ヴァンパイア公爵と生贄妻
「ラリサ!?」
「アルミン、何をしているの!?」
悲鳴を上げるビクターとエレナに、アルミンは冷たい目を向けた。
「少しでも変な真似をすれば、公爵夫人の命はない」
親友の首に鋭いナイフを突き付ける執事を見て、エレナは震えながら蒼褪める。
「何が望みだ?」
カロルの問いに、アルミンは隙を見せず答えた。
「このまま夫人と公爵領を出る。誰も追ってくるな」
「そんな話が罷り通ると思っているのか?」
血管を浮き上がらせたカロルが低く唸れば、関所勤務のゴブリン達も武器を取ってカロルの後ろに並び、アルミンに対して威嚇の姿勢を見せた。
「奥様をお守りするぞ!」
しかし、彼等が主人の伴侶を守ろうと攻撃態勢に入ろうとしたところで、思わぬところから静止の声が掛かる。
「ダメよ、カロル。人間に手を出してはいけないわ。あなた達が悪者にされてしまうもの」
今まさにナイフを突き付けられているラリサが、自分の為に無理をしようとする怪異達を止めたのだ。
「ですが、奥様……!」
カロルの悲痛な声に、ラリサは普段と変わらぬ笑顔で応えた。
「私なら大丈夫。無事に帰るから、旦那様の眠りを妨げたりしないでね。みんなのことを頼んだわよ、カロル」
「奥様っ」
客人を送り返すために開け放たれていた公爵領の関所の門へと向かうアルミン。
そのままアルミンに引き摺られるようにして馬に乗せられたラリサは、嫁いできてから初めて、公爵領の外に出たのだった。
無理矢理外の世界に連れ出されたラリサは、その明るさに目が眩みそうだった。
眩しくて暑くてなんだか痛い。太陽の下にいることがこんなにも苦痛になるなんて。アルミンに抱えられて馬に揺られながら、降り注ぐ日差しの残酷さが身に染みる。
「どうしてこんなことをするの?」
鈍感なのか、天然なのか、図太いのか。この状況でもラリサは、アルミンに話しかけた。
「……夫人には関係のないことです」
ラリサを見下ろすアルミンの目は太陽の光に反してどこまでも冷たかった。
「関係ない人間を人質にするわけないでしょう。何か私を連れ出した目的があるはずよ」
しかしラリサは黙らない。人質として連れて来た以上、アルミンがラリサをすぐに殺すことはないと分かっているのだ。
アルミンには、このままラリサと会話を続ける義理はない。しかし……
「復讐ですよ」
やがてアルミンは、ポツリとそう溢した。
「復讐?」
「……これを見れば分かるでしょう」
アルミンが左耳に着けていたピアスを外すと、アルミンの黒髪が一瞬にして燃えるような赤髪になる。
「その色、もしかして……あなたは王族だったの?」
この国で燃えるような赤毛を持つのは、誇り高き獅子の一族。ロシュレウ王家の人間だけ。見慣れたアイネイアス国王と同じ色の髪を持つアルミンを見て、ラリサは密かに息を呑んだ。
「現国王アイネイアスは私の伯父です。私の父は……国王に殺された彼の腹違いの弟です」
ラリサは以前、夫と国王から聞いた話を思い出した。国王アイネイアスは、王位簒奪を企てた腹違いの兄弟達を自らの手で葬ったと言っていた。
まさかそのうちの一人が、アルミンの父だったとは。
「私は国王アイネイアスと、彼に手を貸したドラキュール公爵を恨み続けて生きてきました。必ずこの手で彼等を殺し、復讐するのだと」
公爵が禁じられた怪異達の力を利用して国王を手助けした、という噂を思い出したラリサ。
アルミンもまた、国王が公爵の力を借りて不当に王位を奪い兄弟を殺したと思っているのだろうが、それは違う。
しかし冷たい目のアルミンは、今ラリサが何を訴えたところで聞く耳を持つとは思えなかった。
「両親が国王に殺されたあと、私は父の腹心だった準男爵の家に引き取られました。そこで国王への憎悪を胸に抱きながら育ったのです」
憎々しげなアルミンに対して、ラリサはある疑問が生まれた。
「でも……ヴェヴェリタ家は、由緒ある家門ですもの。そこの執事なんて、アカデミーを出ていないと務まらないわ」
「それがなんだというのです? 私は当然、アカデミーを卒業しております」
ムッとした表情のアルミンが言い返せば、ラリサは目を見開く。
「まあ……! それじゃあ、その学費は誰が出したのかしら?」
「はい?」
ラリサの突拍子のない言葉に、呆れるアルミン。
「アカデミーに通うにはとてもお金が掛かるの。あなたを養うだけでも大変だろうに、アカデミーにまで通わせるだなんて。あなたを引き取ったご両親はお金持ちだったのかしら?」
「……養父母はそこまで裕福ではありません。押し付けられた私を仕方なく育てているだけでした」
「それは変ね。じゃあ、別の後援者でもいたのではなくて?」
「……」
ラリサの不思議そうな呟きに、アルミンは動揺して返事ができなかった。
その時、ラリサは服の中で何かがゴソゴソ動いているのに気付いて羽織っていたローブの下を覗き込んだ。
「あら? リリアーク、いつの間に? 旦那様が忍ばせていたのかしら?」
そこには、ラリサの服に爪を立てる小さなコウモリがいた。
「ラリサ、しんぱい。たいよう、こわい」
日の光を避けるようにラリサの服の中に潜り込んだリリアークは、それでも変わらずラリサにしがみ付いていた。
リリアークが目覚めているということは、リリアークと繋がっている公爵も目覚めたということ。
「カロルったら、旦那様を起こしてしまったのね」
服の中に潜り込んだリリアークをそっと撫でてやりながら、ラリサは困ったように溜息を吐いた。
「どうやら公爵が来るのは時間の問題のようですね」
リリアークに気付いたアルミンは、銀のナイフをラリサに向けた。
「本当は、あなたは公爵を領地の外に誘き寄せる餌でしかなかった。しかし、あなたは想像以上に公爵の弱点になっていますね。助けに来たはずのあなたが死んでいれば、公爵は絶望するでしょう」
「アルミン……?」
「……エレナお嬢様がビクター様と結ばれるためにも、あなたはいない方がいい」
「アルミン、まさかあなたエレナを……?」
「どうか私を恨んでください」
驚くラリサの目の前に、ナイフが振り上げられた時だった。
「ラリサ、まもる!」
「リリアーク!!」
ラリサは自分の代わりに銀のナイフを受けたリリアークが飛び散るのを目の前で見た。
赤い血を一滴だけ残して、黒い煙となって消えたリリアーク。
「そんな、嘘よ……、リリアーク!」
目の前の光景が信じられず涙を流すラリサ。
そこへ、上空から黒い影と聞き慣れた声が落ちてきた。
「ソレは私の眷属だから、死にはしない」
「旦那様!」
真っ黒なローブを身に纏い、深くフードを被った公爵が、太陽の下でラリサに対峙していた。
「遅くなってすまない、ラリサ」
しかし、伸ばしかけたラリサの手は、アルミンによって遮られる。
「旦那様、太陽が出ているのに大丈夫なのですか!?」
アルミンに抑えられながらも、ラリサは無我夢中で夫に声を掛けた。
「気合いでなんとかここまで来た。もう少しくらいならなんとかなる」
フードを深く被っているため表情は見えないが、少しだけ見える公爵の肌はいつもより一層青白かった。
「旦那様……リリアークが……」
しゃくり上げるラリサを気遣うように、公爵は最愛の妻へと静かに声を掛ける。
「今は気力が足りず出せないが、私が回復すればリリアークもまた出せるようになるから安心しなさい」
夫の声で落ち着いたラリサは、安心して涙を拭いた。
「アインの甥か。ロシュレウ王家の血を引く者だな」
アルミンの赤髪を見た公爵は、静かな目を向ける。
「ドラキュール公爵。父の仇を討たせてもらう」
「……妻を人質にされては抵抗ができない。私にとって妻は何よりも大切なんだ。どうか妻を傷付けずに離してほしい」
公爵の言葉を聞いたアルミンは、その身を震わせていた。
「お前達は私の大切な人を汚い手で奪ったじゃないか!」
アルミンの悲痛な叫びに、公爵は冷静に答える。
「君の父親をはじめ、王家の者はアインを抹殺しようと企てた。自分の命を狙う輩を王が粛清するのは当然のこと。そこに私の介入も不正もなかった」
遠い目をした公爵が、分からず屋で頑固で不器用で律儀な息子を思い描きながら当時のことを口にする。
「しかしアインは、彼等とは違った。本来であれば反逆罪で一族郎党を処刑のところ、幼かった君を密かに逃したのは、アインの慈悲だった」
「慈悲だと?」
「アインは彼等と同じにはなりたくなかったらしい。子供の頃に命を狙われ深い傷を負わされたアインにとって、罪のない幼い子供を処罰することはとてもできなかった」
「だが私は、引き取られた家で国王の悪事を散々聞かされて育った!」
声を震わせるアルミンに対し、公爵は慎重に続けた。
「それは君のためだ。親を失った君に自らを憎ませることで、アインは君に、生きる気力を齎そうとしたのだ。君を育てた準男爵はアインの手の者で、君の養育費はアインがずっと支援してきた」
「今更……そんなことを聞かされて、信じられると思うか?」
「君自身も、自分の恵まれた生活に疑問を持ったことがあるのだろう?」
公爵の言葉に、アルミンは声を詰まらせた。反逆者の息子である自分が生き延び、真っ当な生活を送れたことは事実だ。
それを一度も疑問に思わなかったわけじゃない。だからこそ、先程のラリサの言葉にも返事をできなかった。
アルミンはこのまま、復讐をせずエレナの執事として一生を終えるのもありかもしれないと思ったことさえあった。
根は優しいのに不器用で、時に突っ走ってしまうエレナをずっと支えていきたいと、そのために復讐は忘れようと、そう考えていたこともある。
しかし、思いがけず巡ってきた復讐の機会を逃すことはできず、結局は行動を起こしてしまった。
復讐相手に生かされてきた自分の人生は、いったい何だったのか。アルミンは震えるほど握り締めていた銀のナイフをそっと下ろした。
「奴を捕らえ、公爵夫人を救出しろ」
引き連れた騎士達に指示を出したのは、駆け付けた国王アイネイアスだった。
アルミンは抵抗しなかった。素直に捕まり、ラリサを解放する。
「父さん、ラリサ。世話を掛けたな」
甥を捕らえたアイネイアスは、公爵の腕に飛び込んだラリサを見て謝罪を口にした。
「何もかもが必ずしも思い通りにいくとは限らない。お前が落ち込む必要はないだろう」
落ち込む息子へ向けて、日陰に移動した公爵が慰めの言葉を掛ける。
父の優しい瞳を見て、国王は悲痛に頭を下げた。
「父さん……アルミンの行為は決して許されることではないと思ってる。それでも……私は彼に機会を与えてやりたい。どうか彼の処分を私に任せてくれないだろうか」
「ラリサ、君はどう思う?」
意見を求められたラリサは、肩をすくめてみせた。
「彼は私をちょっとした散歩に連れ出しただけですわ」
妻の気遣いを汲み取った公爵は、国王へと穏やかな眼差しを向ける。
「なら私から言うことはないな。アインの好きにしなさい」
「二人とも、ありがとう」
国王に身柄を引き渡されたアルミンはその後、相応の期間と手続きを経て、国王アイネイアスの婚外子として王室に迎え入れられることとなった。
憎む相手の側にいることが罰なのだとアイネイアスは笑ったが、それがアルミンの救済のためだと知っている公爵夫妻は国王の決定を支持した。
「旦那様のお身体はだいぶ回復しましたけれど、カロルはまだ復帰できませんわね」
ラリサを救うために太陽の下に出た公爵は、暫く療養が必要だった。ラリサの血を飲みながらラリサの甲斐甲斐しい介抱によりある程度回復した公爵は、まだフラスコの中に眠るカロルを見遣る。
ホムンクルスであるカロルは、本来であれば生涯をフラスコの中で過ごす。しかし、そんなカロルを憐れに思った公爵はカロルに自らの血を与えた。
吸血鬼の血は、飲んだ者を不老不死の吸血鬼にする効能があるのだ。
中途半端な人間、ホムンクルスであったカロルは、公爵の血を与えられても吸血鬼に変異することはできなかったが、フラスコから出ることには成功した。
あの日、ラリサの言葉を無視して公爵に事態を報告したカロル。ラリサの命令を優先しろという主人の言葉に逆らったせいで吸血鬼の血の効力が弱まり、カロルはしばらくフラスコの中で過ごす羽目になってしまっていた。
「まったく。君もカロルも無茶をするな」
「あら。旦那様には言われたくありませんわ。まだ私の血が必要なの、知っておりますのよ」
互いに笑い合ったラリサと公爵。まだ本調子ではない公爵は、今日も愛する妻の血を啜るのだった。
「エレナ嬢からの手紙かい?」
あの拉致事件から数ヶ月が経ち、カロルもすっかり回復した頃。いつものように寛ぐラリサの手元を見た公爵が問い掛けると、ラリサは楽しそうに頷いた。
「はい。未だに私のことを心配してくれているようです。アルミンの件、本当に申し訳なかったと。アルミンも毎日のようにあの日のことを後悔してると書かれてますわ」
「二人は今でも交流があるのか?」
「ええ、そのようです。手紙から見るに、令嬢と執事だった頃よりもずっと親しげです」
意味深なラリサの笑みに、公爵は目を瞬かせた。
「……まさか二人はそういう関係に?」
「それはアルミン次第でしょうね。そうそう、そういえば、ビクターは私の妹のシシーといい感じのようです」
「なに? シシーが?」
ラリサを通してラリサの弟妹達と仲良くなっていた公爵は、複雑な思いで眉を顰めた。
「流石は私の妹、シャルペ伯爵家を捕まえるだなんて、なんて賢いのかしら。シシーはとってもしっかりしてますから、お子ちゃまなビクターにピッタリですわ」
しかしラリサは妹を称賛している。
「まあ……君の弟妹達は逞しいから大丈夫だろうな」
結局は公爵も、ラリサの反応を見て苦笑いするほかなかった。
「そうだわ、旦那様。ダンピールの手と足は何本ずつありますの?」
「ダンピール……?」
いつも突拍子のないラリサとの会話に慣れてしまっている公爵は、妻からの突然の問いに真剣に考え込んだ。
「ダンピールは基本的に人型のはずだ。手も足も二本ずつだと思うが、例外があってもおかしくはないだろうな」
「まあ……。それでしたら、生まれてみないと分からないのですわね」
どことなく残念そうなラリサは、手に持っていた柔らかな布地を横に置いた。
「どうした? 何かあったのか?」
愛妻家の公爵は、妻の様子が気になりそっと肩を抱く。
「せっかくですから服を仕立ててあげようと思ったのですけれど、生まれてから考えますわ」
するとラリサは諦めたように微笑み、自分の肩を抱く夫の手に手を重ねた。
妻の言葉の意味を図りかねた公爵は、ラリサの言葉をよくよく考える。そして顔を上げた。
ダンピールとは、吸血鬼と人間の間に生まれる怪異のこと。ラリサの口ぶりでは、近々生まれてくるダンピールに服を仕立てたいと。つまり……
「ラリサ。まさか、妊娠したのか?」
愛する夫からの問いに、ラリサはキョトンと大きな菫色の瞳を瞬かせた。
「あら。私ったら、旦那様にお伝えしておりませんでしたかしら」
夫婦のためにお茶を淹れようとしていたカロルが、珍しくカップを取り落としそうになる。
「旦那様の子を授かりました」
肩に置かれていた公爵の手を取り、ラリサは自らの腹に導いた。
「ここに、私達の可愛いダンピールがおりますわ」
「…………」
カロルが息を呑んで見守る中、無言の公爵は妻を引き寄せて、その額にゆっくりとキスを落とした。
「そうか」
そのままいつもの空気に戻った二人を見て、それだけかとズッコケそうになるカロル。しかし、よくよく見れば公爵の口元が綻んでいる。
嬉しさを堪え切れず噛み締めているらしい主人を見て、カロルもまた口元を綻ばせた。
淹れていたお茶が普通の紅茶だったことを思い出したカロルは、妊婦に良いお茶を淹れ直すためにその場を辞した。
二人きりになった室内で、公爵は隣のラリサに問い掛ける。
「人型だといいが、手足が四本ずつあったらどうする?」
「それは……服を仕立てるのが大変そうですわね。裁縫の本を一から読み直しませんと」
どこまでもラリサらしい解答に、公爵は堪らず妻の肩を抱き寄せた。
「ラリサ……、」
しかし、公爵がその続きを口にする前に黒い影が二人の間に割って入る。
「ラリサ、すきすきー、あいしてる」
「まあ、リリアークったら。今日は一段と甘えん坊ね!」
ラリサにしがみ付くリリアーク。言いたいことをリリアークに取られてしまった公爵は、諦めてラリサを抱き締めた。
暖かな暖炉の前で愛する伴侶と語り合い、窓の外には立派に育った愛犬と愛馬が獰猛な唸り声を上げながら戯れている。
ちょっぴり変わった使用人達が生き生きと仕事をし、今日も無数の燭台に火が灯る薄暗く古めかしい公爵城。
安定の霧に覆われた領地とそこに暮らす怪異達。新しい命の気配を腹部に感じながら、ラリサは何よりも慕わしい夫の肩に身を寄せた。
「旦那様。エレナが教えてくれたのですけれど、私は世間では〝生贄妻〟と呼ばれているらしいですわ」
「ほう。それは……ある意味正解だな。生きた贄である君の血は何よりも甘美なのだから」
「そうでございましょう? 私、生贄に来て本当に良かったですわ! だってこんなにも、幸せなのですもの」
カロルが聞いていたら間違いなく心の中でツッコミを入れていたであろう会話を繰り広げる夫婦。
夜が更ける毎に明るさを増す公爵城には、今日も笑顔が絶えないのであった。
ヴァンパイア公爵と生贄妻 完




