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夜の始まり





 星がキラキラと輝き、白い月が空にのぼり始めた夜の始まりの時間、公爵夫人であるラリサは分厚いカーテンを開けて清々しい夜の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「さて、お目覚めの時間ですわよ、旦那様」


 妻が開け放ったカーテンから差し込む月明かりに誘われて、棺の中からグッと伸びをした公爵は、鋭い牙を覗かせて大きな欠伸をする。


「ふあぁ……おはよう、ラリサ。昼はゆっくり休めたかい?」


「おはようございます、旦那様。勿論ですわ。お陰様で死んだようにぐっすりと眠ることができました」


 低血圧な夫の身支度を手伝ってやりながら、ラリサは機嫌よく受け応えをする。妻の肌がツヤツヤなのを見て、公爵も満足そうに微笑んだ。


「今夜のブレックファーストは?」


「フルーツの盛り合わせですわ」


「それはいいね。楽しみだ」


 夫にエスコートを受けて食堂に向かう間、ラリサは鼻唄を歌いながら蝋燭の灯りを数えた。基本的に昼間は寝静まり、夜に活動する公爵城は、その廊下にこれでもかと燭台が並んでいる。


 新婚の夫の腕に身を任せながら、その数を数えるのがラリサの最近の楽しみだった。


「ラリサ、危ないよ」


 蝋燭に夢中で角を曲がるタイミングを逃したラリサを簡単に抱き上げて、公爵は優しく囁いた。


「ああ、今日も食堂までの本数を数え切れなかったです」


 抱き上げられたことで視界が揺らぎ、ラリサの試みは今回も失敗に終わった。しゅんとした妻を労るように、公爵は柔らかな声を掛ける。


「だったら戻る時にもう一度挑戦したらいい」


「まあ。それは名案ですわね。流石は旦那様です」


 笑顔を取り戻したラリサは、夫に抱き上げられた格好のまま食堂に入った。


 人の寄り付かない公爵城には使用人があまりおらず、二人を出迎えた家令のカロルは、いつもと変わらぬ夫婦の姿を気に留めることもなくキビキビと食事の準備を始めた。


「いただきます」


 山盛りのフルーツ。瑞々しいマスカットから手を付けたラリサは、口に広がる爽やかな甘みに目を閉じる。


 蕩けるように幸せそうな妻の顔を見て、公爵は満面の笑みで頬杖を突いていた。


 その後もラリサは次から次へとフルーツを口に入れる。とても美味しそうに食べる妻の姿を、公爵はただただ見つめるばかりだった。


「美味しいかい?」


「ええ、とっても!」


「それは良かった」


「ごちそうさまでした。さて、お次は旦那様のお食事の番ですわね」


 ラリサはそう言うと、席を立って向かいに座っていた公爵の膝に腰を下ろす。自然な仕草で妻の体を受け止めた公爵は、その白い腕を取って持ち上げた。


「果物の甘い匂いがする」


「今日のフルーツはとても甘くて美味しかったですもの」


「それは楽しみだ」


 プツリ、と。妻の腕に牙を立てて噛み付いた公爵は、そこから滴る真っ赤な血を優雅に舐めとった。


「やはりマスカットは今が旬だな」


「そうですわねぇ」


「とても新鮮な味だ」


「それはそうでしょう。夕方摘んだばかりのものですもの」


「ん? ということは、また夕方に起き出して庭に行っていたのか?」


「はい。今夜は絶対マスカットと決めておりましたの。お陰で夕陽を見る羽目になりましたわ」


「君は早起きだな……夕陽か。久しく見ていない。まあ、見たら暫くは目が焼け落ちるだろうが」


「物騒なことを仰らないで下さい! 旦那様の綺麗な瞳がドロドロに溶けてしまうのは悲しいです」


「冗談だよ。夕陽くらいなら気合いで乗り切れる」


 他愛ない話をしながらも、公爵は妻の腕から滴る血を次から次へと啜っていた。


「今度はリンゴ味だな」


「リンゴも美味しいでしょう? 次に食べたのはなんだったかしら」


「オレンジだ」


 妻が食べたものに合わせて味の変わる血を堪能しながら、公爵は満足そうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、ラリサまで嬉しくなってくる。


 出逢いこそ、少しだけ普通ではない縁であったが、ラリサはこうして公爵の妻になったことを幸せに思っていた。


 毎日美味しいものをたらふく食べられるし、大きなお城で自由に暮らせるし、何より夫となった公爵は、吸血鬼であることを除いてはごくごく普通の、とても優しい夫だった。


 ラリサよりも三百歳ほど歳上ではあるものの、見た目は若くハンサムで、顔色が悪くて痩せている以外はとても美しい男。


 ラリサが彼の花嫁になれたのは偶然だったが、何故今まで公爵に妻がいなかったのか、ラリサは不思議でならなかった。


(こんなに素敵な方なのに、どうして王都のご令嬢方はこのお方の花嫁になることを嫌がっていたのかしら)


 ラリサが物思いに耽っていると、食事を終えたらしい公爵は妻の腕に丁寧に薬を塗り込めた。特に痛みはなかったものの、夫の牙で破られた肌はあっという間に回復して元通りの滑らかさを取り戻す。


「ラリサ、ごちそうさま。美味しかったよ」


「それはようございました。深夜のランチには何を食べましょうかしら?」


「そうだな……君の食べたいものを食べたらいいさ」


「旦那様はいつもそう仰いますわ。たまには旦那様の食べたいものを私に食べさせて下さいませ」


「そう言われてもな……君の血は何を食べても美味だから、本当に何でもいいんだが。何より君が幸福であればあるほど、君の血はより甘美になるのだから、やはり君の食べたいものを食べなさい」


「うーん。そういうことでしたら、仕方ありませんわね。旦那様の言う通りに致しますわ。あ、そうそう。旦那様に見せたいものがありますの。一緒に来て下さい!」


 楽しげな妻に手を引かれて立ち上がった公爵は、浮かれて危なっかしい妻をふわりと抱き上げると食堂を後にした。


 大人しく夫の腕に運ばれながら、ラリサは改めて蝋燭の灯りを数え始める。


 しかし、廊下を半分ほど進んだところで公爵の足が止まった。


「旦那様? 急に立ち止まってどうされましたの?」


「……そういえば、どこに向かうと言っていただろうか?」


「あら。目的地を口に出して言った覚えがありません。どうりで反対方向に進んでいるなと思いました」


 蝋燭から目を離したラリサがクスクスと笑う。バツが悪そうだった公爵も、楽しそうな妻につられて笑みを漏らした。


 一日の終わりが始まりである仄暗い公爵城の廊下には、仲睦まじい夫婦の笑い声がどこまでも響き渡っていた。








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