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終末に珈琲を飲む  作者: 終乃スェーシャ(N号)
五章:光へと向かう道
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ヴィの光は弱く、眩しく



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 とうとう地下15階を超えた。瓦礫に押しつぶされた文字を一瞥しながら、瓦解した階段を蹴り上げて、虚空を掴み加速して、蹴り上げてを繰り返す。


 ヴィはジンに抱えられ、脚を折り畳んだまま警戒するように周囲を見渡した。潮の匂いが近づいている。夕闇の影が差し込んできていて、大穴から遠い通路や設備は黒く染まって何も見えなくなっていた。


「……メリアとはいろいろあったんすか? その、どんな人なのか気になるんすよねぇ? ちょっと嫉妬? それとも同類の共感性? わかんないっすけど」


 不安げな眼差しがじっと見上げていた。潤んだ翡翠色。ジンは自責するように影を寄せながら答えた。


「彼女は……自分と似ている気がした。気がしただけだ。そのせいで余計な共感もあっただろうな。あれは俺以上に何も持っていなかった。ただ、よりによって何かを変えることのできる力だけは持っていた」


 鮮明に刻まれてしまっていた。


 海水の瀑布に満たされた地の底を。瓦礫に突き刺さった無数の墓標を。


 初めて会ったとき、メリアが知らぬ亡骸の衣服を縋るように握りしめていたのを覚えている。


「メリア・イクリビタは俺よりも何も知らないまま長く生きていたんだろうな。だから自由にあらん限りの夢と光ばかりで、そのくせに何がしたいかもわかってなくて……どん底さえ変われば、何かが変わると信じていて…………」


 地上に出たい。海を見てみたい。酒を飲んでみたい。水着を着てみたい。どれも現実を知らないから理想が抱ける。


「……挙句に、自由になって全部に決着がついたら、俺が珈琲を飲むところを隣で見ていたいだの。俺といると変われる気がするだの……。あの女はバカだ」


 吐き捨てるように言った。一番愚かなのは自分だろう。自嘲が零れた。


「地の底に降りてさ。変われたこと……あったすか?」


 ヴィは尋ねることを恐れなかった。躊躇いなく踏み込んで、ジンの深くから言葉を組みだしていく。


「変われてはいないだろうな。根底にある苦痛は絶対に嘘をつかないから」


 ジンは断言した。しかし言葉にするほど激情は胸の奥の痛みと混ざり合って、瓦礫を踏み蹴る脚に力へと変わる。地上を目指し見開く目となり、歯を軋ませる苛立ちとなる。


「……そこに怒りが加わっただけだ。【錆染】に何の権利があってメリアの存在を否定できる。どうして光を否定できる。便利屋である以上、俺たちも誰かを犠牲にして光を灯して向かっているのに……誰が否定できる」


 何条もの亀裂が絶え間なく走った。施設の崩壊によって生じた歪みのなかを空気の抵抗もろとも消し飛ばして、強引に加速し続ける。宙を疾駆していく。


「……急ぐのと焦るのは違うっすよ」


「わかっている。ただ、【錆染】のやり方はムカつくんだよ!! あいつの言うことは何も間違っちゃいないさ。俺がおかしいだろう……。けどメリアを否定する権利がどこにある!? 光そのものを否定する資格なんて誰にもないだろ……! あいつは!! 何も知らないんだぞ!? 否定を拒絶する方法も知らないんだぞ!?」


 ――なにを感情移入している。殺すために地上を目指していたはずなのに。どうしてこうも揺さぶられる。


 ジンは自身に嫌気が差すように顔を歪めた。ビクリと、腕のなかで小さな体躯が震え跳ねる。


 それで一度我に返った。口を閉ざすと静寂を水音が呑み込む。日がもう沈んでしまうだろう。空は藍色に深く遠ざかっていた。


「その…………メリアちゃんは可愛かったすか?」


「急になんだよ……。なんでそんなことを聞く」


 力が少しだけ抜けてしまった。ヴィはわずかに安堵しながら、えへぇと、蕩けた笑みを浮かべ誤魔化す。


「メリアは……。外見はお前ももう見ただろう」


「滅茶苦茶きれいっすよね? あの服はちょっとスース―しそうっすけど」


 長く伸びた銀の髪。蒼い瞳。玲瓏とした声。ジンが想い返していると、ヴィは腕に密着するように一層強く体を寄せた。


「……続けて?」


 ジンの視線に、ヴィは囁いた。


「ポスターを見たせいで酒を飲んでみたいと言ってたな。……俺は反対だが。それと海と水着だ」


「変んなこと教え込んでないすか? ……でも私と気が合いそうっすね?」


「その言葉に俺はどんな表情をすればいいんだ」


「好きにしたらいいっすよ。私はさ、全部終わったら今度こそ叶えたいっす。あのときのお酒は……もうないっすけど」


 ヴィは深く俯いた。ジンと約束をしたのは自分(ヴィコラ)であって、自分(ヴィ)ではないから。


 しかしすぐにジッと目と目が向き直る。


「晴れの日に飲んでさ。砂浜を歩くんすよ。んで、それを見ながらジンは珈琲を飲む」


「俺の酒はないのか?」


「酒を飲むジンが想像できないんすよねぇ」


「なら、俺がメリアを許すのは想像できるっていうのか?」


 答えを求めていた。しかしヴィは小さく首を横に振って、ふんと鼻で笑う。


「さぁ。それも難しいっすね。だからこれはヴィとヴィコラにとっての光なんすよ」


 眩い光だった。手の内にまで触れていて肌と肌が熱を伝え混ぜる。どうしてか、涙が滲んで、ジンは瞬きをして押し流した。


 会話が途切れる。気配が近づいているのがわかったから。


 沈黙のなか、へしゃげた鉄柱を駆け、時間が停止し、宙を彷徨う瓦礫を跳んで地上へ近づいていく。日が完全に沈み、藍は黒く変わりつつある。


 そんなとき、ガラスに爪痕を残すような不協和音が劈いた。何もない場所に斬り開かれる空間の亀裂。裂け目が広がり無窮の光が飛沫となって拡散すると、赤い刃先が伸びた。


 ジンは咄嗟に自身の背後の空間そのものを消し飛ばし、瞬間的に距離を取る。そして見据えた。


 細い刀身全体がぬらりと、裂け目から見えてくる。脈打ち、生きている刃。同じような力を持つ異界道具だろう。所持者は《造り物の規定レグル・レプリク》のリーダー格だった。


 メリアによく似て整った相貌。虚ろな瞳。晴天のごとき青い髪は夜空と同化して黒色を滲ませている。


「申し訳ありません。【無式】様。アメウズメ工房のヴィコラ様。ここから先、一定期間、緊急的な閉鎖隔離が行われます」


 空を裂く音が連続して、他の少女達も対峙していく。


 ジンはもう動揺することはなかった。光へ向かうために殺すことも、光を再び灯すために殺さないことも――――どちらも躊躇うことはない。


「悪いが、友人二人に会いに行くんだ。依頼はまだ終わっちゃいないんでな」


 奮い立たせるように格好つけた。

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