エピローグ
興平2年(195年)2月 徐州 下邳国 下邳
「はあ……結局は儂の失態が始まりか。儂が荊州を盗られなければ、兄者が敗走することもなく、曹操を攻める手立てはいくらでもあったのだ。本当にすまぬ」
誰よりも誇り高い男 関羽がそう言って頭を下げた。
その態度に改めて衝撃を受けつつも、私は慰めの言葉を掛ける。
「それも今更、言っても詮のないことです。髭どのだけが間違いを犯したわけではありません。私自身も、いろいろと見誤っていましたから」
「しかしな……儂があそこでヘマをしなければ、もっと楽に曹操と対峙できたはずだ」
「まあ、そりゃそうだけどよ。それをただ悔いても、あまり意味がねえさ。どうすれば良かったのか、改めて考えてみればいいんじゃねえか」
「うむ……そうであるな」
劉備さまに促され、関羽が髭をしごきながら瞑目する。
「……思えば儂は、焦っていたのであろうな。それで足元を疎かにしたままで、突っ走ってしまった」
「焦ってたって、何にだよ?」
その張飛の問いに、関羽は苦い顔で答える。
「益州でお前たちが武勲を挙げるのを聞いて、儂もと思ってしまったのだ。本来なら荊州をしっかりと守ることこそが、儂の役目だったというのに」
「そういえば、黄忠どのと同列に扱われたことに、ひどく憤っていましたね」
「うむ、今になってみれば、つまらぬことを気にしていたものよ」
そう言って関羽は、頬を歪める。
実際問題、黄忠を後将軍に任じたときは、関羽をなだめるのに苦労した。
”あの老いぼれを儂と同列に扱うとはどういうことか?”と、想像以上に憤慨していたのだから。
それだけ彼が焦っていたことを、私も気づくべきであった。
いや、全てを予測しようなどと、それこそが思い上がりか。
そんな思いにふけっていると、劉備さまが仕切り直す。
「まあ、過去を悔やんでばかりいても、どうしようもねえさ。どういうわけだか俺たちは、前生の記憶を持ってここにいる。これはそれぞれの無念を晴らせってことじゃあ、ねえのかな?」
「まあ、そうなんだろうな。実際に今の状況は、前より良くなってるし」
「うむ、それに加えて諸葛亮まで合流したのだ。さらに状況は好転するのではないかな?」
「へへっ、そのとおりだな。どうだい、諸葛亮。何か献策はあるかい?」
彼らの視線が私に集まったので、背筋を正して応じる。
「まだこちらに来たばかりで、大した情報も持っておりません。そこでまずは、現状を確認させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「おう、それもそうだな。聞きたいことがあれば、なんでも言ってくれ」
「それでは確認ですが、まず劉備さまは州内の治安を回復し、力を蓄えようとしておられる。これはよろしいですね?」
「ああ、そのとおりだな」
「幸いにもそれは成功しつつありますが、同時にあることを狙っていらっしゃいますね?」
「ほう、それはなんだい?」
劉備さまがおもしろそうに目を細める。
「周辺の勢力の侵攻を誘って、逆に攻め返すおつもりでしょう。そしてその相手は、おそらく袁術」
「ハハハッ、さすがは諸葛亮だ。ずばり当てやがった」
彼は嬉しそうに手を叩き、はしゃいでみせる。
「フフフ、私もこの先の動きを知っていますからね。それに情勢を当てはめれば、推測は簡単なこと。おそらく揚州方面へは、侵攻を誘うような噂を流していることでしょう」
「おお、ちょうど始めたところだ。さすがは諸葛亮だな」
「うむ、心強いものがある」
やはり私がにらんでいたとおりだった。
それなら少しばかり、後押ししてみよう。
「ならばその謀、私に任せてもらえませんか? 少し袁術の背中を押してやりましょう」
「おお、それはいいけどさ、時期は見計らってくれよ。来年はたぶん、あいつが来るだろうからな」
「あいつと言うと……ああ、呂布が転がり込んできたのでしたね。たしかに下手をすると、背中を刺される恐れがあります。後ほど、詳しい話をお聞かせください」
「ああ、もちろんだ。その辺も含めて、戦略を練り直そうぜ」
「はい……それにしても、またこの顔ぶれで戦えるかと思うと、感慨深いものがありますね」
そう言うと、劉備さまたちも懐かしそうな顔をする。
「そうだな。それぞれ一度は死んだと思うと、なおさらだ」
「であるな。一体、なんの因果か……」
「それは気にしても仕方ねえや。誰も答えなんか、くれねえんだからよ。気楽にいこうぜ」
そんな張飛の言葉に、劉備さまが苦笑する。
「お前は単純でいいなぁ。だけど配下の扱い方を直さねえと、また後ろから刺されるぞ」
「い、いや~……それが案外むずかしくてさ。でも前生の俺よりは、だいぶマシになってるだろ?」
「さあ、それはどうかな?」
「おいおい、怖いこと言わないでくれよ」
「「「ハハハハハ!」」」
情けない顔をする張飛に、思わず私も笑ってしまった。
こんな気持ちになるのは、はたして何年ぶりだろうか?
思えば劉備さまと出会ったばかりの頃は、互いに身軽だったため、このような話もできていたような気がする。
しかし彼が漢の社稷を継ぎ、さらには私がそれを一身に背負うようになってしまい。
そんな想いが顔に出ていたのか、劉備さまに問われる。
「どうしたい、諸葛亮。また何か失敗を思い出したのか?」
「いえ……失敗というか、晩年のことを思い出していました。あの頃の私は、1人で国を背負っているつもりで、ただあがいていたのだな、と。その結果、寿命を縮めていたかと思うと……」
「……あ~、なるほど。国の全てを背負うなんて、つれえもんだからな。まあ、今は俺がいるんだから、安心してくれよ。お互い若返ったから、当分は死なねえだろうし」
「フフフ、そうですね」
劉備さまにそう言われて、妙に腑に落ちた。
責任を分かち合う誰かがいるというのが、こんなに心強く、嬉しいものだとは。
思うに、晩年の私は国を一身に背負う重圧に疲れ、自暴自棄になっていたのだろう。
大局を見ることのできない主君や配下を見下して、1人であがいていたのだ。
結局、何もできなかったのだから、大した違いはないというのに。
そんな前生の自分を認めることによって、肩の力が抜けた。
その心地よさに笑みをもらすと、劉備さまがからかうように言う。
「おいおい、ひとりで悟ったような顔、してんじゃねえよ。気持ち悪いぞ」
「失敬ですね。人間、50年も生きれば、悟りのひとつも開けるというものです。劉備さまこそ、60年以上も生きたのですから、もっと落ち着いてはどうですか?」
「けっ、その程度で悟りを開けるんなら、誰も苦労しねえっての。俺はこれからも、やりたいようにやるぜ。まずは周りにいる仲間や家族を守って、そのうえでより多くの民を幸せにできれば、これ以上の望みはねえ。どうだい、諸葛亮。そのための手伝いをしてくれねえか」
「さすがは劉備さまですね。喜んでお手伝いさせていただきます」
「フハハッ、さすがは兄者。もちろん儂も手伝うぞ」
「へへへ、俺も腕が鳴るぜ」
「よし、とりあえず景気づけに、一杯やるか!」
「「おう!」」
そう言って彼らは、宴席の準備を始めてしまった。
相変わらず自由な人たちだ。
それにしても、私はまたこの人のせいで、いろいろと苦労するのだろうな。
しかし前生でひとり残された時に比べれば、なんと希望にあふれていることか。
今生ではあなたを、真の天子に押し上げてみせましょう。
たとえそれが叶わないとしても、後悔しないよう精一杯、生きてみたいと思います。
叶うのであれば、前生以上に末永く、おそばに居たいものです。
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その後、劉備は10年ほどで中原を制し、やがて天子からの禅譲を受けて季漢王朝を開いた。
その原動力となった臣下の筆頭に、諸葛亮の名前があったのは言うまでもない。
完
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
本作は”逆行の劉備”の感想欄のコメントを、筆者なりにアレンジして書いた作品です。
曰く、”孔明も記憶持ちで合流して、宴席で劉備に愚痴をこぼして困らせたら面白そう”とのこと。
たしかにちょっと面白そうだと思いつつも、すでに構築していたプロットから外れるので、その時はスルーしていました。
それでそのうち書こうと思っていたら、長編が書けなくなってきたので、中編で書いてみようと思い至った次第。
当初は諸葛亮が酔っ払って、うざい絡み方をするコメディを構想してましたが、結果的にそうはなりませんでした。
改めて諸葛亮のことを調べてみて、彼が本当に辛かったのは、劉備死後の孤独感だったろうと思うからです。
その孤独感からの解放こそを、本作のテーマにしたいと考えました。
いかがだったでしょうか。
次回作ですが、何か読みたいネタなどあれば、感想欄にお寄せください。
筆者のイマジネーションがくすぐられれば、また書いてみようと思います。
最後に本作を楽しんでもらえたなら、下の方の★で評価などお願いします。
それではまた別の空想世界で。