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進み藻掻く意思

 殺されないために殺す。……だがそれは目的じゃない。


 ――自分が正しいと思う事の為に戦え。でなければどんな戦いも無駄だ。


 眼の前の親友の言葉が脳裏を過る。…………釈然としないがその通りだろう。じゃあ、俺が正しいと思うことってなんだ? メリアに自由を与えて、呪いを無くして――そこから先なんて真っ白で何も分からないのに。


 ――この味を今すぐ貴方に押し付けたいわ?


 メリアが珈琲を飲んで泣きそうな表情になっていたのを思い出した。香りが鮮明に鼻腔を掠める。……錯覚だ。


 現実はいつまでも待ってはくれなくて。【錆染】の向けた銃口は冷酷な殺意を帯びて、光を収斂させていく。


 ――放たれた。地面を転がるように熱線を掻い潜って、至近し、消し飛んだ腕を振るって血をばら撒いて周囲一体を抉り取る。


 避けられた。


 つづく数手が便利屋としてしてきた職務の差が歴然と現実を突きつける。


 正面戦闘において、【錆染】の攻撃を把握し切るのがやっとだった。自分自身が考えていた以上に、ゼロ距離の爆発は致命的だったらしい。


 大盾による殴打を避ければ、身を反らした瞬間を狙い澄まして蹴りが横薙いだ。咄嗟に腹側部に亀裂を巡らせ防御を行えば、大盾を地面に突きつけて、錆びた外骨格が高く跳んで見せた。


 そのままジンの頭上を超えて、背後から槍を突き穿つ。


 前へ飛び込んで鋭い一撃が背を掠めながらも致命傷だけは回避した。かと思えば、大盾の重力場に引き寄せられて、重々しい殴打が振るわれる。


 避けきれず、脚を向けて防御した。衝撃が全身を貫いて、皮膚を切り裂いて、どうしようもなく身体がよろめく。


「…………ッ」


 言葉も出なかった。朦朧とする意識のなか、走馬灯のように走る追憶と、【嘲り舌】の呪縛が脳を巡っていく。


 苦痛のなか藻掻く理由を求めるほど、唯一隠すこともできない痛みだけが露わになって息が荒く、途切れ途切れになっていく。


 ――叶うことなら過去に戻りたかった。


 全ての元凶を、怪物を殺せば、せめてマイナスから、ゼロに戻れる気がして地の底へと落ちた。光を見ていたときに戻りたかったんだ。


 結局、元に戻ろうとすることはゼロになることじゃなくて、後ろを見続けることだったのに。


 それでも殺さなければならないと考えて、メリア・イクリビタと行動を共にした。それだけなら、【錆染】と殺し合うこともなかっただろう。


 苦痛だ。それは業でもあった。


 ここに至るまでに背負ってしまった痛みが今、牙を剥いている。


 藻掻くように、しかし研ぎ澄ました斬撃を振るいながらジンは想い続けた。


 【錆染】は苦もなく連撃を捌き切って、同じ動きをしてみせた。銃槍が乱れ貫いて、破壊的な打突に銃撃の衝撃波と熱が入り交じる。


 避け、受け止め、皮膚が焼ける。加速する攻防のなかで命を削っていく。亀裂を走らせる血の刃が、外骨格内部の衝撃緩衝液を破砕した。錆に混じって広がる白い煙。無数の砂塵。落ちていく瓦礫。


 身体中が熱い。痛みと熱が肉を灼いている。


 瞳が燃えていた。限界まで滾る激情が、異界道具と共鳴し合うように光を灯している。一呼吸に振るう刃が二撃、三撃と増すほどに、視界がぼやけていく。眼は染みるように痛み熱い。


 心臓は脈動を増していった。突き刺す苦痛。意思を振るうほどに自分自身を裂いていくようだった。


 ――【錆染】を殺しても幸せになどなれないだろう。彼女が求める光を、見上げるだけになるだろう。


 メリアを殺しても、殺されても、幸せになどなれないだろう。僅かに見出した理解しかねる灯火を、今一度失うだけだ。


 嗚呼、なら単純だ。誰も殺さなければいい。だがそんなことはできそうになかった。


 今の自分には目の前の苦痛に対処する力はない。身体を巡る血の異界道具の奥の手を使うことはできずにいた。その力で止められるものは1つだけだったから。


 ヴィコラ・ミコトコヤネの時間を停めたまま。


 力を他に行使することなどできるはずがなかった。先に進もうと藻掻き続けて、ここまで辿り着きながらも未だ停まったままでいた。


 …………それが痛みだ。絶望や悲観ではない。ただ純粋な痛みが広がり続けて、光が灼いたその日から抱擁している。


「ッー……」


 先が見えなくなりそうだった。朦朧とする視界。


 それでも回廊に差し込めるメリアの灯火が照らし続けている。錆の砂塵に覆い隠されることなく光の柱がどこまでも貫いている。


 後ろを見ることがないように。前へと。


 ふらつきながらジンは深く構え直した。もう立ち止まることはない。執念、衝動、本能。どんな言葉でも形容することはできないだろう。


 ただ激情が透き通った結晶の刃を鋭く、鋭く。意思が突き動かしている。


『自分の置かれた状況さえ理解できないままは嫌だったから。今こうして、貴方と歩けているだけでも凄く楽しいわ?』


『悪いことを言いたいわけじゃないの。ただ、貴方といると。変われる気がして……。とにかく、良いことを言いたいんだけど。何も浮かばなかった。ごめん』


 そんな言葉でも、自分は嬉しかったのだろうか。彼女に喪う痛みを与えようとして、苦痛を抱えるまでに至ったのは自分自身だった。


『分からないことだらけ。……おかしいでしょう? そんな言葉が嬉しいなんて。どうして……どうしてこんな苦しいのかわからないの』


 夜闇のなか告げられた言葉が刻みつけられている。


「地上に出たら珈琲の一杯でも飲みたいな。外の空気を吸いながら、全てを終わらせたあとに煙草が吸いたい」


「ならワタシはそれを実行する貴方を見ていたいわ? 少しは、何かが変わったかを聞いてあげる。これも、自由になったらしたいことね?」


 言葉と共に向けられた笑みを思い出す。柔らかに揺れていた銀の髪。舞う紫紺の蝶。遠い潮の匂い。


 ――叶わない願いだと思っていたはずだ。


 だというのに、いつから自分もそれを望んでいた?


 メリア・イクリビタに向けるはずの切っ先はとうになまくらだ。叶わない願いではないかもしれない。そうさせたのはメリアだ。


 彼女もまた、苦痛を背負っていた。【錆染】によって全てを知って、それでも自分勝手に自分の道を照らし出している。


「ああああああああああああああああああああああ!!」


 叫んだ。まだ踏み出せない自分を嘆くように。それでも全てに決着をつけようと藻掻いて、全てを振り切らんとして激情を露わに、身体が動かないというのなら感情を燃やし異界道具の血を際限なく行使してみせる。


 何条もの亀裂が空気を切り裂いた。音が砕けていく。銃槍から放たれた砲撃を正面から完全に貫いて、ジンは突進した。


 無数の打突を潜り避けて、振るわれた大盾の殴打に、正面切って千切れた腕で殴打する。


「ッーーー!」


 息を呑んだのは【錆染】だった。途方もない激痛が全身を駆け巡って、ジンは言葉にならない叫び声を轟かせた。


 血飛沫。骨肉が砕け飛び散る。構わない。


 痛みを堪えようとして無自覚のまま口角が吊り上がった。軋む歯から溢れる痙攣した呼気。構わない。


 全身にまとい付く死の気配。構わない。むしろ前へ進み、砕けた腕、飛び散る鮮血に触れたものを抉り取る。


 ――ガシャンと。


 【錆染】の大盾が、【錆び果てた矜持】が原型を留めることもできずに砕け、重い金属音を響かせて崩れていく。


 しかし依然として錆色の影は健在だった。

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