終着点
真っ暗な視界に長い沈黙が張り詰めて、葉を踏む音と雨音と、波のさざめきが広がっていく。
「なにが……」
本当は分かっていたのに聞いてしまった。聞いておきながら、答えてほしくはなかった。いっそ沈黙して、曖昧に誤魔化して欲しいとさえ思った。
「ワタシの自由を……ジンに全部あげるわ? ……だから、殺していいよ」
苛立つように、走り続ける脚に力が籠もる。
「…………バカが。殺されたいやつを殺して復讐になるものか……。どうしてそんなことを言う」
震える牙の隙間から溢れる吐息は細かった。
「いろんなことがあったけど。それでもワタシにとってジンが初めての友達なの。あなたのおかげで地上に行こうと思えて……。不思議でしょう? ジンが殺したいって思ってくれたおかげで、ワタシは色んなことを知れて、楽しくて…………」
言葉に何度も嗚咽が混じった。メリアを抱える腕から伝う柔らかな熱は重く、どうしようもなく彼女の存在を主張している。
「だけど、ワタシは自由になったらなにをしたいかわからなかった。だから、あなたが珈琲を飲むところを横で見ていたいとか、海に行ってみたいとか、水着を着てみたいとか……沢山、思いついたことを言って……。もちろん全部本当よ? 絶対に、嘘なんかじゃない。けど――」
森を抜けきった。雨が強く打ち付けるなか、ひび割れた舗装路を踏みしめる。木々に覆われた視界が開け、夜闇に染まった海が広がっていた。岸に沿って道なりに進んでいく。
「けど、ワタシは一つだけ。ハッキリしたの。ワタシが自由になったとき、この自由を貴方にあげたいの。ワタシは自由になって、ジンにその自由を奪われたい…………」
濃く影を刻んだ研究設備が目に入って走るのをやめた。メリアとヴィを地面に下ろし、ジンは深く息を吐いていく。そしてジッと、メリアを睨んだ。
翡翠の眼差しはすぐに見上げ、目を合わせる。メリアは自分の言葉が、自分でも分かりきれないように、時折、気難しそうに目を泳がせた。
緊張と安堵。陰り、赤らみ、俯いて。引き攣っていく。
「罪滅ぼしのつもりか?」
「……ええ。ワタシは赦されたいのかもしれない。でもそれ以上に自由になってしたいことがジン、あなたにワタシをあげることなの。お金以外で報酬を考えておけって……言ってなかった? ……ワタシは報酬になることはできないかしら」
メリアは僅かに緩め、穏やかに自嘲した。深呼吸をして、雨で冷え湿った空気を吸い込んでいく。
「だから、【錆染】と一緒にいるとき、必死に何も見ないようにして、何も聞かないようにしてたわ? おかしいでしょう? バカみたい。貴方の隣でいろんなものを見たかったから」
「…………おかしくはないさ」
ジンはその想いの正体をとっくに知っていたから言い淀んだ。歯が浮いて、言葉が詰まる。脳裏に浮かんだヴィコラの影が視界を霞ませた。
「嗚呼、ただ……抵抗してくれ。死んでもいいとは思わないでくれ。どちらを選ぶにしてもさ……。はは、変なことを言ってるな……俺も」
研究設備の扉に亀裂を走らせた。砕け散る。
暗く先の見えない通路はボタン一つで照らされて、真っ直ぐに中枢にまで伸びていた。
「この設備なら見覚えがあるっす。難しい特許技術があったとしても根本は缶人製造のための装置っすからね。ちょっと時間を貰えばどうにかなるかもっす」
ヴィの靴音が響いていく。反して、メリアは躊躇うように足が止まった。瞳孔が細く強張り、牙の隙間から吐く息が震える。
「……ッー。ごめんなさい。大丈夫よ」
呼吸を置いて歩き出したメリアに、ジンはニヒルに笑って手を伸ばした。有無を言わさず、華奢な手を握りしめ、指が交差する。
「ここまで来て逃げられたら困るからな」
「……ふっ、変なこと言わないで。逃げないわよ」
緊張は解けた。呆れが混じってつられて笑みを向ける。ヴィは二人の様子を見つめ、頬が緩むのを隠すように口元を覆った。
「わたしの前でイチャつかないでほしいんすけどねぇ。ほら、こっちっす。マニュアル通りに行けば……その不死性は案外簡単につけ外しができるみたいっすね? 正確に言うと、死なないんじゃなくて、製品の劣化を第三者とか他のどこかに押し付ける技術みたいっすけど」
ヴィの本分は技術職だ。残された無数のデータをハックし、必要な情報だけを抽出し、自らの脳に書き込んでいく。
理解するように満足げに頷くと、強化ガラスに覆われたレバーを引いた。部屋の中枢に置かれていた巨大な機械が、メリア・イクリビタのための装置がくぐもった駆動音を響かせる。
「心の準備ができたらその中で寝転がってほしいっす。そしたら起動して――あとは待つだけ。本当にそれだけっすね」
人一人がちょうど入り切るような金属缶が蓋を開けた。メリアは握られた手をぎゅっと強く、握り返して、指を解き前へと進む。
「…………この中に入って目が覚めたら。ジン、ワタシをどうすればいいんだろう」
「……さぁな。けど一つのケリは着くだろう? お前が望んでたことだ。終わるまでは、俺が露払いをしてやる。誰にも渡すつもりはないさ」
「頼もしいわね? じゃあ……ごめんなさい。ワタシは勝手にワタシの願いを叶えるわ? ……ヴィ、この子も一緒で大丈夫かしら」
胸元が僅かに蛍光を灯し、身体のなかに収納していた【玲槍アムリタ】の穂先が煌めく。
「問題ないっすよ。むしろその異界道具もメリアちゃんの一部っす」
「そう……。なら嬉しいことね」
決別を済ませるように目を閉じて、寝転んだ。無機質な白い天井だけが映り込む。ずっと、ずっと……何十年、何百年と見てきた景色。込み上げてくるのは懐かしさで。もう恐怖はなかった。
――――蓋がゆっくりと閉じて、五感は暗闇に染まる。




