手記8
「マサトさま、だいじょぶ?」
「……うん、大丈夫。」
どうやら考え事をしている間に相当表情が険しくなっていたのか、気付けば心配そうな表情で彼女がオレを覗き込んでいた。
「わたし、マサトさま、まもる。」
「アルマ?」
「わたし、おねえさん!」
胸を張りながら柴田と話していた時と同様に、彼女はまたしてもオレの腕を抱きしめる。
「ど、どうしたの?やっぱり怖かったの?」
急な行動にドキドキしつつもオレが尋ねると、アルマは少しムスッとした表情で首を横に振った。
違ったらしい。
あっ……もしかして、オレが落ち込んでると思ったから慰めようとしているのかな?
「……そっか、じゃあ慰めてくれたんだ?ありがとう。」
そう思って今度は感謝を伝えたのだが、彼女はまたしても首を横に振ってみせる。
これも違うとなると、何が言いたいのだろう?
一連の行動の意図が分からなかったオレは、アルマが何を言いたかったのだろうかと、先程の彼女の言葉を反芻する。
するとーーー
「〝私の父が、こうやって私を守ったように、私はお姉さんだから、同じようにして貴方を守るの。〟」
突然、アルマはこの世界の言語で何かを伝えてきた。
偶に、言いたい事を日本語で言えない時に、オレにも分かる程度のこっちの言葉で話してくれるのだけど……ええと、ちち、わたし、まもる?
それから、わたし、おねえさん、あなた、守る……?
んー……彼女の中では、こうする事が守る為の行為なのかな?
という事は、まさか……
柴田の前でアルマがこんな風にオレから離れなかったのって、怖がっていたからでは無くて、むしろ柴田からオレを守ろうとしてくれていたから……って、事なのか?
「マサトさま?」
やばい、ダメだ……泣きそう。
漸く彼女の行動の意味に気付いたオレは、思わず涙が溢れてしまいそうになるのだが、それを堪える為に必死で目を閉じる。
すると、不意にオレの髪に暖かくて柔らかなモノが触れたので、何だろうかと思い目を開けると、まるで赤ちゃんをあやす母親のように、慈愛に満ちた微笑みを湛えながらオレの頭へと手を伸ばすアルマの顔が、目の前にあった。
……あぁ、そうか。
他の誰も信じられなくなったとしてもオレ、この子だけは信じ抜くし、絶対に裏切ったりもしないって誓うよ。
暫くの間、彼女のやりたいようにさせ、オレ自身も漸く冷静さを取り戻し始めた頃、改めてオレは今後について考え始める。
柴田が彼女の言う〝こわいひと〟なら、言った事を鵜呑みににする訳にはいかないだろうけど、やはり全て嘘だった……とも思えないんだよ。
それに、目的だって分からないし、害意があるのかどうかだって不明だしね。
となればまずやる事は、柴田の話の裏取りから始めるべきかな?
そうすれば情報の精査も出来るし。
うーん……なら、まずはそろそろお昼だから、早速食堂にでも行ってみるか?
「オレ、昼食は食堂でご飯を食べようと思うから、とりあえず今日は運ばなくていいよ。」
「こわいひと、いる。」
オレがそう告げると、柴田達とご飯を食べようとしているのを理解したらしい彼女は、心配そうな表情で再びオレに警告をする。
「うん。それは分かってる。でも、味方になってくれるかもしれないから……」
「ちがう!うー……!〝怖い人は、もう普通じゃないって事なの!だから近づいちゃダメ!食べられちゃう!〟」
多分怖い人?って言った後はちょっと分からないけど、近づく、ダメ、食べる?
……え?
食べるに関しては何かの聞き間違えかもしれないが、彼女が言いたいのは、もしかして近づくのもダメなぐらい危ないって事か?
「そんなに危ないの?」
オレが尋ねると、アルマは勢いよく何度も頷いてみせる。
近藤と違って、あんなに理性的だった柴田が?
まさか?
いや、でも信じると決めた彼女がそう言ってるからなぁ……
しかし顔を出すと言った手前、いきなり行かないってのも不審に思われるだろうし、厄介な奴なら敵には回したくないし、うーん……
「食堂に行っても、近づかないようにするだけじゃダメ?」
「ダメ!」
此処まで頑なだと、本当に危ないって事か。
それに、アルマがオレを守ろうとしたって事は、柴田が何かしようとしていた可能性がある訳で……
って、あれ?……ふと、嫌な想像が頭を過ったのだけど、精神に作用する毒があるぐらいだから、精神に影響をもたらす祝福が他にあっても何ら不思議じゃないよな?
それにオレってばあんなに話せたり会話の最後に握手をする程、アイツと仲良かったっけ?
何故か今の今まで気づかなかったのだけど、此処に来るまでのオレは柴田と何回も話した事が無いんだよ。
寧ろ、近藤の方が学校で話した記憶があるぐらいなのに、近藤と違って柴田の苗字は当たり前の様に頭に浮かんできたし、まるで友達と話すかのように相槌を交えながら自然に話せてもいた。
よくよく考えたら、普段のオレからすると不自然すぎるんだよ、それって。
柴田と話して以降、オレは何時からこんなにも信頼していたんだってくらい、柴田柴田って考えてたし………
……今、漸く理解したわ。
上手く形容出来ないけどアルマの言う通り、アイツはヤバい。
正直、気付いた瞬間に身の毛のよだつ思いだったよ。
柴田の得た祝福の詳細を知らない内は、安易に近づくべきじゃないな。
幸い、嘘が吐けなくなるような事や、記憶を無くすような事は無いみたいだったけど、今回は偶々接触時間が短かったからという可能性はあるし、最初に何の違和感も無く術中に落ちた事を鑑みても、次接触した時にもこうして気付けるかどうかの保証もない。
こんなの、抗いようがなさすぎるし初見殺し過ぎるだろ、詳細が分かるまでは接触しない以外の対策が取れないとか、エグすぎじゃね?
「ごめん、アルマ。やっぱり食事を持ってきてもらってもいいかな?確かに、アルマの言う通り近づかない方がいいと、オレも分かったから。」
「はい!」
オレがそう言うと、アルマは一瞬ホッとしたような表情を浮かべてから、笑顔で返してくれた。
それから運んで貰った昼食を摂りながら、今後についてオレは再度思考を巡らせる。
さて、こうなると……本当にどうしたらいいか分からないな。
現状一番近づきやすい柴田が、精神に作用する祝福を持っているのが間違いない以上、接触は極力避けたい。
だが、そうすると今度は他に話せそうな相手も居ないから、正直情報を集める手段が現状ではアルマ以外無いに等しくなる訳だ。
こうなったら、もういっそのこと今すぐにでも彼女と二人で逃げ出すか?
……とか、ヤケになる訳にもいかんのよな。
なんせ、オレ……この世界のお金も無ければ、土地勘や地図はおろか知識までもが無い訳で、そんな状態で逃げても徒歩以外の手段がないから、あっという間に捕まるのは目に見えてる。
食料も、狩るか盗む以外の選択肢が無いから、上手く逃げられたとしてもそこから足がつく可能性も高い。
だから、何をするにしても最低限の知識は身につけてからにしたいのだけど……あっ、そうか!
まずは、そのアルマに聞いてみたらいいんだ!
「ねぇ、アルマ。この国のお金について教えて欲しいな。」
暫く考えた末に、逃げる為の準備を整える事にしたオレは、まず一般常識を学ぼうと思ったのだが、そんなオレの問い掛けに彼女は首を横に振って答えた。
「分からないの?」
「はい……」
どういう事だ?
確かに、奴隷みたいな扱いを受けているなとは思っていたけど……
「この国の育ちじゃないって事?」
「……はい。」
となれば、土地勘も無いって事か。
八方塞がりだな。
……あれ?じゃあ、アルマは何処からきたんだ?
「じゃあ、何処に住んでたの?」
何処かの部族出身って前に言ってたけど、余程人里から離れた少数部族だったとか?
そんな事を呑気に考えながら軽く聞いたつもりだったのだが、何故か彼女は怯えた表情で首を横に振った。
「答えたくない?」
「……はい。」
んー……じゃあ仕方ないか。
聞いてほしくなさそうだし、これ以上無理に聞くのはやめよう。
「そっか、ごめん。変なこと聞いて。」
しかし、どうしようかな……
まだ日常会話が出来るレベルでは無いから、城下町に行って情報収集をする事も出来ないし。
……となれば、とりあえずは散策の続きでもしようか。
「じゃあ、アルマ。良かったら、またこの館を案内してくれないかな?」
「はい。」
このまま此処に居ても、オレが曇らせてしまった彼女の表情は、晴れないだろうからね。
「オレの部屋からは分からなかったけど、こんな庭があったのか……」
彼女も昼食から戻り、アルマに案内されるがまま館の散策を再開していると、丁度オレの部屋から外を眺めても分からないような位置に、綺麗に整備された庭園を見つける。
と、いうより……オレにあてがわれた部屋が、この屋敷の最奥に近い場所にあったらしく窓の外は木しか見えなかった為、正直この光景を見る前まではもしかしたら、どこぞの貴族の隠れ家か何かなのではないかとも思っていた。
だが、庭がしっかりと手入れをされているならば、人の出入りもあるのだろう……となると、オレだけ隔離されているみたいで余計に嫌だな……
「わたし、ここ、すき、です。」
「そっか、アルマのお気に入りの場所なんだね。」
それはさておき、確かに池や整えられた庭木、彩りも豊かな花壇と、彼女が気に入るのも分かる風景が此処にはある。
日本に居た頃と大体時期は一緒で、青々としながらも丁寧に切り揃えられた庭木が綺麗に等間隔で並ぶ様は、まるで名画の一場面を見ているようで、壮観の一言に尽きるだろう。
……とか、意味も無くちょっとそれっぽい事を考えながら、オレはアルマと二人、庭園を見て回っていた。
日本より大分涼しいからか、オレとしては過ごしやすいぐらいの陽気で、風も心地良く、いい散歩日和だな。
「おはな、いっぱい!」
「アルマは花が好きなの?」
「はい!」
考え事をしているオレを他所に、彼女は鼻歌を歌いながら花壇の前で屈み込む。
こういう時、アニメとかだと花を一輪摘んでアルマに渡したりするのだろうけれど、管理されてる花壇でそんな馬鹿な事をする奴は、流石に居ないわな。
……でも、笑顔になってくれて、本当に良かった。
とは言え、見た事の無い花ばかりなんだけど、特にこの真っ黒い花とか……コレって、日本にもあったのか?
植物に詳しくないし、普段花なんて意識して見ても無いからわかんねぇや。
「マサトさま、は、たのしい、ない?」
「え?そんな事無いよ。見た事無いモノばかりだし。」
「はい!」
オレの返事を聞き、アルマは柔らかな笑みを浮かべると、今にスキップでもし始めそうなぐらい嬉しそうな様子で、鼻歌まじりにオレの先を歩きつつ別の花壇へと向かっていく。
ん……今気づいたけど、なんかコレ、デートっぽい?
いや、デートなんてした事無いからわかんねぇけど、こんな感じなのかな?
「マサトさま?」
「ど、どうしたの!?」
オレが急に立ち止まってしまったからか、不意にアルマが少し不安そうな表情で下からオレを覗き込んだ。
やっべ、変に意識したから返事が裏返ったわ!
「かお、あかい、だいじょぶ?」
「うん!だ、だいじょぶ!暑いからだよ、きっと!」
いや、オレ!ベタすぎんだろ!
それに、勘違いしちゃダメだ!
アルマはオレを弟ぐらいにしか思って無いんだぞ!
しかも相手は歳上だし、余計に勘違いしたら痛い目を見るぞ!
……見た目は幼いけど。
「こっち!」
恥ずかしさを誤魔化す為の言葉を、アルマは額面通りに受け取ってしまったようで焦った様子でそう言うと、オレの手を引いて建物の方へと歩き出した。
いや、手!手!手!
やわらかい!ちょっと冷たい!後、ちっちゃい……
「はい!」
そうして、手を引かれるまま建物の側に出来た陰に辿り着くと、彼女は足を伸ばした格好で芝の上に座り、自らの膝を軽く叩いてみせた。
「………えっ?はっ?」
「はい!!」
彼女の余りにも想定外の行動に、オレは思わず固まってしまう。
いや、流石のオレでもアルマが何をしたいのかは、分かるぞ?
でも……でもね?
こんな人目につきそうな所で、膝枕はちょっと……
そう思って、オレは敢えて彼女の隣に腰掛けたのだがーーー
「はい!!!」
ーーーオレが隣に座ってからも、アルマは自分のふとももから膝辺りをポンポンと叩き続ける。
圧が凄い!?
はよしろ、と言わんばかりに何度も膝を叩いておられる!
「はい!!!!」
ものっそい笑顔だし……
こうなったら……ええいままよ!
「あ、ありがとう?」
ついにオレは、誘われるがままに寝転んで、アルマの膝の上にそっと頭を乗せた。
すると、彼女はオレの額に手を乗せてから、もう一方の手を自分の額へともっていき、オレの体温を確かめ始める。
手がひんやりしてて気持ちいい……なんか、いつもは見下ろしているからか、こうしてアルマを見上げるのはちょっと新鮮、かな?
それに、部屋の中だとアルマの髪は白が強めの灰色に見えるのだけど、こうやって陽の元に晒されてみると、白銀のように煌めいて見えて……なんて言うか、こう……とても、綺麗だ。
「マサトさま?」
オレが見惚れているうちに、アルマは体温を確認し終えたらしく呼びかけられた事で、不思議そうな表情でオレを見下ろす彼女と目が合う。
すると、急速に恥ずかしさが湧いてきて、オレは慌てて固く目を閉じた。
……見てた事に気付かれた、よな?
やっべ、スゲーハズい!
多分、今のオレ顔真っ赤だぞ!?
でも……気のせいか?
目を閉じる直前に見えたアルマの耳も、真っ赤に染まっていたような?




