たかが一人、たった一人
「そうですか。断られることは承知していましたがね」
淡々と、そして不意にエルドラは【肉の細剣】を振り下ろした。迸る赤黒い雷撃。次元を切り裂くと一瞬でジンの眼前にまで距離を詰める。
「悪いが、その手の不意打ちは効かないぞ。全部見えるんだよ」
ジンは双眸に過剰なまでの血を巡らせた。痛む眦で次元を裂いた驀進を見据えると、深く構える。
瞬きの間もなく縮む間合い。――邂逅した。ヴィを片腕に抱えたまま、透き通った穂先の槍で斬撃を受け止める。劈く金属音が軋むほど、凄烈な火花が咲いた。
いなされながらもエルドラは止まらなかった。加速と膂力だけでジンを押し込み、大穴から距離を取らせるように施設の奥へと突き飛ばす。
半壊した地下通路に足をつけた。勢いは収まらず、鋭い摩擦が砂塵を舞い上げる。
エルドラは上体を捻り、半身を倒すと全身でもって刃を強く振り薙いだ。続けざまに振るわれる斬撃の円弧を、ジンは槍の切っ先で打ち流す。
同時、迸る黒雷を亀裂で消滅させると、槍先を返すように柄を回した。赤い刀身を足元へと突き弾く。
「ッ!? 小手先が冴えているようですね」
「誉め言葉として受け取っておこう」
剣戟のぶつかりあいを一方的に流しエルドラの重心を崩した。リーチ差に身を任せ遠心力のままに振り払い、距離を取らせる。
「理解できませんね。戦友と敵対して、同居人の命を危険に曝してする行為が、復讐ですか?」
「そのとおりだ。理解してもらう必要はない。道を踏み外して、どん底まで落ちたから、これしか足掻く方法がわからないんだ。だが停滞して変われることはなにもなかった」
「わからないなら従えばいいんです……! 道を進めない者は言う通りにしてればいい……!!」
痛烈な声に重なる銃声。エルドラの言葉は注意を逸らすためだったのだろう。待ち伏せていた通路に誘い込まれたらしい。
《造り物の規定》の少女達は四方から引き金を振り絞っていた。無数の弾道が空気を裂いて迫るが、ジンは見向きもせずに自身の周囲一帯に無数の亀裂だけを走らせる。
「【無式】……。透明色の色付き。やはり怪物はあなたですね」
ガシャンと。ガラスが砕け散る音を響かせて、弾丸を虚空のなかにしまい込んだ。そして、放たれた数だけ少女達へ弾丸を放ち返す。
造り者の少女達は冷静に回避行動を取った。身を伏せ、地を跳ねて、それぞれが弾丸を最低限の動きでやり過ごし――。遅れて、眼前を掠める弾道が自分達の撃ったものでないことに気づいた。
各々は青い瞳を見開いて、ほんの刹那の間、息を呑むように硬直する。
「ッ――離れなさい! アメウズメの血弾です!」
エルドラは咄嗟に叫んだ。警告が、強張りかけた肉体を強引に突き動かす。
一転して身を翻し赤い刀身で空を薙ぎ斬った。次元の狭間へ飛び込み距離を取る。ほぼ同時、ジンが放った弾丸は宙で膨張し、着弾前に爆ぜた。
甲高い音響の炸裂。揮発した冷却液が舞い上げる白い蒸気、飛散する無数の結晶片とジンの鮮血。少女の一人がよけきれず全身に浴びる。
「エリゼ……ッ」
エルドラは少女の死を悟るように名前を呼んだ。同じ顔の少女は頬を引き攣らせ、ジンに鋭い睥睨を向ける。
「わたしのことをどうか覚えていてください」
エリゼは満面の笑みを浮かべた。恐怖に引き攣る頬を吊り上げる。震える呼気と乱れる心拍を押し殺すと青い双眸は瞠目し、光輝した。銀の髪は強く靡き、メリアと同じ蝶が数匹、宙を漂い舞っていく。
便利屋としての習性がジンの思考を加速させた。引導を渡すべく、血の付着した空間を全て消し飛ばそうとして――ぎゅっと、ヴィに袖を引かれる。
それだけで、想いが冴えた。メリアの言葉を反芻し、自己嫌悪が滲んで歯を軋ませながら叫ぶ。
「俺の目的はお前達を殺すことじゃない――」
――脅迫は無意味だろう。造られた少女達は一人の損失で止まることはないはずだ。死を前にした少女らの表情が嫌な確信を刻みつける。
だから、ジンは言葉を途中で途切れさせた。
「知っています。貴方の眼中にわたし達は存在すらしない。だから許せない」
淡々とした言葉が響くとともに、エリゼから一条の光が放たれた。時間も空間も有耶無耶に消し飛ばす破滅の輝き。メリアの光と比べれば細く弱々しい破壊の力。異界道具と同じように、感情を燃やし放たれる狂気。
視界を過ぎ去っていく一撃をくぐり避ける。――連発は不可能だ。近づくには今しかないと、ジンは前へ踏み込んだ。
「全てを自分から捨てる不毛な行動動機には怒りさえ覚えます」
エルドラは冷静な口調に反して、気迫を膨れ上がらせた。戦慄く空気を前に、ジンは更に前へ。
「不毛な行動動機か。悪いが俺はただ生きているだけじゃ満足できないんだよ」
「貴方はドン底に落ちたと思い込んでいるに過ぎない。たかが一人が死んだとしたって、【錆染】様はあなたをまだ想いやっているのに。あなたには力もあるのに」
言葉が交錯するほど激情が湧き上がる。互いに、わかりあえない確信ばかりが募って、苛立って――感情を燃やし異常な力は共鳴していく。
「たかが一人か……! そんな言葉がある限り俺たちは一生掛けたって和解できないな! その一人に墓標を立てるバカな怪物のことも一生わからないんだろう!? その一人を死なせないことがどれだけ大変かもお前らはわかりっこないだろう!?」
エルドラの赤い剣尖と鈍色の穂先が激突した。昂ぶるほど鋭さを増して赤黒い雷撃と亀裂が交わる。
「ええ、わかりません。理解したくもありません。あなたはたかが一人のためにそうして怒りを燃やすなら、どうしてたった一人が想ってくれていることに価値を抱かないのですか」
激しい金属音の残響が続けざまに振るわれると、剣閃の尾となって後を曳いてく。
一対一ならばエルドラを圧倒していただろう。しかし苛烈な猛撃と加速の応酬のなか、少女達の刃と弾丸は容赦なく迫る。
 




