前を覚えていてくれていたのか。
数回話した事がある程度の筈なのだけどな。
「へぇ……?私って人を殺したらしいのに、それでも心配をしてくれるの?」
ついつい声を荒げてしまったがそんな事は物ともせずに、彼女は座り込んだまま不敵な笑みを浮かべて更にオレへ問い掛ける。
それとこれとは、関係ない!
そう口に出したかったのに何故か言葉には出来なくて、何とか首を横に振って返事を返しつつ、オレは彼女の眼前に再び手を差し出した。
しかし今の樋口さんの言い草だと、それじゃあまるで自分はやっていないみたいな言い方だな?
……って、オレも柴田から聞いただけだから、まだ半信半疑ではあるけど。
「桜井くんだけは、いつも優しいのね?」
「……オレは、優しくなんかない。」
オレの差し出した手を漸く取って立ち上がった後で、軽く裾を払いつつオレを見据えながら彼女は微笑む。
確かに、前にも転んだ樋口さんに手を貸した事はあるのだけどさ?
以前に似たような事があった時も、今も、目の前だったからただ見過ごせなかっただけなんだよ。
「あらら?もう戻って来ちゃったんだ?ざーんねん……もう少しお話したかったのにぃ……」
「え?」
優しいと言われ恥ずかしくなったオレは、彼女から目線を逸らす為に改めて陶器と建物とを交互に確認していると、芝居がかった口調で樋口さんが呟いたので館の方へと振り返る。
すると丁度、アルマがこちらに小走りで向かってきている所だった。
「桜井くんのメイドさん、小さいのにお仕事熱心だし、仲も良さそうで羨ましいわ……そうそう、ねぇ桜井くん?今日の夜零時に、また此処に来てちょうだい?勿論、あのかわいい子は抜きでね?」
「樋口さん?」
この人、アルマをオレの従者として認識してる?
……いや、多分昼前の一件を見ていただけだろうな。
とはいえ、何が目的なんだ?
「そんなに警戒しないで?私、貴方とゆっくりお話がしたいだけなの。貴方やあの子に危害も加えないって約束するから……じゃあ、楽しみにしてるわね?」
「あ、ちょっと!?」
オレが呼び止めるのも聞かずに、彼女は後ろ手でヒラヒラとこちらに手を振ると、軽やかな足取りで何処かへと立ち去ってしまった。
一方的に言いたい事だけ言って去っていったって感じだったけど……樋口さんがオレに話、ねぇ?
何だろう?
艶っぽい話じゃないって事ぐらいは、流石に分かるけど……とはいえ樋口さんって、以前はあんな話し方をしていたっけ?
仲が良かった訳ではないとは言えもっと物静かな感じで、あんな思わせぶりな話し方はしていなかったと思うのだけど……
彼女の様子に違和感を覚えたので、以前はどうだったかを思い返している間に、気付けばアルマもこちらへと戻ってくる。
「マサトさま、おんな、どこ?」
……アルマには、もうちょっと綺麗な言い方を教えないとな。
息を切らしながらも周囲を確認しつつ、心配そうな表情で言っているというのに、台詞だけを切り取るとまるで、浮気現場を押さえられたみたいな気分にさせられるのだが?
ま、まぁいいや……そうだ、念の為にこれだけは確認しておくか。
「アルマ、さっきの女の子は……怖い人?」
「んー……?」
彼女が樋口さんを恐れたなら、オレは何があっても会いに行く事はしない。
……つもりだったけれど、アルマのこの反応はどうなのだろう?
頷くでも、首を振るでもなく、首を傾げるだけ……だなんて。
「よく分からないって事?」
「はい。」
アルマは近くで彼女を見た訳でも無いから、分からないのも仕方ないが……こうなると、樋口さんの誘いに乗ってみるしかないのか?
それに、当人も言っていた通り害意があるとは思えなかったしな。
気乗りはしないけど。
「分かった、ありがとう。」
あれ?そう言えば、オレとアルマが居た場所の近くに樋口さんも居たのだから、その樋口さんへ建物の中から陶器を投げたのだとしたら……
多分だけど、建物と石畳の間にある物陰でオレが膝枕をしてもらっていた場面を、犯人にも見られていたんじゃね?
ってか、寧ろあれだけ近くにいたのなら、樋口さんにもバッチリ見られてたんじゃね?
仲良さそう、とか言ってたし……
「マサトさま、かお、あかい、だいじょぶ?」
「………だいじょぶ、じゃ、ない。」
ふと、多数の人に目撃されていた可能性が高い事に漸く気付き、体温が急激に上がるのを感じながらも遅れてやってきた兵士になんとか状況を説明した後でオレは、焦った表情のアルマに部屋まて引っ張られていった。
「おきる、は、ダメ!」
庭園から戻るなり彼女はそう言って、オレをベッドに押し込んだ後で部屋の入り口に立ち、心配そうな表情でオレを見つめる。
「大丈夫だよ?」
別に体調は悪くないのだけどね?
「ダメ!!!」
問題は無いと伝えつつ身体を起こそうとするも、慌てて彼女はこちらに駆け寄り、膝枕の時と同様にオレが起きるのを阻止してきた。
……アルマはどうやら、今日はもうオレを部屋から出すつもりが無いのだろう。
羞恥心に耐えられなくて言っただけなのだけど、どう説明していいのかも分からないから、今のところは彼女のやりたいようにさせようか。
それに、今日は本当に色々起こり過ぎたから……正直、今はもう何も考えたくない……
朝からトラブル続きだった所為か気付かないうちにオレは相当疲れていたようで、彼女に言われるがまま横になり瞳を閉じると、あっという間にオレの意識は混濁とし始めた。
〝・・れ、・・れ、い・・しい、・・こ・〟
何だろう?
誰がの声が聞こえる?
〝・・・は、・・・の・・・・〟
このゆったりとしながらも、慈しみすら感じられる歌声のようなものは……多分子守唄、かな?
小さい頃に、オカンがよく歌ってくれたっけ。
それに、何だか柔らかくて、干した布団のような、いい匂いも……
……柔らかい?
何だろう、この感触?
〝えっ?ちょっと!?〟
顔に当たる感触が柔らかくいい匂いもしたので、もっとその感触や香りを確かめたくなったオレは、飼い犬を吸う時のように、顔をグリグリと押し付けた。
〝や、やだ!?何!?やめて!くすぐったいよ!?〟
しかし、さっきから聞こえるアルマの焦ったような声はなんなんだ?
何かあったのか?
まぁ、いいや。
それより、今はこのいい匂いをもっと……
〝なんで今度は私のお腹の匂いを嗅いでるの!?やめてよ!!キミ、本当は起きてるでしょ!?〟
「あいたっ!?」
突然頭に痛みが走り、オレは慌てて飛び起き辺りを確認する。
すると、アルマが何故かベッドの上に腰掛けて、真っ赤な顔をしながらオレを睨みつけていた。
まさか……も何も、この状況は多分そういう事だよな……?
「ご、ごめん、いい匂いだったからつい寝ぼけてて……」
「〝えっち!〟」
今の単語の意味は分からなくても、何となく言いたい事だけは分かるわ。
バカか、ヘンタイのどっちかだ。
そこから暫くの間アルマに謝り倒している間に、気付けば夕食の時間になったので、いつものように自室で食事を摂った後オレは、夜が更けるのを待った。
無論、樋口さんに会いに行く為だ。
しかし……
「……いっしょ、に、おやすみなさい。」
……アルマが何時も寝る時間になった頃、彼女が突然思いもよらない事を言い出す。
「一緒に……?」
真っ赤な顔でモジモジしてるから、多分コレ……一緒に寝るって意味だよな?
だが、何で急に?
「あっためる、よくなる。はは、わたし、した。」
ふむふむ、なるほど?
どうやらオレが風邪でも引いたのだと思い、自分が母親にしてもらったようにオレを温めてくれようとしている……と?
昼寝してる時の大胆な行動も、それが原因か。
なるほどなるほど、そうかそうか……って、納得する訳ねぇだろ!
さっきみたいに寝てる間になら兎も角、最初から一緒に寝る、なんて事をされてみろ!?
こちとら、純粋無垢な中学生男子ぞ!?
煩悩の塊ぞ!?
この一週間、かわいい女の子と二人きりで過ごしていたオレが、どれだけの我慢をしたと思っている!?
確実に暴走して、エロい事しまくるのが目に見えてるわ!
………嘘です!見栄張りました!!オレには出来ません!!!
ふと彼女の香りがするだけで顔が熱を帯びるぐらいなのに、これ以上ともなれば童貞には刺激が強すぎて、きっと耐えれないとです。
やめてください、考えただけでドキドキしすぎて死んじゃいます。殺す気ですか?
ってか、アルマもそう言いながら恥ずかしくてモジモジするぐらいなら、言わなきゃいいのに、もう……
「ありがとう、でもオレは大丈夫だから、心配しないで?」
それに、アルマが一緒だと部屋から抜け出しにくくもなるからな。
ひっじょーーに残念だが、此処は自室で寝てもらうとしようか………残念だが。