表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/37

第13話 気圧変化になぶられる才女──百妖箱モモの前で、ひとりだけ前線通過中──

 グラウンドの隅。雑草に包まれた古い百葉箱の前に、マホはしゃがみ込んでいた。


 白手袋をした手が、まるで祈るように扉を撫でる。


「……モモ、お願い。もっと、私の中を計って……」


 まるで愛を囁くような声。

 そして彼女はゆっくり、ポーチから一枚の天気図用紙を取り出した。


「気圧変化のない日なんて、刺激が足りないわ……」

「もっと……もっと気圧変化がほしいの……」


 カチカチッ――

 製図用シャープの芯が紙に当たる音が、小さく、でも狂気じみて響く。


「964……968……972……詰める……もっと詰めなきゃ……」


 地図の上に、均等間隔の等圧線がぎっちりと、吐息に合わせて描かれていく。


 その線はまるで、自分の内圧を閉じ込める拘束具であり、快感の縄であった。


「見て、モモ……私の“低気圧”……昨日からずっと停滞してるの……」

「今夜はここに前線も発生させる予定……ふふふっ……」




 ――その光景を、遠巻きに見ていた四人がいた。


「おい……マホ、何してんだ……?」

 リョウが眉をひそめる。


「え、アレ、天気図だよね……?」

 レオは目を細め、遠くから見ても線が黒く密集していることに気づく。


「ってか……あんな詰めて描くもんなの……? 線と線の間、無くない……?」

 ミオは声を潜めて囁く。


「やば……あれ完全に“気圧中毒”……」

 ハヤがぼそっと呟く。



 マホは天気図を静かに胸にしまい、百葉箱の扉を開けた。


 並ぶ温度計、湿度計、そしてアネロイド気圧計。


 マホは温度計の液溜まりにそっと指を這わせる。


「ふふ……私の刺激で、液が……登ってきた……」




 管の中で膨張する赤い液柱。

 その熱は、まるで彼女の体温と感情のリンクのようだった。


「血液のような赤い液が…細い管をみなぎってるわあ…」



 彼女の吐息が百葉箱の中の湿度を上げる。

 湿度計の繊毛が震え、相対湿度93%に達した時――




「……あっ、ダメ……私の、ここ……湿ってきた……」

「し、湿ってるっ……! どこが……!?」




 露が、結露が――彼女の身体に浮かび上がる。


「だめ……っ、露点……私、飽和してる……っ!」




 息が荒くなり、彼女の内なる観測系が崩れ始めたその時、


 百葉箱のアネロイド気圧計が、音を立てて動いた。




 グッ……ギュン……と針が沈む。


「や、やだ……針が……また動いた……」

「そんなに激しく、深く……っ」




 995……992……990hPa。




「この……気圧の乱れ、体の芯まで……かき乱されて……っ!」


 彼女は頬を紅潮させ、喉を震わせて囁く。




「これは、嵐……私の中に、嵐が来てる……」




 気圧は、快楽。

 等圧線は、拘束。

 マホは、気象の奴隷。




 思考はフェーン現象のように高揚し、

 視界は閉塞前線のように重くなる。




 そして――


 999.8hPaを割ったその瞬間。


「ひゃあっ……! いま……私の……最低気圧、更新っ……!」


 ふわり、身体が浮く感覚に襲われる。


 気象現象にしては、あまりにも淫らすぎる、才女の絶頂。




 それでも気圧は止まらない。

 次は上昇。1020hPaまで跳ね返る。




「高気圧に……圧される……この圧、支配……私、好き……っ!」

「でも次は低気圧……引き裂かれて……宙に浮くっ……」




 気圧の乱高下。自然の“なぶり”。




 もはや自律神経も観測不能。


 吐息は荒れ、膝は崩れ、百葉箱モモにしがみつき、

 マホは――観測不能の存在へと溶けていく。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ