手記11
朝から二日続けてアルマへ謝り倒した後で、辟易としながらもいつも通り朝食を部屋で摂り終え、何とか機嫌を直した彼女が朝食に行くのを見送ってから、一人掛けの椅子に座りつつ、今日は何をしようかと考えていた時だった。
ーーーコンコンコンコン
うん?
こんな朝っぱらから一体誰だろう?
アルマはこんなにも忙しなくノックなんてしない上に、ついさっき朝食の為に部屋を出たばかりで、彼女じゃないのは確かだけれど……?
「どうぞー?」
前に、いきなりドアを開けたら驚かれたからな……オレは学習したんだ!
この間こちらの言葉を教えて貰っていた折、何故初めて会った時驚いていたのかを聞いたのだが、その際に教えられた事を踏まえ、オレは訪ねてきたであろう人物に入室する許可を出した。
するとーーー
「きちゃった♪」
ーーー今朝のトラブルの原因となった人物が、少し開いた扉から楽し気に顔を覗かせる。
……よし、そっ閉じで!
顔を覗かせた人物を確認したオレは、速やかに立ち上がって入り口へと向かい、扉を閉める事にした。
「ちょっと待ちなさい!?何で無言で閉めようとするの!?」
「知らない人が来ても、玄関は開けるなって教えられてるもんで。」
小さな頃より我ら兄妹は、両親が共働きだったが故に二人で留守番する事が多かった為、その辺りは徹底しているのですよ。
偉いでしょ?
「誰が不審者よ!!」
「樋口さんが、だよ!」
「即答!?知り合いじゃないの!」
さっきっから思いっきり押してるのに、かなりの力で押し返されるからか、全く閉められそうにねぇ!?
アルマよりは身長が高いにせよ、少なく見てもオレとは十センチ以上身長が違うのに、あの細身の何処からこんな力が!?
流石、自分を最高レアだと言い切っただけはあるという事か!
「いやいや!押し入ろうとするなら、知り合いでも充分不審者だろ!」
だがな?オレも男だ!
ヒョロガリにだって意地ぐらいはあるんだよ!
「……いい加減に開けなさい。さもないと、扉を消すわよ?」
……あ、それは素直に困る。
うーん……これは仕方がないかな?何か用があるのだろうし。
いや、それはそれとしてだな……
「何でオレの部屋の場所知ってるの?」
オレ、昨日教えたっけ?
「昨日の昼間に後ろをつけていたから?昨夜来なかった時の為に、予め調べておいたのよ。」
こいつ、よくもいけしゃあしゃあと…!
しかも、昨日行かなかったら行かなかったで、押しかけてくる気満々だったんじゃねぇか!?
い、いや、そんな事より、部屋の中に入れてしまった手前、今はさっさと話を聞いてお引き取り願わなければ。
「とりあえず、何の用?」
樋口さんを追い返す事を諦めたオレは、手早く用件を済ませる為に多少ぶっきらぼうな言い方なのは理解しつつも、ソファに腰掛けながら彼女に問いかける。
「桜井くんに、会いたくなったからね。」
だが、あからさまに邪険に扱われているにも関わらず、彼女は気にした様子も見せないままオレの対面にある椅子に腰掛けてから、そう嘯いたのだが……
オィ、視線を逸らしてんじゃねぇ!
「信じてないでしょ?」
オレが彼女の言葉に応えないまま視線を向けていると、凝視されている事に気付いた樋口さんは少し頬を膨らませつつ言葉を続ける。
「そりゃね。それより、用が無いならすぐに帰ってくれない?」
「なんでよ?」
「昨日の夜、会ってた事がバレて朝から不機嫌で大変だったんだよ。だから…」
正直、匂いでバレた事を鑑みて部屋の中に入られた時点で、アルマが帰ってきたら即バレしてしまうだろうけど、それでも実際に居る所を見られてしまうよりはマシだろう。
……しかし、何でオレが浮気男みたいな真似をせにゃならんのよ?
「はぁ!?イ!!ヤ!!よ!!何!?なんなの!?何で、自分だけラブコメみたいな事してくれちゃってるのよ!?ズルイわ!楽しそうだから、私も混ぜなさい!」
そう考えて、敢えて心底迷惑そうに伝えたものの、樋口さんは何故か偉そうな態度でオレの言葉を遮りながら、身勝手な主張を始めた。
「楽しそうって……」
そんな理由で引っ掻き回されるのはごめんなのだが……
……あれ?でも、言われてみればオレ、何で樋口さんとアルマを会わせるのを、こんなにも嫌がっているのだろう?
アルマとは何も無いのだから、そこまで気にする必要だって無い筈なのに。
いや、それにしても樋口さん、朝から妙にテンションが高いな?
「とにかく、私は出て行かないわよ!後、ベッドも貸して頂戴!」
「いやいや、部屋に入れるだけならまだしも、何でそこまでしなくちゃならないんだよ!」
他人になんて貸す訳ないだろ!
自分の部屋で寝ろよ!
妙な妄想してベッドで寝れなくなるじゃねぇか!
「いいじゃない!」
「イヤだよ!」
「どうしても……?」
「当然だろ!さっさと出てってよ、もう…」
ホント、何なんだよ昨日から……
「……ごめんなさい、正直に言うわ。此処に来てから私、あんまり寝ていないの。二日目の夜からずっと誰かに追われていて、怖くて………昨日もあの後、つけ狙われていたのよ。だから少しでいいの、此処で休ませて……」
オレが内心で悪態をつくと、それを察したらしい彼女は急に、今にも泣きだしてしまいそうな程の悲痛な表情で、漸く事情を語り出す。
そういや昨夜は暗くて気付かなかったが、よくよくみれば樋口さんの目元に酷いクマが……
「えっと……大丈夫?」
明かりがあったとはいえ、夜だったから気付かなかったな。
「あんまり……本当は、昨日お願いしようかって思っていたのだけど、私の近くにいると危ないかとも思ったら……でも、流石にもう木の上で休むのは限界なの………夏だからか、虫も沢山出るし……」
木の上で、って……だから昨晩は、森のある方向に歩いて行ったのか。
オレの問い掛けに、彼女は俯きながら力無く呟くのだが、その余りにもな様子の所為でオレは居た堪れなくなり、悪気は無かったのだがつい咎めるような言葉を口にしてしまう。
「何で昨日言わなかったのさ……」
「そんなの……貴方だけじゃなくて、あの子まで危険に晒すかもって思ったからよ!!でも、本当に辛くて……昨日までは何とか我慢出来たけれど、こんな事をお願い出来る相手も他に居ないの……だから、お願い……私に出来る事なら、なんだってするわ。貴方が望むなら……わ、私でも……」
憔悴し切った様子から見ても、どうにも冗談ではないらしい。
なら、虚勢を張らなければいいのに……ま、オレの返事は決まっているけどな。
「分かった……けど、オレは別に見返りなんて要らない。」
これは格好をつけているというより、昨日立ち上がるのに手を貸した時と同様、本当に助けを必要としている人には手を差し伸べるべきという、自らの心に従ったから出た言葉だ。
だから、下心なんて絡む余地は一切無い。
それに、ストーカーにはちょっと思うところがあるから、余計にほっとけない……かな?
「……いいの?本当に?」
「困ってるんでしょ?」
「ありがとう……」
「お互い様だよ。」
まぁ、オレも昨日樋口さんに色々教えてもらったから、そのお返しみたいなものだ。
情けは人のためならず、ってね。
「じゃあ、もう一つだけ……お願いしてもいい?」
「何?」
食事を持ってくる、とかだろうか?
オレは何処に取りに行けばいいか分からないから、それはアルマが来たら頼む事にしよう。
「昨日は私が膝枕したのだから、腕枕して?」
「は?」
「腕枕、して?」
二回言わんでも聞こえとるわ!
「オレは此処にいるから、ベッドは好きに使いなよ。」
「ちょっと!何で無視するの!?」
当たり前だ!
本当に何なんだよ、この人!?
こっちは本気で心配してたんだぞ!?
そんなやり取りから数分して、彼女も最初はベッドの中でぶつぶつと文句を言っていたのだが、どうにも睡魔には勝てなかったらしく気付けば寝息を立て始めていた。
やれやれ、やっと静かになったか……
とはいえ、此処に来てから一週間程になるが、その間殆ど一人で何かから逃げ回っていたというのは、この様子からも事実だったのだろう。
昨晩の話だと彼女も相当な恨みを買っているらしいし、オレとしては犯人が分かるまで此処に匿う事も考えてはいるけれど……この状況、アルマにはどう説明しよう?
ーーーコンコン
ーーーコンコン
……などと悩んでいる内に間を開けながら二度、彼女が帰ってきた事を告げるノック音が響き、アルマが部屋へと足を踏み入れる。
それと同時にアルマの表情が朝同様、みるみる間に酷く不機嫌なモノへと変化した。
あー……デスヨネー!?
「……マサト?」
「ハイ。」
「……という訳で、困ってたみたいだから、仕方ないんだよ。」
それから暫くして、何とかアルマが朝食を食べている間の出来事を話終えたのだが……すっごくこちらを睨んでおられますね?
「決してやましい気持ちとかはないから!」
その視線に耐えられなくなったオレが思わず弁明の言葉を口にすると、ベッドで休んでいたはずの樋口さんがいきなり身体を起こして、口元にいやらしい笑みを浮かべ口を開く。
「えぇー?そうなのぉー?私がなんでもするって言った時、私のカラダをいやらしい目で見てたでしょぉー?」
「無いわぁー……」
キミ、アルマといい勝負じゃんね?
何処がとは言わないけれど、オレは大きい方が好きなんだよ!
……ってか、起きるの早くね?
後、アルマの無言の視線がさらに痛くなるから、余計なことを言うのも………と、思ったけど微かに首を傾げてるから、これは分かってないな。
「……寝床を貸してもらってる身としては、騒ぐなとまでは言わないけれど、もう少し気を遣ってくれても……とは、思うわね?」
「悪かったよ。」
寝てすぐに至近距離で騒がれたら、そう思うのは無理もない。
原因はキミだから、正直釈然とはしないがな。
「それより、昨日は気付かなかったけど、その子………」
「ん?」
少しモヤモヤしつつも謝罪を口にすると、何故か言葉を切りながら、樋口さんは訝し気に眉を寄せつつアルマを凝視する。
彼女がどうしたって?
「何で、その子が強く無いとはいえ、私達と同じような力を持っているの……?多分柴田くんと大差無いぐらいかしら?これって確か、普通の人には無い力の筈よね……?」
樋口さんが訝しげにアルマへ問い掛けると、彼女は急に視線を泳がせ始め、焦ったような表情で口を真一文字にして黙り込む。
「え?祝福を……?」
言われてみれば、樋口さん同様にアルマも祝福が見えたり、腕力が強かったりで、祝福を持っていたとしても納得できる部分があるけど……
「桜井くんは知らなかったようだけど……ねぇ、貴方一体何者なの?」
「わ、わたし………」
問い詰めるというよりも、語りかけるようにして樋口さんは尋ねるのだが、アルマは何故か酷く怯えた様子でオレに視線を向けた。
どうしたのだろう?
「もしかして、私達の前に連れて来られた人達……だとか?」
樋口さんが質すと、アルマは一瞬悩んでから首を横に振って答える。
呼び出された訳では無いとすると、一体何故彼女が力を持っているんだ?
そんな疑問が湧いたオレを他所に、樋口さんはアルマの答えを想定していたような様子で頷き、再び口を開く。
「やっぱり。じゃあ……貴方、獣人なのね?」
「え?獣人?どういう事?」
アルマが?
見た目はオレ達と大差ない彼女が、獣人?
獣人って、もっとこう……普通は動物みたいな姿をしているモンじゃないのか?
……い、いやそれよりも、今の流れでどうしていきなりそんな話になる?
「わ、わたし、獣人、ちがう!でも、人、違う………」
「人でも獣人でも無い?」
樋口さんの発言も気になるところではあるが、アルマの言葉もまた理解が出来なかった為に思わずオレがそう問い掛けると、アルマは控えめに頷いてから俯いた。
益々意味が分からないぞ?
彼女の見た目はどこからどうみても、普通の人間なのだが?
「〝………私達は、なりそこない、と呼ばれています。〟」
オレの問いから暫くして、顔を上げた彼女は意を決したような表情をしながら、何かを告げる。
私、偽物、呼ぶ?
偽物って何だろ?
「桜井くん、彼女が何を言っているか……分かる?」
「多分、自分は偽物と呼ばれてる、だと思う。」
アレ?そいや偽物って、前にもクレイさんが言ってたような?
「偽物?……そう言えば、外から部屋を覗いている時に従者に向かって、〝ヒトモドキ〟と言っていたのを聞いた事があったわね……なるほど、見えるようになってからはこの子以外の従者と会った事が無かったから、気付かなかった……」
何で覗いていたのかは置いておくとしても、ヒトモドキ?
誰が言ったのかは知らないが、何をもって彼女達をそう呼んだのだろうな?
まぁ、こういう時真っ先に考えられる事と言えばーーー
「もしかして、人と獣人の間に出来た子供だから、とか?」
思いついた事をそのまま問うと、困った顔でアルマは首を横に振る。
ありゃ、違ったか。
じゃあ、だとするとアルマ達って何なんだ?
「〝獣と人の間に子は成せません。私の両親は、獣人です。〟」
最後のは両親と……次の言葉は分からないけど初めに言った単語と似ているし、これまでの話の流れから、恐らく獣人……か?
「親は、獣人……で、合ってる?」
オレが尋ねると、今度は首を縦に振ってから再び彼女は口を開く。
「わたし、は、うまれた、ちち、はは、家、は、すてた。」
……えっと意訳すれば、自分が生まれたから両親は住んでいた所を捨てた、ってトコかな?
何処かの少数部族出身だと思ってたけど、以前聞いた三人で暮らしていたって話から察するに、文字通り三人だけで隠れて住んでいたって事?
まぁ、それは今あまり関係がないので置いとくとして、他の世話係の人もアルマと同じなのだとしたら……
「もしかして、ア………キミみたいな人達って、時々生まれるの?」
あっぶね。
樋口さんの前でアルマの名前を呼ぶ所だったわ。
「はい。」
なるほどね。
……いや、自分で聞いておいてアレだが、何でまた関係の無い事を聞いてしまったのだろう?
えっと……話を戻そうにも、樋口さんは何を聞いてたんだっけ?
「貴方はそれで祝福を持っていたのね………実はね、桜井くん。昨日は黙っていたけれど、私達のこの力は元々獣人達のモノらしいわ。だから、人の身にその力を宿した場合におかしくなってしまうのだと、私は思うの。」
あぁそうそう、何でアルマが祝福をもっているか、だった……しかしそうか、樋口さんはソレを知っていたからアルマが獣人だと言ったのか。
となると、オレ達が此処にいるのって……
「って事は、今の状況はもしかして……」
「考えないようにしていた事だけど多分、祝福を持つ人間を生み出す為の、実験……でしょうね。悍ましい話だわ……でも、そうなると今度は、その子達を奴隷みたいに扱う理由が分からないけれど……」
「此処に連れてこられた理由は、何か分かる?」
樋口さんがアルマに聞きたそうな表情をしていたので、代わりにオレが彼女へ尋ねるとアルマは少し悩む素振りを見せた後で頷き、袖口のボタンを外して包帯を巻いている方の腕をオレ達に見せてきた。
「え?その腕がどうしたの?」
包帯自体には前から気付いては居たけど、今の状況で見せたという事は、怪我をしている訳ではないのね。
……しかもよくよく見れば、包帯が不自然に膨らんでいるような?
彼女の意図が分からずにそんな事を考えていると、深呼吸をした彼女は徐に腕全体に巻いてあった包帯を外し始める。
すると、手首から肘にかけて巻いてあった包帯の下からは彼女の髪と同じ色の体毛が表れたかと思えば、そこから先の二の腕までの白い素肌にも入れ墨のような紋様が刻まれているのが確認出来た。
「〝これは、私を守ってくれる呪いで、両親が古い文献から見つけたものだそうです。あの人達はこれが目的だと思います。私もどんな力があるのかまでは知りませんが、これを施されて以来、私は色々見えるようになりました。〟」
包帯を解き終えたアルマが俯きながらそう告げるのだが、何を言っているのかオレには解りそうになかった。
多分、どう伝えるのか迷った挙句こちらの言葉を使ったのだろうが、どうしたものかね?
「もしかして、ソレがあるから連れてこられたの?」
「はい。」
分からない単語ばかりで頭を悩ませているオレを他所に、樋口さんが入れ墨を指差しながら尋ねると、アルマは俯いたまま返事を返す。
「そしてそれには、何かの力があるのね?」
「はい。」
「なるほど……分かったわ、ありがとう。」
「言葉も判らないのに、よく分かったね?」
「そりゃ、そうやって見せたって事は、関係があるのは当たり前でしょ?」
それもそうか。
「とはいえ、この子の事だけが分かっても、他が分からないのでは意味が無いわね。やっぱり、兵士を締め上げるしか無いのかしら……?」
いやいや、そんなの最終手段にも程があるわ!
脅しなんて、余程手詰まりになった時だけだろうよ?
それに……
「いや、流石にやめた方がいいんじゃない?きっと何かの対策をしているか、何も知らされてないかのどっちかだよ。」
オレを隔離している際の夜間の警備ですら、兵士が一人で行動しているのを見た事が無いので捕まえる事自体がかなり難しいと思うし、樋口さんの力はデメリットも大きすぎるから当然そんな事はさせられない。
彼女、一対一は最強になれるかもしれないけど、どう考えても訓練をしていない上に素手のオレ達では太刀打ち出来ないだろうし、なにより多勢に無勢になるのは明白だからね。
「それもそうね………逃げだすのも無理なくらい、この館を兵士で囲んでいるぐらいだもの。」
「そうなの?」
薄々は想定していたが、やはりか……
「ええ、此処一週間逃げ回っているついでに、色々調べていたから間違い無いわ。館の中に居る兵士の方が圧倒的に少ないくらいよ。それに……」
となれば、アルマを連れて逃げる事自体が不可能に近いな。
しかも、まだ何かあるっぽい?
「それに?」
「館の中のアイツらの詰所……って言えばいいのかしらね?貴方はそこを見た事がある?」
「いや、オレは無いけど……」
「桜井くんも一度見てみたらいいわ。入り口が仕掛け扉な上に、金属製なのよ?明らかに、襲われるのを想定している造りだと思わない?」
……こりゃあ、昨日の殺し合い云々も、段々と信憑性を帯びてきたぞ?
となれば、先ずはどうにかして逃げる事を考えないと……
「あら、貴女……どうしたの?なんで泣いているの?」
今後どう行動したものかと頭を悩ませている内に、樋口さんが徐にベッドから起き上がりアルマへ声を掛けたので、そちらに視線を向けると彼女が大粒の涙を溢しながら嗚咽を漏らしていた。
「ごめん、なさい……マサト、わたし、きらい、なる……」
「嫌いに?」
またまたどうして、急にそんな話になってるんだ?
「獣人、てき、言った。〝私は、なりそこない、でも、獣の子、だから、貴方の、敵……なの……〟」
敵って……オレ、そんな事アルマの前で言ったっけ?
………と、幾らオレが思っても、事実こうして彼女を泣かせてしまっているのだから、言ってしまったのだろうな。
知らなかったとは言え、迂闊だった。
「そんな事で友達を嫌いになんてならないよ!それに獣人が敵だなんて、今は考えてもいないんだ!」
どちらかと言えば、今では獣人達が虐げられている可能性すらあると思っているから、今更敵視する理由はない。
その事を必死で伝えると、彼女は何とか泣き止みはしてくれた……が、全く顔はあげないまま時折鼻を鳴らしていた為か、何故か樋口さんがオレを非難し始める。
「……サイテーね、桜井くん。泣いている女の子は言葉じゃなくて普通、優しく抱きしめてあげるものじゃないの?」
「樋口さんは少女漫画の読みすぎだ。友達だから、弁えてるだけだろ。」
仲が良くても、それはいきなり踏み超えていいラインじゃねぇんだよ!
「……呆れた。よく音に聞く朴念仁って、こういう人の事なのね。」
「何か言った?」
「何も?……それより、ねぇ桜井くん。その子の名前、なんて言うの?」
「名前?」
何故、それを今聞く?
「ええ、その女の子の名前よ。桜井くん、貴方知ってるわよね?さっき言いかけていたし。」
ぐぬ……気付いてやがったか。
とはいえ……
「家族か友達にしか教えたらダメらしいし、オレの口からは言えないよ。」
約束だからな。
「ふぅ〜ん、そーいうコト……ねぇ、私の名前はヒグチミオよ。貴女のお名前は?」
「……アルマ。」
「アルマちゃん、ね?私とも、お友達になってくれる?」
樋口さんの問いに、アルマは何故か一瞬だけオレを見た後で、恐る恐るといった様子で頷いた。
オレさぁ、名前を聞くのに丸一日以上掛かったんだぜ?
何度も何度も必死に話しかけても全く仲良くなれなくて、本気で凹んだりもしたんだよ??
……なのに!それなのにさぁ!!アルマもアルマで、何で樋口さんにはすんなりと教えるワケ!?
納得いかないんだけど!!!
「じゃあ、私も貴方の名前は秘密にするわ………って、桜井くんは凄く不満そうな顔してるわね?私がアルマちゃんと仲良くするのがそんなにイヤなの?」
「いや、そういうワケじゃ……」
やべ、つい顔に出てしまっていたらしい。
「……あっ!私、分かっちゃった!アルマちゃんを私に取られるって思ったんでしょ!?」
「ち、ちがっ!?」
やめろ!!そうやってオレを見透かすんじゃねぇよ!!
「大丈夫よ、安心して!そんなのは、私が貴方の物になった時点で解決してるから!」
「……は?」
オレの物に?
誰が?いつ?
「何?責任とってくれないって言うの?私、昨日が生まれて初めてだったのよ?」
「何を言って……」
……そいや、キスしたの初めてって、確か言ってたな。
思い出したら、ちょっと恥ずかしさが込み上げてきたわ。
「あんなにも愛し合ったというのに、酷いわっ!」
今、やっと分かったぞ。
この人、本気でラブコメみたいな事がやりたいだけだな?
でもさ?
「あー……樋口さん樋口さん?一人で盛り上がってる所悪いけど、アルマが理解出来てないから続けても仕方ないよ。」
肝心のアルマが首を傾げてるのだよね。
多分、樋口さんが早口で言うから、理解が追いついてないのだと思う。
ってか、樋口さんもよく見たら顔が赤いから、きっと言いながらも恥ずかしかったのだろうな。
「……そう、みたいね。」
オレの指摘で益々茹で上がったようになったかと思えば、その内羞恥心に耐えきれなくなったのか、彼女は黙ったまま明後日の方向を向きだした。
やれやれ……恥ずかしいならやめときゃいいのに。
「後、一応言っとくけど、アルマはオレらより歳上で十八だよ?だから、お姉さんです。」
「ウソっ!?」
「わたし、おねえさん!」
おっ、アルマもちょっと笑顔になった。
「小学生ぐらいかと思ってたわ……まさか、ロリババアが実在するなんて……」
ロリババア言うな!
それに十八なら、言うてオレらと大差ないだろうが!




