深夜の嫁入り
ラリサの馬車が城の前に戻ってくると、公爵は慌てて表情を引き締めた。先程のラフなシャツ姿ではなく、見違えるほど豪華な衣装に身を包み、長い髪を結った姿は名高いドラキュール公爵のイメージそのもの。歓迎の意を伝える為に、使用人達を総動員して花嫁を出迎える公爵。
「公爵城にようこそ、我が花嫁」
馬車から降りるラリサをエスコートした公爵は、両手で抱え切れない程の真っ赤な薔薇の花束を取り出してラリサに手渡した。
「まあ! ありがとうございます!」
朧月に照らされた血のように赤い花束を抱えながら、ラリサは幸せそうに微笑んだ。その様子を見てホッとした公爵は、改めてラリサの手を引き公爵城に招き入れる。
埃っぽかったホールはこの短時間の間に磨き上げられ、蝋燭の灯りを反射してピカピカと輝いていた。
「古いが歴史ある建物だ。その……普通の人間が暮らすには少々心地悪いかもしれないが」
言い淀んだ公爵に、ラリサは笑顔を向ける。
「素敵なお城ですわね」
磨かれた壁や床に負けないくらい輝くラリサの笑顔に目を瞬かせながら、公爵もつられて笑みを漏らす。
「そうか。そう言ってもらえて安心した」
「私の生家はボロボロで、年中隙間風が吹いておりましたの。それに比べたら、このお城のなんと立派なことかしら。大きくて、不思議で、まるで冒険に来たような気分です」
キラキラした目で城の中を見回すラリサは、自然に歩幅を合わせてくれる公爵の腕に身を委ねながら夢見心地で公爵城を進んだ。
深夜の食堂に通されたラリサは、テーブルを埋め尽くす程の眩い料理の数々に感激の声を上げる。
「なんて素敵なのかしら! こんなにたくさん作って頂いて、ありがとうございます」
ここ数日は硬いパンと水だけで過ごしていたラリサにとって、目の前のご馳走は生まれて初めて見るほどあまりにも贅沢なものだった。
「うちのシェフは評判が良いんだ。好きなだけ食べてくれ」
椅子を引いて新妻を座らせた公爵に促されるまま、ラリサは頰が落ちるような美食を楽しむ。
ラリサが次から次へと料理を頬張る様子を見ていた公爵は、自分は一口も料理に手を付けず、ひたすらに愛らしい花嫁の食べっぷりを見つめていた。
「お料理もとっても美味しかったですわ! 旦那様はお食事なさらなくて本当によろしかったのですか?」
デザートまで食べ終えて満腹のラリサが問い掛けると、その様子を目を細めて眺めていた公爵はフッと苦笑する。
「ああ。知っていると思うが、私は吸血鬼だから。普通の食事は摂らないんだ」
「そうなのですか? せっかく美味しい食事でしたのに、それは残念ですわね……」
しゅんとしたラリサは、ふと思い立ってすぐに顔を上げた。
「でしたら、私の血を啜って下さいませ! それが旦那様のお食事になりますでしょう?」
息を弾ませたラリサを見て驚きながらも、公爵は優しく首を振った。
「有り難いのだが、君も疲れているだろうから、今日は遠慮しておくよ。私は君の楽しそうな顔を見ているだけで満足だ」
「でも……」
「それよりも、まだまだ見せたいものがある。よければ案内の続きをさせてくれないか」
差し出された公爵の手を取って立ち上がったラリサは、冒険の途中だったことを思い出してニコリと微笑んだ。
「はい、喜んで」
一通りの城の案内を終えた公爵は、最後にラリサを自身の書斎へと通した。
丁寧に使い込まれた家具と、程よく整頓された机の上。そこにあるものを見て、ラリサは思わず夫に問い掛ける。
「旦那様、そちらは何ですの?」
「ん? これか。これはだな。君との結婚生活を円満にするために必要なものだ」
そう言って公爵がラリサに見せたのは、これでもかと積み上がった本だった。背表紙にはこう書かれている。
『結婚のすゝめ』
『お嫁さんの可愛がり方用例集』
『妻と上手くやっていくための百二の法則』
『夫人に愛想を尽かされないためには』
『夫婦とは何か』
『新婚の旦那が読むべき教本』
『家庭円満方法論』
「アインを育てた時もそうだった。こんなふうに子育ての仕方を本で学び、実践で活かしたものだ。だから君との結婚生活も、まずは本でどうすべきか学ぼうと思ってね。たくさん勉強しなければならないな。何せ私は、結婚したのが初めてなものだから」
大量の本を抱える夫を見て、ラリサはパンっと手を叩く。
「流石は旦那様ですわ! 素晴らしいお考えです。私も結婚は初めてなものですから、旦那様を見習って勉強しなくてはなりませんね。妻としての役目が書かれた教本と、吸血鬼についての論文があれば、是非拝読させて下さいませ!」
感銘を受けたように目を輝かせる妻を見て、公爵もまた感心したように息を吐いた。
「それはいい考えだ。私達の結婚生活の為に君が協力的で嬉しいよ。たくさんの本を用意しよう。……それにしても、新婚早々二人で本に埋もれ勉強することになるとは。夫婦は似てくると言うが、我々も立派な夫婦になれてきているんじゃないか?」
「ええ。私も同じことを思っておりました。私達、ちゃんと夫婦をやれているようです。旦那様とならこの先も、幸せな夫婦としてやっていけそうな気がします」
「この本にも、互いに歩み寄り支え合うのが夫婦だとある。ふむ……興味深いな。我々は支え合うから夫婦なのか、それとも夫婦だから支え合うのか」
「あら。それは哲学的な話になってまいりましたわね。今度は哲学の本も必要ではないですか?」
「そうだな。……というか、そもそも夫婦とは何なのだろうか」
「それは歴史書と辞書を参考にしてみませんと」
「このままでは書庫をひっくり返す必要がある。だが君の為だ。何とかしてみせよう」
「頼もしいですわ、旦那様!」
盛り上がる夫婦の一連の話を聞いていたカロルは、歯を食いしばって耐えていた。
ズレている。この夫婦、何かが果てしなく致命的にズレている。が、それが二人とも同じ方向にズレているせいで絶妙に噛み合ってしまっている。ある意味お似合い夫婦なのだが、聞いているだけで全身がムズムズするのは何故だろう。しかし、主人に対しそんなことを突っ込めるはずもなく。
結局カロルは、新婚夫婦二人が散らかす本の山を丁寧に片付けることしかできなかった。
「眠くはないか? この城では夜に起き出して、朝に寝るのが通常なのだが……普通とは逆だろう?」
夜更けの読書の途中、公爵は思い出したようにラリサに問い掛けた。考えてみれば、普通の人間であればとっくに眠っている時間だった。
「実は馬車でたくさん眠ってしまいましたの。ですからちっとも眠くありません。それに、朝寝坊は大好きなので、朝に好きなだけ眠っていられるなんて嬉しいです」
それに対するラリサの答えは明快で、茶目っ気を乗せた視線が愛らしい。
「ふっ……そうか」
息を漏らした公爵は、緩む口元をそのままに本を手に取ったのだった。
座り心地の良いソファに並んで本を読む新婚夫婦。それはとても穏やかな時間だった。
蝋燭がチリチリと揺れる度、公爵はラリサが本を読み易いよう、蝋燭の灯りを調整してくれた。
それに気付いたラリサは、夫の気遣いに心が温かくなるのを感じてクスクスと一人で笑い出す。
「どうした?」
「いいえ。なんだか擽ったくて。旦那様の妻になったこと、まだ夢を見ているような気分です。まさか私が花嫁だなんて」
ラリサの菫色の丸い瞳が、蝋燭の灯に揺れて三日月の形に細まり、公爵の胸を突く。
「私も、夢を見ているようだ。……番を得るとは、こういうことなのだろうか」
公爵の小さな呟きは、楽しげに本に目を戻したラリサの鼻唄によって、掻き消されていった。
空が白み始めた頃、そろそろ就寝の準備をと立ち上がった公爵は、カロルから報告を受けて目を見開く。
「なんてことだ……ラリサ、すまない。こちらの不手際で、君に迷惑を掛けてしまいそうだ」
「どうしたのです?」
本から目を上げたラリサが首を傾げると、公爵は申し訳なさそうに眉を下げた。
「それが。この城にアイン以外の客が来たのが久しぶり過ぎて、来客用のベッドが朽ちていたんだ。新しいものを手配するが、今朝の君の寝床が確保できない。使用人用のベッドも人型用のものは満杯だし……どうしたものか」
自分のために困っている公爵を見上げて、ラリサはスッと立ち上がる。
「旦那様はどちらで休まれますの?」
「私か? 私は自分の棺の中で眠るが……」
「それでしたら、ご一緒させて下さいませ」
「……ん?」
ラリサの思いもよらない提案に、公爵はキョトンと固まった。
「先程旦那様からお借りした本にもありましたわ。夫婦は同衾するものだと」
公爵が渡した本を掲げて、ラリサはにっこりと笑う。
「んー……しかし、私の棺は狭いが大丈夫だろうか」
腕を組んで考えた公爵が首を傾げれば、すかさずラリサは身を乗り出した。
「せっかくですもの。一度試してみませんか?」
その顔は明らかにこの状況を楽しんでいるようだった。
結果として、ラリサは公爵と共に棺の中に収まっていた。
「これでしたら、なんとか二人で眠れそうですね!」
ワクワクとしたラリサが密着している公爵を見上げて微笑む。
「アインが小さかった頃はよく一緒に寝たものだ。アインの為に一回り大きい棺で眠るようになったのが役に立ったな。まさかこうして妻と棺で眠れる日が来るとは」
公爵は公爵で、はしゃぐラリサを楽しそうに見つめていた。狭い隙間で寝返りを打ち、公爵と向かい合ったラリサは機嫌よく夫に耳打ちをする。
「棺の中で眠るのは初めてですけれど、狭くて暗くて落ち着きますのね」
「窮屈ではないか?」
「弟妹達と眠る時は大抵もみくちゃにされますもの。それに比べたら、ここは天国です」
狭い室内で弟妹達とぎゅうぎゅうに押し合って眠ってきたラリサにとって、大きな棺は豪勢なベッドのように寝心地が良かった。
「あ、もしかして、旦那様は窮屈でしたか?」
自分はいいが、夫のことが気になったラリサが不安げに問い掛けると、公爵は眩しそうに目を細めた。
「いや、とてもいい夢が見れそうだ」
「私もぐっすり眠れそうです」
「うん。……おやすみ、ラリサ」
ぽん、と頭を撫でられたラリサは、擽ったそうに微笑みながら至近距離の夫と目を合わせた。
「おやすみなさいませ、旦那様」