手記13
「本日午後からとの事ですが、問題はありません。では、早速手配致しますので、馬車の用意が出来次第ご案内します。それまでは、このままお待ちください。」
アルマに説明し終えた後、出掛けたい旨を彼女に伝えてきて貰うと、彼女は何故かクレイさんを連れて戻ってきたのだが、そんな彼がベッドで休む樋口さんへチラリと視線を向けつつも、オレにそう答えた。
この分ならどうやら、町へ行く事自体は問題なさそうだ。
急な話ゆえに、下手をすれば数日掛かるかもしれないと思っていたが、案外あっさりだったのはちょっと驚いたけどな。
「……しかし、この者も連れて行かれるのですか?」
そんな事を呑気に考えていると、クレイさんは少し眉を顰めながら、オレに問い掛ける。
「この者?」
樋口さんの事か?
「はい。こちらの女中の事です。」
そう考えて聞き返すも、どうやらアルマの事だったらしい。
「えっと、何か問題が……?」
「特に問題はありませんよ……」
何だか引っかかる言い方だったし、今も何かを考えるような素振りをしていたが……もしかして、アルマが人族では無いからこんな反応なのか……?
……あっ!さてはこいつ、オレが彼女の事情を知らないと思ってるな?
「では、お願いします。」
とはいえ、先程説明していた時の彼女の表情と今のクレイさんの様子からも、町にアルマを連れていっても余り良い事は無いのだろう。
なら、アルマには此処に残っていて貰うべきなのかもなぁ……
「畏まりました。私は手配をして参りますので、これにて失礼致します。」
「わざわざ、ありがとうございます。」
疑問もあるがそのまま尋ねる訳にもいかないので、クレイさんを見送ってから、言われた通りオレは馬車の用意が出来るのを待つ事にした。
アルマの件に関しては、樋口さんが起きてから話すとしよう。
それから数時間が経ち、まだ早いかもしれないとは思いつつも昼食の為に樋口さんを起こしてから、オレは彼女が眠っている間の出来事を伝えた。
無論、アルマは連れて行かない事も含めてだ。
「……だから、マサトくんは私と二人きりになりたいって話なのね?」
「うん、全く違うよ?」
何処をどう捉えたら、そんな話に?
「即答しなくてもいいじゃない!……それより私はどちらでも構わないけれど、その事をアルマちゃんにはきちんと確認したのかしら?」
俯いているアルマに視線を向けつつ、樋口さんは眉を寄せながらオレにそう問い掛る。
「確認?何の?」
一応、今話しながらアルマにも説明したつもりなのだけど、それ以上にどうしろと?
「あ、貴方ねぇ……まさかとは思うけれど、本人に話さないまま置いて行こうとしていたの!?わざわざ町に行く事を伝えた上で!?」
「アルマが嫌な思いをするぐらいなら、その方がいいかなって……それがどうかしたの?」
彼女は今も俯いているから、嫌なのは間違い無いんじゃない?
それなのに、樋口さんは何で怒ってるんだ?
「……マサトくん。貴方、ちょっとそこに座りなさい。」
いや、オレもうソファに座ってるよ?
「もう座って……」
「地面に正座しろって言ってるのよ?お・分・か・り?」
……これは、本気で怒らせてるっぽいな。
素直に従った方が身のためだ。
「ハイ……」
どうやら、オレはやらかしてしまったらしい。
樋口さんの長い長いお説教を要約すると、アルマが俯いていたのはオレの所為……の、ようだ。
しかも、置いていく事云々よりも、きちんと話さないまま勝手に決めようとした事の方が、余程罪が重いとの事。
気を遣ったつもりになっていただけで、本人の事を全く考えていない独りよがりな思い込みだと、怒られてしまったのだった。
「アルマちゃんもアルマちゃんよ!置いていかれたく無いのなら、ちゃんと言わなきゃ!じゃないと、この唐変木が分かる訳なんて無いでしょ!?」
「はい……」
実際のところ既に三十分近く怒られ続けている訳なのだが、いつの間にかオレとアルマは二人並んで正座させられている、というね?
どうしてこうなった?
そして、多分だがアルマは何で怒られてるのか、理解してないだろうな。
「で、どうするの?」
アルマが若干涙目で樋口さんに返事を返すと、彼女は満足気に頷いてから、再び睨みつけるようにしてこちらへ視線を向け問いただす。
……漸くお説教からは解放されるらしい。
多分置いて行くかどうかを問うているのだろうけど、違ったら更に酷い目にあうのは明白なので、念の為に確認はしておくか。
「どうする、とは?」
「アルマちゃんを置いて行くの!?いかないの!?」
良かった、今度は間違えてなかったようだ。
……が、此処で答えを違えるのもダメだろう。
「これからアルマに聞きます……」
「なら、さっさと聞く!!!」
「イエス、マム!」
「なんでこういう時だけは、ノリがいいのよ……」
呆れたような樋口さんの呟きを聞き流しながら、正座をしたままのオレは、涙目のまま俯いているアルマへと身体を向ける。
だけど尋ねるにしてもまずは、しっかりと彼女に目線を合わせて謝ってからだ。
「アルマ、勝手に決めようとしてごめん。キミにもちゃんと確認するべきだった。……それで、さ?アルマは、どうしたい?」
「わ、わたし……」
「違うでしょ!そこは、オレについて来いぐらい言いなさいよ!」
あー!もうっ!うるさいな!
「アルマも、一緒に……いこう?」
オレにそんな言い方は出来ないから、コレが精一杯だよ!
満足したか!?
「……はい。」
オレが内心で少しヤケクソ気味になりながらも告げると、アルマは漸く少しの笑顔を浮かべて頷いた。
「及第点ね!オレが絶対に守ってやるからな、ぐらいは言わなきゃダメよ!」
……昨日は捉えどころが無いって印象だったけど、今日改めて話をしてよく分かったわ。
さてはこの人、かなりめんどくさいな!?
そんなやり取りの後でオレ達は部屋にて昼食を摂り、アルマも昼食から戻ってきた頃、町へ行く用意が整ったとの知らせが入る。
なのでオレ達は手早く身支度を済ませ、初めて館の外に出られるとあって、内心で少しワクワクしながらこの館の入り口までアルマに案内された……ところまでは、良かったのだが……
「急なお話でしたので、手配が出来たのはこの様な不格好な馬車になってしまい申し訳ありません……ですが、乗り心地に問題は無いかと思われますので、お気になさらないでください。」
「は、はぁ……」
こんな気の抜けた反応になるのも、仕方がないんだよ。
何故ならオレ達を玄関先で待ち受けていたのは、クレイの他に顔に見覚えの無い一人の兵士と、全ての窓を木の板を打ち付けて塞いでいる異様な装いの馬車だったのだからな。
これってさ……多分だけど、景色や道を覚えさせたくないから、だろ?
だとしても、ここまでするものかね、普通……
「ありがとうございます。」
「ご用命につきましては、同行する兵に遠慮なくお申し付けください。それでは、お気をつけていってらっしゃいませ。」
第一、近場の町なのにわざわざ馬車を用意する必要があるというのも、気に掛かるが……
そんな風に内心でクレイ達への不信感を益々募らせながらも、礼を失するのだけは主義に反する為、お礼の言葉はきっちりと伝えた後でオレは先に馬車へと乗り込み、何かで見た真似事で後から乗る二人に手を貸すと、全員が席に着いた所で外から馬車の扉が閉められ、それとほぼ同時に微かな金属の音が馬車の内部に響く。
多分、外から鍵をかけたのだろうが……護送されるのって、こんな気分なのだろうか?
中は例の石のおかげで暗い訳ではないのだが、やはり打ち付けられている板のせいか思ったより圧迫感も感じてしまうな。
「まるで、犯罪者扱いね……」
どうやら樋口さんも似たような印象を抱いたらしく、封じられた窓枠に触れながらそんな言葉を呟いた。
「暴れる可能性がある奴らも居るから、仕方ないんじゃない?」
「どうだか……」
まぁ、この状況下だと悪態を吐きたくなる気持ちも分からなくは無いけど。
「……動き出したみたいね。このまま火にでもかけられるんじゃ無いかと思ったわ。」
それから然程間を置かず、木製の車輪が動き出したのをお尻で感じたので耳を澄ますと、微かに進行方向から馬の嘶きが聞こえた事からも、馬車が出発した事が分かる。
……だが、樋口さんの言った可能性については、考えてもなかったな。
いや、それにしたってーーー
「樋口さん、クレイさん達と話してる最中から、随分と機嫌が悪そうだけど……何かあったの?」
「別に?何かをされた訳では無いの。ただ、私が連中を信用していないだけよ。」
「それはオレも一緒だけど……」
寧ろ、信頼出来る要素が何処かにあったのなら、オレにも教えて欲しいぐらいだよ。
「……私が奴らの嘘に気付いたのは、館の外を守る兵士の中に獣人が混じっているのを見た時ね。」
そんなオレの考えた事を知ってか知らずか、彼女は険しい表情で言葉を続けた。
「獣人が?」
よくよく考えれば、アルマ達をも利用しているぐらいだから、兵士の中に獣人が居たとしても何ら不思議ではないな。
それに、その事を知っていたからこそ、樋口さんは獣人について調べたのだろうし。
どうやって調べたのかは、ちょっと疑問ではあるけれど……
「ええ。獣人が敵だと言うのなら、雇うだなんて普通に考えれば、有り得ない話でしょう?」
「確かに……」
「そりゃあ、獣人の全てが敵だと言っていた訳では無いけれど、だったら最初から味方が居る事も伝えるべきだし、伝えた上で館の中にだって隠さずに獣人を配置するべきなのよ。でなければ、何かやましい事がありますと自ら白状しているようなものだわ。」
なるほど、樋口さんの言う通りだな。
「じゃあ、なんであんな風にオレ達へ話したんだろうね?」
「私が知っているわけないじゃない!考えたくもないわ!」
「ごめん……」
アイツらの思惑が何にせよ、意味の分からない嘘の情報を吹き込まれるのは、確かにかなり嫌な気分だからイライラするのも仕方がない。
それに、オレも昨日から何でもかんでも樋口さんに聞きすぎだから、彼女がこうして怒るのも当然だろう。
そう考えて、樋口さんへ素直に謝罪の言葉を口にすると、彼女は申し訳なさそうに口を開く。
「私こそ……分からない事だらけで、ちょっと嫌になってきてたから、つい大きな声を……アルマちゃんも、驚かせてごめんなさい。」
先程からしきりに外を気にしていたアルマも、驚いて樋口さんへ心配そうな視線を向けたからか、申し訳無さそうに謝罪の後で頭を下げた。
「樋口さん……ごめんね……」
そりゃそうだ。
彼女だってオレと同じ立場なのだから、幾ら聞いたって分からない事が分かるはずはない。
それなのに、オレは頼ってばかりで……
「違うわ。貴方は悪くないから、そんなに申し訳なさそうにしなくてもいいの……考えたくもないって言ったのはね?実は、今自分で言った瞬間に、最悪の想像をしてしまったから……よ。」
「最悪の、想像?」
訳もわからず見知らぬ世界に連れて来られて、下手すりゃ顔見知り同士で殺し合うかもしれないって現状でも充分すぎるほどに最悪だとは思うが、これ以上にって事か?
「……アルマちゃん達を、私達の側に置いている理由に思い至ってしまったの。」
彼女達をオレ達に当てがった理由に思い至って〝しまった〟?
「それはどういう……?」
「あの人達はアルマちゃん達を、多分……私達に殺させる為に、従者として付き添わせているんじゃ無いか、って……」
「……まさか?」
幾ら何でも、それは考えすぎな気もするが?
「私だって、こんな想像をしたくはなかったわよ……でもね、マサトくん。午前中のアルマちゃんの話を、よぉーく思い返してみて?」
えぇと、午前中のアルマの話って確か……
「……あっ!?」
「そう。アルマちゃんの両親は、同族である獣人に喰い殺された……しかも、目当てにしていたのは食べる事では無く……」
「力を奪う事……」
連中の彼女に対する態度や午前中の話から、そういった想像をしてしまうのも無理からぬ事かもしれない。
「従者をヒトモドキと呼んだ奴も、多分だけど彼らが普通の人間では無い事を知っている。そして、その従者達にも私達同様に祝福がある……そんな状況で、従者達を側に置いたまま力に呑まれてしまったら、何が起きるかは火を見るより明らかではなくて?」
「アイツらがオレ達を半ば放置している理由は、何かが起こるのを待っているからって事?」
だとしたら、従者を当てがった理由も、非協力的でも此処から放逐しない理由も分かるけれど……だとしても、その目的って?さっぱり見当がつかないぞ?
「恐らくね……祝福について、最初に私達に教えたのはアイツらよ。そんな奴等が、奪える事を知らないとは到底思えない……とはいえ、私が言い出した事だけれども、これだけは思い過ごしで、あって……欲しいわね……」
「樋口さん?」
「な、何でも、無いの……」
独り言を呟くように弱々しく告げてから暫くの間、樋口さんは青褪めた表情のまま黙って俯いた。
想像力がたくましいと言ってしまえばそれまでかもしれないが、気の所為だと一言で片付けられる状況でもないし、仕方が無いと言えるだろう。
少なくとも、納得が出来る要素もある訳だしな。
とはいえ、今は少し冷静さを欠いているだけかもしれないから、暫くはそっとしておくべきか。
……しかし、樋口さんだけでなくアルマもアルマで、馬車が走り出してから酷く落ち着かない様子で時折匂いを嗅ぐような仕草をしつつ、外を気にしながら黙っているのは何故なんだ?
それから、町に到着するまで三十分程の間はお互いに殆ど口も聞かなかった為、そんな様子にオレは言い様の無い不安を抱えたまま、馬車に揺られていた。
暫くして馬車が停止し、再び金属の音を立てた後に閉じられていた扉が開けられると、陽の光が差し込むと共に、人の営みを感じられる匂いも内部に立ち込める。
「何の匂い?これ……」
「焼き鳥……に、似てるかな?」
昼食を摂った後ではあるのだが、胃袋に直撃するタレらしき香ばしい香りの所為か、樋口さんも会話をする気力が湧いたらしい。
「焼き鳥……屋台があるなら、見てみたいわ。最近あんまり食べてなかったからか、お昼だけだと少し物足りなかったのよね。」
「じゃあ、オレが兵士に聞いてみるよ。」
暫く逃げ回っていたからか、どうやら彼女が落ち着いて食事を摂ったのですら二日目の朝以来だったらしく、その間は調理場でパンだけを貰いながら食い繋いでいたのだそうだ。
まぁ、それらを差し引いても、美味しそうな匂いだから、食べたくなる気持ち自体は分からなくも無いがね。
そんな事を考えながらオレは先に降り立ち、後から降りる二人に手を貸したのだが、最後に降りたアルマは何故か異様な程忙しなく辺りを見回した後、縮こまるようにしてオレ達の後ろに隠れてしまう。
その様子に、やはり連れてくるべきでは無かったのかと思い、彼女へ声を掛けようとした時、周囲を観察していたらしい樋口さんが徐に口を開いた。
「それにしても、なんだか思っていた街並みとえらく違うのね……」
言われたオレも建物へと視線を向けてみる。
なるほど、確かにこれは……
「そうだね。これじゃあ、まるで……」
「西洋では無く、東洋……って感じ?」
館が洋館だったので、町も煉瓦造りの建物が立ち並ぶのかと想像していたのだけれど、どちらかと言えば時代劇等で見るような、木造土壁の長屋らしき建物が目の前には連なっていた。
それに、最前線と聞いていた割に、建物が損傷を受けている様子も無い。
こちらについては、やはりというか……
「まぁ、いいわ。それより……アレね。」
オレも樋口さん同様に降り立った周囲の建物を見上げながら観察していたのだが、樋口さんの興味は既に移っていたらしく、彼女の思わせぶりな言葉でオレは彼女の視線の先に目を向ける。
すると、てっきり祭の出店のようなものがあるのかと思いきや、実際は家屋の軒先で商売をしていたようで、肉のような物を串に刺して焼いているのが確認出来た。
「屋台かと思ってたけど、ああいうのって軒店……って言うんだっけ?」
そう呟きながら辺りを見回すと、他にも野菜や果物を売っていたり、串焼き以外の店も散見されたので、恐らく此処は市場か何かなのだろう。
「へぇ……そんな呼び方なのね?知らなかった。それより……ねぇ?」
「あ、うん。ちょっと待ってて。」
樋口さんが少し申し訳無さそうにオレへ視線を向けた為、オレは兵士に頼む為に二人を馬車の前に残して、その場から離れた。
彼女が珍しくハッキリと伝えなかったのは、昼食の際にチラリと本人が言っていた話によると、樋口さんは大人の男性を苦手としているから……らしい。
故に、オレが代わりを申し出たという訳だ。
理由までは聞いていないけれど、昨日の親父さんの話から事情は何となく察せる気もするな。
「あ、あの……」
「如何されましたか?」
とは言っても、オレだって得意では無いのだがね?
……って、あれ?
この兵士、出発の時には居なかったような?
んー……まぁ、兵士が一人増えた所で伝える事は変わらないから、別にいいや。
「じ、実は……い、一緒に来ている女の子が、食べたい物があるらし……」
「ちょっと!いきなり何なのよ、アンタ!嫌がってるでしょ!さっさとその子から手を離しなさいよ!さもなければ……!」
オレ達を解放した後ですぐさま馬の世話を始めていた兵士とは別の、出発時には居なかった革製の帽子を被った年若い兵士に何とか事情を話し始めたところに突然、樋口さんの怒声が辺りに響き渡る。
驚いて樋口さん達の方へ振り向くと、フードらしき物を被った人物がアルマの腕を掴み、引っ張っている所だった。




