血の眷属
「それで本当に……公爵領に行くつもりなの?」
王都のカフェで向かい合いながら、伯爵令嬢のエレナは、疲れた様子のビクターに声を掛けた。
「ああ。ラリサを助けに行く」
目を血走らせたビクターを見て、エレナはテーブルの下で拳を握り締める。
やっと。やっとラリサを辺境に追いやって、ビクターを手に入れられると思ったのに。
ビクターだけじゃない。どうして男は皆、ラリサが好きなのか。
アカデミー時代、エレナはラリサの親友として共に過ごした。その中でラリサと交流のあったビクターに想いを寄せるようになり、次第にラリサのことを邪魔に感じるようになっていった。
可愛くて気立の良いラリサは、貧乏ながらよくモテた。その横でエレナが抱えていた小さな劣等感は、次第に大きな嫉妬となってラリサへの憎悪に変わってしまう。
ラリサに掲示板のことを教えたのは、エレナだった。抜けていて無鉄砲なラリサであれば、例の吸血鬼公爵の花嫁募集に食い付くのでは、と思ったのだ。
案の定、ラリサがドラキュール公爵の花嫁になったと聞いた時は、流石のエレナも少しの罪悪感を覚えていた。しかし、遠くに行ってもラリサは未だにビクターを惑わしている。
そのことを目の当たりにしたエレナは、ラリサに対する申し訳なさを完全に打ち消して、憎しみに燃えた。
「ねえ、ビクター。それなら私も一緒に行くわ」
「え……?」
散々両親に反対された後だったビクターは、協力を申し出てくれたエレナに感激した。
「本当か、エレナ!? 本当に手伝ってくれるのか?」
「ええ。ラリサは私にとっても親友だもの。放ってはおけないわ」
「ありがとうエレナ! 君がそう言ってくれると心強いよ。一緒にラリサを取り戻しに行こう」
ビクターに手を握られたエレナは、ニコニコと微笑んで頷きながら。その裏で、何としてもビクターの邪魔をすると心に決めたのだった。
「視察ですか?」
公爵城では、ラリサが夫である公爵の話を聞いてキョトンと首を傾げていた。
「そうだ。季節の変わり目に公爵領を見て回るんだ。我が領地は怪異に好まれる場所が多くてね。異常がないか定期的に視察しているんだよ。飛んで行くからそんなに時間は掛からないが、丸々一晩は帰らないので留守を頼む」
「あら……。ここに嫁いできてから毎晩旦那様と一緒だったので、とても寂しいです」
頰に手を当てて、眉を下げるラリサ。その言葉と表情に、公爵は胸の辺りがウズウズとした。
「ゴホン。私も、その……君と過ごせないのは残念だ」
正直に答えた公爵もまた、しゅんとした表情をラリサに見せる。何やら考えたラリサは、ポンと手を叩いた。
「私を連れて行って頂くわけにはいきませんか?」
「君を?」
「はい。そうすれば旦那様と離れずに済みますもの。それに、私も領地を見てみたいです」
妙案だと目を輝かせるラリサ。愛らしいその顔についつい頷きそうになりながらも、公爵は何とか思い留まった。
「私も君が良ければそうしたいのだが、今はまだ早い。君はまだこの城に来て日が浅く、人間の匂いが強過ぎる。怪異の中には人間の匂いに敏感に反応するもの達もいるから、今の状態で君が領地を回るのは危険だ」
「そうなのですか?」
とてもとても残念そうなラリサを見て、公爵も胸が痛くなる。ラリサの手を取った公爵は、懇願するようにそっと呟いた。
「君を危険な目に遭わせたくない。どうか理解してほしい」
「分かりました。今回は我慢しますわ。ですけれど、いつか一緒に連れて行って頂けます?」
新妻から上目遣いを向けられた公爵は、何やら特大の大砲を胸に喰らったが如くよろめいた。
「も、勿論そのつもりだ。絶対に連れて行くと約束しよう。今回は私の代わりにコイツを君の側に置いて行こうと思う」
公爵は自らの指先に牙を立て、プツリと盛り上がった血を床に一滴垂らした。するとポンっと音がして、ラリサの目の前に一匹のコウモリが姿を現した。
「ラリサ、すきー」
モフモフの体に、黒光りする翼。公爵によく似た赤い瞳と白い牙、甲高く可愛い声。コウモリは奇妙な鳴き声を上げながら、ぴょこぴょことラリサの周りを飛び回る。
「すきー、すきー、ラリサすきー」
「まあ、かわいい! けれど、変わった鳴き声ですわね。それに、私に寄って来てくれるようですわ」
ラリサ、すき、を連呼しながらラリサの周囲を飛び回ってすり寄るコウモリに、ラリサは首を傾げながらも嬉しそうだった。
「そのリリアークは私の眷属でね。分身のようなものだから、どうしても私の感情が移ってしまうんだ」
「まあ、それでは旦那様は、今とってもご機嫌ということですわね」
ラリサにスリスリして飛び跳ねるコウモリを見下ろしながら、ラリサは納得したように頷いた。
「私の機嫌が良いと?」
「はい。だってリリアークがこんなに浮かれて私にすり寄って来ておりますもの。旦那様、視察に出られるのが楽しみなのではありませんか?」
「いや、そういうわけでは……」
リリアークがラリサに甘えているのは、ただ妻に触れていたいという公爵の願望が溢れ出した結果なのだが、流石の公爵もそんなことを正直に告白するのは躊躇った。
「空を飛んで回るだなんて羨ましいですわ。旦那様、絶対いつか私もご一緒させてくださいね、お約束ですよ」
「あ、ああ。必ず。約束を守ってみせよう」
大きく頷いた公爵は、嬉しそうに微笑む妻を見て、結局それ以上は説明しなかった。
またまた夫婦の会話を近くで聞いていたカロルは、重い溜息を吐いた。
主人である公爵が、突然嫁いできた花嫁を大切にしていることは知っていたが、まさかここまでベタ惚れになっていようとは。
リリアークは普段、滅多に言葉を発しない。それは公爵の心がいつも凪いでいるからだ。にも関わらず、あれだけ同じ言葉を連呼しているということは。それが公爵の紛れもない本心であり、抱え切れないほど大きな想いだということ。
本人に自覚があるかどうかは別として、この状況を理解したカロルは、より一層気を引き締めた。主人にとっても、この城や領地、王国にとっても。ラリサは最早、なくてはならぬ存在なのだ。
公爵が留守の間、城を任されたカロルは、何があっても奥様を守り抜こうと心に誓ったのだった。